その日は月皇が実家に帰るという事で、夜十時を回っても寮の部屋には空閑一人だった。夕食を済ませて風呂にも入り、ベッドの上でだらだらと何もしない快適さを貪っているとこんこんこん、とノックの音が室内に響いた。こんな時間に誰だ、と思いつつ体を起こしてドアを開ければ、満面の笑みを浮かべた虎石和泉がそこにいた。
「やっほ~愁」
「……何しに来た」
「何しにって」
大げさに肩をすくめてみせる虎石の手には、赤と茶色を基調とした小さな紙袋が提げられていた。なんだこれ、と空閑が考える前に虎石は胸を張って言う。
「今日はバレンタインだぜ? 俺がお前のところに来ちゃいけない理由でもあんのかよ」
「……。……ああ」
そういえば朝、月皇が言っていた。バレンタインになると母さんがチョコレートケーキを焼くとか何とか。
朝のバイトのコンビニでは店内にハートの装飾が施され店頭の目立つ位置にチョコレート菓子がずらり。
昼から入ったバイト先のカフェバーは最近チョコレートを中心にしたデザートが限定でメニューに並び。
さっきは那雪がチーム全員分手作りしたというチョコレートクッキーをくれた。旨かった。
そうか、今日がバレンタインだったのか。納得する空閑に、虎石は紙袋をぐいと突き出す。
「このチョコすっげえ美味いからさ、一緒に食わねえ?」
どうせ女に貰ったチョコだろ、とじっとりした目で虎石を見ると虎石は悪びれず「いいじゃ~ん」と空閑にもたれかかってくる。
「なあ一緒に食おうぜ~?」
「……ったく」
こういう時に虎石に甘くなってしまう自分を少し悔しく思いながら、空閑は仕方無く虎石を部屋に上げた。
「ほらこれ」
二人並んで空閑のベッドに腰掛け、虎石が紙袋から出してきたのはいかにも高級そうな箱だった。そして中にはいかにも高級そうなチョコレートが並んでいる。ところどころ隙間があるのは虎石が食べたせいだろう。
「うまそうだな」
「だろ~?」
ほら、と箱を差し出され、空閑はとりあえず一番普通のチョコレートみたいな見た目をしているダークブラウンのチョコレートを摘まんで口に運んだ。
一回噛むとほろ苦いチョコレートの味がふわりと口の中に広がり、もう一回噛むと僅かな甘みが鼻に抜ける。滑らかなチョコレートは口の中であっという間に溶けていき、飲み込むと不思議な後味が残った。
「ん……うまいな、これ」
「だろ?」
体がなんだかふわふわする感覚を覚えながらも、空閑は二個目のチョコレートに手を伸ばした。
虎石は膝の上にチョコレートの箱を乗せて、空閑が美味しそうにチョコレートを食べるのを見ていた。
綺麗な形をした唇の間にそっとチョコレートが消えていくその光景はなんだか蠱惑的ですらある。おまけにその頬はうっすら赤みを帯びていた。
なんか今日の愁エロい。そんな身も蓋もないことを考えながら、自分もチョコレートをつまむ。こんな時間にチョコレートなんて食べたら肌に良くないだろうが、バレンタインの今日だけは特別でいい。
ふと、舌の上にカカオとは違うほろ苦さを感じた。そして鼻に抜ける香りに虎石はあれっ、と首を傾げる。
「ん、このチョコ酒入ってるな……」
「酒?」
「うん、入ってないやつもあるみたいだけど……」
「そうか……」
「……愁、食べるペース早くねえ?」
気が付いたらほとんどのチョコレートが箱からなくなっていた。空閑がよく食べる方だとは言え、随分とハイペースだ。夕飯足りなかったのか、と気楽に考えていると、
「虎石……」
「なに?」
「ん」
空閑の顔が近付いてきたと思ったら唇を奪われた。
「……っ?!」
空閑は驚愕で固まる虎石の頬を両手で押さえ、唇を吸い、舐めて、甘噛みして、たっぷり虎石の唇を堪能している。それをされている虎石はというと、大混乱していた。
空閑とこういうことをする関係になってから短くはない。しかしこうやって空閑の方からアプローチを仕掛けてきたことは一度もなかった。どうして急に、と考えてすぐ、はっと気付く。
「っ……愁、お前もしかして酔った?」
空閑の肩を掴んで離すと、目を潤ませて頬が紅潮した空閑が物惜しそうに虎石を見ていた。こころなしかその目尻はとろんとしている。
「……べつに、酔ってねえけど」
