半年振りに再会したパートナーに、強く抱きしめられた。
「……え」
自分を包み込む、大きくて屈強な体。相手は鎧を身に纏っているのに、その体温が自分に伝わるような気がする。
「会いたかった、ヒカル」
耳元で囁かれる、その低くて頼り甲斐のある、それでいて優しい声。どきりと、心臓が高鳴った。
「あ……えっと、」
ヒカルはひどく混乱していた。何を言えばいいのか分からない。何故だろう、顔がとても熱い。
「大丈夫か、ヒカル?」
ヒカルの様子がおかしいことに気付いたのか、抱擁が解かれ、顔を覗き込まれる。頑健ながらも綺麗に整った顔立ち、兜から覗くブロンドの髪に青い瞳、それが間近に迫り、ヒカルの頬は更に熱くなった。
「……う、うん……大丈夫」
なんとか呼吸を整えて笑って見せると、「そうか」とソーは安堵の表情を見せた。
「驚かせてしまったようだな、すまない」
「ううん、そんなこと……久し振り、ソー」
「会えて嬉しいぞ……ヒカル」
ソーに右手を差し出され、ヒカルは自身の右手を伸ばすことで応えた。しっかりと交わされる握手。それはまるで、初めてパートナーになった時をまた繰り返しているかのようで。自然と、またヒカルの頬が熱くなった。
事の始まりは、ヒカルが通う大学の研究施設で未知の物質が発見されたことだった。
ヒカルはその物質について詳しくは知らない。ヒカルの専攻とは関係のない研究室の発見であり、その未知の物質についても科学雑誌で読んで初めて詳しいことを知ったくらいだ。
しかしその物質はどうやら、ヴィランがその物質を求めて大学を襲撃しに来るくらいの凄い可能性を秘めていたらしい。
ヴィランが大学の研究棟を襲撃し、それがS.H.I.E.L.D.に伝わり、アベンジャーズに伝わり、ソーに伝わり、ヒカルの大学の危機にいてもたってもいられずにソーが飛んできたというわけだ。
ヴィランの襲撃時、その日は日曜日だったのだが、ヒカルはレポートを書くために大学の図書館にいた。研究棟と図書館の距離はやや離れているためにヒカルの身に直接の危険が及ぶことは無かった。それにソーが到着した時には既に、「たまたま」大学の近くにいたヒーローのノバと、現場に急行したS.H.I.E.L.D.の精鋭チームによってヴィランは追い詰められていた。
とは言え、ソーが事件現場を取り囲む群衆の中にヒカルの姿を認めるなり抱き締めに行ったこともあって、ヒカルはS.H.I.E.L.D.のエージェントから事情聴取を受ける羽目になっていた。
「アカツキ・ヒカル君。あなたのことは知ってる。半年前のディスク事件でエナジー属性のバイオコードを偶然入手してソーのパートナーになった……」
「はい」
大学周辺に何台か止まっているS.H.I.E.L.D.の特殊車輌の中には、小型トレーラーの荷台部分が小さな部屋になっているものもあった。ヒカルはそこで、S.H.I.E.L.D.の女性エージェントと向かい合っていた。
「で、セカンドヒーローはノバ。ここまで間違いは?」
「はい、間違いありません」
「……うーん、うちのボスは一応事情聴取をって言ってきたけど、あなたたまたま近くに居合わせただけでしょ?」
「……そう、ですね」
いきなり砕けた口調になり始めたエージェント。ヒカルは緊張の面持ちで頷くしかない。
「どっちかと言うと、あなたのパートナー達がボスに拘束されてる間に話し相手になってろって感じなの。拘束って言っても悪い意味じゃないよ、ノバについてはS.H.I.E.L.D.も知らないことが多いし、ソーはアベンジャーズの仲間も連れずにいきなりこっち来ちゃったしで。かと言ってあなたに現場をうろうろされるのも困るし、だからとりあえずここにいてってこと」
「そうなんですか……」
「気にしないで、多分すぐに解放していいって言われるし、二人にも会えるはずだから。あなたに会えた時のソー、すごく嬉しそうだったし。まるで恋人に再会した時みたい」
冗談めかした口調ではあったがそう言われ、ヒカルは思わず先のソーの抱擁を思い出した。また顔が熱くなる。
恋人に再会した時みたい。それはつまり、自分達が第三者の目には恋人同士のように見えたということではないのか?
