カテゴリー: 星劇

【ちあふゆ】暗夜光路

※死体を埋めに行く話。
※ホラー。血の表現があります

■■■■■■■■■■■■

 マンションのドアを開けた時にそこで見たものを忘れることは、恐らく一生ないのだろう。
 玄関に立ち尽くしてぼんやりとした目でこちらを見る幼馴染の着た白いシャツはどういうわけか胸の辺りがべったりと赤くて。天井を仰ぐようにその足元に転がっていたのは、どこの誰とも知らない、真っ赤に染まった人の形をした何かで。その胸元からは、木の柄が生えていて。
 そして玄関中に赤い何かが悪趣味な花のように飛び散り、鉄のような肉のような臭いが立ち込めていた。
 それらの光景を、千秋は自分でも驚くほど冷静に受け止めていた。非常事態を前にして何をするべきか、考えるより先に脳が結論を導き出す。
 こちらを見る冬沢の目が焦点を結ぶより先に、千秋は口を開いていた。
「……車出すぞ」
 それをビニールシートで包み、紐でぐるぐると縛ってから大型スーツケースに押し込んで家庭用乗用車のトランクに放り込む。ぼんやりしたままの冬沢を一人置いて行く訳にも行かないので服を着替えさせてコートを着せて助手席に座らせ、まず自宅(千秋は実家住まいである)に寄って物置から剣先スコップを引っ張り出してこれもトランクに入れた。そしてどこに埋めるべきかと考え、とりあえず西の山の方へ向かうことにした。
 スマホで開いた地図アプリでここから車で行けるが人家の少ないあたりの住所表記を調べたら後はカーナビに入力して案内通りに車を走らせるだけだ。
 時刻は日付も変わろうかという頃、インターチェンジへ向かう車道を走る車は少ない。カーラジオも付けない車内に会話はなく、冬沢は千秋が持たせた缶コーヒーを両手で持ったまま目を閉じて黙りこくっている。道路脇の店にはぽつぽつ明りが灯ってはいるが車道を照らすほどでもなく、時折対向車線をすれ違う車のライトと街灯だけが車内に光を投げた。
 高速道路に入り、西へと進む。
 深夜の高速道路を走る車の数は少なく、絶え間ない走行音は夜の空気に吸い込まれていく。
 途中でサービスエリアやパーキングエリアに寄ることはなく、真っ直ぐに走ってやがて高速を降りる。料金所で係員と顔を合わせるのは可能であれば避けたいところなのだろうが、生憎と千秋はETCカードを所持しておらず、またなるべく早くトランクにある物を片付けるには高速道路を使わないという選択肢は無かった。料金所が近付いたところで冬沢には寝た振りをしてもらい、自分は特に何事もない顔をして料金を払う。ただそれだけで良いのだ。
 山の方へ、人家の少ない方へと休むことなく車を走らせる。
 ほとんど土地勘のない辺りであったが、カーナビの言う通りに進めば道はどんどん暗く、細くなる。道もあまり舗装されておらず、車はガタガタとよく揺れる。カーナビの画面はいつの間にかほとんどペールグリーン一色になっていた。
 やがてカーナビの案内も終わり、それでも車を走らせて、街灯の一本も立っていないような道で車を止める。月のない夜であった。車の灯りが無ければ文字通りに一寸先は闇である。
 ここで待ってろ、とシートベルトを外しながら言うと、冬沢は首を横に振って自分のシートベルトを外し始めた。止めるべきかと一瞬迷ったが、ここに残していく方が危険かと思い直す。
 トランクからスーツケースとスコップ、そして非常用に車内に常備している懐中電灯を引っ張り出し、ガードレールを超えて山奥へと足を踏み入れる。
 適当なところで足を止め、スコップを地面に突き立てる。一時間ほど、千秋も冬沢も何も言わないままに、千秋は黙々と穴を掘った。やがて千秋の背丈程の深さまで掘り終えたところで冬沢は穴の中の千秋にスーツケースを渡す。スーツケースを穴の底に置き、穴の中から這い出した千秋は穴の底のスーツケースに土を被せ、黙ってその穴を埋めた。
 掘り出した全ての土を元に戻し、地面を均して周りの地面から目立たないようにする。 
 すべての作業を終え、埋め終わった穴に背を向けて顔を上げる。
「……終わった」
 冬沢がどんな顔をしているのか、暗闇が邪魔をしてよく見えなかった。ただ、コクリと一つ頷いたのだけは分かった。
 冬沢の手を取ると、冷え切った手に心臓がざわつく。その手を少し強く握って、元来た山道を引き返す。
 車道まで戻ると、車は置いて来た場所にちゃんとあった。迷わなくて良かった、と安堵しながら、千秋は車の鍵を開ける。広くなったトランクにスコップを放り込んでから二人で並んで車内に腰を下ろし、千秋はエンジンを掛けながら一つ息を吐き出した。
「もう遅いし、ホテルにでも泊まるか?」
「……お前はいいのか、帰らなくて」
 車内灯の下の冬沢の顔は青白く、ひどく張り詰めていた。膝の上で組んだ指先は僅かに震えている。
「多分泊まりになるって言っといたからな」
 適当に国道に近いコンビニをカーナビの目的地に設定して、静かに車を発進させる。来た進行方向でしばらく走っていれば山道を抜けることが出来そうだ。事を終えた今、こんなところでもカーナビは動くんだな、と千秋の思考は奇妙にクリアだった。
「忘れちまえ、今夜のこと全部」
「……それでも、あの部屋には戻らないといけないだろう」
「じゃ、オレが何とかしといてやる。お前はその間実家にでも帰っとけ。そうすりゃ安全だろ」
 千秋がそう言ったところで、舗装の乏しい山道を走る車体がガタガタ揺れる音に混じって、ダンダンダン、と、後ろから何かを強く叩くような音がした。横目でちらりと冬沢を見るが、冬沢は唇を固く引き結び、張り詰めた表情に変わりはない。
 ダンダン。
 ダンダンダン。
 しばらく車を走らせても、何かを叩く音は聞こえてきた。音の聞こえる方向からしてリヤガラスを叩いているようだが、運転中なのでそちらを見るわけにはいかない。
(ま、亮に聞こえてないなら、無視してもいいやつだろ)
 こういうのは、気にしてしまった方が負けなのだ。
 いつしか舗装された道に入り、シートから伝わる振動も大人しくなる。リヤガラスを叩く音は聞こえなくなった、が。
 バン、バン。
 今度はフロントガラスを叩くような音が響く。しかし当然ながら、車の前に影は無く、冬沢にも異変はない。
 じゃあこれも無視していいだろう、と。千秋は少しだけ深くアクセルを踏み込み、街に向かって車を走らせ続けた。
 ゴトン、と何かに乗り上げたような振動が一度だけ車を揺らしたが、こちらも意に介することは無い。気付けば車道脇の街灯の本数は増えていった。
 来た時は随分暗いと感じていた夜道だが、あの山道から出て来ると少しばかり眩しい。
「……お前は、良かったのか」
 ぽつぽつと店や人家の明りが目立ち始めた頃、冬沢が呟いた。
「何が?」
「っ……ここまでやって、もう引き返せないんだぞ」
「今それ聞くかよ、狡いなお前も」
「……」
「今更謝んな。……車出したのも埋めたのもオレの意志だ」
「だとしても、そうさせたのは俺だ」
 冬沢の言葉を聞いて、ハンドルを握る手に、少し力がこもった。
 冬沢の言葉にははっきりとした芯が戻りつつあって、このまま地元まで車を走らせて車から下ろせばその足で然るべき場所に一人で向かってしまうのだろうと、千秋にそう思わせるには充分であり……それでも、隣から聞こえるその声は微かな震えを帯びていた。
 山を降りてから初めての赤信号にブレーキを踏み、助手席の冬沢を見る。
 冬沢は唇を引き結んで俯いていたが、その肩は微かに震えていた。
 血に染まっていた服を着替えさせた時、シャツのボタンが不自然に無くなっていたことを思い出す。
 千秋は視線を道路に戻す。
「だったら、」
 アクセルを踏み込みながら、少しだけ笑う。人間こんな時にも笑えるものだな、と自分でも驚きながら。
「地獄の果てまで付いて行ってやるよ」
 たった二人だけの秘密を載せて、車は夜の道を走る。
 このまま走って走って誰もいない場所に行けたら、隣にいるやつがどんなにか楽だろう。それでも千秋は、自分の幼馴染はそんな場所にいるべき人間ではないとよく知っている。彼がどんなに苦しんでいたとしても、彼を孤独な場所に置いてはいけないのだと。
 そして、隣にいるのが自分だけでは駄目なのだと、それもまたよく知っている。
 故に千秋は、彼が帰るべき場所の方へと車を走らせる。夜の道は街に近づくに連れ少しずつ明るさを増して行き、千秋は連なる街灯の光に僅かに目を細めるのだった。

