石田さん家の今日のご飯「サンマの蒲焼」

大戦終結から数年後、雨竜が大学三回生か四回生くらいのイメージです。
この話と微妙にですが繋がっています。

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 今年は去年よりサンマが安い。
 スーパーマーケットの鮮魚コーナーで、大学帰りの雨竜はポップに書かれた数字を見て足を止めた。
今日のようにまだ残暑の厳しい日はあれど、スーパーマーケットに並ぶ食材は着実に秋の訪れを告げていた。
 サンマは三枚に下ろして塩を振って焼くだけでも無論美味しいが、さてどうしたものか。台風一過の今日は汗ばむ程の陽気だったから、あまり秋らしいメニューにするのは何か違う気がする。
 とはいえサンマは食べたい。
 雨竜はしばし考え込む。最近父・竜弦は疲れ気味のようだし、食欲が無くても食べやすいメニューや食欲が湧きやすい味付けのメニューを考えた方がいいだろう。
 サンマ、味付け……となると。蒲焼か。
 サンマを甘辛く焼いて野菜の小鉢を二品ほど作り、主食は……ただの白米、というのは少し味気ないか。食欲がなくても食べやすいように出汁茶漬けにしよう。料理に掛けられる時間が今日は少ないからシンプルなメニューだが、疲れている時でも食べやすいと思う。
 よし、と雨竜はサンマを二尾ビニール袋に入れた。
 それから一通りの買い物を終えると、自宅ではなく実家へと向かう。
 初めは月に一度二度だった実家に帰宅して食事を作るイベントは、四年も経つと週一度以上の習慣となっていた。
 最初こそはろくな食生活を送っていない父の寿命をそんなどうしようもない理由で縮めてなるものかという使命感だったのだが、自分以外の誰かの為に食事を作るという行為が思いの外楽しく、昔はあんなに避けていた父との食事が楽しみになってしまっていた。
 実家は町の高級住宅街の一角を占める豪邸であるため内装も当然広々としており、台所も広い。おまけにここで食べる分に限っては材料費・光熱費・水道代は全て父持ちなのだ。そのため、料理のしやすさについては文句の付けようがない。
 台所と呼べる設備は二箇所ある。一つは日頃使っているダイニングに併設のカウンターキッチン。もう一つは、厨房と言った方がしっくりくる部屋の中。カウンターキッチンは自分が生まれると分かった頃に増設したもので、「厨房」の方は、自分が生まれる前に使用人が何人もいた頃の名残だという。今では全く使われておらず、少し勿体無いとは思うが基本的な料理をする程度であればカウンターキッチンで全て事足りてしまうのだった。
 帰宅したらカバンとジャケットはダイニングに置いてあるコートハンガーに掛けておく。
食材と調理器具を一通り調理台の上に並べたら自宅から持参したエプロンを着用し、袖をまくって手をよく洗い調理を始める。
 まずは米を二合、父の帰宅予定時間に合わせて炊く。
 おかずの用意は野菜の小鉢から。
 ほうれん草を色鮮やかになるまで茹でて、すぐに冷水でしめる。水を絞ったら五センチ程度の長さに切り揃え、タッパーの中に入れる。更にタッパーの中に作り置きしてあるだし汁に醤油を少し混ぜた調味液を浸る程度まで注ぎ、タッパーは蓋をして冷蔵庫の中へ。一時間ほどすればほうれん草のおひたしが完成する。これは食べる直前にすりごまと混ぜて簡単なごま和えにする。
 続いてきゅうりとキャベツを一口大に、人参を細切りにしてジップ付きの袋へ。塩、細切りにした昆布、香り付けの柚子の皮を入れ、中の空気を抜きながらジップを閉じる。袋をバットに入れて、その上に重石替わりにバットを上から重ねてこれも冷蔵庫の中。
それから今のうちにお茶漬け用に薬味を用意する。生姜と軽く火で炙った海苔を細切りにして、薬味皿の中に。ほうれん草と混ぜ合わせるごまもしっかりと力を入れて磨る。
 続いて肉・魚用のまな板と包丁を出して本日のメイン、サンマの用意に移る。
 サンマは三枚におろしてから、蒲焼にした時食べやすいよう半分に切る。それからペーパータオルで水気を取り、塩を振って臭み抜き。
 臭み抜きをしている間に蒲焼のタレを作る。醤油と砂糖とみりんを混ぜ合わせるだけなのでそう時間は掛からない。
 父の霊圧の方を伺ってみると、とうに退勤予定時刻は過ぎているはずなのだがまだ病院にいた。霊圧の揺らぎ方を見るに相当疲れているようだ。こういった日は初めてではないが、あの体力精神力が化け物じみている父がここまで疲れる病院勤務とは一体、と思わなくもない。父には多少ワーカホリックの気があるとは言え。
 炊飯器からはとっくに炊きたてのご飯のいい匂いがしている。
