【1106】ただ一度の夜に

 11/05 23:27。
 携帯電話の液晶に表示されている数字を見て、雨竜は溜息を吐き出した。
 もう何度目になるか分からない極めて浅い眠りと覚醒を繰り返した挙句、雨竜は眠るのを諦めてベッドの上で大の字になった。
 そこまで寝付きが悪い自覚は無いが、どういう訳か今日は全く寝付く事が出来なかった。何か気が逸っているとか、興奮しているだとか、そういう事はなく。ただ、眠れないのだった。
 夕方に珍しく飲んだコーヒーのカフェインが変に強く効いてしまっているのかもしれない、と検討は付けてみるものの、それでどうにかなると言う訳では無い。
 カーテンの隙間から月明かりが薄く差し込む部屋の電気は付けずに、ぼんやりとベッドの上で天井を見詰める。
 ──明日の授業は何限からだったっけ。3限か。じゃあ多少遅くまで寝ても大丈夫か。
 ──他に予定は……ああそうだ、夜に竜弦に呼ばれてた。何でだっけ……。
 明日は何の日だったか、と少し考えた後。
 ──そうか。僕の誕生日か。
 どこか他人事のように思ってから、苦笑する。
 ──誕生日の前の夜に眠れないなんて、まるで子供じゃないか。
 あと30分もすれば、法律上「子供」ではなくなるというのに。あと1、2年もすれば18歳から成人として扱われるらしいが、そんな事は今はどうでもよく。
 ふと、少し散歩でもして体を動かそうか、と思い付く。そうすれば少しは眠れるかもしれない。それに、「子供」でいられる最後の時間を、夜の散歩をして過ごすのは奇妙に魅力的に思えて。
 夜に出歩く事自体は虚退治でよくあるし慣れているのだが、理由も無く夜の町を歩く事は滅多に無い。少しだけ悪い事をするような不可思議なスリルに心惹かれ、雨竜はベッドから体を起こした。
 パジャマから外を出歩ける程度の恰好に着替え、携帯電話と鍵だけを持つと雨竜はスニーカーを履いて静かにアパートの外へ出た。
 少し冷えた空気に包まれた静かな住宅街は虫の鳴き声以外の音は無く、虚の気配も無い。車くらいは走っているだろうと思っただけに、想像以上の静けさを意外に思いながら、雨竜は街灯の少ない道を歩く。
 パーカーでは少し寒かったか、と思いつつパーカーのファスナーを一番上まで上げた。吐く息は薄く白を帯びており、冬が近付いているのを感じる。
 11月、という月は秋から冬への過渡期だからか秋と言うには寒すぎて、けれど冬と言うには暖かい。暑いよりは寒い方が得意なので嫌いではないが、街路樹の葉が薄くなっていくのを見るといつも少しだけ物悲しくなる。もっとも、今住んでいる辺りの道には街路樹など植わっていないのだが。
 なんとなく、近所の公園まで足を運ぶ。ぼんやりと時計盤が光るモニュメントクロック、砂場、申し訳程度の遊具ととベンチくらいしか無い公園だが、日中であれば子供達が駆け回っている。しかし今は時たま居る不良グループの姿もなく、僅かな街灯にほのかに照らされるだけで静まり返っていた。
 みゃあ、と猫の鳴き声がしたので声の方向を振り向くと、闇に溶け込むようにして黒猫がベンチに座ってこちらを見ていた。銀色の双眸が夜の中に浮かび上がっている。
「夜一さん……ではないか」
 声が出かけるが、四楓院夜一の金色の目は黒猫に変化していても健在である事を思い出し、野良猫だろうとすぐに検討を付ける。
 近付いても猫は逃げる様子もなく、ふわりと大きく欠伸をするだけ。
 ──触ってもいいかな。
 普段であれば野良猫に触る事は無いのだが、夜の散歩に奇妙に高揚した心がそんな気を起こさせ、黒猫の隣に座る。
「ええと……撫でてみても?」
 一応聞いてみると、黒猫は尻尾をぱたぱたと動かした。承諾を得た、と思っていいのだろうか。雨竜は恐る恐る丸まった黒猫の背中を撫でてみる。黒猫は逃げることなく、目を閉じるのみ。
 ふわふわとした手触りと毛皮越しに感じる体温。自分が今撫でているのは生き物なのだという実感に、ふとむず痒くなるような熱くなるような感覚が胸の内に広がる。
「……君は逃げないんだね。人には慣れているのかな」
 ネコに餌をあげないでください、というあちこちの看板にもお構い無しで野良猫に餌をあげる人はいる。もしかしたら自分もその手合いだと思われているのかもしれない。
「ごめん、餌は持ってないんだ」
 謝りながら、猫の喜びそうな所を優しく撫でると、ごろごろ喉を鳴らした。可愛い。今度猫をデザインに取り入れた小物でも作ってみよう。
「……何をしている?」
「…………」
 この状況を一番見られたくない相手の声が聞こえて来た気がする。
 いや、多分気の所為だ……と思いたくとも、発達した霊圧知覚が気の所為では無い事を告げてくる。
 恐る恐る顔を上げる。気の所為では勿論なかった。夜の公園にぼんやり白く浮かび上がるように、ベンチから2mほど離れた所に男が1人立っている。今日はスーツの上から薄手のコートを羽織っているようだ。その名前が、引き攣った喉から辛うじて出て来た。
「……竜弦……」
「父親の名を呼び捨てにするなと……」
 はあ、と呆れたように溜息を吐き出してから竜弦は雨竜の顔と黒猫を交互に見た。