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【ちあふゆ】千秋がベーコンを焼く話

※卒業後の話。
※付き合ってはいないが千秋が冬沢の家にご飯作りに行ったりはしているいつもの感じのやつ。

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 ふと、猛烈にベーコンを食べたいという欲が湧き上がって来た。
 ので、フライパンを出してベーコンを焼くことにした。
 油を敷かずにフライパンにベーコンを並べ、弱火で少しずつ火を通していく。ふつふつと、やがてじゅわじゅわと音を立てて身を縮ませながら焼けていくベーコン。引っ繰り返すとふわりとベーコンの匂いが立ち上る。塩気のある肉が焼けていく香ばしい匂いだけで米を食えそうだ。
 肉が食えないという幼馴染の家に定期的に飯を作りに行ってはいるが、こちらは実家暮らしの身であるので肉類はこうして食べたい時にいつでも食べることが出来る。なので自宅にいる時は一人でも食べたくなったら食べることにしている。やたらと肉の代用食品に詳しくなったりはするが。
 それでも本物の肉の味を知っている身からすると大豆の加工品などはどうにも物足りなく感じるもので、それを当人に向かって言ってみると「俺はお前のせいで肉を食べられなくなったんだが?」と言わんばかりの目をされた。
 俺のせいとか言われても、なあ。俺だってお前のせいで餅食えなくなったし。割とお互い様な気がするんだが。いや、餅と肉じゃ食べられなくなった時の影響のでかさがだいぶ違う気はするが……。
 あいつのことを考えているうちにベーコンの端が焦げ付き始めたのでフライパンから引き上げる。キッチンペーパーで軽く油を拭いてから、家にいるのは自分一人だしまあいいかとそのまま口に運んで噛み締めると、まあ、期待通りの、程よい塩みと肉のうまみと油が口いっぱいに広がった。しかし熱い。すげえ熱い。口の中がめちゃめちゃ熱いので(少々行儀は悪いが)はふはふと口の中に空気を取り込みながら一枚丸ごとなんとか食べ切る。
 確かな満足感を覚えつつそのままフライパンの片付けを始めるが、どうにも一度あいつのことを考え始めてしまったのが止まらない。そう、代用肉であればあいつは別に喜んで食べるのだ。肉の風味にかなり近いものであってもそれの原料が植物性たんぱく質であれば。
 それにまあ、その食べている時の顔を見ていると悪い気がしないから飯を作りに行っているのも、なくはないわけで。
 ……今度何か、ベーコンの代用になるものでも探してみるか……

