【甲操】とある楽園にて

「ヒトの子供って、ふわふわしてる」
 海神島、喫茶「楽園」。入り口には「CLOSE」のドアプレートが提げられているが、店内では店員達が夕方からの開店準備に勤しんでいた。
 店内の一角で赤ん坊・皆城総士の頬を両手で挟んでむにむにとしながら、「楽園」の(一応)店員である来主操は呟いた。
「それにあったかい……。いつもそうだ。ねえ、ヒトの子供って、皆こうなの?」
「うー……」
「うーん、この総士の言葉はまだ難しいなあ」
「うー、あぶ」
「来主、総士が割と嫌がってるよ」
「え、嫌がってるの?」
 店内にモップを掛けているオーナーの春日井甲洋に言われ、操はきょとんとして甲洋を見る。すると総士の育ての親でもある調理師の真壁一騎が、カウンターの中で仕込みの最中の鍋をかき混ぜながら笑った。
「いいよ甲洋、総士は来主のことそんなに嫌いじゃないみたいだし。良い遊び相手だ」
「……精神年齢が近いのかもしれないな」
「それはきっとあるなあ。来主の歳はどう考えても一桁だから」
 二人の会話が聞こえていないのか、操は総士の頬を両手で挟みながらにこにこと笑いながら総士に顔を近付けた。
「ねーえ総士、俺と何して遊ぶ?」
「あぶあば」
 総士が小さな両手を掲げて操に向けて伸ばした。操は首を捻る。
「うーん、何がしたいの?総士の心はまだふわふわしてるし、よく分かんないなあ」
 フェストゥムとして読心能力を持ちながらも言葉による意思疎通を重視する操には、総士の言わんとすることは難しいらしかった。鍋と総士の両方に意識を向け続けていた一騎がすかさず助け船を出す。
「高い高いして欲しいんじゃないか」
「高い高い?……高い、高い……あ、一騎が時々総士にやってるやつ!たかいたかーい、って!」
「そう、それ」
 操の目が輝いた。
「じゃあ外に出よう!今日も空がとっても綺麗だよ!一騎、いいよね!」
「あんまり遠くまで行くなよ」
「わーい!」
 操は一騎抱え上げて立ち上がった。
「それじゃ行こう、総士!」
「う!」
 総士が満面の笑みで手足をバタバタ動かした。
 そして見ていた甲洋があっと言う間もなく、操は総士を抱えたまま店を飛び出して行ってしまった。からんからんとドアベルの音だけが静かな店内に鳴り響く。
「……甲洋、二人のお守り頼んでいいかな?俺も後から追い付くよ」
 一騎が苦笑しながら甲洋を見ると、甲洋は溜息をつきながらモップを壁に立て掛けた。
「ショコラ、行くよ」
 店の隅で丸くなっていた犬のショコラが跳ね起きて、ドアから店を出て行く甲洋の後をついて歩く。一人と一匹を見送って、一騎は鍋に向き直った。
「……さて、俺はもう少しこっちをやらないと」

 ***

「ほら総士、ここは空と海がとっても綺麗に見えるんだよ」
 操が総士を抱えたままひとっ走りしてやって来たのは「楽園」からほど近くにある砂浜だった。雲一つない蒼穹と、空と溶け合うように輝く海が光を反射して、時折り波の狭間が白く煌めいた。
「それじゃ高い高いだね、えーと……はい、たかいたかーい!」
 操が総士を両脇から抱えて勢いよく空に向けて掲げると、総士はきゃっきゃと笑いながら手足をばたつかせた。そこで操は、総士の顔が自分に向いているせいで空を見ていないことに気付く。
「あ、こっちの向きだと総士が空を見れないや」
「太陽の方には顔を向けさせるなよ」
 背後から静かな声を掛けられ、操は総士を空に掲げたまま振り向いた。
「んー、甲洋。なんで来たのー」
 不満げに頬を膨らませる操に、操の背後で静かに佇む甲洋は一つ溜息をついた。
「一騎にお前達のお守りを任された。……掲げたままはまずいだろう、そろそろ総士を下ろせ」
「高い高いは、こうやるから高い高いなんでしょ?」
「上げたり下ろしたりするから赤ちゃんは喜ぶんだ。……多分だけど。それと、単純に赤ちゃんを高所に置いたままというのは、危ない」
「ふーん」
 ひょいと総士を下ろすと、総士は不満げに唇を尖らせた。
「やーや!」
 すると操がパッと顔を明るくし、目を輝かせた。
