「ダビデ?いる?」
ダビデの部屋のドアをノックすると、「いるよ」とドア越しに辛うじて聞こえるくらいの声が返ってきた。
「えっと……入って良い?」
返答より先に、ドアが開いた。
「どうぞ」
出入口に立って微笑むダビデはいつもの霊衣の上から大きなニットのカーディガンを羽織っていた。寝ていたのか、長い髪が無造作にはねている。どこか悪いのかもしれない、とナーサリーやジャックが言っていたのはやはりあながち間違いではないのかもと思うと、焦りが先に出て思わずその手を掴む。
「どっ、どっか悪いのか?!今日竪琴弾きに来ないからびっくりして……!」
「ごめんよ立香、少し調子が悪くてね……まあ、入ってよ」
手を引かれるままに部屋に入る。ダビデの部屋は物が少ない。机の上に置かれた数冊の本とタブレット、ベッドの上の大きな羊の形のクッションに辛うじて彼の人となりが透けているくらいだ。
「横になっていていいかな、なるべく休んでいたくて」
「そっか……ごめん、なるべくすぐ帰る」
「気にしなくていいよ、君にはここにいて欲しいくらいだから」
ダビデがベッドの上に横になるので、椅子をベッドの側に引っ張って藤丸はそこに座る。
「調子が悪い……っていうのは、魔力が……?」
「うん、魔力の流れが僕の中で上手く動かなくなってるような感じがあってね……。魔力をちゃんと制御出来そうにないから、今日は竪琴はお休みだ」
僕の場合竪琴を弾くだけで魔術の行使みたいなものだからね、と苦笑するダビデ。
「……その、さ」
「うん?」
「……俺から魔力供給する必要、ある?」
言った瞬間、顔から火が出そうなくらい熱くなった。心臓がうるさいくらい鳴り始める。
それを見てダビデはくすくすと笑い出した。
「君は本当に魔術師向きじゃないね」
「うっうるさいな!」
「それがどのような行為であろうとその実体が魔力供給なら魔力供給でしかないよ、マスター。恥ずかしがってちゃ駄目だろう? でも、その提案は素直に嬉しいよ。正直、どうやって魔力供給をお願いするかか考えてたくらいだしねえ。これ、カルデアのシステムだけでどうにかなるものではなさそうだし」
ダビデは不意に上体を起こした。
「立香、ちょっといいかい」
「え?」
ダビデの綺麗な顔がずい、と近付く。若草色の瞳の中に自分だけが映し出されていて、藤丸は思わず生唾を飲み込んだ。
「僕は今、君からの魔力供給を必要としている。とても、ね。そのために君には魔力供給という行為に慣れてもらいたいんだ。僕だって、その実体が魔力供給の為の物であってもその行為が君の現代の倫理観ならすると重大な行為だってことは理解しているけどね」
ダビデの白い指が立香の頬に伸びる。親指の腹でさするように頬を撫でられ、ぞくぞくした物が背筋を駆け上がった。けれどそれは決して不快な感覚ではなく。
「だから僕は、こう言おう。……君の魔力が欲しいから、君に僕を抱いて欲しい」
その言葉は甘い蜜のように耳からするりと脳に流れ込む。
「……分かった」
立香は大きく深呼吸する。心臓はまだ破裂しそうなほどに鳴っていた。
「魔力供給、するから」
「うん」
「……よろしく、お願い、します」
よく出来ました、と言わんばかりにダビデは微笑みながら藤丸の肩を引き寄せた。
「じゃあ早速だけど」
「え」
ダビデの顔が一層近付き、唇に柔らかい物が触れた。何をされているか気付いた瞬間全身が固くなる。ダビデは数度触れるだけのキスをしてから少し不満そうに言った。
「立香、もっと力抜いたら?」
「だ、だって」
「もしかしてキスは初めて?」
「初めてだよ……!」
「ああ、道理で……」
「道理で何だよ?!」
「よし、もっとリラックスしようか。上がっておいで」
ダビデは足にかかっていた掛け布団を剥ぐと、膝を曲げてベッドの空いているスペースをぽんぽんと叩いた。いつもの革のブーツを履いていないせいで露わになった、久し振りに見る白く長い足に思わず息を飲む。緊張で強張っている体をなんとかベッドの上に置くと、ダビデは令呪が刻印された立香の手を取ってそっと撫でた。
「いいんだよ、緊張しなくて。君と僕はマスターとサーヴァントとして当たり前のことを僕とするだけなんだから」
「ごめん、調子悪いのに……」
「うん、今の僕は調子が悪い。だから、ちょっとだけ性急になってもいいかな?」
「…………」
