和愁牧場(★)(再録)

 そういや、愁が搾乳器に繋がれた状態の時に体を繋げたことはまだないな、と和泉は、搾乳後の朝ごはんを食べる愁を見ながら考えた。
 愁が搾乳されてる間のあれこれについては一応和泉の中にもやっていいこととやらないことの線引きはある。搾乳器が外れるくらいに激しい動きはしないさせないようにしているし、愁が搾乳されてる間は自分は服を脱がないと決めている。
 ……まあ、牛(?)が搾乳されてる間のあれこれがまず非常識だと言われたら反論できないのだが、そもそも愁は和泉以外の目には乳牛にしか見えないわけで。
「お乳が出やすくなる手伝い、ってやつだよなあ」
「はぁ……?」
 和泉の目には決して美味しそうに見えない朝ごはんを、愁はもそもそと、しかし食欲旺盛に食べている。いつもの平日は和泉が学校に行ってしまうために朝ごはんを見守るところまでは出来ない。しかし学校が休みの日となると話は別で、和泉は愁と一緒に、適当に持ってきたパンなんかの朝ごはんを食べることにしていた。
 今日は愁のお気に入りの藁のベッドの上で二人並んで、愁は干し草と飼料が混ざったいつもの朝ごはん、和泉は昨日コンビニで買ったスナックサンドだ。
「何だいきなり」
「いや、今日も愁は可愛かったなーっていってぇ!!」
 げし、と愁に思い切り脛を蹴られて和泉はうずくまった。愁は干し草を咀嚼してから冷ややかに言う。
「後で乳飲ませてやらねえからな」
「ごっ、ごめんなさいでひた……」
 愁は本当に、淡白な時と積極的な時の差が激しい、と和泉は思う。今の和泉が一昨日の搾乳後と比べると態度が冷ややかなのは、今日は朝から少し調子に乗りすぎたせいだろう、と和泉は推測する。
 しかも牛(?)だからか、愁が本気で暴れると無茶苦茶に力が強い。和泉は到底叶わない。それなのに自分に大人しく抱かれている愁がどれだけ自分を好いてくれているのかを思うと、堪らなくなる。
「なあ愁」
「なんだ」
「一回、夜通しダラダラ朝までセックスってしてみたくねえ?」
「何言ってんだお前」
「いーじゃん、ロマンだぜ?」
「疲れるだろ」
「大丈夫だって~。愁、体力あるだろ」
「疲れるのはお前の方だ。第一、それで朝俺の乳が出なくなったらどうすんだ」
「…………」
 乳が出なくなったら。
 今まで考えたくなくて無意識に考えないようにしていたことに突然に気付かされ、和泉はすっと全身から血の気が引くのを感じた。
 乳が出ない乳牛に、乳牛としての存在価値はどこにもない。一時の体調不良ならともかく、ずっと乳が出なくなったら。
 愁からすれば何気ない一言だっただろうが、和泉にとっては大問題だった。何故なら、乳が出なくなった乳牛に遅かれ早かれ待ち受けている運命は。
 屠殺。
「……なあ、愁」
「?」
「お前、乳が出るようになってすぐの頃にうちに来た……よな」
「そうだな」
 愁がここに来たのは、五年前。
 だとしたら、愁の乳牛としての寿命はいつまで?
 酪農家の息子である和泉の脳は残酷にも、あっさりと答えを弾き出してしまう。
 せいぜい、あと一年か二年だ。
「っ……!」
 全身から冷や汗が吹き出し、がくがくと震え始めた。心臓はばくばくと鳴り、上手く呼吸が出来ない。
「……虎石?」
 和泉の様子がおかしいことに気付いた愁が、和泉の顔を覗き込んできた。
 すがり付くように抱き付くと、愁は驚いたように震えたが、すぐに和泉を抱き締め返してとんとんと背中を叩いてくれた。
「どうした、虎石」
「愁……なあ、愁」
「ん?」
「……一緒、だからな、絶対……ずっと……」
 絞り出すような声しか出ない。だが愁は、包み込むように、黙って和泉を抱き締め続けてくれた。
 結局、愁の乳を飲む気にはなれず。そのことを謝ると、愁は「仕方ねえな」と苦笑しながら言ってくれた。
 朝の諸々が終わったら、日中は牛達は牧場へ放し飼いにされる。愁も例外ではない。ずっと厩舎の中にいては運動不足になってしまう。
 どうすれば愁とずっと一緒にいられるのか、と和泉は、愁を外に出しながら考えた。きっと一番確実な方法は、独立して自分の牧場を持つことだ。しかし酪農には土地がいるし金がかかるし時間もかかる。自分一人で牧場一つを回して、なおかつそれで生計を立てられるようになるまで何年かかるだろう。
 愁と二人で牧場の草地の中を歩き回っていると、ふと愁が呟いた。
「なあ虎石」
「ん?」
「俺は、何なんだろうな」
「えっ……」
「牛なのか人間なのか、自分でも分からない……お前は、どっちだと思う?」
 愁のしんと落ち着いた菫の瞳が、和泉を射抜く。
「生まれた時から周りを牛に囲まれていたから、自分は牛だと思ってた。でも、周りの牛とは会話が出来ねえ。ここに来て、人間であるお前と初めて会話出来た……でも、お前の親父さんやお袋さんとは会話出来ない。自分が牛なのか人間なのか、どんどん分からなくなった。今じゃもう全く分からねえ」
「愁……」
「ただ、お前と一緒の時には自分は自分だって、思えるんだけどな」
 愁は淡く微笑む。和泉の目にはその笑顔が、ひどく脆いものに見えた。
 抱き止めないと今にもどこかへ消えてしまいそうな……
「というわけで虎石」
「ん、!?」
 急にぐい、と腰を抱き寄せられたと思ったら愁の顔が一気に近付いてきて、唇を奪われた。さっきまでの淡い微笑みは何だったのかと思うほどに、その目は爛々と輝いている。
 吸い、舌を絡め、たっぷり和泉の唇を堪能した後、愁は唇を離して熱い声で一言。
「ヤろう」
「はァ?!」
「俺の乳飲まなくてもヤればお前も元気になんだろ」
「唐突!! しかも前置きがやたら意味深!!」
「……嫌か」
 熱の籠った目で見つめられ、和泉はぐっと唾を飲み込んだ。
「……嫌、じゃねえけど」
「じゃあヤろう」
「あー待った待った待った、真っ昼間から外でヤるのは待った、親父とお袋来るかもしれねえし」
「チッ……」
「舌打ちしねーの。愁ちゃんがお外でヤるのが好きなのは分かるけど、ヤってるの見られたらマズいって何回も言ってるだろ」
「ったく、仕方ねえな……」
「誘ってきたの愁の方なのになんでそんな偉そうなんだよっ?!」
 しかしこういうところが愁の可愛いところだ、と思ってしまう虎石。とりあえず厩舎に戻ろう、と愁の手を引いた。