そんな思いを頭から振り払い、ヒカルは顔が熱いのを誤魔化すように尋ねた。
「あの、ソーとノバは今……」
「ボスと一緒。あなたよりきっちり事情聴取されてると思う」
この人が言うボスとは、さっき現場を指揮していた一見人当たりの良さそうなエージェントの男性のことなのだろうか、とヒカルは察しを付ける。ノバとは初対面だったようだが、ソーは旧知の仲といった感じだった。
「……あ、ちょっと待って」
エージェントが右耳に手を当てた。右耳の通信機か何かで通信を受けているのだろう。
「……うん、分かった、はい、了解。……もう大丈夫って。ここから出られるよ」
「ありがとうございます」
立ち上がってトレーラーから出ると、見慣れた大学の景色。そこに混じる、あまり見慣れないS.H.I.E.L.D.の車輌達。そして、
「ヒカル」
こちらにゆっくり歩いてくるソーの姿。
「ソー!あれ、ノバは?」
「ノバはまだコールの息子と共にいる」
「コールの息子……コールさんの息子さん?」
「うちのチームのボス、コールソンのこと」
ヒカルに続いてトレーラーから出てきたエージェントに言われ、成る程とヒカルは納得する。
「それじゃあ、二人はもう帰って大丈夫。ノバはもうちょっとかかりそう」
「……えっと」
ノバを待つべきかどうか迷うヒカルに、ソーが一枚の紙を差し出した。
「ノバから預かってきた」
「ノバから?」
ソーが差し出したのは、S.H.I.E.L.D.の紋章が薄く印刷されている小さな正方形のメモ用紙だった。そこにはボールペンでこう書かれていた。
『俺のことは気にすんな!それより久々に先パイと会えたんだし、二人でゆっくりしてろよ!』
「えっと……」
思いがけない親友の気遣いに胸を打たれる一方、心臓の鼓動が早くなる。どうにか平静を保つ。
「それじゃ、僕達はここから出て行った方がいいですか?」
そう聞いてから、少し早口すぎただろうか、と思う。しかしエージェントもソーも気にした風はない。
「そうしてくれると助かるかな。ソーがいると目立つし……うちのボス、ヒーローには優しいから大丈夫」
「……それじゃあ、ノバのこと、よろしくお願いします」
ヒカルはエージェントにぺこりと一礼し、改めてソーに向き直った。緊張で、少しだけ体が震える。
「えっと……それじゃ、どこに行こうか?」
「良い場所がある」
「それじゃあ、そこで」
ヒカルはごく自然な動作でソーに抱き寄せられ、小脇に抱えられた。半年前までなら当たり前のように行っていたその動作で、また顔が熱くなる。
「では、コールの息子によろしく頼む」
「了解、オーディンの息子さん」
ソーがムジョルニアを振り回し、一気に空へと飛び立った。見送るエージェントが、大学が、町並みが、あっという間に視界の遥か下方へ。久し振りに感じる浮遊感と身体中に当たる風に、ヒカルは懐かしさを覚えて思わず笑い声を上げた。
「どうした、ヒカル」
「ううん、なんだか……これも、久し振りだなって」
「どうだ、久し振りに飛んで」
ソーの声はなんだか楽しそうだ。ヒカルは釣られて笑みを深める。
「……とってもいい気分、かな」
「そうか」
フライトはあっという間に終了し、ソーが着地したのは半年前までヒカル達が生活していたトニー・スタークの別荘だった。
「わあ……懐かしい」
ソーに優しく地面に下ろされたヒカルは思わずそう呟く。
「ここは現在アベンジャーズの基地としても機能している。アベンジャーズのメンバーなら自由に使える」
ソーはそう言いながら、正面玄関のカードリーダーに懐から取り出したカードを読み込ませた。すると電子音と共に玄関の鍵が開く。
二人はトニーの別荘へと足を踏み入れた。
勝手知ってる別荘の中、電気を付けたり設備の確認をしている最中にヒカルは、腕時計の時刻が正午を回っていることに気付いた。
「ソー、お腹空いてない?そろそろご飯の時間だし、何か食べようかと思うんだけど」
「いや、私は空腹ではないがヒカルが空腹なら付き合うぞ」
「あ、そっか……ついさっきアメリカから来たんだもんね。じゃあ、どこか手近な場所にご飯食べに行きたいんだけど……作ろうにも、食材が非常食以外になくて」
「付き合おう」
という訳で、一度足を踏み入れたトニーの別荘からまた二人は出てきた。ただし徒歩で。ソーはいつの間にやら鎧を脱いで、Tシャツにジーンズ、ジャケットという服装に着替えている。
いくら鎧を着てないからってすぐにソーだとばれるんじゃ、と思いながら手近なファミリーレストランに入るが、この辺りは外国人が多く住んでいる地域なこともあってソーはあまり注目されない。ヒカルはほっと安堵した。日曜のお昼時ということもあって十五分ほど待った後にテーブルへ。