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【ちあふゆ】ルイボスティーと金平糖

「げっ」
 自販機の前で思わず声を上げた時にはもう遅い。
 ごとんと音を立てて、自販機はルイボスティーのペットボトルを吐き出していた。
「ノーセンス……」
 買おうとしていたのは隣の麦茶なのに、間違えてルイボスティーを押してしまった。
 仕方なしにペットボトルを取り出す。見慣れないラベルの赤がやたら目に刺さった。
 正直ルイボスティーを自分から飲む気にはなれない。あの独特の風味が嫌いというわけではないが、進んで飲みたいという味でもない。だったらまあ、適当にルイボスティーを好きなやつに譲ってやる方がいいだろう。多分。
 そういうわけで、オレはルイボスティーのボトルを小脇に抱えてから自分の麦茶を改めて買い、とりあえず蓋を開けて一口。些細なミスで余計に乾いた喉に麦茶が沁み渡る。
 そしてペットボトル二本を手に、さてどうしたものかと考えながら華桜館に戻ることにした。
 道すがら誰か──後輩でも同級生でも──顔見知りにすれ違えれば良かったのだが、今は日曜日の午後。おまけに期末試験も終わった冬休み直前だ。いつもであれば生徒達が行きかっている敷地内に人影はない。
 まあ仕方ないか、とは思うがこのルイボスティーはさっさと手放したい。
 ふと、日常的にルイボスティーを飲みそうなやつが一人思い浮かんだ。
  オレの幼馴染、同級生、宿敵、王様、人生のラスボス相当。そいつは今日、オレと同様に登校している筈だ。
 あいつにあげるのか……オレが間違えて買ったこれを……そう考えると、愉快そうな笑顔を浮かべるあいつの顔を嫌でも想像出来る。
 あいつは最近そういう顔をするようになった。オレが些細な失敗をするのを見ると、何か面白い物を見たと言わんばかりの顔をするのだ。否、絶対に面白がっている。少し前までじっとりとした目でこちらを見るだけだったというのに。
 人の失敗を面白がっている時点でいい性格をしていると言わざるを得ないが、あいつがそんな顔をするのはどうもオレの失敗を見た時だけらしい……そう気付いてしまったのは果たして運がいいのか悪いのか。
 あいつの顔を思い浮かべながらぐるぐると考えているうちに、華桜館の正面玄関前まで来てしまった。
 館内に入る前に立ち止まってもう一度、手に持ったルイボスティーを見る。本当にこれをあいつにやるのか。あいつに、オレが、自発的に物をあげるのか……と考えて、
「……迷ってる方が余程馬鹿っぽいな」
 それこそノーセンスだろう。
 何もおかしなことはないのだ、とオレは迷いを振り切って館内に足を踏み入れた。
 厳かな廊下を歩き、あいつの執務室の前まで足を運ぶ。今日登校している華桜会メンバーはオレとあいつだけの筈だから廊下はとても静かだ、知らない間に登校してるやつがいる可能性もゼロじゃないが。
 執務室のドアの前で足を停め、小さく息を吸ってから軽くノックする。
 はい、とドア越しに返事が聞こえて数秒待つと、ドアが内に開いて中から部屋の主──冬沢亮が顔を出した。
 亮は最初の一瞬こそ優等生な「他所行き」の顔をしていたが、ノックの主がオレだと認めた瞬間にすっと表情が消えた。
「なんだ、お前か」
 ペルソナが極端すぎるだろ。
 だが今に始まったことでもないので、さっさと要件を済ませてしまうことにする。
「これやる。間違えて買ったけどオレはルイボスティー飲まねえから」
 ひと息にそう言ってペットボトルをぐいと差し出す。
 亮は不思議そうに眉を顰めたが、やがて小さく息をついてボトルを受け取ってくれた。
「不注意だな」
「うるせえ」
 亮は手に取ったボトルを眺めたかと思うと、くすりと笑い。部屋の中に向けて踵を返した。
「少し待っていろ」
「は?」
 そのまま、またドアが閉じた。
 何をする気かは分からねえが、待ってろって言われたんだから待ってればいいんだよな。まさか亮一人で手が回らない仕事を押し付けでもするつもりか。それならそれで、手伝ってやらなくもないが。
 大人しく待つこと数十秒。またドアが開いて、亮が出て来た。 
「手を出せ」
 言われるままに右手を出すと、掌に小さな瓶が乗せられた。僅かなものとは言え思いがけない重みに慌ててその瓶を掴む。持ち上げてよく見ると、掌に乗るサイズの瓶の中に青や水色に白と、涼やかな色の金平糖が詰まっているのが見えた。
 思いがけないそれに虚を突かれて黙っていると、亮は小さく肩を竦めた。
「貰い物なんだが、量が多くてね。礼という程でもないがあげるよ」
「量が多いって……」
 そんなに大きな瓶でもないだろ、これ。オレがそう言い掛けたところで、亮はその瓶を指先で軽く突いた。
「一箱にこの瓶が四つ。うち二つは親が持って行ったが、俺一人で二瓶分は多すぎる」
「なるほどな……」
 金平糖は言ってしまえば砂糖の塊だ。栄養バランスやスタイル維持に相当気を使っているこいつからすれば小さな瓶でも食べ切るのに時間は掛かるだろう。
 しかし、間違えて買ったペットボトルのルイボスティーと、瓶入りの金平糖を交換とか。
 わらしべ長者かよ。
「……ま、貰っとく。ありがとな」
 オレの言葉に亮は表情一つ変えずに頷いた。
「もういいか、まだ仕事が残っているんだが」
「最初っから長居するつもりはねえよ。じゃあな」
 オレがそう言うと同時に亮は素っ気なく部屋の中に引っ込む。ドアが静かに閉められ、また廊下に耳が痛くなるほどの静けさが戻って来た。
 結局自分の分の仕事は一人でやるつもりか、ほんっと可愛くねえなあいつ。
 ずっとここに立ち続けていても仕方がない。右手に金平糖の瓶を、左手に麦茶のボトルを持ってさっさと自分の執務室に戻ることにした。
 デスク前の椅子に腰を下ろし、自分しかいない空間でぼんやりと、窓から差す冬の陽光に金平糖の瓶をかざしてみる。
 陽光を浴びた半透明の水色や青がほのかに光るのを見ていると何とも言えないむず痒さが体の芯から背中にかけて立ち上ってきたので、首を横に振ってそれを搔き消す。
 折角だし一粒くらい食べてみるか、と瓶を覆うビニールをペリペリと剥がして蓋を捻る。
 掌の上で瓶を傾けると、小さな星が二つ三つと転がり出て来た。水色、白、水色。
 まとめて口の中に放り込んで、舌の上で転がす。どうも色によって仄かに味が違うようだが、どっちがどっちだなんて分からない。
 ただ一つ分かるのは。
「……甘……」
 背中のむず痒さが全身に回るのが止められそうにないということくらいだった。

