カテゴリー: FGO

夏のエリセちゃん詰め合わせパック

水着の話

 おろしたての服がどこか皺になっていないか気にしながら、姿見の前でくるりと一回転。
 実用性とデザインのバランスを取りながらなんとか見繕ってみたセーラースタイルは、鏡越しに見ているだけで不思議とテンションが上がって来る。
 うん、やっぱり靴は赤にして良かった。ヘアスタイルだって思い切って三つ編みにして正解。
 これを着て人前に出るのは少し恥ずかしいけれど……これが、水着霊基異の私だ。水着霊基とは何なのかは未だによく分からないが。
「よし……よし、頑張ろう」
 拳を握って、気合を入れる。思い切って部屋を出れば、もうそこは夏の北極圏。私が運営を任されたテーマパーク。
「やあ、エリセ」
「っ……ボイジャー」
 出迎えてくれたボイジャーのいつもと変わらぬ穏やかな笑みに、思わず頬が熱くなる。まさかいきなり出くわすだなんて。
「じゅんびは、できたのかい」
「……うん。出来たよ」
「それじゃあ、いくよ。ぼくも、一緒に」
「……ありがとう。ちゃんと付いてきてね」
 ボイジャーが差し出した小さな手をしっかり握って、走り出す。
 私が《秋葉原》にいた時のようにボイジャーに手を引かれるのではなく、私がボイジャーの手を引いて。
 ああ、夏って、水着って、こんなに気分が高揚するものなんだ。
 友人が海と水着ではしゃいでいた理由を、ようやく実感出来た。あいつが聞いたら、理解が遅いって怒られそうだけれど。 

【ぐだ+ダビデとオベロン】夢を見るもの

※2部6章のネタバレがある
※「夢のおわり」についての自己解釈・妄想を含む
※ダビデの生前に関する自己解釈・妄想を含む

「いやあーっ、よく寝た!」
 レイシフト先から担がれて帰って来て数分後。
 自室のベッドの上で目を覚ましたダビデが思い切り伸びをしながら上げた爽やかな第一声に、ベッド脇に立っていたエミヤはやれやれと首を横に振った。
「あのスキルを使われて目を覚ました第一声がそれとは……恐れ入った」
 ここまで自分を担いで来たエミヤの呆れと感心入り混じる言葉に、ダビデは横になったままけろりとして言った。
「え、だって実際よく寝たよ? うんうん、やるべきことを全力でやった後の眠りってやつは最高に気持ちがいいからね」
「流石は懲りる事を知らないダビデ王と言うべきか……」
 やや呆れの方が比重の高くなった声で言うエミヤだが、ダビデはどこ吹く風と言った風である。
「マスターは?」
「無論帰還しているとも。もうすぐこちらに来るはずだ」
「それじゃマスターが来るまで待つか。いい機会だからオベロン君とも話してみたかったんだけど、ここには来てくれなさそうだしなあ」
「……まあ、そうだろうな」
 ダビデの言葉にエミヤが渋い顔をしながら頷いたところで、部屋のドアが静かに開いた。
「ダビデ、もう起きたー?」
「あ、マスター君。おはよう!」
 ベッドの上に寝たままひらひら手を振るダビデに、藤丸はほっと安心したような顔を見せてベッド脇の椅子に腰を下ろした。
「オベロンのスキルに後遺症が無い事は確認出来てるけど……やっぱり立ち直り早いな、ダビデ」
「うん? あのスキル、後遺症とか懸念されるような物なのかい?」
「え、それはまあ……一応レイシフト前に説明した通りで。戦闘が終わるまで目を覚ませないし、どうも起きた後の感じ方がサーヴァントよって違うみたいで」
「ふうむ……」
 ダビデは先までの戦闘を反芻するように、少し考え込む。一方でエミヤは眉間に少し皺を寄せていた。ダビデが目敏くそれに気付く。
「ああ、そうか。エミヤ君、彼のスキル……『夢のおわり』だっけ、掛かったことあるんだったね。君はどうだった?」
 やっぱり聞いてきた、とエミヤは一つ溜息をついてから、渋々と言った様子で口を開いた。
「……少なくとも私には、あまり気持のいいものではなかったな。強制的に励起される、最大出力の更にその上の状態。だがそれは一瞬のことで、後のことがどれ程気にかかっていても強制的に世界をシャットダウンされ気付けば何もかもが終わっている……ああ、寝起きもなんとも心地悪かったとも。何も感じていない、サーヴァントは夢など見ない筈なのに、特上の悪夢を見せられたような心地だった。私の他に同じような感覚を抱いたサーヴァントは何人かいるようだな」
「特上の悪夢って例えばどんな?」
「貴方は本当にデリカシーというものが無いなダビデ王。シェイクスピアの宝具を食らった時に見せられるやつと言えば伝わるか?」
「ああ、それは確かに最悪かもしれないな……ふむ、どうも個人差があるようだね」
 個人差っていうかこの人がちょっと特殊なだけでは……? 私もその通りだと思うぞマスター……こっそり念で言葉を交わし合う藤丸とエミヤだが、ダビデは意に介さず天井を見つめながら考え続ける。自分の中にある感覚の言語化を試みるかのように。
 藤丸とエミヤはしばしダビデを見守ることにする。
「夢のおわり……末期に見る夢……夢の喪失? そこからの目覚め……」
 ダビデはしばしぶつぶつと何か呟いてから、やがて、「ああそうか」とダビデはぽんと拳を打った。
「分かった。うん、これは多分、僕以外のサーヴァント達に問題があるわけじゃあ決してない。僕の方の問題だと思う」
「ダビデの……?」
「そう。まず僕……というより、生前の『ダビデ』の夢はね、退位した後に自分の牧場を持つことだった。今風に言うセカンドライフってやつを、牧場で羊や牛や馬に囲まれて、心穏やかに過ごしたかった。ところが皆が知るようにそれは叶うことなく、ダビデはソロモンの在位に向けたあらゆる準備を整えてから主の下に召されていった」
 ダビデは目を閉じて、自分の手に胸を当てた。
「さて、そんな『ダビデ』の記憶を持った僕はどうだ。驚いたことに文字通りの第二の人生を、しかも王ではなくただの羊飼いとして得たことで、生前の夢に加えてまた違う夢を持ってしまったのさ。『なんかもう王の責務とかそういうの関係ないんだし、とにかく好きなことをしたい』みたいな、ね」
「なんか、牧場経営に比べてふわっとしてない?」
「あはは、まあそんなものさ。夢というか、ちょっとした希望、みたいなレベルのものだから。ところがこの希望を叶えたくとも一つ問題があって。王の責務からは解放されたが、この僕には、主より任されてしまったことがあったからね」
「……『契約の箱』、その管理者としての責務か」
「エミヤ君、大正解。そう、かの箱の管理はとても大変なことなのさ、本来はね」
 ところが、とダビデは目を見開くと、少し大袈裟に両手を広げてみせた。
「カルデアに押し掛け……じゃない、召喚されてみればどうだ! 契約の箱を無事に安置することが出来る、何かあれば科学技術と魔術の合わせ技でアラートしてくれるから誰かが悪用したり誤って触れたりすることの無いように四六時中気を張る必要もない、つまりは『ダビデ』としては有り得ないほどの自由を手に入れてしまったのさ!」
「……なるほど……」
 その自由なダビデに若干の迷惑を被りがちなエミヤが頭痛を押し殺すような声で呟く。
 エミヤも大変だよね、と藤丸がその背中をぽんぽんと叩くが、ダビデは意に介せず話を続けていく。
「さて、そんなかつてない自由を前にした僕は、君のサーヴァントとして働くのは勿論だが、もうやりたいことをとにかくやってしまおうと思うことにした。これはきっと主が僕に与えてくださった千載一遇の機会に違いないからね! 牧場経営に銀行経営が楽しいのは勿論だけれど、このカルデアにいる限りやることが尽きるなんてことがない。美しいアビシャグ達、稀有な出会い、浪漫溢れる冒険の旅……ああ断言出来るとも、僕はとても幸せな形でマスターと縁を結んでいるとね」
 だけど、と、ダビデはベッドから体を起こして一つ伸びをした。そして、藤丸に正面から目を合わせる。
「僕は所詮『ダビデ』の影でしかない。今このカルデアにいる幸せな時間は、いわば泡沫の夢。いつかは覚めてしまうものなのさ」
「貴方にとっては、自身の認識する現実全ては夢の中だと?」
「そうかもしれないし、そういうことでもないかもしれない。夢を見ている主体がいなければ、夢とは言えないだろう? 僕はその主体を認識出来ないからね。だけどまあ、とりあえず夢なんだと思うことにしてるよ」
「……ダビデにとってはこの現実が、いつかは覚めるものだから。夢が終わっても、『そういうもの』として受け入れられてしまうってこと?」
 藤丸の分析に、「そういうことかな」とダビデは頷く。
「……随分と潔いのだな」  
「そりゃまあ、夢に固執しても仕方ないから。だけど、どうせ夢であるならば、楽しくて幸せな夢にしたい。どうせ終わるなら、悔いのない終わりにしたい。僕はそう思う」
「ダビデが悔いることがあるとしたら、それは何?」
「目の前の、己が成すべきことを成せないこと。それがマスターのためであれば、尚の事。それは夢であろうとなかろうと、変わらないよ」
 元々そういう性質だからさ、とダビデは肩をすくめながら付け加えた。
 そして、世間話をしている時と何ら変わらぬ笑顔で、けろりとしてこう言い放つ。

「うん、だからね。後先を考えなくても良い、ただ自分の全霊を出し切れば良い。そうした末期の夢が、それがマスターのため必要なら、僕は喜んでこの身を差し出すし。それでもし本物の『永遠の眠り』に……消滅したとしても、すっぱり諦めは付くさ」

