和愁牧場(★)(再録)

 案の定と言うべきか、その晩和泉は風邪を引いた。くしゃみと鼻水が止まらず、熱を測ってみれば38.1℃。
 とにかく一晩安静にしようと、夕飯を食べたらすぐに風邪薬を飲んで頭から布団を被った。
 ところが一晩寝ても熱は37℃までしか下がらず。体は怠くて重いし、頭はずきずき痛い。風邪を引きずった状態で乳絞りに行くわけにもいかないので、朝の乳絞りは父親にやってもらうことにした。高校は当然休みだ。
 愁には会いたい。しかし愁に風邪を移すわけにはいかないし、商品にする牛乳を、風邪を引いたまま扱って出荷するわけにもいかないのだ。
 愁の出す乳が、高額で取引されていることを思えば、尚更。仕方がない。
 いつもならとうに始業時間である九時を指している時計を見詰めながらそこまで考えたところで、和泉は額を押さえた。
(……クソッ)
 普段は気に留めていないようなことが、風邪で脳の働きが鈍っているせいでやたらと引っ掛かる。
 自室のベッドの上で寝返りを打ち、何とかして眠ろうと毛布を肩まで引き上げた。それでも、一度和泉に取り付いた引っ掛かりは欲求となり、どんどんと膨れ上がっていく。
 愁の出す乳を飲んだことはある。けれど、それが自分だけではないということが、今は無性に嫌だった。まるで、愁が自分以外の誰かに好きにされているようで。愁のことを一番よく知っているのは自分なのに。
 愁に会いたい。声を聞きたい。綺麗な紫の瞳に吸い込まれたい。固い髪を撫でたい。抱き締めたい。キスをしたい。舌と舌を絡め合いたい。あの藁のベッドの上で愁に覆い被さりたい。愁のありとあらゆるところに触れたい。気持ちよさで蕩けていく顔を見たい。愁のいいところに俺の指が触れる度に上がる甘い声に酔いたい。
 自然と和泉の手は、寝巻き代わりのジャージのズボンの中の下着、更にその中へと伸びていた。自身を緩く握り込んで、目を閉じる。
 愁のあの形のいい唇が和泉の屹立に寄せられ、いとおしそうにキスをする。それから舌を出してじっとりと舐め上げたら、ゆっくりと全体をくわえて、自分の頭を動かして優しく抜き挿しをする。音を立てて和泉のそれから滴る液を吸ったら舌先で先端をつつく。
「ぁっ……愁……」
 愁にしてもらうフェラチオを思い出しながら、和泉は手の中の自身を何度も扱く。亀頭を親指の腹でぐりぐりと捏ね、愁のフェラチオを再現するかのように何度も扱き方を変える。
「愁……愁……!」
 そこに愁はいないのに、何度もその名前を呼ぶ。
 体の内からせり上がる感覚に、躊躇うことなく和泉は身を任せた。
「っぁ……!」
 抑えた呻き声と共に、どくんと白濁が吐き出される。それを手の中で受け止め、和泉は肩で息をする。意識がクリアになっていくのを感じながら、手を目の前に掲げてしばし呆然とした。
 愁と出会ったのは自慰行為を覚えた直後のことだった。そして愁と出会ってから二年経とうかという頃に、セックスすることを覚えた。
 それから自慰行為に耽ったことはなかったし、耽る必要もなかった。毎日とまではいかなくても、どちらからともなく手を伸ばして相手を求めて、セックスするのが普通だったからだ。
 そう、だからすっかり忘れていたが、愁と初めて交わる前、自分は何度も想像の中の愁をオカズにして抜いていた。
 エロ動画を見ても思い出すのは愁のことで、画面の中で喘ぐ女優の顔を無意識に愁に置き換えていた。
 だが、あの時……自分が愁を思わず藁のベッドに押し倒したあの時、厩舎の窓から差し込む夕陽が潤んだ菫の瞳に反射して、朱が差した頬を僅かに緩めて微笑む愁の顔は、それまでしてきたどんな妄想よりも遥かに美しかった。
 そして、あの時が、「引き返せなくなった瞬間」だったんだろうと和泉は思う。
 体を起こしてティッシュの箱を手元に引き寄せると、手に付いたりペニスに残った物を拭う。
 ほんの半日会えていないだけでこれだ。愁に対してなんだか後ろめたいような気がして、ティッシュをゴミ箱に放り込む。
「あー……愁に会いたい」
 そう声に出して呟くと少し胸の中のもやもやが晴れた気がして、和泉はまたベッドに身を投げ出した。
 そうやってだらだらと一日をベッドの上で過ごす内に熱は少しずつ下がり始め。結局、平熱まで下がったのは夕方になった頃だった。
 明日になれば愁に会える、運良く明日は日曜日だから丸一日愁と一緒にいられる。そう思うと、和泉は明日が楽しみでならなくて、日中散々寝たのにも関わらず、夜になるとまたわくわくとベッドに潜り込んだのであった。