再度大きく深呼吸。腹を決めろ藤丸立香、と自分に言い聞かせ、ダビデの目を見据える。
「いいよ、今度こそ」
ダビデはにこりと笑って頷くと、立香の頬に両手を添えた。
「それじゃあ、やり直しだ」
もう一度、唇と唇が合わさる。先よりは自然と受け入れる事が出来ている事に安心しながら、立香はそっとダビデの背に手を回した。何度も角度を変えながら唇を合わせるうちにふわふわと体が浮くような心地がして、自然と目を閉じる。
「ん……立香、口開けて」
言われるままに口を開けると、ぬるりとしたものが口内に入ってきた。自分の舌と擦り合わせるようにそれは動いて、それが彼の舌だと気付く。
「あ、んぅっ、はっ」
敏感な口内を舐めまわされ、脳に直に響くような快感で立香の腰ががくがくと震える。体中が熱くなり、座ることすらままならずダビデにしがみつく。
下手なことをすれば互いの舌を噛んでしまいそうで、口を開けたままされるがままになる藤丸。一方でダビデは藤丸の口内のあらゆる粘膜を舐めるように舌を運ぶ。
ふと藤丸は、自分の中にあるダビデとの繋がりがカチリと音を立ててはまったような感覚を覚えた。それはダビデも感じたようで、ダビデはそっと立香から離れた。塗れた唇とその端から伸びて自分に繋がる糸、僅かに上気した頬がやけに艶めかしくて口元から目が離せなかった。
「ありがとう、立香。気持ちよかった?」
「……うん」
唇を離してもなおまだ繋がっている感覚を覚えながら、刻々とうなずく。
「それは良かった……ふふ、僕も気持ちよかった」
「そっか……良かった」
ほっと安心して胸を撫で下ろすと、ダビデは目を細めて笑いながら藤丸の髪を撫でた。
「じゃあ、次行こうか」
「えっ」
「まだ君と僕の間の経路を繋いで補強しただけだからね。ほら、服脱いで」
などと言いながらぐいぐいと迫って服に手をかけてくるダビデ。
「えっ今のじゃ駄目なの?!」
藤丸の言葉に、ダビデは害意の無さそうな、けれど勝ちを確信している者の笑顔を浮かべた。
こんな顔どっかで見たぞ、ああそうだ、あの閉ざされた海でイアソンを追い詰めていた時の顔だ──と立香は内心で己の負けを悟る。
「言っただろう、僕の不調はそう簡単にどうにかなるものじゃない、抱いて欲しいって。それに、僕に魔力供給の必要の有無を最初に聞いてきたのはきみだよ」
「うっ……」
その通り、最初に魔力供給の必要の有無を問い掛けたのは自分だった。そしてダビデはそこに含まれる全ての行為に対してきちんと合意を取りに来たのだ。藤丸はそれに同意した。マスターとサーヴァントとして、その行為をすることに。
──でも、本当にそれだけ?
頭では理解していても、付きまとう奇妙な後ろめたさが藤丸を躊躇わせる。
「まあ魔力供給だとしても、僕のような後世にその名を轟かす美男子を抱ける機会なんてそうそうないよ? 世界一読まれている本にはっきり『顔が良い』って記されているこの僕を、だよ?」
「そういう言い方されるとなんか腹立つんだけど……」
わざと茶化したようなダビデの言葉のおかげで少し冷静になれた。そこでようやく、ダビデに言うべき言葉に気付く。
「……その、さ。先に言っておきたいんだけど。俺、ダビデのことただのサーヴァントとして見てないよ、多分」
「君が僕らサーヴァントを大切にしてくれてるのはよく知ってるとも」
「そうじゃなくてさ、……皆大事な仲間だと思ってるけど、ダビデはなんか特別っていうか……」
ダビデはきょとんとしている。
思い駆けぬ事を言われて戸惑うのは分かる、藤丸とてこんな事をダビデに向けて言うのは初めてなのだから。
それでもなんとか、言葉を絞り出す。
「今日ダビデの竪琴聞きに行ったのも、竪琴じゃなくてダビデとただ何か話したいなって無性に思っただけだし……」
ダビデは「ふむ」と少しだけ考え込む。
「……それを僕にここで言うということは、君は僕と魔力供給のためにセックスするのが後ろめたいということかな?心を伴わないセックスにするのは嫌だと、もしくは自分だけ一方的に得をしたくないと」
「多分」
「……もしかして、僕のこと好き? 抱くのもやぶさかじゃないくらいには好きだけど僕にその気がないのは嫌だって事だ?」
「……多分、そう、です」
渋々頷くと、ダビデは声を上げて笑い始めた。
「あっはは、ピュアだねえ~!」
「俺は大真面目だからな?!」
「うんうん、それでこそ君だよ立香……あはは」