 その、どこか胡散臭いにも関わらず付き合いが長ければ嫌でも伝わる誠意が十割の言葉に、藤丸とエミヤはしばし呆気に取られる。
 しばしの沈黙の後、藤丸がようやく口を開いた。
「……じゃあもしかして、本当に永遠の眠りに落ちても俺のためだから仕方がない、くらいの気持ちであのスキルに掛かってたってこと……?」
「仕方ない、なんて後ろ向きな感情じゃないよ。だって、これと定めた人のために命を使えるのは、とても幸福なことだろう?」
「前から思ってたけどダビデ、だいぶ生き方が刹那的というか……」
「……いいやマスター。あらゆる戦を勝ち残り約40年に渡り古代イスラエルを統治した王なんだ、そんじゃそこらの刹那的な輩とは格が違う。長期的な資産運用をしながらも必要と判断すれば己の保身を度外視した大博打を打ててしまう」
「ええ〜、サーヴァントなら別に普通じゃないかい?」
「それはそうだが、貴方はその『普通』が度を越えて突き抜けているのではないか? 我らがマスターがそれを望まぬことくらい、よく知っている筈だろう」
 エミヤの言葉にダビデはからからと笑った。
「まあ僕自身には主の加護があるから滅多なことは起きないし、起きたとしても後に残せるものがあるなら、ねえ。勝算のある博打くらいは打つさ」
「ダビデの言う勝算ってそれ勝ち筋しっかり見えてるやつだよな……?」
「それはもう博打とは言わんな……己の保身を度外視出来るのは変わらん分、色々な意味でたちが悪い」
「ほんとだよ……」
 ここに来て明らかになったサーヴァントとしてのダビデの人生観のようなものに、藤丸は溜息を一つ吐き出した。
「ダビデに夢のおわり掛けて本当にいいのかなあ……」
「うん? 僕はこの通り全然平気だよ?」
「本人がこう言っているんだ、目が覚めてからのメンタル不調が無いだけ適性があると思うしかあるまい……」
「そっかあ……そうなのかなあ……」
 藤丸はしばし腕を組んで考え込んでいたが、やがて顔を上げると、ダビデの肩にぽんと手を置いた。
「俺のためだからって自分を粗末にしたら怒るからな、さっきまでの話聞いてたらいつかやらかしそうで怖いから」
 ダビデはその言葉にきょとんとしてしばらく何も言わなかったが、やがてくすりと微笑んだ。
「ありがとう、マスターは優しいね。僕は大丈夫だよ」
 自分の肩の上に乗った手をそっと取って退けながら、ダビデは「ああでも」と付け加えた。
「君やオベロン君がなるべくあのスキルを使いたくないと思っているなら、濫用には要注意だ。まあ君なら大丈夫だと思うけどね」
「うん、分かってる」
「よし、それじゃあいつまでも寝てるわけにはいかない、僕はそろそろ仕事を始めるとするよ」
 ダビデは朗らかにそう言って、ひょいとベッドから下りた。
「君達もずっとここにいるわけにはいかないだろう?」
「そうだな、私は食堂に顔を出すとする。マスターは今日はもうしっかり休みたまえ」
「ありがとう、そうするよ」
 ドアの方に向かう藤丸とエミヤ。ダビデは一つ思い出したのか、「そうだマスター」と藤丸を呼び止めた。
「オベロン君に伝えておいてくれよ、今タマモキャットの協力で開発してるスイカとメロンのアイスがあるんだけど。試作品が出来たら、是非とも彼に試食に来て欲しいんだ」
「今新作開発してるんだ」
「ふむ、最近タマモキャットがアイスの作り方を勉強し直していると思ったらそういうことだったか」
「暦の上ではそろそろ夏だからね、皆美味しいアイスが食べたい頃合いだろう? まあ彼が好きなのは生のフルーツの方なのかもだけど」
「分かった、伝えておくよ。俺にも食べさせてよ!」
「あはは、勿論だとも」
 ダビデは壁のパネルで部屋のドアを開けて、藤丸とエミヤを送り出す。藤丸は手を振って、エミヤは軽く片手を上げて自分の部屋に、もしくは食堂へと向かっていった。
「……さて」
 ドアを開けたままにして藤丸とエミヤを見送ったダビデは、2人の背中が見えなくなってから部屋の隅の観葉植物に目を向ける。
「まだいるかな~? ……いるね」
 大きな葉の伸びた観葉植物の鉢に躊躇いなく両手を突っ込み、ひょい、と、葉の中に埋もれていた重さ6㎏の小さな妖精を、猫を両脇から持つようにして引っ張り出して、軽々と持ち上げた。
 白いマントに身を包んだその妖精は寝起きのようなどこかぼやぼやとした目でダビデを見詰めていた。
 一方でダビデは、先まで彼のマスターやエミヤに向けていたのと同じ人好きのする笑顔を浮かべたまま、言う。
「君、さっきの僕の話全部聞いてたろ」
「……」
 小さなオベロンは何度か瞬きをしたが、何も言わない。しばし、じっとりと大きな目をダビデに向け、やがて勢いよくその小さな足でダビデの手首を蹴り上げた。
「あ痛ァ!?」
 ダビデが手を離した隙に、オベロンは彼がブランカと呼んでいるカイコガの背に飛び乗る。そして、開いたままのドアからあっという間に飛び去ってしまった。
 オベロンとブランカが飛び去るのを見送ったダビデは手首を擦るのをやめて、既に痛みが引き始めている手首を眺めた。
「……ふむ、僕だから大丈夫だったけど。見た目より重いから蹴りの威力もなかなかだったな。ま、初手から距離を詰めすぎるのも良くないか」
 ダビデは肩をすくめてから、わざと開け放しにしていたドアをパネル操作で閉めた。
「僕としては彼のスタンス嫌いじゃないから、是非とも仲良くしたいんだけどなあ」
 呟いて、デスクに向かう。
「彼は、望まぬ役割を押し付けられてしまった者であるマスターの味方だから」
 ワークチェアに腰をおろし、整頓されたデスクの上の小さな本棚から1冊の本を引き出す。藤丸の生まれ育った文化圏で「旧約聖書」と呼ばれるその本をめくり、ある個所で指を止めた。
 サムエル記Ⅰ・16章12節。「ダビデ」が神に王として選ばれた、その一節。
(『ダビデ』だって王になりたかった訳じゃない。王に仕える竪琴弾きになったのも最初は『ダビデ』の意志じゃない。それでも『ダビデ』はその道を行くことを決めた)
 未来の王として見出され、竪琴弾きとして王に仕え、巨人を討った日を境に血に塗れた道を歩き続ける……己の霊基に刻まれた在りし日を思い浮かべながら、羊飼いは一人苦笑いを浮かべた。
(オベロン君は、マスターが自由なき戦いを無理矢理にでも終わらせたいと願ってしまえばきっと力を貸してしまう。僕はその在り方が間違っているとはとてもじゃないけど思えない。それが救いになってしまった人のことも、知っているのだから)
 自分と同じように王に見出されながらも、たった一度の過ちをきっかけにその身に呪いを受け、狂乱の果てに命を落とした先王のことを思い出して、一つだけ小さな溜息をつく。
 かの王はきっと、有り得た自分の姿。
 もしかしたら藤丸にとってのオベロンがそうであるように。
 ただ、かの王とオベロンに違いがあるとしたら、その道を歩き続ける必要が本当にあるのか、と、オベロンは藤丸に問い続けてくれる。彼と似た立場を経験した者として、彼と同じ目線で。
「……うん、やっぱりそういうサーヴァントもマスターには必要だ。僕やエミヤ君みたいな古株は、もうそんなこと言えるような立場でもないくらいには一緒に死線くぐっちゃってるから。言える者が一人くらいはいないと、多分フェアじゃない」
 一緒に戦い続けてきた者からの「もうやめよう」という言葉は、簡単に人の心を折りかねない。であれば、マスターの進む先であれば地獄の果てまでその命を共にすることが、ダビデにとってのマスターに対する誠意であった。
 例え『第二の人生』を謳歌していようと、それが泡沫の夢であろうと、大前提として自分は藤丸のサーヴァントなのだから。
 何度も目を通した手元の本を、文字はほとんど見ずにめくる。そこに綴られているのは一人の羊飼いの少年が王となり、やがて老いて死んでいくまでを語る、どこにでもある英雄譚。ダビデという英霊の基礎となる、およそ3000年に渡り語り継がれた物語。
 やがてダビデは、ページをめくる手を止めた。
「……僕は、懲りずに歩み続けるマスターの尊さを、あいつがマスターに残していったものを、信じている。だから彼のためにこの命を使う。マスターのサーヴァントとして、最後まで歩き続けた『ダビデ』の影として。結局僕がマスターにしてあげられることなんて、それくらいだ」
 列王記Ⅰ・2章10節。ソロモンに遺言を残したダビデが死ぬその一節で、ダビデの人生の物語は終わる。
 でも彼のお陰で気付いたよ、と、その一節を指でなぞりながら、少しだけ目を細める。

「……マスターやあいつの『愛と希望の物語』がいつか誰からも忘れられるかもしれないのはしんどいなって、思ってたけど。忘れられなかったとして、いずれただの物語として消費された上で忘れられるかもしれないっていうのは、確かにちょっとしんどいね」

 僕はそういうの無頓着だからなあ、と。
 3000年に渡り物語られてもなお消費し尽くされることのない羊飼いの英霊はそう呟いたのだった。

絶対にエリセをアイドルにしたいマスターvs絶対にアイドルになりたくない宇津見エリセ

※ワルツコラボのアイドル特異点ネタ。
※マスターがエリちのこと大好き(CPではない)