呂律ははっきりしている。しかしそれを言う空閑の表情も行動も、明らかに酒に酔っている人間のそれなのだ。
チョコレートのお酒くらいで酔うのかよ、と思わず頭を抱えたくなる。
虎石はそっとチョコレートの箱を脇に置き、立ち上がろうとした。
「水持ってくる」
「いらない」
「うお?!」
立ち上がりかけの体勢のところをぐいと左手首を強く引かれ、視界がぐるりと反転する。左手首をベッドに押し付けられ、気が付けばベッドの上に組み敷かれていた。
「虎石」
空閑は目を細め、長い指で箱からチョコレートを一粒摘まんだ。空閑が最初に食べたチョコレートと同じ形だ。虎石の勘が正しければ、あれには酒が入っている。空閑はそれを歯でくわえると、そっと虎石の口元に運んできた。
ああ、そういうこと。どこで覚えてきたの、やるじゃん愁ちゃん。
虎石は唇を開くと小さなチョコレートを受け入れた。唇を重ね、二人で一つの小さなチョコレートを舐めると自然と舌が擦れ合う。柔らかい唇と舌の感触に二人の口の中で溶けていくチョコレートの甘さが加わって更に興奮を掻き立てる。
「ん……はぁ……」
「ふっ……んむ……」
酒のせいもあるかもしれないが、どんどん体の熱が上がっていく。虎石は自分の上に覆いかぶさる空閑の腰に手を回し、そっと服の下に手を忍ばせた。腰を撫で回すと空閑の体が震える。
二人でゆっくりゆっくりチョコレートを味わい溶かしながら、虎石は自分の意識も甘くどろどろに溶けていくような錯覚を味わっていた。チョコレートみたいに甘く溶けて、一つになってしまいたい。そう思うと下腹部がずしんと重くなる。ひくりと空閑が震えたので、わざと下腹部を更に押し付けてやると空閑も下腹部を押し付けて来た。空閑も興奮している、それをはっきり感じ取り煽るように更に深く口付けた。口腔の上を舌でなぞってやれば空閑の腰ががくがく震えたが、空閑もお返しとばかりに虎石の口の中を蹂躙するばかりの勢いで舌を絡めて来るし虎石の弱い部分を刺激して来る。その度に声を上げそうになるが全て空閑に飲み込まれて行く。
快楽に身を任せて互いに漏らす吐息は獣のようなのに、いつもよりずっと甘くて、くらくらする。
チョコレートを溶かし切って飲み込んだところで唇が離れたが、粘ついた銀糸が二人の唇を繋いでいる。
「なーに愁ちゃん、興奮してんの?」
からかうように聞いてやると、空閑は目を細めて首を傾げた。
「……かもな」
熱に浮かされた目に至近距離から射止められ、ずくりと体全体が疼いた。ゆっくり空閑の口角が上がり、弧を描く。
「な、虎石……」
空閑は虎石の耳元にそっと唇を寄せる。熱く甘く囁かれたその言葉に、虎石は笑みを深くした。
ふわふわと浮いているような意識の中で、空閑は自身の中に虎石の熱を感じていた。
俺に入れるんじゃねえの、なんて挑発めいたことを言われた気がしたが、今日はこっちの方が良かった。どちらにしろ虎石の上にはいるわけだし。
虎石の上に跨り、その綺麗な体の上に手を突いて自身の身体を揺する。
「っ……はっ、愁……」
「はあ……んあ……」
虎石のペニスが自分の気持ちいい所に当たると自然と喘ぎ声が漏れる。中がきゅっと締まって、虎石の存在をいっそう強く感じる。
「虎石、大きい……」
「はっ、愁ちゃん今日は随分ノリノリじゃん?」
「ん、気持ちい……」
目の前がちかちかするくらいの快感に身を委ねて腰を振ると、虎石も気持ち良さそうに笑う。身を屈めて虎石にキスすると、虎石の手が空閑の背中を撫で上げた。少しごつごつした指が背中を這う感触が心地好くて思わず目を閉じると、「ほーら、動きが止まってるぞ」と下から突き上げられる。
「ぁあっ! 虎石、もっと、」
「はは、今日の愁やば……」
虎石の腰遣いは乱暴なようでいて的確に空閑を気持ちよくしてくれる。浅い所も奥もぐりぐりと突かれて、身も心も気持ちよさで溶け出していくようだ。チョコレートみたいにどろどろになってしまう。
「愁、もっと顔見せて」
両手で頬を挟まれ、虎石と視線を交差させる。欲でぎらついた、けれど甘やかな目が真っ直ぐに空閑を貫く。その視線に貫かれるとぞくぞくしたものが背中を駈け上がり、身体中できゅんきゅんと感じてしまう。