「あ、今やだって言ったんだ!俺にも総士の言いたいことが分かった!」
 やったあ、と操は総士をまた高く掲げてくるくる回る。
「やっぱり空が好きなんだね、総士!」
「……良かったな。ところで、空を見せるんじゃなかったのか」
「そうだ!はい甲洋、総士を持ってて!」
「はあ……」
 甲洋は操から総士を差し出されたので仕方なく受け取り、総士の顔の向きを自分に向けながら再度操に差し出した。
「ほら」
「ありがと!」
 甲洋から総士を受け取ると、操は波打ち際まで走るとまず総士に海を見せた。
「ほら総士、海だよ!」
「みーみ!」
「うみ、だよ。うみ!あはは、総士喜んでる!」
 操は総士を掲げたまま波打ち際を走った。ばしゃばしゃと派手な水音が聞こえてくる。跳ねた水が割れたガラスの粒のように煌めいて操の足元を舞う。
 甲洋ははしゃぐ二人を見ながら、少し遠くで待たせていたショコラを手招きで呼んで砂浜に腰を下ろす。ショコラはその隣に大人しくうずくまった。
「来主の顔も見えてないのに怖がらないんだな……」
 そういう意外と怖いもの知らずなところは彼譲りなのかもしれない、と甲洋は「前の総士」を思い出しながら考える。本人に自覚は無いのだろうが。
「はい、たかいたかーい!」
「きゃー!」
 総士の輝く瞳に蒼穹を映して操は笑う。操の瞳もまた丹念にカットされた水晶のようにきらきらと輝いた。
 やっぱり子供同士気が合うのでは、と甲洋が考えていると一騎が砂浜に下りてきた。
「二人の様子はどう、甲洋?」
「見ての通り、仲良くやってるよ」
「そう、良かった」
「仕込みは終わったのか」
「うん、夕方からの分はもう大丈夫だ」
「おーい、一騎もおいでよー!」
「かー!」
 総士が一騎に向けて手を伸ばした。それを見た一騎の頬が綻び、操と総士に歩み寄る。操も総士を高く掲げたまま一騎に駆け寄った。
 一騎は操から総士を受け取って抱き上げた。
「ありがとう、来主。いつも総士と遊んでくれて」
「どういたしまして!ねえ一騎、総士は俺と遊んでる時楽しいよね?」
「ああ、いつも楽しそうだよ」
「えへへ、やっぱり!俺も楽しいよ!早く総士と言葉でお話出来るようになりたいなあ」
 そして一騎の腕の中にいる総士の頬をつつきながら、操はふにゃりと笑った。
「やっぱりふわふわだあ……」
「うー」
 総士が操の指から逃れるように顔を背けた。
「あれ?どうしたの総士?」
「来主があんまりつつくから、もういいってさ」
「ええ、そうなの?!」
「だから今日はもうやめような、あんまりやると総士に嫌われるぞ」
「ええ、嫌われるのはやだ!じゃあやめる!」
 操が慌てて総士から手を離すと、総士は一騎の服にしがみついた。眠いのか、うとうとと瞼が重たそうだ。そんな総士を見て操はまたにこにこと微笑む。
「俺と総士は一度家に帰るよ。総士の分の夕飯の支度しなきゃ」
「ああ。俺は来栖に足を拭かせたら戻る」
「足?」
「こいつ靴履いたまま海に足突っ込んだから」
「なるほど。それじゃあ頼む。ほら総士、一旦ばいばいしな」
「ばーば!」
 一騎に手を取られながら、手を振る総士。操は大きく手を振り返した。
「ばいばーい!」
 一騎と総士は海岸に背を向けると、「楽園」ではなく自宅──真壁家の方向へと歩き去って行った。操は二人の姿が見えなくなるまでぶんぶんと手を振り見送った。
 どうせ夜になったらまた会うんだけどな、と控えめに手を振りながら甲洋も見送る。そして一騎の姿が完全に見えなくなり、つまり操が手を振り終えたタイミングを見計らって操に向き直った。
「……というわけだ、来主」
「うん!」
「うん、じゃない。家からタオルとサンダル取ってくるから、帰る前にせめて足は拭いておけよ。店の床が水浸しになる」
「はーい」
 操が素直に返事をすると、空間跳躍で海岸から甲洋の姿が掻き消える。操は砂浜にぺたりと座り込み、靴下ごと靴を脱いで砂浜に放り出した。落ち着きの無い子供のようにぱたぱたと足を動かし、素足に触れる砂の感触を楽しむ。それから視界の隅に映るショコラに唇を尖らせた。