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「私は何回も言ってると思うけど。アイドルになる気なんてないから」
「そんなこと……そんなこと言わずに何卒……」
「だったら屋外で土下座するのをやめて欲しいんだけど……」
 とあるライブハウスの近くにある小さな児童公園。
 そのベンチに座っている一人の少女を前に、一人の青年が土下座していた。
 少女は近くのライブハウスでこの後公演を行うアイドルグループ『乙女SHOW年』のライブTシャツを着用し、その下には彼女好みの黒いレザースカートと推しメンカラーであるクリーム色のパニエを合わせていた。
 そして土下座している青年は、黒のビジネススーツを着用していた。
 少女の名は、宇都見エリセ。このアイドル特異点にて「量産型オタク」ファッションにすっかり馴染んでしまった準サーヴァントであり。
 青年の名は、藤丸立香。現在この「アイドル特異点」にて「カルデアプロダクション」のマスタープロデューサー……マスPとして粉骨砕身する、人類最後のマスターであった。
「というかおかしいよ!! ボイジャー君も紅葉さんも俺の知らない間にアイドルになってたのになんでエリちはアイドルやらないんだよ!!」
「だから言ってるでしょ、私はアイドルなんて興味ないって」
「でもボイジャー君と紅葉さんの追っかけはしてるじゃん!!」
「そ、それとこれと話は別だから」
「今日だってシャドウにちょっとゴールド入れててネイルもボイジャー君イメージにしてさあ!! めっちゃ可愛いね似合ってるよそれ!!」
「あ、ありがとう……でも君の観察眼、時々普通に気持ち悪いよ……」
 引きながらも本日の勝負服を褒められて満更でもないエリセ。藤丸はここぞと畳み掛ける。
「エリち可愛いし歌も上手そうだしアイドルになったら人気出ると思うんだよね、運動神経抜群だからダンスだって……!」
「嫌です。そろそろ入場列形成始まる時間だから終わりにしていい?」
「始まるまでまだ30分はあるよね?」
「執念怖……」
 エリセが溜息を一つついた時、「スタッフさんこちらです!」という声が公園の外から聞こえて来た。
「こっちでマスターがエリセさんに土下座を……!」
 エリセと藤丸が顔を上げて声の方を見ると、フードを被った少女がスタッフTシャツを着たヘクトールを連れてこちらに向かって来ていた。
 とうとうスタッフを呼ばれた藤丸は悔しげに拳を握る。
「くっ、俺は絶対諦めないからなエリち!!」
「早く諦めて欲しいんだけど……」
「さらば!」
 ヘクトールが公園に足を踏み入れる寸前で藤丸は素早くどこかへ跳び去って行った。
 さながら忍者のようなその動きに、呆れ果てながらエリセは呟く。
「マスターが時々なるあの変なテンション、何……?」
「チッ、逃げられたか」
 悔しそうに舌打ちしながらも、ヘクトールはエリセを見た。
「お嬢ちゃん大丈夫か?」
「まあ、実害はないので。ありがとうございます、ヘクトール。グレイさんも」
 名を呼ばれたグレイは、「いえ」と首を横に振った。
「同じグループを応援するファンとして、困った時はお互い様ですから」
 グレイもまたフード付きパーカーの下にエリセと同じライブTシャツを着ていた。パーカーにはしっかりと赤い花のリボンコサージュを着けている。
「全く、噂には聞いてたがマスターの執念も恐ろしいな……」
 ヘクトールの呟きにエリセは「なんで噂になってるかなあ……」と頭痛を堪えるような顔で呟いた。
「二人とも、一応会場までおじさんが送るよ。そろそろ列形成が始まる頃だ」
 少女二人はヘクトールの先導で、児童公園からライブハウスへと向かうことになった。
 先までの騒動のこともすっかり忘れ、二人の少女はこれから始まるライブのセットリストを予想して盛り上がっている。ヘクトールは二人より数歩先を歩きながら、さぞいい笑顔なんだろうなと想像しながらスタッフTシャツを着た肩を回した。
 客席側で何があろうと、幕は上がる。
 いっぱいの煌めきを届けようと控室でそれぞれの準備をするアイドル達、アイドル達を裏方から支える者達、その時を今か今かと待ち望むファン達、それぞれの思いを乗せて。
 それはそれとして。
「うちわヨシ! ペンラヨシ! タオルヨシ! ミス・クレーン、今日は乙女SHOW年のライブだ、楽しもうね!」
「はいっマスPさん!」
 いつの間にかライブTに着替えた藤丸とミス・クレーンがフル装備でエリセ達と同じライブハウスに向かっていたのが、それはまた別の話。

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【ぐだオベ】だってこれは、

※現パロ、双方大学生成人済み、付き合ってない
※オベロンが喫煙者設定
※オベロンが3臨ベースなので2部6章未クリアの方は注意

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「今日は勝った?」
「クソだった」
 駅前繁華街の冷房がよく効いたファミレスのテーブル席に大学の友人同士である男二人、ドリンクバーとフライドポテト、ビール一瓶だけで一時間以上居座りスマホを眺めながら取り留めのない話をする。
「この前は換金出来るくらい勝ってたのにね」
「うるさい、どうせ暇潰しだ」
 藤丸のからかいにオベロンは昼間からビールをあおる。パチンコで負けたやけ酒のように見えるが、オベロン自身はパチンコの勝ち負けとか割とどうでもいいのだということを、藤丸は知っていた。
 勝ったら勝ったで適当に生活費の足しにするか、景品のお菓子をアルトリア(オベロンの近所に住んでいるという小さな女の子)にあげるか。
 趣味とは言ってるけどそれは嘘なのだろうと思うが、実際のところどうなのかは藤丸は特に興味がない。
 ただ、オベロンが打ち終わった後に暇だからと呼び出されてどこかの店に入って適当にニ、三時間駄弁るのは好きだった。どうせ今は夏休み、バイトのない時は基本的に暇なのだ。
「オベロンさあ、来週暇? 再来週でもいいけど」
「暇って言ったらどうするわけ? 俺もそんなに暇じゃないんだけど」
「どうせ暇だろ、どっか遊びに行こうよ」
「どこに」
「えー……っと」
 適当に言い出したので、具体的に何も考えていなかった。藤丸はしばし頭を巡らせ、
「なんか洞窟とか……あんまり観光地化されてない山とか……?」
「なんだその選択肢」
「オベロン海とか普通の観光地は嫌いでしょ、人多いし」
「ああ、嫌いだね……いやだからってその選択肢になるか? 普通」
 オベロンは別段面白くもなさそうに笑っている。
 だが誘えば意外と断られないのを藤丸は知っているので、手元のスマホで候補地を探すことにする。
「あ、ちょっと遠いけどこことかどう? 爆発するらしいよ」
「何が?」
 その後しばらく、テーブルに藤丸のスマホを置いて二人でやいのやいのと遊びに行く先の候補を選んで行く。
 しかしよく考えれば今は夏休みなわけで、どこに行っても人が多いことが予想される。
 オベロンの人間嫌いは筋金入りだ、やっぱり夏休み終わってから誘った方が良かったかなぁと藤丸が思い始めた時。オベロンが自分のスマホをテーブルの上に起き、コツコツとその画面を指先で叩いた。
「?」
 藤丸はオベロンの手元を覗き込む。
 そこに表示されていたのは……

「だからって付き合ってもない男二人でラブホ来る? 普通」
「非日常、お出掛け、空間内に人もいない。きみと俺の希望がしっかり嚙み合ってるじゃないか」
 オレと二人でラブホ入るのは別にいいんだ……などと言おうものなら蹴っ飛ばされるのは目に見えているので、藤丸は黙ってラブホテルの駐車場に車(レンタカー)を滑り込ませた。
 夏休みの遊び先にオベロンが提案したのはなんとこのラブホテルだった。
 ここはリゾート系内装とサービスで有名なラブホテルで、郊外の広い敷地を生かしてバーやダーツ、スパといったリゾートホテルのような豊富なサービスが持ち味……らしい(公式ホームページ調べ)。藤丸は生まれてこの方ラブホテルなるものを自分で利用したことが無いので他の何とも比較しようがない。
 このラブホテルは普通のホテルとしての営業もしているらしく、予約ページには一人客専用プランも表示されており、男二人でもすんなり予約が取れてしまった。それでも休憩用プランがある辺りちゃんとラブホなんだろうなあ、と思う(漫画とかの知識でのみラブホを知っていた)藤丸であった。
「……まさか若葉マーク外れてすぐにラブホの駐車場に入ることになるとは思わなかったけどね」
 助手席で乾いた大爆笑を始めたオベロンに気が散らされないよう集中しながら車を停める。どこにも擦れず無事駐車出来て一安心。
「ほら着いたから! 荷物持って」
「いやー笑えるー。きみほんと笑いのセンスあるわー」
「原因はそっちなんですが……?」
 車から降りて、荷物を手に連れだって建物内へ入って行く。
 ロビーに足を踏み入れると、観葉植物や鮮やかな花がそこかしこに飾られた東南アジアのリゾートホテルもかくやの内装が目に飛び込んできた。おまけにどこか芳しい香りも漂っている。圧倒されて思わず立ち止まる藤丸だが、オベロンは全く気にせずすたすたとフロントの方へ歩いて行く。
 オベロンはさっさと受付を済ませてキーを受け取ると、数歩遅れて来た藤丸を先導して部屋に向かって行く。
 慣れているのか、それとも初めてだが堂々としているだけか。なんだか釈然としないが、藤丸は黙ってオベロンについて行った。
 どこまでもリゾートホテルのような内装の館内を歩き、滞在先の部屋の扉前に到着する。オベロンは特に勿体ぶることもなく、扉を開けた。
 まず目に飛び込んできたのは、どこか異国情緒漂う短い廊下とそれをさえぎるようなドア。廊下の脇には洗面台とバスルームに続く扉がある。
「あ、入ってすぐベッドのある部屋じゃないんだ」
「元々はヤることヤるためのホテルだしな」
「うーん身も蓋もない」
 廊下の先のドアを開ければ、テレビで見たことのあるリゾートホテルのような内装と天蓋付きのダブルベッドが目に飛び込んで来る。藤丸は思わず声を上げた。
「おおー……すげえ」
「ホームページに載ってたろ」
 オベロンはと言えばテンションは特に変わらず、パチンと部屋の電気を付ける。
 オレンジ色の明かりに照らされた室内は藤丸の目にはいっそう豪華に映った。
「それはそうだけど……わ! 天蓋付きのベッドだよオベロン!」
「わー、入院病棟のベッドのカーテンみたーい」
「何でそんなこと言う!?」
 藤丸が荷物を置いて助走を付けて勢いよくベッドの上に腹からダイブすると、オベロンもベッドの上に腰を下ろした。
「はあ……たかがラブホのベッドでよくそんなにはしゃげるな」
「こんなでかいベッド人生で縁がないんだよ!」
「ふーん」
 俯せになったままオベロンを見上げると、心底退屈そうな目をしているのに口元が緩んでいる。
 退屈そうなのはいつものことなので、藤丸は体を起こして荷物の中身を引っ張り出すことにした。
 大量の菓子の袋にトランプやらUNOやら携帯ボードゲーム盤やらがベッドの上にばら撒かれていく。
「いやー、予想以上に遊ぶ気満々で笑えるわ」
「そういうことしようって最初に言ってきたのもそっちなんだよなあ」
 心行くまで時間を無駄遣いするかの如く遊び倒す……このホテルを行き先として提示してきた時、オベロンが提案したのはそれだけだった。それだけなら別にレンタルルームとかでも良かったのでは、と思わなくもないが。
 プランは休憩・フリータイム、上限六時間だ。そっちがその気なら遊び倒してやる、と藤丸は密かに意気込んでいた。
「あ、灰皿あるよ」
 サイドボードに灰皿を見付けたのでオベロンに見せると、オベロンはしっしっと手を振った。
「今日は吸う気分じゃない」
「え、六時間もニコチン無しで耐えられる……?」
「別に吸わない日くらいある」
「ええー、本当にござるかー?」
 疑わしい、とオベロンを見る藤丸。何しろこのオベロンという男、大学で会う時はいつも喫煙所か学食にいるし、ファミレスでぐだぐだしている時だってさっきまでパチンコを打ちながら吸っていたのであろう煙草の箱がポケットから見えているのだ。
 彼がヘビースモーカーであることは疑う余地がないのだが、まあ本人がいいと言うなら、と藤丸は灰皿を元の場所に戻した。
「まず何して遊ぶ?」
「好きにしなよ」
 オベロンは藤丸が持って来たポップコーンの袋をバリバリと開け始めた。
 藤丸が麦チョコの袋を開けつつ
「じゃあ七並べ」
 と言うと、オベロンは「いやほんっと変なセンスだよねきみ」とニヤニヤ笑い始める。
 かくして男二人は遊び始めた。
 七並べにスピードに戦争にと思いつく限りのトランプゲームをルールが曖昧なままにやり、菓子を肴にジュースを飲み、知育菓子を作り、ボードゲームを大騒ぎしながらやり……そういう、自由を手に入れた小学生のような遊びをひたすらにした。酒は飲まない、車で来たので。
 そうして、