ヒカルがドリアとサラダにドリンクが付いてくるランチセットを注文すると、ソーもちゃっかりステーキセットを注文した。
「……お腹すいてないってさっき言ってなかったっけ」
「どうせならばヒカルと一緒に食事をしたい」
「そ、そっか」
「安心しろ、アイアンマンに貰ったこのカードがあればヒカルは金の心配をせずとも良い」
そう言いながらソーがジャケットの懐から取り出したカードには、アベンジャーズのマークが印刷されている。先ほどソーがトニーの別荘の鍵を開けるのに使ったカードだが、見たところクレジットカードの一種でもあるようだ。
「それ、結局スタークさんが払うってことじゃ……」
ここにはいないトニーに申し訳なさを感じるヒカルだが、ソーは意に介さずといった様子だ。どうやらアベンジャーズではよくあることらしい。
程なくして頼んだ料理が出てきたので、二人は食事を始める。
ヒカルがオムライスを少しずつ口に運びながらソーを見ると、最大サイズのステーキが大きく切られ次から次へとソーの口の中へ消えていく。その豪快な食べっぷりに、ヒカルはつい見惚れてしまった。
「……?どうした、ヒカル」
「いや、美味しそうに食べるなって」
「悪くはないな。そう言えばヒカルは料理をするのだったな」
「う、うん。ご飯はよく作るよ」
「こうしてヒカルと向かい合って共に食事をするのも良いが、私はヒカルの作る料理が食べたい」
間髪入れずにそう言われ。
「……そ、そっか」
また勝手に顔が熱くなり、ヒカルは思わず俯いてグラスの水を一口含んだ。冷たい水は熱い頬に心地よかったが、熱はなかなか引きそうになかった。
食事を終えてレストランを出た後、ヒカルはソーを自宅に招くことにした。あまり長いことトニーの別荘を借りているのも悪気がしたのだ。ソーが快く応じたので、ヒカルはソーを連れて電車で自宅まで移動する。この辺りから自宅までは三十分程度だ。
ソーと並んで吊革に掴まるのは、なんだか不思議な感覚がした。いつもは鎧とマントを着ている異世界の王子が、今は洋服を着て自分と並んで電車に乗っている。半年前までなら、ヒカルが電車に乗る時はソーはディスクの中だった。それが、こうして並んで町中を歩き、乗り物に乗っている。
「……ソー」
「どうした、ヒカル」
「……なんだか、不思議な気分だなって。さっきからこうやってソーと並んで歩いてるのが。半年前までずっと一緒にいた筈なのにね」
「そうだな。時間制限もなく、常にお前と同じ目線に立っていらる」
「それが、すごく不思議でさ……ごめん、変なこと言って」
「気にするな」
ソーの大きな手がヒカルの肩を優しく叩いた。
「私はむしろ嬉しいぞ、こうしていつでもお前に触れることが出来る」
「…………」
その言葉を理解するのに、少し時間がかかった。そして理解した時、またぼっ、と。顔から火が出たかのように感じた。
「あ……そ、そういうことは……!こういうところで言わないで……!」
「?」
ヒカルが声を絞り出すので精一杯な一方でソーは涼しげな顔だ。運良く乗り換え駅に着いたので、ヒカルはソーを引きずるようにして電車から降りた。
地元の駅に着いてもなお、ヒカルの顔は熱いままだった。心臓もばくばく鳴っている。
自然、ソーを自宅に案内する足が少しだけ早足になる。しかしヒカルにとっての早足はソーにとって早足でもなんでもないようで、ソーは悠々と付いてくる。
入居しているマンションに到着すると、マンションの玄関前でヒカルはどうにか落ち着こうと一度大きく深呼吸した。
「どうした、ヒカル」
「……ソーのせいだ……」
「?」
心配そうな顔のソーが少し恨めしい。とは言え深呼吸したことでだいぶ落ち着くことができた。
マンションに足を踏み入れ、自宅へ。玄関のドアを開けてみると、アキラはいないようだった。
「遊びに出掛けちゃったのかな」
スマホを確認してみると、友達と遊びに出掛けてくるというメールがアキラから届いていた。帰りは夕飯前になるようだ。
「アキラはしばらく帰って来ないみたい」
「そうか。相変わらず元気なようだな」
「うん。将来スタークさんと一緒に働くんだって勉強も頑張ってる。あ、ソーはそこのソファに座ってて。今お茶を淹れるから」
「いただこう」
電気ポットで急いで湯を沸かし、二人分の紅茶を淹れる。お茶うけのクッキーも用意してソファ前のローテーブルに並べると、ソーが感心したように呟いた。
「改めて目の当たりにして驚いた。ヒカルは本当に多くのことが出来るな」
「そ、そんなことないよ……」
面と向かって褒められると照れ臭いが、満更でもない。
