耳に届いた無機質なアラームの音で、空閑愁の意識は覚醒した。
タオルケットを肩までかけて気怠い体を横たえている自室のベッドの上は、少し窮屈に感じる。
目を開くと、眠りこけている幼馴染み……虎石和泉の顔が目に飛び込んできた。鳴り続けている携帯のアラームも知ったことかといった様子だ。
空閑はもぞもぞとタオルケットから這い出すとサイドボードに手を伸ばし、携帯のアラームを止めた。体を動かす度に腰が鈍痛を訴える。スマートフォンの時計は朝六時半過ぎを知らせていた。
「んん~~……愁、もう起きたの~~……?」
くいくいとタンクトップの裾を引っ張られたので視線を向ければ、眠りこけていた幼馴染みが眠そうな目を擦りながらこっちに手を伸ばしていた。
「おはようさん、虎石」
「起きるのはえーよ……」
「どっちかが朝飯作らねえと駄目だろ」
「ええ~まだいいだろ……今日俺達二人ともオフだぜ? 滅多にないじゃん、奇跡じゃん」
だらけきった虎石の言葉に、空閑は呆れて溜め息をつく。
「お前だけ寝てろ」
「やーだね」
虎石に腕を引かれ、抵抗する間もなくその腕の中に収まる羽目になった。
小さい頃から何度も自分を包み込んだ温もりに、ふと胸が苦しくなる。
虎石は楽しそうにこう続けた。
「愁を一日中独占出来るのなんて久々じゃん」
「……一緒に住んでんだから顔ならしょっちゅう見てるだろ」
「丸一日、ってとこが大事なんだよ愁くん」
甘えるように首筋に頭を押し付けられ、空閑はまた呆れて溜め息。こうなると虎石は何を言ってもなかなか聞かない。空閑は抵抗を諦めた。
「つーか腰いてーんだけど。お前がっつきすぎ」
「その後で今度は俺が上やるからもう一回とか言って俺にがっついて来たのは誰だ?」
「……俺だな。まあいいじゃん」
鎖骨の辺りに唇を落とされ、くすぐったさで思わず身じろぎする空閑。そして自身の脚に絡まってくる脚に気付く。
「……おい」
声を低くして唸ると、虎石はにやりと笑って上目遣いで空閑を見る。その瞳と吐息には熱がこもっていた。
「お前とセックス出来たのも、久し振りだったしなあ」
「っ……」
この万年発情期、そう言いかけた唇は虎石の唇で塞がれた。
僅かに開かれた空閑の唇から虎石の分厚い舌が入り込んだ。歯列をなぞり、口蓋を刺激し、空閑の口内を思う存分堪能してから、空閑の舌に絡めてくる。
空閑は自分が弱いころを重点的に攻めてくる虎石の舌使いに体から力が抜けていくのを感じながらも、虎石の舌に自身のそれを絡めてどうにか応戦した。
いつの間にか虎石は、空閑に覆い被さって来ていた。
口付けの角度を変える度に唇の端からは唾液が溢れ、僅かに唇が離れる度に熱い吐息が漏れ出す。
息苦しくなるのを感じながらも、唇の感触と布越しに感じる虎石の体の熱さは不思議な陶酔をもたらした。
そしてその熱に、寝る前のあの獣のようなまぐわいを思い出し、自然と体が夜の熱を取り戻し始める。
虎石が空閑の右手に自身の左手を重ね、シーツに縫い止めるように指を絡めてくる。空閑は自然とそれに応え、指を絡めた。
このままだと流される。
熱に浮かされ始めた頭の片隅でそう感じながらも、抵抗する気はあまり起きなかった。体は怠いし、腰も痛い。昨晩汚したシーツは洗って外に干しっぱなしだし、互いの寝間着は既に汗で濡れ始めている。このまま続けたら後々また面倒なのは理性と経験で理解している。
けれど、こうして幼馴染みと互いの熱を交わし快楽を貪るのは決して嫌いではなかったのだ。
「っ……ぷはあ」
「っは……」
虎石がようやく唇を離したので、空閑は肩を上下させて酸素を求めた。
二人を繋ぐ銀糸を、虎石の赤い舌がゆっくり舐め取る。
「朝っぱらから盛りやがって、とか言わねえの?愁ちゃん」
少し意地悪に口角を吊り上げて笑う虎石に、空閑は眉をひそめた。
「分かってるなら……」
「はいはい」
皆まで言うな、と言わんばかりに、虎石は空閑の唇に優しく人差し指を当てる。
「俺がしたいだけ。だから、無理はさせねーし、最後まではしない。いいだろ、ハニー?」