「まだ四時間か……」

 ぶっ続けで遊び、その間何が面白いのか自分でもよく分からないままに笑い続けていた二人は、疲労困憊でベッドの上に並んで横になっていた。
 男二人が横になってもなおまだベッドの上に残されている僅かなスペースには空になった菓子の袋とトランプのカードが散らばっており、いかにこの二人が遊び倒していたのかを語っていた。
「四時間で意外と遊べるね……」
「よく考えたら何が面白いんだろうな、あの練るだけのやつ」
「え、面白くない? 今度アルトリアにもやってあげようよ、受けると思うよ」
「正気かよ、アルトリアに変なもん見せるな……」
 それきり、オベロンは何も言わなくなった。藤丸が体を起こしてその顔を覗き込むと、瞼は閉じられ僅かに開かれた唇からはすうすうと小さな息が漏れている。
(寝た……)
 疲れたしオレもアラームかけて寝ようかな、と思いながらも藤丸はオベロンの寝顔を眺めるのをやめられない。綺麗な寝顔だな、と、本人に言ったら脛を蹴られそうな感想を抱く。
 そう、顔はいいのだこの男。大学の喫煙所でいつも煙草を吸っていても、パチンコで暇を潰し昼から酒を飲んでいても、いつもつまらなそうで嘘つきで口を開けば暴言の嵐であろうと、どこか王子様然としたルックスは変わらない。眠っている場所が散らかし放題のホテルのベッドの上だろうと、その寝顔はとても絵になる。
 その綺麗な顔を見ているとふと、ベッドの上が散らかりっぱなしなのも何だか悪いような気がしてくる。オベロンは全く気にしないであろうが。
 寝る前にちょっとだけ片付けておくか、と静かにベッドから降りる。
 ほとんど綺麗に食べ尽くされた菓子の袋をビニールに一纏めにしてゴミ箱に捨て、散らばったトランプのカードを回収していく。隙間に落ちてたらどうしよう、と思っていたが運良く全て集め切ることが出来た。
 多少綺麗になった(ただしシーツはぐちゃぐちゃである)ベッドの上で起きる気配のないオベロンを見て満足した藤丸は、自分もベッドで横になる前になんとなく天蓋のカーテンを閉じてみる。すると部屋の灯りが薄い布に遮られ、ベッドの周りが仄暗くなった。オレンジ色の照明の明度が落ちたことで赤い光が強調されているのか、少し部屋の温度が上がったような心地がする。
 おまけに天蓋のカーテンが部屋を全て見えなくしてくれているお陰でベッドが隔絶された空間となって、「狭い空間に二人きりである」という事実が急に実感として襲い掛かってくる。
(あ、これはドキドキするかも)
 なるほどラブホの天蓋ベッドにはこんな効果が……と一人で納得する藤丸だったが、同伴者が爆睡しているのでこの知見を共有することも出来ず。
 そもそも胸が高鳴り始めた理由だって、照明と天蓋の効果とかそんなものだけじゃなくて。
 藤丸はそっとベッドによじ登ると、空いたスペースに横になる。天井を見つめたまま、小さな声で呟く。
「……オベロンさあ、俺がオベロンのこと好きだってとっくに知ってるのにラブホに誘うのほんとどうかと思うよ」
(何でそんなことしたのかなんて、きっと教えてくれないんだろうけど)
 仮にこの呟きが聞こえていたとしても、オベロンはきっと聞こえていなかった振りをする。
 一度だけの告白すら聞かなかったことにされているのだ、それぐらい分かる。
 そう、珍しく二人で酒を飲んでいた時、藤丸は酔いが回って言ってしまったのだ。
 なんでこんな素行不良を絵に描いたような存在であるオベロンに付き合っているかってそりゃ、好きだからだと。
 それを聞いたオベロンは、表情一つ変えず水のグラスを差し出しながらこう言った。
『聞かなかったことにしてやるから、そういうことはお互い素面の時に言え』
 そのまま、聞かなかったことにされた。
(第一あの時オベロン全く酔ってなかったじゃないか、このザル)
 上手を取られているのとは違う、多分逃げられているのだ。そのくせこういうことをしてくる。
(まあそっちがその気なら別にいいけどさ)
 少し不貞腐れながら、藤丸はスマホのアラームをセットする。機会なら今後いくらでもあるのだ、押して引いて、多少偶然を装ってでもアタックを仕掛けてやればいい。
 どうせオベロンには藤丸の本意などすべてお見通しなのだから。
「オレにだってオレのやり方があるんだし、まあやれるだけのことはやるからさ。オベロンにもあんまり油断して欲しくないなあ……まあ、難しいかもだけどさ。いや、意外と簡単だったりするのかな」
 そうして、ふと目を細める。
 遠くを見ながら、最後にこう呟いて藤丸は目を閉じた。

「だって、全部夢なんでしょ? これ」

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※次ページに2部6章ネタバレの話がある

Letter, Light, Portrait(ゴッホとエリセ+ボイジャー)

ゴッホちゃんがそこに居ないテオに宛てて手紙を書いていたりゴッホちゃんとエリセが友達になるかもしれなかったりする話です。

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 ヴィンセント=ヴァン・ゴッホが弟のテオドルス=ヴァン・ゴッホや友人のエミール・ベルナールらと交わした書簡は、その多くが彼らによって大事に保管され、テオの妻・ヨーにより書簡集が発行され、後世に更に整理され、英語を中心として多くの言語に翻訳され、全文インターネットにも掲載されている。

 少女がそれを知ったのは、ゴッホが生きた時代の彼の友人達のことを、ゴッホが自ら命を絶った後の彼らのことを知ろうとノウム・カルデアの地下図書館を訪れた時のことだった。
 それはちょっと恥ずかしすぎて死にたい。
 少女の中にあるゴッホの記憶は切実に、とてもとても切実にそう叫んでいた。自分が同じことをされても同じことを言うだろう、少女はそう思った。何しろヴィンセントとテオが交わした手紙には、ヴィンセントがテオから貰った仕送りだとかについても事細かに書かれている。ヴィンセントがテオ無しでは生きられない体である(金銭的な意味で)ことはもう全世界の知るところとなっているのだという。そして少女はヴィンセントの記憶の激しい羞恥を己のこととして感じ入り、真っ赤になった頬に手を添えて書架の片隅に蹲るのであった。
 座はこう教えてくれる。ゴッホが生きた時代は今自分が召喚された時代の約百三十年前。大丈夫、マスターの生きる日本という国は約千年前の随筆や日記が写本によってなんだかんだ残っておまけに教科書にも載っている。
 いやでも彼女らは作家として人類史に刻まれているのだし自分ほど恥ずかしくないのでは? ゴッホの本業は画家ですよ。まあ本業と言うには全然売れなかったけど……うふ、ふふふ……まあでも、ここに召喚されている英霊の皆さんは、何らかの残る形で自分の一生が後世に伝えられているから英霊になったような方々ばかりですし、こういう目に遭っているのは私だけじゃないかも……。少女はそう自分に言い聞かせるが、それでも羞恥心はそう簡単に消えてくれるものでもない。
「……人の手紙の、何がそんなに面白いんでしょうか」
 蹲りながらもそう呟いたが、少女は知っている。
 ヴィンセント=ヴァン・ゴッホは、絵だけでなく人生もまた、今の時代を生きる者達の心を掴んでいるのだという。ゴッホの人生を題材とした映画が沢山あることはマスターに教えてもらった。
「そりゃ、他の皆と比べたらちょっと浮き沈みの激しい人生だったかもしれないですけど……でもそれを言ったらゴーギャンちゃんだって相当では……? 現地妻とかちょっと笑えない……」
 蹲ったままぶつぶつ呟きながら、少女はぎっしりと本の詰まった書架を見上げた。「美術」ジャンルの書籍が収められているこのエリアには、ゴッホと近い時代を生きた画家達の伝記や作品集が所狭しと並べられている。無論その中には、ゴッホの伝記や作品集も含まれている。
 ここ以外の書架を見れば、他の時代・地域の画家達、画家だけでなく音楽家、作家、政治家、王族、政治家、発明家、その上に神話や民話の英雄達の人生がこの図書館には詰まっている。そしてそんな彼らがこのカルデアに集まり、人理のために戦っているのだ。
 とんでもないところに来てしまった、と改めて思う。だってかのダビデ王やシバの女王に聖マルタと肩を並べて人理を守るために戦うことになるだなんて。己の内の信仰と戦いながらも求めてやまなかったゴッホの記憶が嫌でも騒ぐ。
「私自身はゴッホを雅号とするギリシャ出身の小娘みたいなものなんですけどね……でもやっぱり本物の迫力は凄かったなあ、ダビデ王はちょっとゴッホが思ってたのと違いましたけど……」
 脈絡のないことをぶつぶつ呟いて、手紙から気を逸らす。そうすれば羞恥心が紛れて、頬の火照りも治まってきた。あまりここにいては何度も同じことになる。ここを離れようと、少女は立ち上がった。
「ゴッホ、ちょっと失敗……ゴッホの友達のことを知りたければ、まず端末からライブラリに入って、絞り込んだ情報だけ入手するよう情報の集め方を変えるべき……えへへ、ゴッホの時代はそんなの無かったから、ちょっと新鮮……」
 ゴッホと同じ時代、あるいはゴッホよりも後の時代を生きた英霊もこのカルデアには何人かいるが、ゴッホと同じ地域、つまり十九世紀終盤のオランダやフランスに縁のある英霊はいない。座から得ることの出来ない情報に関しては、少女が自力で集めるしかないのであった。
 少女は地下図書館を出ることにした。あの物憂げな雰囲気をたたえた女性司書が司書デスクにいないことを遠目で確認して、小走りでそそくさと図書館の出口に向かう。
 図書館から一歩出れば、ゴッホの時代とは縁遠い無機質な白い壁と長い廊下が目の前を横切る。少女は召喚されたばかりの頃に貰った紙の地図を見ながら自分の部屋に戻るために歩き出す。カルデアのライブラリにアクセスする端末は施設内主要各各所の他、各サーヴァントの部屋に一つずつ置いてある。無論少女もその説明は受けているから端末の存在も認識しているのだが、ゴッホの記憶と感覚がまず少女を図書館に向かわせた。
 この遠回りをテオに手紙で報告したらどんな反応をするだろう。相変わらず絵に関すること意外は妙に要領の悪い、と苦笑するのだろうか。今日のネタは決まった、なんて思いながら、少女は廊下を行く。
 そう、少女は毎日のように、テオに宛てて手紙を書いていた。
 召喚されたその日にもらったささやかなお小遣いを使って購買部で買ったのは、百枚綴りの一番安い便箋と封筒、そしてペンだった。
 理解している、これを書いても読む相手がいないことくらい。この時代においてテオはとうに故人である。何せテオはゴッホが命を絶った一年後に死んでいる。そして無論、テオがこのカルデアに召喚されている訳ではない。だが少女がゴッホの記憶を抱えている以上、テオへの手紙を綴らないことなど有り得なかった。
 テオのことを思うと胸が温かくなる。自分という継ぎ接ぎの怪物に存在しない筈の家族の温もりが少女の心を温め続ける。テオの存在は経済面においてゴッホが画家としてあり続けるために必要不可欠であったが、それ以上に家族としても精神的な支柱であったのだから。これがゴッホの記憶であって自分の記憶ではないのだとしても、少女にとってテオは本物の弟も同然であった。
「テオへの手紙のネタは決まったし……部屋から一人で図書館に行くルートは覚えたし……これで好きな時に落ち着いてゆっくり本が読める……」
 自分の部屋兼アトリエに向かってるんるんと廊下を歩く。そうして白い廊下をどれほど歩いただろうか。