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【ちあふゆ】midsummer night’s dream

「これは夢だ」

 夏だというのに奇妙に涼しい夜の森。
 仄甘い空気に満ちた夜の森。
 夜露に濡れた芝生をベッドにして音もなく舞う蛍の光を纏いながら、お前は立ち尽くすオレを見ながらそう言って笑う。
「シェイクスピアじゃあるまいし、夜の森に二人きりなんてことがあるか? だからこれは夢なんだ」
 シェイクスピアなら四人と妖精だろ。
 言い返すと、お前は少しむくれたような顔をした。
「お前は本当に俺の揚げ足を取るのが好きだな」
 まあいい、とお前は体を起こすと、立て膝の上に顎を乗せてオレを見上げた。
「どちらにしろ、俺達はこの夜の森の中に二人きり。そしてこれは夢。朝のひばりが鳴けば覚めてしまう、無かったことになる夏の夜の夢。さて、お前はどうしたい?」
「は……」
 突然の問い掛けに息が詰まる。
 お前はくすくすと笑い、片腕を広げて見せた。
「お前は俺に何をしたっていい。俺もお前に何をしたっていい、夢なのだから」
 蛍に囲まれながら笑うお前は、この森に住む妖精の王のようで。
 妖精なんかより、よっぽど悪魔のようだった。
 分かっていてもその誘惑に抗う気すら起きず、膝を突く。手を伸ばすと、お前はオレの手に指を伸ばして指を絡めてきた。
 ぐい、と手を引かれると、空気が揺れて立ち上る芳香に目がくらみ、オレはなすがままに引き倒される。
 気付けばオレと地面の間には、わざとらしく無防備に横たわっているお前がいた。
「さて、どうする?」
 返答代わりに、お前のその白い首筋に噛り付く。

 そう、だってこれは夢なのだから。

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【8/8ちあふゆ新刊本文サンプル】雪、空白、そして

8/8のWebオンリーにて発売する新刊「雪、空白、そして」の本文サンプル(次ページ~)です。
まだ入稿していないので多少変更がある可能性があります。

今回の頒布分に関してはイベント開催前日~当日にかけて当方のboothでの受注販売を予定しています。
イベント規約で受注販売NGとの指摘いただきましたので、イベント当日からの在庫販売に変更します。申し訳ありません……!
詳細は当日が近くなりましたらお知らせします。

ページ数:22p
サイズ:A6(文庫版)
頒布価格:500円(予定)