「……君は先に帰ってなよ」
 ショコラは意に介せず、しっぽをぱたぱたと動かしながら目を開けて操を見るだけだ。だが操はショコラのそんな些細な仕草にもぎょっとして、座ったままで後退りする。
「うわっ……!」
 砂に足を取られ、背中から勢いよく砂浜にダイブする。柔らかで暖かな砂が背中から操を包み込み、「お布団みたい」と操は笑った。大の字になり、全身で空の蒼と陽の光を浴びる。
 だが直ぐに操の上に影が刺した。サンダルとタオルの入ったビニール袋を手にした甲洋が、横になった操を見下ろす。
「何やってるんだ……」
「こうすると、大地と一緒になって空を見れて気持ちいいよ!」
「そうじゃなくて……はあ、もういい」
「なにー?言ってくれなきゃ伝わらない」 
「ほら、砂落として足も拭けよ」
 甲洋はタオルを操の腹の上に放り、黒いスポーツサンダルを操の顔の横に置く。そして操が投げ捨てた水浸しの靴をビニール袋の中に放り込んだ。
「俺が中学生の時の物だけど、お前の体格は中学生の頃の総士と大体同じだろ。なら多分サイズは問題ない。少し小さいかもしれないけど」
 操は腹の上のタオルをそのままで、甲洋のサンダルを手に取った。だがサンダルは履かずに、空に翳してためつすがめつしながら微笑む。
「……このサンダル、甲洋の記憶のにおいがする」
「人間だった頃は普通に使ってたものだから」
 どういう訳か、竜宮島から海神島に移動した時の荷物に紛れ込んでいたのだ。およそ六年の間処分されていなかったのも驚きだがわざわざ入れたの誰だ、と思いながらも、自分で処分する機会を逃してしまいそのままになっていた。
「大事に使うね!」
「……俺が持っててもしょうがないから来主にやる」
「わあ、ありがとう!」
 操の目がきらきらと輝く。新しいおもちゃを買ってもらった子供とはこんな顔をするものなのかもしれない、と甲洋はふと思う。生憎自分にそんな経験はないのだが。
「ほらさっさと……」
「そうだ!」
 サンダルを履くよう促そうとすると、操が勢いよく上半身を起こした。そして期待に満ちた目で甲洋を見る。
「ねえ甲洋、俺のこと高い高いしてよ」
「はあ……?」
「だって総士があんなに喜んでた、きっと楽しいよ!本当は一騎にやって欲しいけど、甲洋で我慢する。だからやってよ甲洋!」
 こいつが正直なのは今に始まったことでは無いが正直すぎるあまり一言二言余計だ、と甲洋は呆れて嘆息する。
「俺に高い高いされるより、お前の船の艦首に上った方が高いところに行けるだろ」
「そうじゃなくてさー。それを言うなら総士だって一騎に高い高いされた方が高いところに行ける。でも総士は俺に高い高いされても喜んでたよ」
「それはまあ……そうだけどな」
「だからやってよ甲洋ー!あっ今めんどくさいって!ちゃんと声に出してよ!」
 まあ聞こえるように「言った」からな、と横になったまま両手両足をばたつかせる操を見下ろす甲洋。そして、これは高い高いしてやらないと黙らないだろうな、と再度嘆息する。
「それじゃ、高い高いしたら全身に付いてる砂を払って足を拭く。いいな?」
「うん!」
 操はすくっと立ち上がり、甲洋に向き直ると元気よく両手を広げた。操の腹の上に置いてきたタオルがぱさりと砂浜に落ちたので、甲洋は深々と溜息をを吐きながらタオルを拾い上げて操の首に掛ける。
「ねえ甲洋、はーやく!」
 仕方のない奴。甲洋は自分より頭一つ分小さい操の両脇の下に手を差し込むと、グッと掴む。そのまま持ち上げると、すぐに操の足が宙に浮いた。浮遊の瞬間、ふっと操の目が見開かれて笑顔が輝き出す。そのまま甲洋は腕を伸ばせるだけ伸ばして操を掲げた。操はまるで大輪の向日葵のような笑顔を浮かべ。
 そしてそのまま真っ直ぐ、甲洋は操を砂浜に下ろす。とすん、と操の足元の小さな着地音の後、甲洋は操から手を離した。
「……はい」
「ちょっと!ちゃんと高い高ーいって言ってよ!」
 すかさず文句が飛んでくる。
「そこから先はオプションサービスだ」