「可愛い……」
うっとりした甘い声がするりと耳から脳に届き、意識を溶かしていく。
「好きだよ愁……」
「俺も……んっ、あはぁ……」
虎石の腰の動きに合わせて自分も腰を振り、体の中でうねる快感の波が増幅し、自然と笑みがこぼれた。
「とらいし、とらいし」
「なーに?」
「ふふ……」
虎石の名前を呼ぶだけでなんだか楽しくなってきて、子供みたいに何度も名前を呼ぶ。虎石はあやすみたいに空閑の背中を撫で、ぽんぽんと頭を軽く叩く。
「愁、きもちい?」
「ん、きもちい……」
「今日の愁すっげえエッチだぜ? いつもかわいーけど、今日はもっとすごい……」
「……? んあっ!」
虎石が急に上体を起こし、よろけたところを抱き止められた空閑は挿入されたまま虎石の正面に座る形になる。体勢が変わったために、虎石のペニスが今まで当たっていなかった場所を穿ち、空閑はぴんと背を反らして悲鳴に似た喘ぎ声を上げた。しかしすぐに痛いほどの刺激は快感へと変換される。
「ぁ、あ、イイ……」
自分の体重でどんどん繋がりが深くなっていき、空閑は笑みを深めた。
虎石は空閑の顔のあちこちにキスをしてから、空閑を揺すぶる。
「ぁっ、きもちいい、とらいし、もっと、」
貪欲に快楽を求める空閑を見ながら、虎石は自身の内にどんどん獣じみた衝動が膨れ上がるのを感じていた。もっと手酷く抱いてやりたい、ぐちゃぐちゃになるくらい抱き潰したい。空閑が脚を虎石の体に、腕を首に絡めてきた。より深い繋がりを求めるようなその仕草が愛しくてまた何度も唇を重ねた。
「愁、これ食べて」
虎石は一度律動を中断するとベッドの端に手を伸ばし、最後の一粒だけ残っていたチョコレートを摘まんで空閑の口許へ運ぶ。
「ん……あむ……」
空閑は虎石の指ごとチョコレートをくわえて舐め始めた。
「美味しい?」
「ん……」
とろんとした目はこちらを煽るようだ。指を空閑の舌が這い、時に大胆で焦らすような、その舌付きにぞくぞくしたものが背中を駈け上がる。虎石は空閑がチョコレートを食べ終わるのを見計らってそっと空閑の口の中から指を引き抜き、指に付いた溶けたチョコレートを舐め取る。
「愁の味がする」
「そうか……?」
「うん、おいしい」
「虎石もうまいぞ……」
「っ……可愛いこと言ってくれるじゃん」
虎石は空閑の前に手を伸ばして立ち上がったペニスを握り込んでぐちゅぐちゅと扱き、下からの突き上げも再開する。
「ひゃっ! ぁあっ、はぁ、んっ、あぁ、んあ」
空閑の嬌声が堪らなく艶やかで、虎石は何度も何度も空閑を突き上げた。その分中の締め付けがきつくなり、虎石は今にも達しそうだった。
「愁、俺、もうイキそ……」
「あっ、おれ、も、はっ、ああっ、一緒が、いい……」
「分かってる、っは、一緒にイこうぜ……」
「とら、いし……あ、ああっ! は、あ、あああ……っ!」
「愁……っ!」
ピンと空閑の背筋が伸び、ペニスからどろりと白濁が流れ出す。手にその感触を感じながら、虎石はきゅううっと締め付けられ目の前がちかちかするほどの快感と共にその中に勢いよく欲望を叩き付けたのだった。
「あ……ぁっ……」
空閑は体を震わせて虎石にしがみついている。虎石はあやすように背中をとんとんと叩き、自分も呼吸を整えながら空閑の呼吸が整うのを待つ。
空閑の呼吸が整ったのを見計らってそっと空閑から自身を引き抜くと、白濁が溢れた。優しくキスを落としてから、その体をベッドに横たえる。白いスーツに横たわるまだ赤く色づいている体は扇情的だしもっとしたいが、これ以上無理をさせるわけにはいかないと虎石はなけなしの理性を総動員して判断した。
空閑の隣で横になり、その顔にキスしていると空閑に名前を呼ばれる。
「なあに?」
「もう終わりとか言わないよな?」
「……は?」
……そういえば、チョコレートには媚薬効果があるとか何とかどこかで聞いたことがある気がする。まさかそのせいじゃねえだろうな、酒のせいなのもあると思うけど。
「……明日どうなっても知らねえからな」
もうどうにでもなれ、と思いながら言ってやると眼下の空閑は楽しそうに笑い、来いよ、舌舐めずりをしたのだった。