【あらすじ】
夜の散歩をしていた冬沢が運悪く自宅(一人暮らし)から締め出された千秋を拾う話。
時間軸は卒業後となります。

■■■■■■■■■■■■■

 暦は春に近付こうかというその日、東京で少し遅めの雪が降った。
 綻び始めた蕾は空から降る白い結晶に触れて固くなり、町も時を巻き戻されたかのように凍りついている。
 そんな日だったから、あと一時間もすれば日付が変わる頃の住宅街は人も車も気配すら無く、いつにも増して静かだった。
 そしてその白い静寂の中に溶け込むようにして、冬沢亮は歩いていた。
 風は吹いていないが、朝に一度降った雪は夜になってまた降り始めていた。
深夜ではあるが、雪が街頭や月の僅かな光を反射して、町はどこか白んで見える。服の隙間から入り込む冷気を少しでも遮ろうと、オールドブルーのマフラーを締め直した。
 何故こんな日に夜の散歩と洒落込んだのか、それは冬沢自身にもよく分かっていない。どうにも眠れないから散歩でもしよう、などという発想が浮かぶこと自体、決まった時間の就寝・起床を原則とした生活をしている普段の冬沢であればまず有り得ないのである。
 だが事実として、冬沢はおよそ一駅か二駅分は歩いていた。遠回りの道を選んでいるので、実際の距離としてはもう少し長くなるだろうか。
 白い世界の中、世界に自分しかいなくなったかのような錯覚と共に歩くのは、時間や距離の感覚を忘れさせるほどに心地良かった。
 どれ程歩いたか冬沢も忘れた頃、車道を挟んで、小さな滑り台と砂場といくつかのベンチだけが置いてある小さな公園が見えて来た。見覚えのある公園ではあるがここまで歩いて来ることは珍しい、そろそろ家に帰るべきか……。
 そう、思った時。
 ベンチに人影を見つけた。
 人影というだけであればまあ、良いのだろう。問題は、その人影がやけに見覚えのある人物に見えたということで。
 一歩、車道側に近付いて、公園の外からその人影を見る。
 街頭にぼんやり照らされた白い闇の中、その男はベンチに座っていた。
焦げ茶色のコートに臙脂色のマフラーを巻いて、長い脚を投げ出して、どこか途方に暮れたように空を見上げていた。
 気のせいであって欲しい……そう念じながら、気が付けば車道を渡って公園側の歩道へ足を踏み入れていた。近付けば近付くほど、その人影ははっきりした形を結んでいく。
 その顔がはっきり判別出来るようになるまで近付いた時、そいつは冬沢が公園の外からこちらを見ていることに気が付いたらしくこちらを振り向いた。
 冬沢は溜息を一つ吐き出すと、公園の中に足を踏み入れた。
 ベンチに座っていた男は、自分の前に立つ冬沢に困惑の色を見せながら口を開いた。
「……何やってんだよ、こんな時間に」
「その言葉、そっくりそのまま返してやろうか?」
 ベンチに座っていたその男は、千秋貴史。
冬沢から見て幼馴染、腐れ縁、中高の元同級生、そして現在は同じ劇団所属の現同僚にあたる存在だった。
 そう言えばこいつはこの辺りに住んでいるのだったか、と冬沢はぼんやり思い出す。
まさか夜の公園で思い出すことになるとは思いもよらなかったが。おまけに今は天気が天気、時間が時間である。
冬沢はからかい半分で当て推量を口にする。
「まさかとは思うが、鍵と財布を部屋の中に忘れて外に出たままオートロックに締め出されてしまったがこの時間では管理人不在で管理会社にも繋がらないから途方に暮れていた、なんてお粗末な話じゃないだろうな」
「…………」
 帰ってきたのは、沈黙だった。
 不貞腐れたような顔をしながらもどこか気まずそうに目を逸らす千秋に、冬沢は眉をひそめる。
 「お粗末な話」が図星らしい事実と千秋のその子供じみた態度に二重の意味で呆れながらも、どうしてやるかと考える。一応は幼馴染で腐れ縁で同じ劇団に所属している男である、ここで見捨てるのは流石に忍びない。
 一応財布は持って来ているのだ、金を貸してやって駅前のビジネスホテルに押し込むくらいは出来るが……そう考えながらも、冬沢は一つ溜息を吐いた。
「……俺の家に来るか?」
「は?」
「は……」
 自分の口から思い掛けず出てしまった言葉を撤回しようとしても遅かった。
 その言葉をしっかりと聞いてしまったらしい千秋は目を丸くして、ぽかんと口を開けている。
 何だその間抜けな顔は、ああ俺の言葉のせいか……と、不用意な言葉を口にしてしまったことを後悔するが、こうなるとやっぱりホテルにでも行けと言うのも寝覚めが悪い。
 もうどうにでもなれ、と冬沢はもう一度その提案をはっきりと口にした。
「だから、俺の家に来るのか来ないのか、どちらなんだ」
「……え、お前の家?」
「そう、俺の家だよ。何回言わせるつもりだ?」
 飲み込みが遅すぎる。
 今し方の自分の提案と日頃の千秋に対する言動の落差が千秋をひどく驚かせているという(普段の冬沢であればすぐに気付きそうな)事実を棚に上げながら苛立ちと共に踵を返すと、慌てた様子で千秋が立ち上がる気配を背中に感じた。
  行きは遠回りに歩いて来たが、帰りは最短距離を選んで歩く。道中一度も振り向くことはしなかったが、千秋がついて来ているのは気配で分かった。
 互いに言葉のないまま、雪の降る町を歩く。夜の町の小さな足音は雪に吸い込まれ、一度だけすれ違った車の走行音もすぐに消えた。
 程なくして冬沢のマンションに辿り着く。
 エントランスを抜け、エレベーターで上階に上がり、自分の部屋の前に辿り着いたところで冬沢は初めて千秋の方を振り向いた。冬沢の三歩後ろを歩いていた千秋はびくりと肩を跳ねさせる。
 その顔いっぱいに広がっている困惑を見た途端に心がざわつくが、冬沢は努めてそれを押し殺しながらコートのポケットから革のキーケースを出した。
「少しそこで待っていろ」
 それだけ言って、鍵を開けて先に部屋に入る。暖房を付けたまま出て来たものだから部屋の中は温かい。収納からスリッパを出して玄関前まで持って行く。
 自分の部屋に他人を上げることがまずないのだ、来客用の準備など何も無い。だからスリッパは普段使っているスリッパに何かあった時用の予備だし、千秋はダイニングのソファに夏物のタオルケットを敷いた上にブランケットを被って寝てもらうことにする。
 何故部屋に上げることにしてしまったのか、と一抹の後悔が押し寄せるが、あの男相手に今更何かを気にする必要があるのかと考えると、特に無いだろう……という結論に至ってしまうのであった。それを嘆くべきか安心するべきかは考えないこととして。
 玄関のドアを開けて廊下で待たせていた千秋を部屋に上げると、千秋は恐る恐ると言った風情で入って来た。
「お、お邪魔します……」
 入って来る時だけ敬語になる千秋が何だかおかしかった。
「朝になったら叩き出すからな」
 冬沢の冷たい言葉に、千秋は安心したような表情を浮かべながら肩を竦める。
「分かってる。泊めてくれるだけでありがてえよ、こっちは」
 何故そこで安心するんだ。
 収納から引っ張り出したブランケットを苛立ち混じりに千秋に放ると、柔らかなブランケットが秋の顔面に直撃した。

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【ちあふゆ】ウマのパロ

※ウマ娘パロ
※どうか深いことは考えないでください
※2ページ目に架空の冬沢亮育成シナリオがある

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 私立綾薙トレセン学園、朝礼が始まる一時間前の教室。
 生徒の多くは早朝のトレーニングに励むか、あるいは登校していない時間だ。そんな静まり返った冬の教室で、冬沢亮はただ一人席に座り本を読んでいた。
 その静寂を、教室のドアを開ける音が破る。構うことなくずかずかと入って来たのは、ジャージ姿の千秋貴史であった。先までトレーニングをしていたのであろう。
「どういうつもりだ」
「……」
 千秋によってバサリと音を立てて机の上に投げ出されたのは、何社かのスポーツ紙。そこに踊る見出しを横目でちらりと見た冬沢は、すぐに手元の本に視線を戻した。
 『冬沢亮、日経賞への出走を表明』『シニア級最強マイラー候補、長距離路線へ転向か?』……それらの見出しを見ても顔色一つ変えない冬沢に、千秋は苛立ちを隠そうともしない。
「お前が得意なのはマイルだろ。これまで入着した距離も長くてせいぜい秋華賞の2000。なのになんで日経賞に出るだなんて言い出した?」
「俺がどのような出走スケジュールを組もうとお前には関係のないことだ」
「なっ……」
 取り付く島もない冬沢に、千秋は言葉を失う。だがすぐに「ああそうかよ」と吐き捨てるように呟いた。冬沢はそんな千秋をちらりと見ると机に本を置いて立ち上がり、その耳元に唇を寄せた。
「……一つ教えてやる。俺はこのシニア級の一年を、有マ記念を目指すために使っている」
「っ……!?」
 千秋の目が大きく見開かれる。
 有マ記念。年末に開催される最も大きなレースだ。その年に活躍した──他のG1レースで優秀な成績を残した──者、あるいはファン投票で選ばれた者のみが出走権を与えられるレースであり、出ようと思って出られるようなレースではない。
 しかしそれは裏を返せば、実績とファン投票を集めれば、有マ記念のコースが脚質に適していなかろうとも出走は可能ということだ。
 同時に、出走権を得たとしても実際に出走するかどうかは別の話だ。有マの距離は芝2500、長距離である。マイルと長距離では要求される技術も走法も異なる。短距離・マイルを主戦場とした者が 無理に走れば大きな負担となることから、出走権を得た者が出走を見送るのは決して珍しいことではない。
 そこで千秋はようやく気付いた。日経賞、芝2500。それはまさしく、有馬記念と同じコース・同じ距離ではないか……
「っ……本気ってことかよ」
「当たり前だろう」
 冬沢がくすりと笑うと、千秋は拳を握りしめた。
「なんで……なんでお前はそうやって……!」
「……なんで、ね」
 冬沢は千秋から顔を離すと、小さく呟いた。
「『オレの行く先に立ちはだかろうとするのか』、って? ああそうだな、お前からしたら俺はさぞかし大した壁に見えているんだろう」
 氷とも炎とも形容し得る目で千秋を睨み付ける。千秋がたじろぎ言葉を失った瞬間に冬沢は机の上に投げ出された新聞を鷲掴みする。そして大きく振りかぶり、音を立てて千秋の胸に投げ付けた。新聞紙のにおいと共に巨大な新聞紙がばさばさと千秋の足元に落ちていく。
「……そうやって一生分からない振りをしてろ」
 千秋ただ一人に向けて、底冷えのする声を残し。
 冬沢は踵を返して教室から立ち去る。後に残された千秋はただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
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【ちあふゆ】メランコリーキッチン