「何それー!やってよー!」
「あれは子供の特権だよ」
「いっつも俺のこと子供だって思ってるくせにー」
「でも総士よりは大人だろ。俺の方がお兄ちゃんだぞってよく総士に向かって言ってる」
 操は悔しそうに頬を膨らませてぐぐ、と拳を握った。リスに似ている。
「ううーん……そ、それじゃ、今の俺が死んだら、次の俺には絶対高い高いしてね!小さいうちにやってよ、俺も総士と同じ景色が見てみたい」
 今の俺が死んだら、次の俺、か。そうか、こいつもいつかは死んで生まれ変わるのか。ミールのコアとして。それを思うと、胸がざわつく。
「……覚えてたらな。あと、自分が死んだらとかそういう話、あんまりするなよ」
「なんで?」
 なんで、って。操の無垢な瞳に、更に胸の内がざわめき立ち、怒りや苛立ちに似た感情が首をもたげる。だがそれを今の彼にぶつけた所でどうにもならない。悟られぬよう心に固く壁を作り、代わりに溜息をひとつ。
「……なんでもだよ」
「んー……分かった」
 操は眉を下げて俯いた。
「今の甲洋すごく悲しそうだから、あんまりしないようにする」
「……分かればいい」
 悲しそう。その理由を、本当は完全に理解などしていないのだろう。甲洋はそう推察する。ただ誰かが悲しむ顔は見たくない。だからやらない。来主操という存在は、そういう思考をする。
 ヒトの形をしヒトのように振る舞うが最初からヒトではなく、自分は生と死を繰り返す存在なのだと当たり前に理解しており事実そういう存在である操に、ヒトが生と死に対して抱く感覚を理解させることは難しい。それでも無理に今理解する必要はない、いつか分かるようになればそれでいい。
「ほら、さっさと砂払って足を拭いてサンダルを履いて。足はもう洗った方がいいな」
「はーい」
 濡れた素足で砂浜に足を突っ込んでいたせいで操の足には砂がびっしり付いていたので、甲洋はサンダルを拾い上げると、足洗い場の方向を指した。操は足洗い場に連れて行かれる道すがら、首に掛けていたタオルを外すと、服や肌をぱたぱたと払って砂を落とした。
 足洗い場で足を洗いながら、「冷たーい」と操は屈託なく笑う。甲洋は操を横目で見つつ腕時計を見た。夕方の営業時間が始まるまであと十五分ほど。高い高いで思いの外時間を取られた。
 サンダルを足洗い場の前に置いて、操に声をかける。
「ほら、早く帰るよ来主。もうすぐ店を開ける時間だ」
「はーい」
 操は足を拭いて甲洋のサンダルに足を入れる。予想通り、サイズはぴったりだった。
 甲洋がショコラを呼ぶと、操はいつものように怯えながら道へと駆け出した。海岸から道路に戻り、「楽園」までの帰り道を歩く。海岸から「楽園」までは徒歩で五分ほどの距離しかない。操が何歩も先を歩いていたのに、歩幅が大きい甲洋がすぐに追い付いて並んで歩く形になった。
 操はショコラから逃げるように甲洋を盾にしつつ、弾むような声で甲洋の顔を覗き込んだ。
「ねえ、甲洋」
「なに」
「楽しいね、高い高い!」
「そう。それはよかった」
(俺は別に楽しくはなかったけど)
「ちょっと!わざわざ心に話し掛けてくるのやめてよ!あっそうだ、次は俺が甲洋のこと高い高いしてあげる!」
「え……」
 思いがけない操の言葉に、甲洋は思わず言葉を詰まらせる。だが、
「別にいらない……」
 想像してみるとなんとなく気に入らなかった。
「なんだよそれー!」
 きゃんきゃん吠える操はどことなく、威勢だけは良い小型犬に似ていた。ショコラが苦手だと言うのに本人はまるで小型犬とはこれ如何に。
 そんなどうでもいいことを考えているうちに、「楽園」に到着した。
「店開けるから来主は準備して来な」
「はーい!」
 操はバックヤードへとパタパタ走って行った。甲洋は店の裏──と言うより自宅側に向かう。ショコラを家の中に入れて夜の分の餌を用意しておき、タオルは洗濯籠に放り込んで、びしょ濡れの操の靴は適当に干しておくことにする。帰る時に返せばいいだろう。