そして、女の子のファンなら堪らないであろう笑顔でウインクを一つ。
「……好きにしろ」
歯の浮くような芝居がかった仕草に腹が立ったのでぶっきらぼうに返してやると、今度は宥めるように額に唇を落とされた。
空閑が完全に体の力を抜いたので、虎石は空閑のタンクトップの下から空閑の肌にそっと空いた手を這わせる。決して柔らかくはない、鍛えられ引き締まった空閑の体を虎石の指が優しく撫でる。
「ん……」
虎石の指先が胸の先端を掠めたので空閑が小さく声を漏らすと、虎石は「愁、かーわいっ♪」と歌うように呟いた。
そして虎石は空閑と絡めていた指をほどくと体を起こしーーこの時虎石の肩に引っかかっていたタオルケットがぱさりと床に落ちたーー、空閑のタンクトップを胸より上までまくり上げた。
虎石はほんのり桜を帯び始めた空閑の右胸の先端に触れ、軽くつまむ。
「っ……」
むず痒さにも似た刺激に、空閑は声を漏らすまいと唇を引き結ぶ。
「愁ちゃーん、声我慢しねえの。ここ俺達しかいねえんだけど」
「うるさ……ああっ」
口を開いた瞬間に両胸を刺激され、空閑の体はびくりと跳ねた。
虎石は朱に染まっていく空閑をうっとりとグレーの瞳に映し出しながら、空閑の胸を刺激し続けた。
薄く涙が滲んだ目を細めながら艶かしい声を漏らす幼馴染みに、虎石は下腹部の熱がいっそう上がるのを感じた。
空閑は一昨年の特撮ドラマでダークでクールな主人公の仲間を演じてからお茶の間にも少しずつ知られた顔になり、もうすぐ新しい主演ミュージカルの稽古も控えている。世間ではクールでミステリアスな若手注目株とされている幼馴染みが、自分にだけ見せる顔。虎石はぞくぞくとした興奮を覚える。
撫でるだけでは我慢が出来ず優しく胸に吸い付くと、空閑はいっそう高い声を上げた。固く立ちつつあるそこを舌で転がす度に空閑の体が震える。
虎石とて舞台を中心に活動し、最近は連続ドラマにも準レギュラーとして出演。ファンも定着してきている身だ。今も次の舞台の稽古期間中。
互いに世間に知られた顔だし、人の目に己の身を晒す俳優という職業に魅せられている。けれど、決して互いにしか見せない顔があるのは二人しか知らない。
「愁」
時々とびきり甘い声で名前を呼びながら、胸への愛撫を続ける。
しかし空閑は朱の差した顔で虎石を睨んだ。
「っは……おい虎石……」
「なに?」
「さっさと終わらせろ……ん、朝飯……」
「……俺が腹一杯にしてやってもいってえ!!」
空閑の膝で尻を蹴り上げられ、突然の痛みと衝撃に虎石は愛撫をやめて尻をおさえた。思わずうずくまる。
「うお……腰に響く……」
アクションもこなせる俳優・空閑愁が本気を出せばもっと痛いのだろうが、痛いものは痛かった。
「っはあ……最後まではしないって、言ったのは、どの口だ……?」
「とか言って愁もノリノリじゃ……」
今度は顔面めがけて枕が飛んできた。空閑は上体を起こし、呼吸を整えながら低い声で凄む。
「……下らねえこと言ってると、もうやめるぞ」
「分かった分かった……もう調子には乗らねえよ」
虎石は空閑の肩に手を起き、宥めるように額にキスをする。
「それじゃ、お望み通り」
虎石が空閑の穿いているジャージに手を掛けようとすると、空閑はわざとらしくそれより早く腰を浮かせ、ジャージと下着を同時に下ろした。
唖然とする虎石を尻目に長い脚を曲げてジャージと下着を爪先から抜いて床に落とした空閑は、してやったりと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「どうした、虎石」
そして虎石の体を挟み込むようにして両足を伸ばす。
「来いよ」
タンクトップ一枚で蠱惑的な笑顔を浮かべる空閑。その男根はしっかりと屹立している。
「……愁、お前やっぱ超かっこいいな」
うっかり惚れ直した。そう呟きながら、虎石も寝間着のショートパンツと下着を脱ぎ捨てた。そして屹立している自身と空閑のそれを右手で同時に握り込み、左手は空閑の肩に乗せる。