 少しは強引になってみろ。
 週に一度家に来ては作り置きのおかずを作ってそして帰って行く、ただそれだけの幼馴染のキッチンに立つ背中を睨みながら、冬沢は苛立ちを小さな溜息に替えて吐き出した。
 千秋貴史という面倒な男が己に向けているそれがただの世話焼きだけでないことくらい、とっくに知っていた。だから週に一度家に上がることを許した。そして、いつアクションを起こすかと静観していた。
 しかし半年間何も「無い」となると、流石にこう言ってやりたくもなる、馬鹿じゃないのかと。
 図々しさ無神経さにかけては天下一品だというのに何故こんな時に限って何もしてこないのか。
 そんなにやきもきしてるくらいならお前から動いてみればいいだろ、と能天気な顔の某友人に以前言われてしまった時はそんなに簡単な問題では無い、と返答したものの、今に至ってはそれは確かに名案なのかもしれなかった。しかしどうするのが良いのやら。
 千秋に対する有効打なら思いつかないことも無い。何をすればその心を揺さぶってやれるかはそれなりに分かる。だが冬沢にもプライドというものがある。良識だってある。
 だからいつも、思考は一周する。
 あいつから動いてくれればいいものを、と。

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【ちあふゆ】雨の日に

『駅まで傘を持って来い』

 メッセージアプリに届いたそのたった一言に、駅まで来れたんならビニール傘でも買え、と返すことが出来れば良かったのだ。それが出来ないから早春の雨の中を傘を差してもう片方の手に閉じた傘を持って駅に向かっている。
 土曜日の午前だけの授業を終えて帰宅する生徒達と同じ方向を、鞄を持たずに、挨拶には片手を上げて返しながら少し早足で歩く。
 湿った生温い空気を掻き分けるようにして学園側の改札まで来ると、屋根の下に溜まっている人混みの中でも一際目立つ燕尾の立ち姿が目に飛び込んできた。
 文句の一つでも言ってやろうと、つかつかと歩みを早めると、こちらがまだ傘を差している段階でターコイズの目がこちらを捉えた。
 こちらから向かっていたはずなのに気付かれてしまった、とどこか矛盾した思いを抱くと同時に、屋根の下にいるそいつはどこか勝ち誇ったように唇の端を上げた。

 ……やっぱ嫌いだわ、お前のこと。

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【ちあふゆ】恋をとめないで【20210111】

※両片思いです

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『明日の朝五時に迎えに行く。出掛ける支度をして待っていろ』

「……は?」
 一月十日、夜の十時。
 一人暮らしをしているアパートでメッセージアプリに届いたその短い文を見て、シャワーを終えたばかりの千秋は声を上げた。
 送り主は冬沢亮、千秋の幼馴染である。冬沢は千秋になら何をしても構わないと思っている節がある故にか、こういう突拍子もないメッセージが届くこと自体はそう驚くことでもない。振り回されるのは予想の範疇だし、迎え撃つ心構えならいつでも出来ている……などと、誰に向かって宣言するでもなく自負している千秋であったが、流石に今回はそうも行かなかった。
 迎えに行く。いつ。明日の朝五時に。今は何時だ? 夜の十時を回ったところ。
「……いやいやいや」
 さてはこいつ、俺に睡眠を取らせる気がないな? と千秋は深々溜息を吐き出した。
 確かに明日は劇団の稽古が無いし劇団以外の仕事もない、完全なオフ日だ。それを知った上での冬沢のこのメッセージなのだろうが、それにしたって、である。オフ日だからって徹夜やら短時間睡眠やらをしていいわけではない。千秋は生活習慣には気を使う男なのである。振り回され慣れているからと言ってそう易易と冬沢の言うことを聞くわけには……

「本当に待っているとは。てっきり無視して寝ているかと思ったよ」
「もしそうだったらどうする気だったんだよお前……」
 翌早朝五時。まだ夜の帳が立ち込めるそんな時間に、冬沢は来た。本当に来た。スリムなコートにマフラーを巻いて玄関前に立っている冬沢を見て頭が痛くならなかったと言えば嘘になる。
 アパートの廊下に立たせて話すわけにもいかないので、一旦家の中に入れて座らせ、熱いインスタントコーヒーを出してやると、冬沢は上機嫌でそれをちびちびと飲んだ。
「でもお前はしっかり待っていたじゃないか、コートまで着て。それはありがたいと思っているよ、俺は」
「どうだかねえ……」
 どこまで本心でどこまでからかっているのか、付き合いが長くても判断しかねるのもこの幼馴染の厄介なところなのだが、そこはひとまず気にしないことにした。いちいち気にしていてはこちらの身が保たない。
 確かに千秋はきっちりと防寒着を着込んで冬沢を待ち構えていたわけだが、冬沢としては口でありがたいと言いつつもこれが「当たり前」なのである。そんなわけがあるか、と千秋は思うが結局冬沢の思い通りに動いてしまっている自覚もあるので、その点については強く言えないのであった。
「で、どうしたんだよ今日は。こんな時間に。お前もオフなのか?」
「いや、俺は夜に少し取材があるが……それまではオフと言って差し支えない」
「そうかよ……」
 そんな中早朝からわざわざオレをつつきに来るとは何を考えているのか。
「なあ、貴史」
 そして冬沢はこう言った。多くの人間を虜にしてしまうのであろう、それはそれは魅力的な笑顔で、頬杖を突いて小首を傾げながら。
「デートしないか」