「ま……迷ったああああ……」

 ノウム・カルデアのどこかの廊下の壁にもたれて静かにうずくまる少女が、そこにはいた。
「来た道を戻るだけなのに迷うって……そんなことあります……?」
 歩けども歩けども、どこまでも同じような廊下ど扉が続くのみ。分かれ道があっても、地図を見て現在地が分からないので、どこに向かって歩けばいいのかも分からない。
「やっぱり私は駄目な子……来た道を来た通りに戻ることも出来ない……」
 はあああああ、と大きなため息を一つ。誰かが通りすがるのを待とう……半ば諦めと共にそう思いながら、少女は白い床を見詰めた。
 それからどれだけそこに蹲っていたか。
「あの……ゴッホさん、ですよね」
 ゴッホさん。ああ、自分のことか。少女の声に名を呼ばれて、顔を上げる。
「……はい。私は、ゴッホです」
 最初に目に入ったのは、目の覚めるような鮮やかな青。そして飛び込んできた……「Arts」の大きな文字。
「あの、こんなところでどうかしましたか……? ゴッホさんのお部屋はもっと向こうですよね」
 少女は廊下に膝を付いて、自分に視線を合わせようとしているようだった。更に顔を上げると、晴れた日の湖面のような少女の瞳と視線が交わる。凛々しくもあどけなさを残すその面立ちは、かつてゴッホが憧れてやまなかった「日本」人のものであった。
「あ、えっと……あなたは」
「宇津見エリセです。英霊というわけではないのですが……サーヴァントとして、このカルデアに身を置いています」
「……あ、ボイジャーくんとよく一緒にいる……?」
「! は、はい……覚えていてくださったなんて、光栄です」
 自分と同じくフォーリナーのサーヴァントであるボイジャーの隣にはよくこのエリセという少女がいる。それに、白い着物を羽織った恐竜のようなサーヴァントも含めて三人でいることが多いような、と少女は思い返す。だが少女が見た時のエリセの服はもう少し和装じみた服装だったように思う。少なくとも今のような、短いスカートに真っ青なTシャツというスタイルではなかった。
「あ、もしかしてこの服ですか⁉ その……この前貰って、なかなか着心地が良かったのでなんとなく普段着になりまして……」
「あ、そう言えばアビーちゃんも赤いやつを時々着てる……」
 アビゲイルに限らず、エリセの着ているTシャツに似た鮮やかな青や赤や緑のTシャツは食堂で時々見掛ける。
「その、ダビデ王に、私がここに来る前に会ったとあるサーヴァントのことを話したら大層お喜びになられて私にこのTシャツを……じゃない、今はそうじゃない。ゴッホさん、どうしてこんなところに? 体調が優れないようなら、医務室までご一緒しますが……」
「あ、いや、そんなわけじゃなくって……」
 エリセは本気でこちらを心配しているようだった。いらぬ迷惑を掛けてしまった、と焦燥と羞恥が胸の内をぐるぐる回る。
「えと……、部屋に戻りたいんですけど、道が分からなくなって……」
「だったら、私が一緒に行きましょうか」
「えっ、そんな」
「カルデアの構造は一通り頭に入ってるので」
「ひええ……すごいい……」
 しっかりしている。自分と比べてもそうだし記憶の中の生前の彼と比べてもずっとしっかりしている。その上エリセ自身はどこまでも自分に敬意を持って接していることがその態度からびしばしと伝わってくる。気圧されながらも、少女は頷いた。
「えっと……じゃあ、よろしくお願いします……」
 立てます? すみませんえへへ……だいじょぶです……。そんなやり取りをしつつ、立ち上がった少女はエリセの後を付いて歩く。
「エリセ……ちゃん、ここの構造とか覚えてるんだ……すごいね……? 広いし、複雑なのに……」
「ここに来る前はナイトウォッチ……その、警察……と言っていいかは分からないけど。そんなことをやっていたので。建物の構造とか道を覚えるのは、習慣が」
「すごいなあ……ゴッホ、そういうのは全然だから……」
「ゴッホさんは来たばかりですし、これから覚えていけば大丈夫ですよ……そうだ、カルデア内部の道案内をしてくれるナビゲーション用の礼装が購買部で売ってるんですけど、私はもう使わないのでお譲りしましょうか?」
「ひぇ……いいんですか」
「はい、私はもうここの構造はほぼ覚えたので……後でお部屋に持って行きましょうか」
「あああありがとうございますうう……」
 なんでこんなにいい子なんだ、と密かに怯えつつも少女はぺこぺこ頭を下げた。

***

親愛なるテオ

今日はゴッホの友人達の、ゴッホが死んだ後について調べようと、図書館に行きました。
そこで知ったのですが、どうやらゴッホ達の手紙はほぼ丸ごと後世に伝えられているらしいです。それも色々な言語に翻訳されて。テオに宛てた物だけではありません、ゴーギャンやベルナールに宛てた手紙もです。恥ずかしいったらありゃしません。
結局皆のことは、部屋に支給されている便利な端末……たぶれとかいうもので調べることにしました。触ってみたけどこのたぶれは凄くて、レンブラントやミレーの絵を手元で簡単に鮮やかに見ることが出来るのです。勿論本物を見た時の感動とは比べるべくもありませんが、銅版画の模写に比べたらずっとましなのでしょう。ゴッホにはあの銅版画の模写が本当に素晴らしいものに見えていたのですが、どうやら人類史の技術の進歩とは凄まじいようです。
こんな物があっては画商の仕事はあがったりなのでは、と心配もしましたが、どうやらマスター様の時代でも、画商という仕事や商品としての芸術にはそれなりの需要があるようです。これでいつテオが現界しても安心ですね。

いつになったら、私はあなたに会えるのでしょう。
私の知るテオは彼の記憶の中のテオであって、私自身はあなたを知りません。
そしてあなたも、私のことを知りません。
それでも私はあなたに会いたくて堪らない。
あなたを弟と呼びたい。
この手紙を、あなたに読んでもらいたい。
あなたから私に宛てた返事の手紙を受け取りたい。
私の願いはただそれだけなのに、きっと叶うことはないのだろうと思うと胸が張り裂けそうになります。
これはダ・ヴィンチに聞いたことなのですが、私の霊基のゴッホ成分は全体のたった5パーセントなのだそうです。
そのたったの5パーセントの縁でいつかあなたが来てくれるならばそんなに嬉しいことはないのですが、私の肉体はあくまでクリュティエのものですから、難しいのでしょうね。
それにもしあなたが現界出来たとしても、私を見たあなたはきっと、私じゃなくて私の中のほんの僅かな彼を見るでしょうに。
それでも私は、あなたに会いたいのです。
急にこんなことを書いてしまって、ごめんなさい。今日はもうここまでにします。
ここに来てからいくつか絵を描きました。それについての話は、また次の機会に。