 客を入れられる状態かどうか、店内を再度チェックする。店を出た時置きっ放しにしていたモップは一騎が片付けてくれたらしい。エプロンを着て外にメニュー看板を出す。メニューに書き損じが無いか念の為確認。
『本日のディナーセット
 一騎カレー or スパゲッティカルボナーラ
 +日替りサラダ
 +日替りスープ
 +日替わりデザート
 +ドリンク』
「俺も早く店に出せるくらいにならないとな……」
 メニュー看板を見ながら思わず呟く。
 生まれた年から数えて二十歳にこそなったが、中学生の頃に肉体を失い、肉体を再構築してからはまだ一年経っていない。記憶力には自信があるので基本的なレシピの料理は簡単に出来るようになったが、やはり調理技術は圧倒的に足りておらず。店に出す料理はほぼ一騎に丸投げであった。
 今の自分に上手く出来るのはコーヒーを淹れること、そして綺麗な盛り付けくらいだ。
「ねえ甲洋!俺今度あれ食べたい!美羽に教えてもらったんだ、ミートローフ!」
「はいはい、ミートローフね」
 店内から操が声を上げてきた。思考が漏れていたらしいが害はないので特に気にしない。
 中に戻りながら、ドアプレートを「CLOSE」から「OPEN」へとひっくり返す。
 そういえば、出来ること……というか成り行きで俺の役目みたいになってることならもう一つあったな、と甲洋は店内に足を踏み入れるなり思い出す。
「……こ、甲洋~……小指ぶつけた……痛い……」
 足を抱えて店の床にうずくまる操が、涙目で甲洋を見上げてきた。大方テーブルの脚に足の小指を強打したのだろう。おまけに今はサンダルだからダイレクトにダメージを受けたと。心を読まなくても分かる。見れば分かる。
 本当に手のかかる、と呆れながら即席の氷嚢を作ってやりながら操に放る。
「ほら、とりあえず冷やしといて。羽佐間先生は今の時間お宅にいる?」
「いる……」
「じゃあ来主の靴取ってくるから。座って待ってな」
「は~い……」
 甲洋はまた一つ溜息を吐いてからプレートをもう一度「CLOSE」に戻し、現在操がお世話になっている羽佐間家の玄関前へと空間跳躍した。
 操の保護者である容子に事情を話すと、あの子本当に落ち着きがなくて、と笑いながら操の靴を渡してくれた。
 退屈はしませんけどね、と笑って返して店へ戻る。
 見た目よりずっと子供で聞き分けがなくて落ち着きも常識もない操に、誠に遺憾ながら同類としてそして職場の上司として、島の一員としての社会生活というものを叩き込む。それが、今の自分に出来るもう一つのことだったりする。
 だがこうやって操に手を焼いている時間が存外嫌いではないことに気付くのに、そう時間はかからなかった。退屈しないというのは、決して嘘ではない。
「ほら、靴」
「甲洋今絶対ひどいこと考えてたー!」
「はいはい考えてたよ。いい加減店開けるからもっと隅の方の席行って、痛み引いたら靴に履き替えて」
「は〜い……」
 操は片足跳びで隅の席に移動してちょこんと座り込んだ。甲洋は店の外に出ると、ドアプレートを再度「OPEN」に引っくり返す。
 店の外から操を見ると、隅で丸まっている背中が妙に小さく見えた。いつもきゃんきゃんうるさいが、静かにされたらそれはそれで調子が狂う。
「……今日のまかないはカレードリアね」
 店内に戻り、カウンターの中に入りつつ声を掛けると、操はぱっと顔を上げて目を輝かせた。
「一騎カレーのドリア!やったあ!」
 先まで涙目だったのがドリアと言われてすぐ満面の笑顔になる操に、やっぱり子供だ、と思う。扱いが楽で助かる。
「俺は一騎カレーが好きだけど、甲洋が一騎カレーで作るドリアも好きだよ!」
「……そう」
 何も考えていないであろう操の言葉に少しだけ嬉しくなってしまう自分も、まだ割と子供かもしれない。
 そんなことをふと思って零れた笑みは、戸棚の扉で隠すことにした。

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蒼穹のファフナーに急にはまりました。行き着いた先は甲操でした。
多分何本か書きます。