マスターに恐ろしい夢を見せてしまった、とダビデは珍しく自分を責めていた。
しかし今隣で眠る少年の顔は安らかで朝方に見たであろう夢の気配は感じられず、良かった、と密かに安堵する。
朝方、夢を見た。
生前の、血に塗れ戦いに明け暮れていた時期の夢だ。何も好きで戦いに明け暮れていた訳ではない、ただ王者として神に選ばれたからそうしただけである。そこにダビデ個人の意思が介在する余地など無く、それを疑問に思うことも無かった。
そのために「ダビデ」個人がどれ程の傷を負ったのか、王者となってからは自覚するのもやめた。彼は人間でありながら、神に仕える機構となることを選んだ。……それでも時に、ただ自覚していないだけで確かに存在するそれらの傷は、一斉に開くのだ。「ダビデ」が最後まで人間であることをやめられなかった故に。
あれは、そういう夢だ。
自分が死者の記憶、否、記録である以上、どれだけ気楽な羊飼いとして振る舞おうとそれらの傷も付きまとう。
あの情景は、ただの人間が長時間見て耐えられるような代物ではない。生前のダビデのような、人間でありながら非人間としての道を選んだ者でもない限りは。
だからせめてマスターに影響は出ないようにしていたのだが。急に魔力調整が上手くいかなくなってしまい、結果マスターに自分の夢が流れ込んでしまった。なんとか気付いてマスターを夢から出すことは出来たのだが。
(竪琴でちょっと無理したからかな……)
まさか竪琴一つで異星の神性と張り合う羽目になるとは、と先週いっぱい毎日のようにアビゲイルに竪琴を聞かせたのを思い出す。
自分の妹や妻と同じ名前の敬虔な子羊である少女が竪琴の演奏に聴き入ってくれるというのは悪い気分はしない、しないのだが彼女を通して此方に来ようとする存在が良くなかった。アビゲイルが今回の現界に慣れてあの力を制御出来るようになるまで毎日竪琴を魔力フル稼働で演奏した。お陰で疲労困憊だ。
もう大丈夫だろう、とホームズが判断したため意図して聞かせる必要はなくなったが、やはり彼女には定期的に竪琴を聞かせた方がいいだろう。それに、「治療」を受けに来ない一部バーサーカー達を落ち着かせる為に最低週二回は演奏して欲しいとナイチンゲールから頼まれてもいる。
「……君に、もう少し頑張って貰わないといけないかもねえ」
呟きながら藤丸の頬をつつくと、瞼が震えて深い青が覗いた。
「……頑張るって、なにが?」
「あ、聞こえてた?魔力供給これから定期的にお願いするかもって話なんだけど」
藤丸は僅かに顔を赤くしたが、すぐに笑って頷いた。
「もちろん」
「お礼は僕からの愛ってことで」
「なんか急に薄くなった気がするんだけど」
「まさか!僕は愛する者にはとびきりの愛を注ぐとも」
ぎゅう、と藤丸を抱き締めれば「くすぐったいって」と腕の中で藤丸がくすくす笑う。ああ、温かい。冷え症気味のこの霊基には丁度良い体温だ。
彼と共にいると、自分がただの人に戻ったような気がする。無論それは気のせいであるが、自分のような英霊からすれば、気軽にただの羊飼いとして扱ってくれるというだけでひどく気が楽というものだ。
そして、その一方で傷つくことを厭わず戦うマスターの姿はどこか、ただの羊飼いから王者となることを定められた時の自分を見ているようで。
「マスター、これは僕の独り言だと思って聞いて欲しい。……君の戦いは間違いであるなんて言うつもりは全くないんだけどね」
それだけは、決して言ってはいけない。
かの王の父王である自分だけは、このマスターの戦いを決して最後まで否定してはならない。
「どうか、戦うだけのシステムにはならないでくれよ。一度組み込まれてしまったら、戻れなくなる。君には、そんな道を辿って欲しくない」
「…………」
藤丸が目を伏せて黙り込む。深い青の向こうで、色々な事を考えているのだろう。抑止力の代行者、壊れた抑止力の代行者、そして……かの王。
「……僕は、僕らは、神の代に王となった。神の言葉を預かり、子羊達を率いる者となった。君は違う。君には人間として戦って欲しい」
全ての魔神柱を倒したと言っても、君の戦いがこれで終わるとは思えない。だから、それだけはどうか。
「僕は君の、人間らしい果敢さ……蛮勇ですらある強さに、僕の力を貸したいと思ったから自らここに来た。君なら、僕の持つ力も宝具も、悪いことには使わないだろうから」
そうしてここに来たらまさか「彼」がいるとは、思いもしなかったけれども。
「それに、今の内に君に良いところを見せれば後々良い事があるかなって。うん、打算的ではある。そうしたら君と一緒に世界を救ってしまって、君を愛するようになってしまった。自分でも驚きだとも」
「……なんか、ダビデのそういう顔初めて見たかも」
「え?」
藤丸がそっとダビデの頬に触れた。優しく労るように、慈しむように。
「今のダビデ、泣きそうな顔してる」
「……そう見える?」
「うん。でも、ダビデが俺の為にそんな顔になってくれるのは分かる」
ありがとう、と呟きながら藤丸は笑う。よく晴れた春の日の木漏れ日のような優しい笑顔で。
「そんな顔させないよう、頑張るから」
それがどんなに酷なことか、ダビデは知ってしまっている。
人の心を捨てて真にシステムとなる方が本当は楽なのだ。それでも人として戦い続けるこの少年のために、自分は力を振るおうと決めたのだ。
願わくば、この少年の道行きが少しでも幸多からんことを。降りかかる災厄を、少しでも自分が振り払えるよう。
祝福を与えるように、ダビデはそっと藤丸の額に口付けた。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
生前の経験云々は本当にそういう学説があります。