愛を込めて
クリュティエ=ヴァン・ゴッホ

***

 あれ以来、少女とエリセは時々話すようになった。道案内用の礼装を届けに来てくれたエリセにコーヒーでも出そうとアトリエの中に招き入れた時、エリセは目を輝かせながら少女の描いた絵に見入っていた。
 ──その、私、本物をこうしてしっかり見るの、初めてで。筆使いも色合いも、こんなに激しく力強い物だって、知識としては知っていたけど、そんなの本当に無意味な物で……! ああごめんなさい、もどかしくて、言葉がうまく出なくて……。でも、あなたの描く絵が本当に素晴らしいものだってことは、はっきり分かります。
 どこか感極まったようなその言葉で、少女はすっかりエリセに気を許してしまった。ゴッホの記憶を持つ少女は、自分の絵を面と向かって褒めてくれる者にはとにかく弱かったのだ。
「エリセちゃんは、ここに来る前に色んなサーヴァントに会ったことがあるんですよね……?」
「はい。私のいたモザイク都市では、全ての市民がマスターであり、サーヴァントがいるのが当たり前だったので」
 タイミングが合えば、食堂の隅の方で二人向かい合ってコーヒーを飲む。ここのコーヒーは濃くて美味しいなあ、と少女は思う。極貧生活の中で飲んでいた安い豆の極限まで薄めたコーヒーとは大違いだ。
「……その、ゴッホの友達に会ったことは、ないですか……?」
「友達……と言うと……ゴーギャンやベルナール、ロートレック……同時代の画家達、でしょうか」
「そんなところです……」
「ごめんなさい、私は会ったことがなくて」
「そうですか……」
 そんなことをエリセに聞いてどうするのか、と心の内で己を引っ張る声は聞こえない振りをした。
 熱いコーヒーの入ったマグカップの上にストロープワッフル──いつも食堂に立っている弓兵のサーヴァントが試作品をサービスでくれた──を乗せながら、少女は呟くように言う。
「時々思うんです。このカルデアで生前のお友達に出会えている人達が、少し羨ましいなあって。だから……てわけでもないんですけど。えへへ。ゴーギャンちゃん達の友達は彼であって、私じゃないのに」
「それでも、ゴッホさんは彼らに会いたいんですよね」
「はい……」
 彼らに会ってどうしたいのかなんて、自分にも分からないけど。特にゴーギャンとは面と向かって顔を合わせたところでまともに話せる気がしない。ゴッホだって例の事件からしばらくして手紙のやり取りなら出来たけれど、結局対面はしていないのだし。
 そんな心持ちで彼らに会いたいと思っていいのかどうか、少女には分からない。
「会ってみないと分からないことは、あると思います。生前の知り合いでもサーヴァントとして召喚されたら何かの逸話が融合していて全く違う人、なんてこともあるみたいですし」
「えと……」
「例えば、サリエリとモーツァルト。彼らは史実では良き師弟関係だったそうですが、サリエリは後世の創作物の多大な影響によって無辜の怪物スキルを付与され、さらに灰色の男の伝承とも融合した結果、生前のサリエリとは異なる様相を呈しているらしいのだと、マスターから聞きました。サーヴァントになったら狂化が付与されていて生前より人の話を聞かなくなっているらしい、なんて話も聞きました。だから……」
 エリセはふと、言葉を詰まらせる。それから少しずつ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「会いたいと思っているなら、そのまま思い続けていて、いいと思います。私は、ゴッホさんのその気持ちは、尊重されて然るべきだと思います」
 少女を真っ直ぐに見て告げられたその言葉は、すとんと少女の胸の中に落ちてきた。胸の中でつかえていた物を丸ごと巻き込んで落ちてきたその言葉は、少女の心を不思議な程に軽くした。
「英霊となった以上は、きっと皆さん、生前と全く同じのままではいられないんだろうって。ここに来る前にも沢山のサーヴァントを見てきて、私はそう思いました。そして、第二の生を受けた者同士で生前の関係性をそのまま続ける方々もいれば、全く異なる関係性を紡ぐ方々も。ゴッホさんがどちらを選ぶことになるとしても……私は、ゴッホさんの、ご友人達に会いたいという気持ちを、尊重したいです」
 そしてエリセは静かに口を閉じ。小さく項垂れた。
「ごめんなさい、勝手なこと言って……」
「だだだ大丈夫、ゴッホ、エリセちゃんの言葉すごく嬉しかったし……あ、ありがとう。エリセちゃんは、優しいね……」
「そ、そんなことは……!」
 少女の言葉にエリセは僅かに頬を赤くして目を泳がせた。この子も私のように褒められ慣れていないのかもしれない、と少女は思う。こんなにいい子なのに。
 この子の肖像画を描けたらどんなにいいだろう。瑞々しく凛々しい表情を、強い意志の中に憂いと情念を帯びたこの目を、戦いの中に身を置くことも傷を負うことも当たり前にしながらもその純真な透明さを内に宿し続けているその姿を、私のキャンバスに留め続けられたら。描きたい。この子を、私の筆で描きたい。心の奥底から炭酸水の泡のように小さく湧いてきたその思いはふつふつと大きくなっていった。
 気が付けば少女は、身を乗り出してエリセの手を取っていた。
「え、エリセちゃん」
「は、はい?」
「こここ今度、私の絵のモデルになってくれませんか!」
 少女の言葉に、エリセは目を見開いた。
「……え、わ、私がですか」
「はい、えへ、その、ゴッホ、本物の日本人をモデルに絵を描いたことなかった、し……、私は、貴女を描きたい! エリセちゃんを!」
 ほとんど勢いに任せた言葉だったが、勢いに任せればどんどん気が大きくなって、思うままを言葉にして伝えることが出来た。
「ゴッホは沢山の肖像画を描きました、彼は偏屈だったかもしれませんけど彼の友人達が好きでした弟家族が好きでした人間達が好きでした彼らの姿を後世にも残したいと思ってました私はそのことを確かに覚えています、だから……だからかどうかは、わかりませんし、違うかもしれませんけど。私も、私が好きになった人達の絵を描きたいんです」
「そ、それで私をモデルに、ですか」
 エリセは動揺しているのか、目が泳いでいた。
「は、はい、エリセちゃんが嫌でなければ、ですけど」
 少女は真っ直ぐにエリセを見た。現界してからかつてないほどに胸がふ高鳴っていた。基本的にあがり症気味なのですぐに心臓がバクバクいいがちなのだが、それでも。ここでこの少女を逃せば今描き得る最高の肖像画は描けないという確かな予感があった。
 エリセはしばらく視線をきょろきょろさせ、一度ぎゅっと目を閉じた。そしてゆっくり瞼を上げて少女を見詰め返した。
「……その」
「は、はい」
「私で、良ければ……」
 こうして少女は、エリセとモデル契約(合計最大十時間までのデッサン・クロッキーと油絵一枚)を結ぶこととなった。
 コーヒーの中にはいつの間にか湯気で柔らかくなったストロープワッフルが沈んでいたが、モデル契約を成立させた少女は落ち込むことも無く、沈んだワッフルをスプーンで崩してコーヒーと一緒に食べ始めた程度には浮き足立っていた。