そのままぐちゅぐちゅと厭らしい水音を立てながら擦り合わせれば、押し寄せる快楽に二人は熱い吐息を漏らす。虎石は快楽をあるがままに享受して笑い、空閑は快楽を堪えるように眉を寄せながら。
「っは……すげーいい、な、愁」
「ぅ……」
空閑は虎石の腕をぎゅっと握って快感に堪えている。
「我慢すんな」
耳元に口を寄せて囁くと、空閑は首を横に振った。
「相っ変わらずの強情じゃん……」
空閑の亀頭に軽く爪を立てると、空閑は嫌々をするように首を横に振った。
「やめろ……ぁっ、あ、」
「……愁」
虎石は空閑の頬に左手を当て、その顔を真っ直ぐに見つめた。
整った顔立ち、朱が差した汗滲む肌、蕩けた目尻、薄い涙の膜が張った菫の瞳、薄く開かれた唇。ずっと昔から毎日のように、今となっては四六時中見ている顔の筈なのに、はっとするほど綺麗だ。
「……和泉」
名前を呼ぶ艶めく声に突き動かされて擦り合わせる手の速度を早めれば、互いの呼吸はいっそう荒くなる。
菫に映る自分の顔がひどく欲にまみれているのを見て、誤魔化すように空閑の顔に何度もキスをする。
本当は余裕なんてない筈なのに、空閑は虎石の頭を包み込むように撫でながら言う。
「お前……は、……ほんと、キスするの好きだな」
「わりーか、よっ……お前も好きだろ」
憎まれ口も、興奮剤。
上り詰める感覚に、虎石はぎゅっと眉を寄せる。
「愁、俺いきそ……」
「……俺も……ん、」
二人は体をびくりと震わせ、同時に絶頂に達した。
白くどろりとしたものがべったり虎石の手を汚し、受け止めきれなかった白濁がぱたぱたとシーツに零れて染みを作った。
「っは……」
「はー……」
互いに脱力し、空閑はヘッドボードに背中を預け、虎石はへたりこんで呼吸を整える。
空閑はヘッドボードにもたれながら虎石を睨む。
「ったく……少しはシーツ洗う面倒も考えろ」
「わーった、今度から気ぃ付ける」
「どうだか……ほら」
虎石が空閑からティッシュの箱を受け取って処理をしている間に、空閑はさっさと処理を済ませてズボンを穿いてベッドから立ち上がった。
「早くしろ、朝飯作るからシーツ洗っといてくれ」
「りょーかい」
虎石は手早く処理を終えるとベッドから立ち上がり、シーツを引き剥がした。
[newpage]
「……そうだ虎石。お前に言っとかねえといけないことがある」
「ん?」
朝食を終えてシーツを干し終え。そのままなんとなく二人してリビングのソファでだらだらしていると、肘掛けにもたれかかって新聞を読んでいた空閑がおもむろに口を開いた。
虎石はなんとなく見ていたニュースを消して、空閑を見る。
空閑は新聞を畳んで床に置くと、体を起こした。そして少しだけ迷うような顔をしてから、虎石の目を真っ直ぐ見て言った。
「前話したよな。そろそろアメリカに行くつもりだって。決めた……ちゃんとビザ取って、今度の舞台が終わったらニューヨークに行こうと思ってる」
虎石は思わず息を飲む。
空閑は淡々と話し続けた。
「事務所に相談して、もうオーケーも出てる。……しばらく向こうに滞在して、オーディション片っ端から受けるつもりだ」
空閑は眉を下げ、小さく息を吸った。
「決まったのは、先週なんだけどな。落ち着いてる時に直接言いたかったから、ずっと黙ってた……悪い」
「……そっか。次の舞台、終わんのいつだっけ?」
「……四ヶ月後」
「結構、すぐだな」
「ほんと、悪い」
「謝んなよ」
虎石は空閑の方へ身を乗り出し、その頬を両手で挟んだ。
「だってお前、ブロードウェー行きたいって言ってただろ。あそこの舞台に立ちたいって……夢叶えに行くんだろ、もっと胸張れよ」
いや、と空閑が急に真顔になる。
「一緒に寝れる時にお前が盛ってこなかったらもっと早く言ってた」
「……マジで?」
思わず冷や汗が流れる虎石。
「冗談だ」
ふ、と空閑の表情が緩む。
「でも、次の舞台が始まったらそう一緒に寝れる時間もなくなるだろ。……そう思うと、な」
「……そっか」
目の前の恋人がいじらしくて、虎石は空閑の頬から手を離すとその体に腕を回した。