 この待っている時間も勿体無いからもう一品足そうか、でも多分そうしてしまうと向こうには量が多い、と悩み始めた所で父の霊圧が病院から移動を始めた。
 雨竜はすかさず冷蔵庫を開けて、ほうれん草と浅漬けを出す。ほうれん草は食べる分だけボウルに入れてから、さっとすりごまと和える。
 ほうれん草のごま和えを小鉢に入れて、そちらはもう食卓に並べておく。残った分は別のタッパーに詰め替えていつでも食べられるよう冷蔵庫の中へ。
 続いて鍋で出汁茶漬け用の出汁を温めるのと並行してサンマの蒲焼を焼き始める。
 表面に軽く小麦粉をはたいたサンマを、油を敷いたフライパンで焼き、ある程度火が通ったら蒲焼のタレをまずは半分、皮に照りが付いたらもう半分絡めていく。
 サンマをひっくり返すとじゅわ、という音と共にサンマの皮がタレと共に焼ける香ばしい匂いが台所に満ちた。これは間違いなく上手くいった、と雨竜は思わず笑みを浮かべる。
 出汁は沸騰する寸前まで温めたら火を止め、後は余熱に任せる。
 父の霊圧が自宅の駐車場に到着した。それとほぼ同時にサンマが焼き上がり雨竜はフライパンの火を止める。
 エプロンを着たまま小走りで玄関へ。ちょうど、玄関のドアが開いた。
「……ただいま」
「お帰り」
 いつの間にか当たり前になっていた挨拶を交わしながら、霊圧の揺らぎの割に父の足取りはしっかりしていることを確認して内心で胸を撫で下ろす。
「ご飯出来てるけど、食べられそうか?」
「ああ、食べる」
 帰宅に合わせて食事を用意すればだいたい竜弦は断らない。
 父が一度自室に向かうのを見届けてから、雨竜は台所に戻って急いで最後の仕上げ──盛り付けにかかる。
 少し大きめの茶碗にほかほかの白いご飯をよそい、熱い出汁をたっぷりとかけた。サンマは浅漬けと一緒に皿に乗せる。
 配膳を終えた頃に、ジャケットを脱ぎネクタイを外した父がダイニングに姿を見せた。
「随分疲れてるみたいだな、大きい手術でもあったのか」
「そんな所だ」
 コップに麦茶を注いで渡すと、竜弦は一息に飲み干す。
「今日が術日だった」
「そう……お疲れ様」
 雨竜がエプロンを脱いで食卓につくと、竜弦は手を合わせた。
「……いただきます」
「いただきます」
 雨竜はまずサンマの蒲焼に手を付けた。一口噛めば、程よくパリッと焼けた表面と甘辛いタレが柔らかい身と口の中でよく絡む。これはこれで美味しいが、胡椒か山椒を合わせてもきっと美味しくなる。蒲焼の味付けが濃いめなので、合わせている浅漬けの柚子の香りが爽やかで丁度いい。
 出汁茶漬けはまずご飯を生姜と共に一口。出汁汁を吸って柔らかくなったご飯と薄めにしてある出汁で体が芯から温まる中で生姜の食感とピリリとした風味が良いアクセントとなっている。続いてほうれん草の胡麻和えを乗せて食べてみても、胡麻とほうれん草の風味が出汁とよく馴染む。
 さて竜弦の反応は、と父の様子を見ると、頬が僅かに緩んでいた。ゆっくりだが止まらない箸も、感想を雄弁に語っている。よかった、と雨竜はひと安心する。
「ほうれん草と浅漬けは、冷蔵庫にまだ残ってるから。適当に食べてくれ」
「ああ、そうする」
 食べ終わるのは、いつも雨竜の方が少しだけ早い。
「ごちそうさま」
 だが雨竜は食卓を立たず、座ったまま食後の麦茶を飲む。
 家を出る前は食べるペースは同じくらいだったような気がする。母が亡くなって父を避けるようになって以降、食事を共にする回数は激減したし、母が元気だった頃も父の仕事が忙しくて共に食事をする機会は少なかったのだが。
 友人達と食事をした時に食べるペースの遅さを言われた事はあるが、その友人達と過ごす内に彼らと近いペースで食事をするようになって行ったのだろう、と雨竜は思う。
 竜弦が浅漬けの最後の一口を飲み込み、手を合わせた。
「ごちそうさまでした。美味かった」
「それはどうも」
 雨竜は立ち上がると二人分の食器を片付け始める。ここの家には食洗機があるので片付けが楽なのがいい。フライパンや鍋以外は軽く水で濯いで食洗機に入れて、洗剤をセットするだけでいいので大変に楽である。やや年代物なのでたまに変な音がするが。買い替えた方がいいのではないだろうか。
「今日は泊まっていかないのか」
「ああ、家でやる事があるから」
「そうか。勉強は進んでいるか」
「当たり前だろ」
 正直、勉強とアルバイトを併行しているとやらなければなら無い事が多すぎて忙殺されかけてはいるのだが。竜弦が雨竜の父親になったのは、確か今の雨竜と同じくらいの年頃の筈だ。昔母が言っていたところによると育児はかなり積極的に手伝ってくれていたらしい。学生だから育休なんてないだろうにいったいどういうタイムスケジュールで生活していたんだ、と雨竜は密かに若い頃の父親を尊敬せざるを得無くなっていた。
