今日は実家に泊まるという戌峰を残し、辰己と申渡は戌峰の実家の高級中華料理店「ワンワン軒」を後にした。
「今日はなかなか楽しかったね。虎石と卯川が逃亡した時はどうなるかと思ったけど、星谷達が来てくれてよかった」
「そうですね」
中華街を抜け、そのまま駅に直行して寮に帰るのも勿体無い気がして、二人は海沿いの公園にまで歩いて来た。
夜闇が街灯やイルミネーション、海沿いの施設のライトアップと暗い海面に鏡のように映し出されたそれらに彩られ、夜の横浜はどこか異国的なムードすら漂っている。海沿いということもあり、秋も深まる夜の空気はじわじわと服の内にも忍び寄るようだ。
申渡がちらりと周囲に目を向けると、あちらにもこちらにも、男女の二人組が寄り添っている。辰己もそのことには気付いている様子だ。
「夜の横浜は綺麗だね、栄吾」
「そうですね」
しかし辰己は、そんなことを気にするような性格ではなかった。申渡も然り。二人は夜景を楽しみながら、あてもなく海沿いを歩く。
海風に辰己が身を震わせると、申渡は「寒いでしょう、着ますか?」とジャケットを脱ごうとする。
「別に平気だよ」
辰己は苦笑して立ち止まり、ジャケットに手をかけている申渡の手の上に自身の手を重ねた。
「そんなことしたら栄吾が風邪ひくだろ」
「ですが、辰己が寒そうです」
「心配してくれてありがとう。でも寒いのは本当だしね。うーんそうだな……」
辰己は少し考えた後、「そうだ」と手を合わせた。
「ちょっと体を動かそうか?」
「体を動かす、とは」
「踊ろう」
「えっ」
申渡が困惑している隙に辰己は白く柳のような指で申渡の手を取った。ひどく冷たいその指にはっとするのも束の間、申渡は辰己に右手を引かれ、くるりと爪先で一回転。よろけたその背中は辰己の右腕で受け止められた。
「ねっ?」
暗い中でもよく見える、プリズムのような輝きを映したミントグリーンの澄んだ、けれどいたずらな微笑みを宿した瞳に見下ろされ、申渡は頷くしかなかった。
辰己はにこりと笑い、申渡を抱き起した。
「栄吾、中二の学祭の劇でやったワルツ覚えてる?」
「ええ……覚えてますよ」
向かい合って指を絡め、どちらからともなくワルツのステップを踏み、踊り始める。
二人の間に言葉はない。けれど二人の間に流れるのは、二人だけにしか聞こえない音楽。重なる呼吸と、ダンスパートナーと溶け合い一つになったかのような感覚に、甘い歓びすら覚える。
街灯と海沿いの夜景だけが二人を照らす非日常の空間に酔いしれ、ここがどこかも忘れ、二人は二人の為だけのステージで手を取り、身を寄せ合い、三拍子を踏む。
互いの事は誰よりもよく知っている。幼い頃から手を繋ぎ、一緒に遊び、キスだってした。けれど、こうして二人で踊り、二人で一つのステージに立つ瞬間が彼らにとっては何よりの至福だった。
中学生の頃演じた劇で踊ったワルツを、あの時演じた「姫」と「ナイト」という役をもう一度演じながら遊ぶ。二人にしか聞こえない音楽に身を委ね、二人きりのステージで見つめ合いながら。
やがて申渡はそっと身を屈め、辰己の手を口元に引き寄せてその指先に唇を落とした。辰己は申渡の頬を撫で、顔を上げた申渡とそっと優しく触れるだけの口付けを交わした。プリズムの光が散るミントグリーンにパートナーだけを映し、辰己は微笑む。
「帰ろうか」
「そうですね」
繋がれた手を解き、二人は海に背を向けた。駅へ向かいながら、「ねえ栄吾」と辰己が歌うように言う。
「やっぱりあの時とは身長差が逆転しちゃったから不思議な感じだったね。今度踊る時は僕が男役で踊ってみようか」
「ええ、構いませんよ」
「……栄吾」
「なんですか、辰己」
「やっぱりちょっと寒いや」
「……どうぞ」
申渡が辰己の肩を抱き寄せて身を寄せ合うと、辰己は「ふふっ」と楽しそうに笑って頭を傾け、申渡の頭にこつんとのせる。
「栄吾はあったかいね」
「ありがとうございます」
二人は寄り添いながら、夜の公園を明るい方へと歩いて行った。
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夜の山下公園はやばい