 冬沢亮という人間は、難解である。
 その思考回路を理解出来る人間は、余程の似たもの同士──存在するだけで驚きであるが千秋の知る限りでは一人だけいる──か、付き合いの長い人間くらいなものであろう。そして今回の冬沢の行動は、付き合いの長い千秋ですら真意を掴みかねるものであった。
 あの後手を引かれるままにアパートを出て、近くの時間貸駐車場に連れてこられたと思ったら「わ」ナンバーのセダンの助手席に押し込まれ、ぬるいボトル缶コーヒーを握らされ、今は早朝の一般道を揺られている。顔と立ち居振る舞いの割に手先も性格も不器用な冬沢であるが、その運転は千秋が想像していたよりは安定したものだった。冬沢はカーナビの指示どおりに走っているが、どこに向かっているのかは教えてくれない。なんとなく分かるのは、東京から南に下っているらしいということくらい。
 まだ寝静まっている街を法定速度で走りながら、冬沢は何も言わない。千秋も黙って窓の外を見ていたが、気まずさは感じなかった。カーラジオからは一昔前の映画のサウンドトラックが流れているがそのボリュームは小さく、時折エンジン音でかき消されていた。
 やがて高速に乗る。お前高速大丈夫なのかよ、などと思ったことを口に出せば睨まれることは確実なので黙っていることにした。暗い窓の外を時折白い光が追い越して行く。
 車は首都高から東名高速道路に入る。空が白み始めた頃には、周りを走る車の数は少しずつ増え始めた。車は静かに神奈川の南へと走り続けていた。そしてそのルートは、千秋にもなんとなく覚えがあった。家族で車に乗って出掛けた時に同じようなルートを辿った覚えがある。
 その時の千秋家の目的地は、江ノ島であった。もしこの車の行き先もそうであれば、冬沢が何を考えているのかいよいよ分からなくなる。もう少し遅い時間ならともかく。いや、仮に朝の十時頃に迎えに来られて車に押し込められて冬の澄んだ青空の下のこの道を走っていたとしても、何考えてんだお前、となっていたであろうが。
 いくつかのインターチェンジを過ぎ、ジャンクションを回り、やがて高速を降りてまたしばらく車を走らせる。やがて千秋の目に飛び込んできたのは、水平に続く橙の光を帯びた紺青の空と、白む空を映した海であった。
「……なあ亮」
「なんだ?」
 一時間を超えるドライブで、千秋は初めて口を開いた。
「湘南だよな、ここ」
「他のどこに見える?」
 冬沢の答えは素っ気ないが、いつものことと言えばいつものことなので気にせず質問を重ねる。
「なんでわざわざこんな時間にこんなとこに連れて来る?」
「……すぐに分かる」
 どうだかねえ。そんな嫌味は心の裡にしまっておくことにした。
 ほんの数分海岸沿いを走り、冬沢は駐車場に車を入れた。
「降りろ」
 エンジンを止めてすぐにそう言われ、冬沢はさっさと車を降りてしまった。千秋も呆れながら下車するが、途端に海沿いの冷たい空気が頬を刺すので思わず身震いする。幸い風は吹いていないようだったが、それでも寒気は防寒着を越えてくる。駐車場は防犯灯で全体が照らされている上に空は明るくなり始めており、思いの外暗さは感じない。
 冬沢はスマートフォンで時間を確認すると、
「まだ少し時間があるな……」
 と呟いた。そして画面から顔を上げると、ついて来い、と仕草で促して千秋に背を向けた。そのまま千秋に目もくれずすたすたと駐車場の外へ向かってしまう。ついて来ると微塵も疑っちゃいないことを喜ぶべきか悲しむべきか、と思いながら千秋は小走りでその背を追う。
 駐車場を出ても街灯の本数はそう少なくないとは言え辺りはまだ薄暗い。冬沢は駐車場の近くの自動販売機でホットの缶コーヒーを二本買うと一本を千秋に放った。千秋が慌てて受け止めると、それを見た冬沢は少しだけ笑ったように見えた。
 千秋の数歩前を歩く冬沢の足取りは、妙に軽やかだ。こういう時ってだいたい俺に碌な事無いよな、と思いながらも、こんな足取りをしている時の冬沢を見ているのは嫌いではないという自覚もあるので困ったものである。
 互いに何も言わずに海岸線沿いの歩道を歩く。
 どれほど歩いたか、空が明るい青に移り変わり始め、水平線を染めるオレンジの光は一際濃くなっていく。
「……この辺りだな」
 ふと冬沢はくるりと方向転換して、ビーチに降りた。後を追ってビーチに降りると、湿ってどこか重い砂浜が足を受け止めた。
 砂浜の近くともなると、空気は一際冷たくなっていく。波打ち際の方へずんずん歩いて行く冬沢を見ていると無性に心配になって思わず早足になってしまう。
「おい亮! あんまそっち行くと……」
 足元のほど近くまで波が寄せているのを感じた。寄せては返す波音は静かだったが、無意識に声を張りながら手を伸ばす。波打ち際ぎりぎりでなんとか冬沢に追いついて手首を掴むと、冬沢はようやく歩を止めた。だが冬沢は千秋を見ない。
「ほら」
 視線を水平線の向こうへ向けたまま、冬沢は呟いた。
「もうすぐ夜が明ける」
 千秋は冬沢の手首を掴んだまま、冬沢と同じ方を見た。
 水平線から一際強い光が顔を出そうとしている。千秋は眩しさに目を細めながらも、もう一歩踏み出した。冬沢の隣に立ってその横顔を見ると、冬沢も目を細めながらどこか焦がれるように水平線の光を見詰めていた。
「……お前さ」
「なんだ?」
「今日、自分の誕生日だって自覚あるか?」
「はは、何を今更」
「…………」
 つまり自分は、「誕生日だから」というどこか子供じみた我儘に付き合わされたのだ、と千秋は悟る。誕生日だから海で夜明けを見たい、と。何故その発想に至ったのか今は追求しても雑にかわされるだけだろうから聞かないでおくことにする。
「あー……もしかしてお前アレか? わざわざオレを連れて来たのは帰路の運転手にするためか」
「察しが良いじゃないか」
 はっきりそう言われても悪い気はしないのだから、結局どこまでも冬沢の掌の上だ。
「……っとに。年取っても性格悪いな、お前」
「それはどうも。その性格の悪い俺に、俺より早く年を取っても逆らえないお前の方が大したものだと思うよ、俺は」
「そういうところが性格悪いんだよお前は……」
 悪態をついても、冬沢は千秋をちらりと見て穏やかに微笑むだけだ。握ったままの手首は振り解かれないままで、かと言って自分から離す気にもなれず、無性に調子を狂わされる。
 これで冬沢の言葉が全てなら良かったのだ。ただ帰路の運転手として連れて来られただけなら。そして困ったことに、そうではないことが千秋には分かってしまう。この面倒くさい男との付き合いの長さゆえの理解度の高さを恨むべきか喜ぶべきか、と昇る太陽を見ながら考える。