 鍋とフライパンを洗って水切りかごに置き、コンロ周りを水拭きすれば片付けは終わる。
 帰る前に少し一息、と立ったまま麦茶を飲んでいると竜弦がふと思い出したように口を開いた。
「そうだ雨竜、一つ聞きたいのだが」
「なに」
「お前、恋人だとかはいるのかいないのか」
「……?!」
 麦茶が若干気道に入って派手に噎せる。シンクにかがんで盛大に咳き込む雨竜を見て竜弦は首をかしげた。
「大丈夫か。で、いるのかいないのか」
「……っ、いない! なんで人がお茶飲んでる時に急にそんなこと聞いてくるんだあんた!」
 喋れるようになってから思い切り睨むと涼しい顔で「すまん」と返ってくる。
「いや、そろそろ誰かしらいてもおかしくないと思っただけだ」
 父の問の意図を考え、雨竜は一つため息をついた。自分が生まれた時の父の歳と自分の今の歳が近い事に思う所があるのは自分だけではない。
「……そんなに心配か?」
「ユーハバッハは死んだ。それでも奴に刻み付けられた『A』の刻印はお前の中に残っている。お前が滅却師として今後も生きる事を選ぶ以上、人間としての人生にも恐らく影響は出る」
 そんな刻印剥がせるものなら今すぐにでも剥がしたい、とその顔にははっきり書いてある。
「人間の恋人が出来たとして、相手にどこまで伝えるべきなのかは考える必要があるのだろうと思っているのだが……まだ気が早いか」
「……心配してくれてるのは分かるけど。僕は自分にそういった相手が出来るかどうかはまだ考えられない。一生独り身で生きる可能性もあると思ってるくらいだし」
「そうか。……それもまた選択肢だろうな」
「……孫の顔が見たいとか、あんたにもあるのか?」
「いや、特にない」
 竜弦はきっぱりと言って、麦茶のグラスを傾ける。
「お前の好きに生きるといい」
「……そうする」
 生まれてから人生の半分以上の期間において自由が許されず、ようやく手にした平穏な幸せは唐突に奪われ、復讐の為に生き続けてからようやく人間らしい人生を獲得した父の言葉は、ひどく堪えた。
 そしてその父に、自分が家庭を築く姿を見せられないかもしれないというのは少しだけ後ろめたかった。一生独り身で生きる可能性もある、というのは本心である。きっと父はそんな事気にしないし、ただ生きているだけで僥倖、と口には出さずとも思ってくれているのだろうが。
「……竜弦、来週は何が食べたい」
「ロールキャベツ」
「分かった、ロールキャベツだな」
 ロールキャベツは母がよく作っていた料理だ。忘れないようにと携帯電話のメモ帳に「来週 ロールキャベツ」と記しておく。
 仮に自分が家庭を持つ事が無かったとしても、今ある家庭を自分なりに大切にしたいと思えている。今はきっとそれで十分なはずだ。
「それじゃ、帰るから」
 上着を羽織ってカバンを肩に掛けると、竜弦が立ち上がった。雨竜が帰る時は、竜弦は門扉を閉めるためにと門まで送りに来る。門扉の鍵は雨竜も持っているのだが。
「あ、聞くの忘れてた。来週何曜日なら都合がいい?」
「月水木が日勤だ。月曜日は手術があるので遅くなる」
「分かった、じゃあ月曜か木曜に来る。決まったら連絡する」
 玄関を出て玄関ポーチを降り、前庭を抜ける。門扉を開けて振り向くと、門灯に照らされた父は僅かな笑みを浮かべていた。
「せいぜい帰りに虚に襲われないようにな」
「あんたもせいぜい不摂生で死なないようにな」
 憎まれ口の挨拶を交わして、門を出る。
「……それじゃ、また来週」
「……ああ、また」
 自分の住む地区に比べれば街灯の多い通りを歩く。
週に一、二度実家に帰って、父と自分二人分の夕食を作って食卓を共にする。傍から見れば奇妙に映るかもしれないが、互いに互いを避け続けていた数年前までと比べればだいぶましになったと思う。まだ父に対する何となくの苦手意識はあるから週に一、二度しか帰れていないのだが。
 それでもこれは、十年近い時間を掛けなければ手に入れる、否、取り戻す事が出来なかった時間であって。
 ──あの時間を愛おしいと思うから、僕はきっと来週もこの道を歩くのだろう。
 雨竜は微かに星が光る空を見上げて、笑みを零した。
 その笑顔は、見る者が見ればきっとこう言っただろう──笑った顔が親子でそっくりだ、と。

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衛〇さん家の今日のご飯の一挙放送を見ていたら無性に親子のこう言う話が書きたくなったので書きました。
シリアスな親子も書きたいですがこういう幸せな親子を書いている方が落ち着きます。

ちなみに〇宮ご飯はちらし寿司回とハンバーグ回が好きです