 ***

 ザク、とストロープワッフルを一口齧ると強烈な甘味が脳を叩き起こす。少女は齧り掛けのワッフルを皿の上に置くとワッフルを噛み砕きながらパレットに青い油絵の具をたっぷりと絞り出した。筆に絵の具を取ると、まっさらなキャンバスに筆の跡を残しながら激しくも丁寧に刻み込むように被写体の形を描き出していく。
 ここ数日、少女は寝る間も惜しんでエリセの肖像画の作成に取り掛かっていた。カルデアで過ごす中でエリセをよく見て、最も彼女が彼女らしいと思える瞬間を探して、デッサンをして、それから習作として素描や水彩画を何点か描きながら最適な構図を模索し、決定したらそれを元にまた習作を作成し、納得が行ったら油絵の作成に入る。そんな生前のゴッホも行っていた制作スタイルを少女は今回取ることにした。そして今日はいよいよ油絵の作成に入るのだ。
 彼と少し違うことと言えば、この絵は誰にも売るつもりがないということくらいか。完成したらエリセに無償で譲るつもりでいたが、彼女曰く自分の部屋に自分の肖像画を飾るのはちょっと恥ずかしい、とのことだったので、しばらくの間は自分のアトリエに掛けることにした。勿論、誰かに売る気は無い。まあ、彼にも売る気のない絵くらいはあったようだが。
 少女に観察されている間のエリセは初めこそ気まずそうだったが、次第に慣れてきたのか、気が付けば少女とエリセは更に打ち解けて、食堂で三食同じテーブルで食べるようになっていた。
 ──エリセちゃん、本当にいい子だ……私なんかの友達には、勿体ない。
 ゴッホは偏屈だが調子のいい時は話好きだし友人が何人かいたのも納得出来るのだが、私は違う。卑屈でじめじめしていて人の顔色を伺ってばかり。少女は思わずため息を一つ吐き出した。だがすぐに頭を振って雑念を振り払う。
 今はこの絵と向き合わなくちゃ。だってエリセちゃんの姿をキャンバスに留めおきたいと願ったのは私なのだ。写真でもなく他の画家によってでもなく、描かなければならないのだ、私自身の筆で!
 いつの間にか止まっていた手をまた動かし始めた。最も色が鮮やかに映える配色を脳内で組み立てて、なるべく混色が起こらないよう神経を研ぎ澄ませながらキャンバスを絵の具で埋め尽くしていく。
 こんこん、と部屋のドアをノックする音が聞こえたような気がしたが無視して筆を進める。いい所なので邪魔しないで欲しい。
 そうして何時間キャンバスに向き合っていたか。
 一気に描き上げた肖像画を前に、少女は一つ息を吐き出して筆とパレットを置いた。
 改めて、描き上がった肖像画を見る。絵の具が乾くまであと数日は掛かるのでまだ完成とは言えないが、これ以上手を加える必要が無いと言えるまで描き上げることは出来た。
 縦約四十センチ、横約三十センチの縦長のキャンバスに描かれているのは、テーブルに頬杖を突いた黒髪の少女。淡く微笑んでいる少女の目線は画面左側に向かっていて、鑑賞者の方を見ていない。背景はペールブルーやウルトラマリン、白の絵の具でエリセの輪郭を囲むように塗り潰しているが、画面の中のエリセの視線の先、キャンバスの左辺にクリーム色や黄色で淡い半円が描き込まれていて……
「やあ」
「のわっ?!」
 自分の絵につい見入っていると、突如後ろから声を掛けられて驚きのあまり椅子から飛び上がる。
「ぼ、ボイジャーくん……」
 そこには、淡い燐光を内から放つ幼い少年が立っていた。否、浮いていた。床から十センチほど浮いている。
 ドアには鍵を掛けていたのに何故ここに、と思ったが、霊体化して入って来てしまえばドアなど無意味である。しかしよりによってボイジャーが来るとは。少し気恥ずかしくなり、少女は無意識に背中でキャンバスを隠しながらボイジャーを振り向いた。
「どうか、しましたか? ゴッホ今日は、オフですが……」
「あのこが、ね」
 ゆっくりと、ボイジャーは話し始めた。少女の目を見ながら、淡く微笑んでいる。
「あのこが、きみのことを、しんぱいしていたよ」
「あのこ……あの子って、エリセちゃんですか?」
「そう。エリセ。きみ、あさもひるも、ゆうも、たべにこなかったでしょう?」
「へ? あ、ああ……ああーそう言えば……」
 今朝からの製作中、部屋に常備しているコーヒーといくつかのお菓子は口に入れていたが、一歩も外には出ていないし食堂にももちろん行っていない。
「へ、エリセちゃん、私を心配、しててくれた……?」そ
 そのことに思い至って、心臓が一つ跳ねた。ボイジャーはにこりと笑いながら頷いた。
「きみは、たべることがだいすきなのに、たべなくってだいじょうぶかな、って。ゆうはんまえに、へやをたずねてみたけれど、きみはでてこなかったから」 
「…………」
 そう言えば、絵を描いている時にノックの音が聞こえてきたような。……つまり。私が無視したあのノックの主は、エリセちゃんだったということでは?
「あわわわわわわ……」
 無視してしまった。エリセちゃんが心配してくれたのに。がたがた震えている少女を気にすることもなく、ボイジャーはマイペースに続ける。
「エリセはね、きみをしんぱいしていたけれど、きみのえを、たのしみにしているよ」
「え……本当、ですか」
 ほとんど無理矢理頼み込んだようなものなのに。
「はずかしいけど、たのしみだって、いっていたよ」
「……そう、ですか」
 そんなに優しくしてくれる、私が頼み込んで描かせて貰った絵を、楽しみだと言ってくれる、そんな子の優しさを知らずのうちに無下にしてしまった私はなんて酷いやつなのか。どっと汗が吹き出てきた。死にたい。
「ねえ、きみは、さ」
 ボイジャーは俯く少女の顔を覗き込んだ。
「ひぇ、は、はい」
「エリセのこと、すき?」
「え……」
 真っ直ぐな目が少女を見つめる。この目を前に嘘を吐くことは許されない、そんな強迫観念すら抱いてしまう程に綺麗な瞳。
 少女は目を泳がせながら、水から上げられた魚のように口をパクパクさせた後、大きく息を吸い込んだ。
「好き……です。私は、エリセちゃんはとても、好ましい女の子だと……ええ、と。その、友達になれたら、なんて、思います……」
「なら、かのじょのともだちに、なってくれないかしら」
「……その、エリセちゃんが良ければ……」
 良ければ、とは言わずにすぐにでも友達と呼びたいくらいだけれど。こんな時ゴッホならすぐにエリセを友達認定してしまえるのだろうが、ゴッホの図々しさをクリュティエの卑屈さが上回って身が縮こまってしまう。
「エリセは、えいれいとともだちになるなんておそれおおい、っていうけれど。でも、きみはきっと、エリセとともだちに、なれるよ。あとはエリセのゆうきしだい、だけれど」
 ボイジャーはふわりと笑顔を浮かべて、ひらりと身を翻した……かと思うと、いつのまにか少女の脇をすり抜けて、キャンバスの絵を横から覗き込んでいた。
「あっ……」
「ぼくね、”え”は、むつかしくて、よくわからないのだけれど。これをかいたきみが、エリセをすきなことは、わかるよ」
 慌てふためく少女をよそに、ボイジャーはマイペースに話し続ける。
「ぼくね、てがみを、もってるんだ。」
「あ、ええと、……ゴールデンレコード……のことでしょうか」
 座からの知識を手繰り寄せる。太陽系の外にいるかもしれない知的生命体に向けたメッセージ、ゴールデンレコード。確かに手紙と呼んでも良いのかもしれない。
「きみも、てがみを、かいたのでしょう」
「……書きましたよ」
 今だって書いている。どこに送ればいいかも分からない手紙を、何通も。
 ボイジャーは、キャンバスにぎりぎり触れるか触れないかまで小さな手を伸ばした。肖像画の中のエリセに触れようとするかのように。
「……ぼくにてがみをたくしたひとたちのなかに、ね。この”え”のなかのエリセみたいなかおを、したひとたちが、いたよ」
「この絵の、エリセちゃんみたいな顔……」
 少女は振り向いて、改めて仕上げたばかりの肖像画を見る。
 私がこの肖像画の中で描き出そうとしたエリセちゃんの表情は、どんなものだったか。そんなの思い出す間でもない。だってこれは、私がエリセちゃんを見る中で、最も彼女らしいと思った瞬間の表情なのだから。
「……光を……星を求める、顔。ですね」
 ボイジャーを見る時のエリセは、時々そんな顔をする。叶わないかもしれないと思いながらも夜空に光る一等星に手を伸ばすことを諦められない者のような表情で、多くの時間を共に過ごしているはずのボイジャーを、見ている。
 この表情を、この目を、私は知っている。
 この目は、夜空の彼方の光を求め続けた、私の記憶の中の彼とよく似た目。そして他人事には思えない目。だって、私も。
「エリセちゃんは、出会えたんです。彼女が一番求めていた星に。でも……どうしてエリセちゃんが、隣にいる筈の君を、夜空の彼方の星を見るような目で見るのかは……私には、分かりません。だから私は、君を見ている時の彼女を描きたくなってしまったのかもしれません」
 それはエリセにとっては、余人が簡単に踏み入ってはいけない領域なのかもしれない。もしかしたら、こうして描かれることも忌避するかもしれない。それでも、少女は思うのだ。
 あなたがその星を見ている時の目に浮かんでいるのは、諦念や絶望などでは決して無い。遥かな星に手を伸ばす者が抱く希求であり、切望であり……憧憬なのだと。
「エリセちゃんはきっとその星を諦めてない……私も、諦めたくないんです。私の求めている星を……会いたい、人達を」
 こんな自分の身勝手な願いを、出会ったばかりの女の子に重ねていいのだろうかという躊躇いが無いではないけれど。
 あの時エリセに「ゴッホの友人達に会ったことはあるか」と尋ねたのは、どこかでテオの現界を諦めていたからだ。勿論、友人達には会いたい。でも、一番会いたいのはテオだ。それでもテオに会うことを半ば諦めながらも手紙を書き続けていた少女は、知ってしまった。すぐ傍の星を見つめるエリセが、彼方の星を求める者の顔をしていることに。
 ゴッホの生前の友人達に会いたいという願いを尊重すると言ってくれたエリセが、そんな顔をするというのなら。私が星を求め続けたって、罰は当たらない筈だ。
「私が一番会いたい人に会いたいと願うことを、諦めなくてもいいんだって……、エリセちゃんのお陰で、思えましたから」
 さながら星に祈るように。英霊の身となってもなお、祈ることをやめないでいいのだと。
「エリセにもね、いるよ。ここにはいない、あいたいひと。ともだち」
「そう、なんですか?」
「うん。ともだち。エリセのもとめるほし、そのなかのひとつ。エリセのいちばんたいせつな、ともだち。……ここにくるまえの、エリセの、いちばんたいせつなきおく。ほしをえがいたひとのきおくをもつきみが、エリセはあきらめていないとかんじるのなら。エリセは、あきらめていないんだね。かのじょを」
 そう言った時のボイジャーは少女の目には、とても嬉しそうに見えた。
 エリセが求める星の一つは彼女の友達……ボイジャーの言葉はきっと正解の一つなのだろう。でもそれだけではない、と少女は思った。そしてボイジャーもまた、分かっていて言わないのだろうと、不思議とそんな気がした。だがそれこそ、少女のような部外者はこれ以上踏み込んではいけない領域なのだろう。
「エリセがあきらめていないって、きみがみていること、きみもあきらめていないこと。エリセには、しってほしいから」
「……ボイジャー君はもしかして、気付いていたんですか? 私がエリセちゃんの、こんな表情を描くって」 
「みえたもの。きみが……ええと、かみに、ぺんで、エリセをかいているの」
「ひいいい……」
 ボイジャーとエリセはよく一緒にいるのだ、そんなことがあってもおかしくない、のだが。見られていたのはシンプルに恥ずかしい。
「だから、ね。ぼく、きみなら、エリセとともだちになれるって、おもったんだ」
「……ボイジャーくんも、好きなんですね。エリセちゃんのこと。」
「うん」
 ボイジャーは何の屈託もなく頷いた。きらきらと光る、星のような笑顔で。
「ぼくとかのじょも、ここでは、ともだち、だからね」

 ***

親愛なるテオ

今日は、カルデアに来てから出会った女の子……エリセちゃんの肖像画を、一点仕上げました。
せっかくなので、ゴッホが生きていた頃とは違って、絵を撮影した写真を同封してみようと思います。この時代では写真を撮るためにずっと立っていなくていいし、こんなに色を綺麗に再現出来るのだそうです。
どうでしょうか? 青を基調に、油絵なりに透明感が出せるように頑張りました。少し、印象派の影響を受けていた頃に戻ったような気分がします。
エリセちゃんにはまだこの絵を見せていません。喜んでくれるでしょうか。エリセちゃんの一番の友達のボイジャー君は、きっと喜ぶ、と言ってくれました。そうだといいのですが。

この絵のエリセちゃんを見て、ボイジャー君は、星を求める人の顔だって、すぐに見抜いてしまいました。
エリセちゃんは時々、こんな顔をします。私の記憶の中のヴィンセントにどこかよく似た、夜空の彼方の星を求める人の顔です。
その星は、カルデアにいては手が届かないかもしれない。だけどエリセちゃんは、その星を諦めていないのだと、私は思います。だから私は、彼女のこの顔を描きました。
私も諦めなくていいんだって、エリセちゃんを見ていたら思えるようになったから。
だから私は、あなたに会うことを諦めないでいようと思います。テオだけじゃない、ゴーギャンちゃんにロートレックちゃん、ベルナールちゃん……少し怖いけど、会いたい気持ちは、ずっと持っていようと思います。
勿論、会えるかなんて分かりません。でも、星を求めるのって、そういうことだと思うから。本当に掴めるかは分からないけど、それでも求めずにはいられないから手を伸ばし続けるのです。私がテオ達に会いたいと願う気持ちも、同じです。
きっとあなたは、ゴッホにとっての星の一つ。天上の彼方ではなく、手紙を交わせる距離からゴッホを見ていてくれた、地上で光る星。
今の私にとっては、あなたは天上の星のような存在になってしまったけれど。でも、心の中にはずっとあなたがいます。
あなたが見るのが、私の中のほんの僅かな彼なのだとしても構いません。むしろ当然のことだと思います。それでも私は、あなたに会いたいと願うことをやめません。
ゴッホがあなたにどんな思いを抱いていたか、あなたに伝えることくらいは出来ます。それくらいしか、私があなたに出来ることはないかもしれないけれど。あなたに会えても、この手紙を見せることは出来ないかもしれないけれど。
気味の悪い女と思ってくれても構いません。でもこれは、私が私のために書いている手紙でもあって。勿論、あなたが読んでくれて、返事をくれたら嬉しいけど、せめて今は、私のために願わせてください。

これが私の身勝手な願いでも。
いつかあなたに会える日を、私は待ち続けています。

愛をこめて
クリュティエ=ヴァン・ゴッホ

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参考文献
圀府寺司(2009)『ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争』小学館
圀府寺司(2019)『ファン・ゴッホ 日本の夢に懸けた画家』小学館