「ばーか……さっさと言ってくれたらもっと丁寧にしたっつーの」
「そんなのお前の柄じゃねえだろ」
空閑が虎石を優しく抱き締め返す。鼻の奥がつんとするのを感じ、虎石はいっそう強く空閑を抱き締めた。
「別に一生会えなくなる訳じゃねえよ」
空閑のその声はとても優しい。けれど、何だか空閑が自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
ああ、やっぱりこいつも寂しいんじゃないか。
「それでも大ダメージだっつーの」
「……じゃあお前もアメリカ来い、アパートのスペースは空けといてやる」
空閑の優しい声が沁みる。
今まで何度も抱き締めたその存在が、体温が、急に何よりも愛おしく思えた。手離したくないとすら思う。
けれど、空閑が見ている景色にいるのは自分じゃない。もっと大きな夢を追いかけている。もっと大きなステージへ飛びたいと願う幼馴染みを自分の傍に留めることなど出来るはずもなかった。
空閑に誘われてミュージカルのに脚を踏み入れ、その世界の輝きに魅了されて引き返せなくなった虎石だから、それは痛いほど分かっていた。
だったら、ミュージカルを始めた時みたいに、またこいつを追い掛けて、隣に立ってもっとでかい夢を見るのも悪くない。
「はは、それいいな」
空閑は多分気付いていないけれど、空閑の隣に立って見る夢は、虎石にとって何よりも色鮮やかな景色だ。
ただ幼馴染みと一緒にいたいからミュージカルをやって来たんじゃない。幼馴染みが魅せる夢が他のどんなものにも負けないくらいに、目を反らせないくらいに綺麗だから、虎石は躊躇うことなくその夢に手を伸ばす。
虎石は空閑の耳元に口を寄せた。
「それじゃ、俺が行くまでステージで待ってろよ、愁」
色々言い訳はしたものの、結局俺が臆病だっただけだ、と空閑は思う。
アメリカ行きを決めたことを言い出す勇気が無かった。
小さい頃から一緒にいて、ミュージカルの世界でも肩を並べて歩いてきた幼馴染みの元から離れると決めたことを、言い出せなかった。
甘えるより甘やかす方が得意なくせに、空閑には誰よりも甘えている虎石。そして空閑だって誰よりも虎石に甘えている。
自分を包む、そして自分が包んでいる体温に感じる安らぎが何よりの証拠だ、と空閑は思う。小さい頃から、互いの体温が何よりの慰めだった。きつい時に抱き締めてくれる人の温かさは何よりも心に効く。それを空閑に教えたのは虎石だった。
けれど、アメリカに行ってしまえばこの体温を感じることは出来なくなる。
「別に一生会えなくなる訳じゃねえだろ」
甘えるように強く抱きついてくる幼馴染みを抱き締め返しながら空閑は言う。それは自分への言い聞かせでもあった。
くぐもった声が返ってくる。
「それでも大ダメージだっつーの」
どこか拗ねたようなその声に空閑は苦笑する。とっくに二十も越えてるのに、こういうところは相変わらずだ。
「……じゃあお前もアメリカ来い。アパートのスペースは空けといてやる」
何となく口から出た言葉だった。けれど、自分が今抱き締めている男は、いつだったか、自分の何となくの言葉に乗せられてミュージカルを始め、スターの階段を駆け上がってここまで来てしまったとんでもない男なのだった。
「はは、それいいな」
案の定、虎石は少し乗り気になったようだ。
ひょっとしたら自分より才能があるかもしれない男の行く道を、自分が決めてしまっているようで後ろめたくもあり、けれど追い掛けて来てくれるのは嬉しくもあり。
そんな空閑の胸中に気付いてか気付かずか、虎石が耳元で囁いた。
「それじゃ、俺が行くまでステージで待ってろよ、愁」
その声にこもった熱に、空閑は目を見開き。胸の中がじわりと温かくなるのを感じた。
夢を見て新しい地へ向かう不安も恐怖も包み込んで推進力に変えてくれるような、それはまるで魔法の言葉。
「……ああ」
空閑は瞳を閉じ、静かに言葉を返した。
「早く来いよ」
きっと、お前と肩を並べて立つブロードウェーのステージは最高に気持ちが良い。