 一緒に夜明けを見て欲しい、とか。お前がそんなこと言うような性格かよ。

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亮の誕生日ネタですが投稿日は2月27日です。
大遅刻しました。ごめんなさい。

【ちあふゆ】not like a pretty doll

 冬沢の白く細い指が高級チョコレートを箱から一粒摘むと、見せ付けるようにゆっくりと口の中に運ぶ。舌に丸いチョコレートが乗り、形の良い唇がチョコレートを包んで閉じる。人形のように整った男による美しく蠱惑的ですらあるその所作がどこまで「見られること」を意識しているのかいないのかは分からないが、少なくとも冬沢宅のダイニングテーブル越しにコーヒーを飲みながらそれを見ているただ一人の男──千秋貴史はこんな事を考えていた。
(なんかの映画でクレオパトラがこんな感じで葡萄食べてるシーンあったな……いや、そもそもクレオパトラだったっけか……?)
「おい貴史、今俺と全く関係ないことを考えていただろう」
 チョコレートを食べ終えた冬沢の言葉に、千秋は「げっ」と呻いた。
「エスパーかよ……」
「なんだ、図星じゃないか」
 冬沢はどこか不機嫌そうな振りをしながら頬杖をつくと、空いている方の手でまたチョコレートを一粒摘んだ。そして今度は自分の口に運ばず、テーブルの向かいの千秋に向かって伸ばした。
「お前にも一つやろう、どうせお前も沢山貰っているんだ、一つや二つ増えたところで変わりないだろう」
「どうせお前がチョコに飽きただけだろ……」
 千秋が手を差し出すと、冬沢はひょいとチョコを退けた。
「その無粋な手を下ろせ」
「は?」
「それとも口移しの方が良いのか?」
「なに言ってんだお前……」
「ほら、さっさと口を開けろ。チョコが溶けるだろう」
「ったく……」
 千秋が仕方なく口を開けると、甘ったるい塊が口の中に転がり込んできた。
 恋人の手ずからチョコレートを食べさせられる、なんて甘い行為に間違いないのにこの釈然としない感じはなんだ、と千秋は口の中でチョコレートを溶かしながら思う。そもそもこのチョコレートだって冬沢が貰ったものを千秋が食べさせられているわけで。
 冬沢はバレンタインだからと恋人にチョコレートをあげたりするような人間ではない、そもそもバレンタインという行事の優先度自体冬沢の中ではとてつもなく低い。そういうのは千秋の方が余程気にする。今日だって夕飯後のデザートに小さな──ただしそれなりに値の張る──チョコレートケーキを用意しているのだ。
 毎年のことは言えオレばかりが気にしているのはやっぱりなんかな……アレだよな……などと千秋が天井の角を見ながら纏まりもなく考えていると、
「貴史」
 どこか浮ついた冬沢の声に名を呼ばれる。珍しい声色に思わず振り向くと、また一粒、チョコを唇に押し付けられた。今度はホワイトチョコだ。仕方無しにまた口を開けると、また甘い塊が口の中に押し込まれ。
 恋人の顔が近付いて来たかと思うと、閉じた唇の上から唇を重ねられた。
 ほんの一瞬。一瞬だけ千秋の唇を奪った冬沢は満足げに目を細めた。
「結局お前だってこっちの方がいいんだろう?」
 チョコの味なんて、分かりやしなかった。

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ご覧の通りバレンタインネタですが投稿日は2月18日です。ごめんなさい。

【ちあふゆ】触れ合う季節・その向こう側

「さっむ……」
 駐車場から劇団の稽古場に向かうまでの道すがら、千秋はマフラーに首をうずめながら小さく呟いた。マスクをしているから幾分ましとは言え、肌を刺すような寒気を感じなくなるわけではない。むしろマフラーやコートを容赦なくすり抜けては肌をちくちくと刺してくる。
 落ち葉が風に吹かれてくるくると路面を舞う。ほんの少し前までニュースやワイドショーでは紅葉の名所を紹介して盛り上がっていたというのにここ数日で一気に冷え込んだ首都圏は、すっかり冬の様相を呈し始めていた。
(そろそろ二人一緒に飯を食える日は鍋でも作るか……)
 豆乳キムチ鍋ならあいつも食えるかな。そんなことを考えながら、千秋は今日も稽古場に向かう。

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