「ミッドガルドに来るのも久しぶりだが、ヒカルが元気にやっているようで安心した」
「僕も、久しぶりにソーに会えて良かったよ」
床に座ろうとすると、ソーが不服そうな顔でぽんぽんと自分の隣のソファの空いたスペースを叩いている。
まるで大きな子供みたい。くすりと笑いながらも、ヒカルはソーの隣に座る。
「……ヒカル」
「なに?」
「触っても?」
「…………へ?!」
ソーの突然の申し出に、声が引っくり返る。
「すまない、急に触れると驚くようなのでな」
「それは驚くよ……触るって、その、どこに……」
そう聞きながらも、先の心臓の高鳴りがまた蘇る。頬も熱くなる。
「そうだな……髪は大丈夫か」
「う、うん」
すると、ソーの大きな手がヒカルの顔に向かって伸びてきた。その指先が、優しくヒカルの髪に触れる。そしてヒカルの髪を優しく、慈しむように何度か梳く。
その感触がなんだか心地好くて、ヒカルは目を細めた。
しかしソーが手を離したので、ヒカルは思わずソーの手を掴んだ。
「待って……その、」
「どうした、ヒカル」
ソーの声は優しく、不思議と甘やかだ。その声にくらりと酔ったかのように、熱に浮かされたようになる。
「ソーが良ければ……もっと、触っていいよ。ソーの手、すごく安心する……」
「……ヒカル」
ヒカルが身を委ねるようにソーにもたれかかると、ソーは微笑みながら両腕でヒカルを包み込んだ。ソーの肩に頭をうずめると、ソーは笑いながらヒカルの頭を撫でた。。
「どうした、随分と甘えてくるな」
「甘えてる、のかな……そうかも」
「好きなだけ甘えて来い」
「ありがとう……そうさせて」
ソーはヒカルを抱きしめながら、頭や背を優しく撫でた。
こうして誰かに優しく抱かれることは久しくなかったせいか、ソーの抱擁は不思議と懐かしさと安心感を呼び起こす。
母親が死んで少しした頃のことをふと思い出した。夜遅くに酔っぱらって帰って来た父親に抱き付かれたことがあった。父さんが母さんを抱き締める時はいつもこうしていたんだろう、と思わせるような、甘えるような抱き方だったのを今でも思い出す。母の形見のエプロンを着ていた息子を亡き妻と錯覚したのだろう、とヒカルの冷静な部分は言う。だがそれ以来、ずっとこうも思っていた。
僕も誰かに寄り掛かることが出来たら、と。
ずっと封じ込めてきたその願望を、ソーはいとも容易く叶えてしまった。
「ねえ、ソー」
「どうした、ヒカル」
「……ありがとう、僕のパートナーになってくれて」
ぽろりと出たその言葉。ソーは「そうか」と嬉しそうに笑う。
「ならば、スパイダーマンに礼を言わなければならないな。スパイダーマンのおかげで私達はこうしてパートナーになったのだろう」
「ふふ、そうだね」
優しく抱かれながら交わす言葉は、温かいスープが冷えた体の芯に沁み込むように心地よい。
どうして彼の抱擁はこんなにも心が安らぐのだろう。さっきまで彼の言葉や行動にあんなにも動揺していたのが嘘みたいだ。
そんなことを思うヒカルはいつしか、うつらうつらと眠気に覆われ始めていた。
「どうしたヒカル、眠いのか」
「ん……ごめん、そうみたい」
「私のことは気にせずに眠るといい」
「ありがと……」
その言葉を最後に、ヒカルは意識を手放した。
ヒカルが眠ったのを確認し、ソーは一つ、息を吐き出した。
腕の中で眠るヒカルは、アスガルド人のソーが少しでも力を込めて強く抱きしめれば容易く折れてしまうのではないかと思ってしまうほどに華奢に見える。
ヒカルに触れたいと思っているのは私の方なのに、どうしてこの少年はこうも容易く私に身を任せてしまえるのだろう。少し心配になるが、それはきっとヒカルからの信頼の証しなのだろう。そして、もしかしたらそれ以上の――
(だが、私たちにそれは許されるのだろうか)
気が付けば、この少年は自分の心を大きく占める存在になっていた。会いたいと、半年間ずっと思い続けて来た。この少年に対する思いが恋慕だと気付いたのは、その時だった。
生きる世界が違う。寿命が違う。何もかもが違う。
それでもずっと対等な「パートナー」であり続ける筈だ。だがもし、その先に進んだら?
分からない。どうなるというのだ?
初めて感じる類の恐怖を胸に秘めながら、ソーは少しだけ、ヒカルを強く抱き締めた。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
これも書いているときに見ていた映画ドラマの影響が露骨に出ているシリーズです。コールソン映画復帰おめでとう……
兄さんの生活圏で何かあったら日本にすっ飛んでくるソーとそのおかげで結構な頻度で再会してる兄さんのソーヒカが好きです。