ダビデは一頻り笑ってから、藤丸の頬を両手で挟んだ。
「……ああ、やっぱり君が僕のマスターで良かったよ」
ダビデは藤丸の顔を覗き込みながら、優しい声で言う。その声はたまらなく嬉しそうなのに、どこか今にも泣き出しそうにも聞こえた。
「もう一度言おう立香、僕を抱いて欲しい。僕のために」
「……本当にいいの?ダビデ、女の人が好きなんだろ」
「勿論女性は好きだけどさ」
ダビデは笑ってぽんぽんと藤丸の頭を撫でた。その手が優しくて、本当にダビデは俺に抱かれていいと思ってくれているんだ、俺は特別でいていいんだ、と喜びで胸がじんわりと暖かくなる。
「それじゃあ立香。一つ、とっておきの秘密を教えよう。僕が生きてた頃、別に男に抱かれたことが無いわけじゃないよ」
さらりと告げられた言葉に。
藤丸の思考は一瞬で停止した。
「……………………え」
「ああ、驚かせてしまったかな。君、僕について色々勉強したって前に言ってたよね?」
「いや、確かに聖書とか読んだけど……………………は?」
流石に混乱のあまり声が震える。ダビデはそんな藤丸の顔を見て、くすくすと笑った。
「じゃあ、僕が前の王様に竪琴弾きとして仕えていた事と、その王様の息子であるヨナタンとの話は、知ってるよね?」
「……マジで?」
「そういうこと。安心してくれていいよ、僕にとってそういう男はそれだけで十分特別だから」
道理で魔力供給の目的を差し引いても抱かれることにやたら抵抗が無いわけだ……!と震える藤丸。と同時に自分は何か触れてはいけない部分に足を突っ込みかけているのでは、と別の意味でも震える。
「……まあ、ゲオルギウス君やアビゲイル嬢のような、あの方を信じている皆には黙っていて欲しいかな。僕が最初の妻を貰う前に処女を失っていたなんて知ったら彼らの信仰に関わりかねないしね……」
「言わないよ!特にアビゲイルには絶対言わないからな?!」
既にダビデとの付き合いも長い聖人組はともかくこれ以上アビゲイルの信仰が揺らいだらやばいしそもそも子供に聞かせる話じゃない、絶対内緒にしよう、と心に決める藤丸であった。
「ともかくこれでようやくスタート地点だ。さあ立香、おいで」
ダビデは羽織っていたカーディガンを脱ぎ捨てると他に身にまとっている物、つまり魔力で編まれた装備を全て解除した。視界に映る白い肌の面積が急激に増える。つまりは、全裸である。
「脱ぐの早くない?」
温泉などで全裸は見たことがあるので抵抗こそないのだが、流石に思い切りが良すぎる。思わず突っ込むと、ダビデは不思議そうに首を傾げた。
「ん?立香は雰囲気作りを大切にしたい派かい?」
「いやまあ、普通はそうじゃないかと」
「でもお互い早く裸になった方が手っ取り早くいい感じになれるよ?」
そうだこの人効率厨だった、と呆れながら藤丸も服を脱ぐことにした。ダビデが率先して脱いでくれたせいか自分も躊躇い無く服を脱げてしまう。
「……俺、男同士のやり方よくわかってないんだけどさ」
「大丈夫、僕が分かってるから」
「そうだった……」
結局最後の一枚まで自分で脱ぎ、そのまま放るのは少しだけ気が引けたので軽く畳んでから床に置く。
ダビデはしげしげと藤丸の体を見ている。藤丸の体のあちこちには大きな傷痕が走っていて、あまりまじまじ見られると流石に恥ずかしい。身動ぎすると、ダビデは呟いた。
「傷だらけだね」
「……そりゃ、まあ」
「けれどその傷は、間違いなく君の戦いと君が為した事の証なんだろうね」
脇腹の大きな斬傷痕をゆっくりなぞられる。背中にぞくぞくしたものが走り、藤丸は眉を寄せた。
「僕は君が好きだよ、立香。君になら体を任せていいと思うくらいにはね。こうして傷だらけになるのも厭わずに戦い続けることが出来る君だから僕はこの霊基でここまで来たんだ」
腰に手を回され、ゆっくり抱き込まれ、引き倒される。少しずつ密着する体温に鼓動が早くなるが、不思議と緊張は感じなかった。
ダビデに覆い被さるようにして見下ろすと、陰の中で若草色の目がきらりと光った。
「君が罪悪感や後ろめたさを感じる必要は全くない。君も僕も互いを好き合っているんだから、そんな余計な物は捨ててしまいなよ」
そして少しだけ切羽詰まったような顔になり、藤丸の頬に手を伸ばした。
「だから、君の魔力を、君と僕が繋がっている証をくれないか」
頬に伸びた手の上から手を重ね、藤丸は頷いた。
「……はい」
29 2018.5