「Vincent van Gogh The Letters」〈http://vangoghletters.org/vg/

イマジナリ・スクランブルクリア後に書き始めたのですが書いてる途中にリンボが実装されカルナさんはサンタになっていました。

カルデア小話「アスクレピオス曰く、医務室にやたら詳しい奴がいる」

「やあ!僕は通りすがりのただの羊飼い。君がこのカルデアに新しく召喚されたという医者の英霊だね?これでようやくサンソン君の胃痛も軽減されるというわけだ。ああ、仮眠用の寝袋はそこのベッドの下に置いてあるよ。あのキャビネットの中は湿気りにくいからお菓子ボックスにするといい。医務室と言えど夜は冷え込むからね、暖房はしっかり付けることだ。給湯室まで行くのが面倒だったらポットがあるよ。エネルギーはテスラ君がなんとかしてくれるから気にせずともいい。それじゃあ良きカルデアライフを!あっそうそう予備に置いてる緑のパイプ椅子開く時ちょっと変な音するけど気にしなくて大丈夫だよ、壊れたらエミヤ君を呼ぶといい!」
 ……などと一方的に捲し立てて、その自称ただの羊飼いのサーヴァントは颯爽と僕の前から姿を消した。なんなんだ、あいつ。

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アスクレピオス、好きです

カルデア小話「蒼がよく似合うその人は」(美遊とアストライア)

 その人をカルデアで初めて見た時、美遊は言葉を失った。
 華やかな容貌と美しい蒼を身にまとったその人は、確かに美遊に「エーデルフェルト」の姓をくれた人とよく似ていた。
 擬似サーヴァント、という在り方は聞いている。
 本来であれば召喚不可能な神霊や召喚困難な英霊が、人間を依代にサーヴァントとして現界するグランドオーダー時の特例。
 ならばきっとあの人も、依代として何らかの神性に選ばれたのだろう。
 そう頭では理解していても、駆け寄りたいと思ってしまっても、足は動かなかった。
 その人はマスターにカルデアを案内されているようで、廊下の向こう側から歩いて来る。
 何か。何かのアクションを起こさなくては。そう思えど、何を言うべきなのかが分からない。確かに肉体はあの人なのだろう、それでもきっと、多くの擬似サーヴァントがそうであるように、主人格はどこかの神様な筈で、自分の事など歯牙にもかけない存在であってもおかしくはなくて、そう思うと足が竦んで、
「……あら?貴女……」
「っ!」
 あの人にそっくりなサーヴァントが、こちらに向かって歩いて来た。このまま立ち竦んでいてはいけない、と、ぐっと胸の前で手を握る。
「ふふ、そう緊張なさらなくてもよろしくてよ、貴女はどちらの英霊なのかしら?」
 優美なその笑みは、やはり自分のよく知るあの人にそっくりだった。
 美遊は意を決して、口を開く。
「……私の名前は、美遊・エーデルフェルトです。サーヴァント、ですけど。英霊ではありません。様々な奇跡と偶然が重なって、このカルデアにサーヴァントとして召喚されました」
「エーデルフェルト……」
 目を見開いて、姓を呟いた後にその人は笑った。 
「ああ、成程。あなたは、私の身体の縁者なのですね。万華鏡のように重なり煌めくどこかの時空で、この少女と貴女はとても奇跡的な出会いをしたのでしょう」
「……はい。奇跡、だったと思います」
 私の初めての友達になってくれたのはイリヤだけど。居場所とやるべき事を与えてくれたのは、あの人なのだ。
「ふふ。ええ、きっとそうなのでしょう。……ああ、申し訳ありませんわね。私としたことが、名乗るのを忘れていましたわ」
 その人はスカートをつまむと、優雅に一礼した。
「我が名は、女神アストライア。レディ・ジャスティス、正義を司る女神ですの」
「……よろしくお願いします、女神アストライア」
 女神アストライア。
 その姿はおとめ座に、その秤はてんびん座として存在を知られる、古代ギリシアの女神。あの人にぴったりだ。
「今度お茶でもしましょう、ミユ。貴女の入れる紅茶は悪くない……そんな気がしますのよ」
「はい。是非、ご一緒させてください」
 女神アストライアは、優雅に華麗にスカートを翻すと美遊の前から去っていった。その後を慌ててマスターが追い掛けている。
 女神様になっても、あの人らしさは損なわれること無く一層輝きを増しているように見える。であればあの人のように我儘で勝気な所もあるだろうし、他のサーヴァントの方達とトラブルにならないかどうかは少し心配だ。例えばイシュタルさんとか、イシュタルさんとか、イシュタルさんとか。
「……イリヤとクロに報告しなくちゃ」
 二人ともすぐ知る事になるだろうけど、美遊は足早に二人を探し始めた。
 いつもより頬が緩んでいることをクロにからかわれ、イリヤに微笑ましい目で見られるのは、それから数分後の事になる。
 
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プリヤでのルヴィアさんと美遊の義姉妹関係が大好きなのと、ルヴィアさんの隠れファンなのでアストライア実装でリアルにガッツポーズしました。ありがとう事件簿コラボ。
今後のイベントでちょっとでも美遊とアストライアが絡んでくれたら泣いて喜ぶと思います。

カルデア小話「復活祭」

 色とりどりに飾られた卵が、カルデアのあちこちに置かれている。
 壁にはうさぎや花の飾りが掛けられ、主を信じる者達が祈りを捧げ、子供達は着飾ってパレードやお茶会に興じている。
「なるほど、今日はイースター……復活祭か」
 うさぎや卵の飾り付けが為されたケーキが「本日限定!」とデザートのメニューに並ぶのを見てダビデが呟くと、ブーディカが「そう」と頷いた。
それから手際よく、ダビデのトレーに酵母の入っていないパンに羊肉、ニガヨモギの皿を乗せていく。
「はい、あんた達用の過越の祭の食事ね。ケーキはどうする?酵母は入ってないよ」
「それじゃあひとつ、いただくよ」
「了解」
 草むらから顔を覗かせる白いウサギの顔を模したカップケーキが置かれるのを見て、ダビデは目を輝かせた。
「これはまた可愛らしいね」
「褒めるならタマモキャットにね。カップケーキはあの子が頑張ったから」
「ああ、そうしよう……」
 ふと、ダビデは少しだけ遠い目をした。おや、とブーディカが見ていると、ダビデの唇が小さく動いた。
「……『ダビデの子』の復活を祝う祭、か」

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復活祭の日にTwitterに投稿したもの。
こちらに投げるのを完全に忘れていました……

そして姉達は妹の運動会へ行った(謎時空ゴルゴーン姉妹)

※カルデア外の現パロ系謎時空です。

**********

「……わざわざ、姉様方にご足労いただく程の物ではありません」
 二柱で一つの女神の大きな妹は、姉達に淡々とそう言った。
「ええ、明日は恐らく暑いですし、姉様方は家でお休みになっていらっしゃった方が……」

「……などとあの子は言っていたけれど、あの子の言う事を聞いてあげる理由なんてなくってよ。ねえ、(
エウリュアレ
)

「ええそうね(
ステンノ
)
、私達の目の届かない所で楽しもうだなんて、駄妹が随分生意気になった物ね」
 彼女らは、「運動会」という学校行事が開催されている、ごく一般的な高校の校庭に設置された観覧席……いわゆる「保護者席」の中でひどく異彩を放っていた。
 まるで彼女達のいる場所だけが、運動会開催中の校庭と言う日常の上に貼り付けられた非日常のテクスチャを凌駕して、地中海のリゾートもかくやといった煌めく空間に塗り替えられているかのよう。
 色違いの鮮やかなサマードレス、つばの広い帽子、大きなサングラスに日傘を差してさながらバカンスを楽しむセレブ姉妹といった様相を呈してはいるものの、首からは保護者証のカードが下がっておりその手には受付で貰った運動会のパンフレットがあった。
「次のあの子の参加する種目はいつかしら」
「徒競走ね。ああ、喉が渇いたわ」
「ドリンクをお持ちしました、ステンノ様!」「エウリュアレ様!」
 どこからともなく、女神達に魅了された男達が冷えたドリンクを差し出す。彼女らはそれを当然のように受け取りながら、どこか気だるげにパンフレットを眺めた。
 そう、彼女達はステンノとエウリュアレ。
 妹・メドゥーサの運動会を見に来ただけの、姉女神達であった。
「徒競走……ふふ。メドゥーサは体が大きいのだもの。レンジが違いますわ」
「そうね、きっと一番早いわよね」
「ふふふ」
「うふふ」
「ふふふふふ」
「うふふふふ」
 一方その頃、生徒席で髪にリボンを着けた女子生徒が、隣に座る眼鏡をかけた背の高い女子生徒の腕を引いた。
「ねえライダー」
「なんでしょう、サクラ」
「人違いだったらごめんなさい。あそこの保護者席にいるの……ライダーのお姉さん達じゃない?」
「……はい?」

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**********

HF2章と7章舞台を同日に纏めて摂取して急にライダー陣営熱が高まったりカルデアのゴルゴーン姉妹が尊いという感情が昂って合体した結果が何故かこれです。
彼女らに幸あれ

彼の人の面影を見る(ぐだ+ダ)

 音もなくほどけた緑髪が彼の背中に流れて項を隠すのを見て、はっと夢から醒めたような心地になる。
 彼の向こうに見えていた彼の人の面影はいつの間にか潜められ、羊飼いの英霊がこちらを見て少しだけ困ったように笑っていた。
「そんなにじろじろ見て、どうかしたのかいマスター?」
「……ごめん。何でも」
 髪結んでたなんて珍しいね、とか、言える事はある筈なのに、その言葉が言えない。だって、自分が今見ていたのは彼ではなく。
 もう一度、羊飼いの方を見る。
 彼の人の面影はもう見えなかったけれど、その瞳に煌めく新緑は、彼の人と同じ色をしていた。

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カルデア小話「よくある話」(刑部姫と邪ンヌ)

「おっ、オルタちゃん支部更新してるじゃーん」
 刑部姫はいつものように自室のコタツでぬくぬくと、ネットサーフィンがてらサーヴァント専用イラストSNS・TMixivを眺めていた。
『二次創作ログ』というシンプルなタイトルのページを開く。更新主であるジャンヌ・オルタは、その繊細ながら勢いを感じさせる絵柄や幅広い漫画の作風から、つい最近TMixivを始めたにも関わらず人気絵師の一人である。
 刑部姫とてTMixiv古参とはいえ、彼女が熱意を持って初めての同人活動に挑んでいた事はよく知っているし、サバフェスが終わってからもこうして同人活動を続けてくれる事は嬉しく思っていた。
 オルタちゃん絵上手いしネタも面白いんだよねー、と刑部姫はウキウキとページを開き……数分後、顔を覆いながら呟いた。
「……ジュナカル以外全部逆カプ……」

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うちの刑部姫と邪ンヌ、基本的に仲いいけどたまに逆カプ戦争して欲しい……と思った結果です。
サバフェス面白かったです