桜流し(竜叶)

 妻の写真を入れたロケットを手に、桜が川の両岸で咲き誇りながら散っては水面に落ちていくのを眺める。
 川沿いの道では屋台も出ていて花見客でたいそう混雑していたが、竜弦は比較的人の少ない橋桁の隅に立って桜を眺めていた。
 妻の生前、週に一度二人きりで出掛けてはお互いに少しずつ「家族らしい家族」になれる距離感を構築しようとしていた時期のこと。花を見るのが好きであった叶絵の希望で一度だけここに来たことがある。
 桜は竜弦の趣味に合わない花であったが、叶絵が喜ぶ姿を見られるならば自分の好みなどどうでも良かった。
 そうしてその日から、桜を見ると、桜を見て喜ぶ叶絵の柔らかな笑顔を思い出すので、桜が好きになった。
 叶絵が死んでからは、もう彼女の笑顔が見られることはないという現実に酷く胸が苛まれるので、桜は見なくなった。
 そうして今年になって、ようやく目を背けずに桜を見る気になった。彼女の笑顔が写真の中だけのものなのは変わらない。ただ、これから先も桜を見ないまま生き続けていては彼女が悲しむだろうという予感だけが、この季節のこの場所に足を運ばせ、桜を直視させた。
 そもそも今年を生きて迎える事自体、全く予期できたことではなかった。自分はこれくらいになったらきっと戦いの末に死ぬ、と認識していた時期が人生においてあまりにも長い。それを息子に勢い良く引っ繰り返されて急に人生の長さが倍近くなったようなものだ。
 戦いさえ終われば心置きなく楽になれるとどこかで感じていたというのに。甘えるなよと息子に叱られたような心地だが、思いの外悪い気分はしなかった。
 ふと、桜の花びらが一枚、ロケットを握る手の上に落ちた。彼女のあの白い手を思い出して、無性に煙草が吸いたくなった。

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