「質問を変えよう。こんな時間に、何をしている」
「……そんな事を言うために出て来たのか?」
「生憎、『まだ』お前は子供だ」
 竜弦が視線を公園の中心に立つ時計に向ける。時刻はアナログ盤で11時45分を指していた。
「子供が夜に1人で出歩くのを親が咎める事に何か問題でも?」
「だからってそれくらいで……いや、もういい」
 この父なら「それくらい」の事を言う為だけに出て来かねない。それはよく分かっている。
「……散歩だよ。眠れないんでね」
 黒猫から手を離すと、ぐいぐいと太股に顔を押し付けられた。懐かれてしまったようだ。竜弦はそれを見て眉を顰め、何か言いたそうにしたがそれは溜息となって表に出て来た。
「……眠れない、というのは?」
「別にどこか悪い訳じゃ無い。これで体か魂魄に異常を感じてたら散歩の前にあんたか浦原さんに電話してる。だいたいそういうのは僕よりあんたの方が気付きが早いくらいだろう」
 僕の霊圧は常時捕捉している癖に、と少しだけ言外に皮肉を込める。黒猫が膝に乗ってきたので、再度背中を撫でる。
「だいたい僕はもう子供じゃなくなるんだし自分の身は自分で守れる」
「どうだかな。少なくとも2度は守れていなかったと記憶しているが」
 すげなくそう返され、自分の身を守り切れずに竜弦に助けられた事が複数回ある雨竜はむっとしながら言葉を返す。
「あの時よりは強くなってる」
「さてどうだか──」
 竜弦が言葉を言い終える前に、ズドン、と砲撃にも似た重低音がと甲高い悲鳴夜の街に響いた。
 普通の人間には聞こえない音を聞いても尚、竜弦は涼しい顔をしている。その左手にはいつの間にか銀色の短い霊弓が握られ、その弓を真っ直ぐ真横へと向けており。雨竜もまた、右手に持った細弧雀を真っ直ぐ真横へ向けていた。
 音も無く2人に忍び寄った虚を、2人が一瞬の内に滅却させたのだ。
 雨竜の膝の上の黒猫は意に介せず微睡んでいる。
「……僕の方が早かった」
「馬鹿を言うな。射速は私の方が上だ」
「反応は僕の方が早い」
「青二才が私に張り合う気か?」
「そっちこそ体力が霊力について来なくなってるんじゃないか?」
「……言うようになったな」
「あんたから伝染ったんだろ」
 雨竜の言葉に竜弦は少しだけ苦い顔になった。自分の言葉が辛辣だという自覚があるなら僕相手の時くらいはやめればいいのに、と思いながら雨竜はまた猫を撫で始めた。
「……自分の身くらい自分で守れる」
 もう一度呟くように言うと、竜弦は渋々と言った様子で頷いた。
「……そのようだな」
 おや、と思って僅かに首を傾げると、竜弦が腕時計を見た。雨竜も釣られて公園の時計を見ると、2本の針は12を指そうとしていた。
 竜弦は何か意を決したように、雨竜に1歩近付いた。
「雨竜、一度しか言わないから聞け」
「何」
「……11年前の6月、私はお前が無事に成人を迎える事、あるいはそれを私自身が見届ける事は半ば絶望視していた」
 雨竜は目を見開いた。父が1人で重い物を背負い続けてきた事は知っている。だが、初めから始祖に対して確実に勝ちに行くつもりで自身の存在と切り札を隠し続けていたのだと思っていたばかりに、その告白は鈍器で頭を殴られたかのような衝撃だった。
「お前を死なせるくらいなら私が死ぬ、そのつもりでいた。誰が止めようとユーハバッハは刺し違えてでも殺す、と。……まさか、2人共が生き延びるとはな。どう転がるか分からんものだ」
「……そうだな」
 雨竜もまた、あの戦いで死を覚悟していた。それでも、自分を繋ぎ止めてくれたものが確かにあったからここに居る。そして父を繋ぎ止めようとした者も確かにいたのだろう、そう思って浮かんだのはあの日父の隣に立っていた死覇装だった。
 竜弦の言葉の重みを噛み締めていると、膝の上で黒猫が微睡みから目を覚ました。二、三度頭を撫でると、黒猫は雨竜の手の下をすり抜けてひらりとベンチから飛び降り、夜の静寂へと消えていった。
 竜弦はそれを目で追い掛け、どこかへ消えたのを見届けてから口を開いた。
「雨竜、お前が今生きているのは私が考えもしなかった時間だ。お前は私が何もしなくとも勝手に各所で縁を結び、勝手に強くなり、勝手に成長した。……それで良かったと、今は思う」
「……え……」
 自分は今、何か凄い事を、これまで1度も言われなかった事を父に言われている、言われようとしているのでは。そんな予感に、勝手に鼓動が早くなる。
 竜弦は雨竜の緊張など露知らず、ふっと表情を緩めた。
「お前が生まれて来た事、そして20年生きてくれた事。それだけで私には僥倖だ」
 何故だろう、父の声が少しだけ泣きそうに聞こえて来るのは。自分にとって圧倒的な強さと冷厳さの象徴である筈の父が、見た事も無い顔をして、聞いた事も無い事を語っている。
「……誕生日おめでとう、雨竜。生まれて来てくれて、生きてくれて、ありがとう」
 普段の父からは想像もつかない程穏やかな父の表情に、声にしばし呆気に取られたのち、雨竜ははっとして時計を見た。短針と長針は重なり合って天を向いていた。
 ──もしかしてこの人。
 ──本当は僕にこれを言うためにわざわざこんな時間に出て来たのでは……?
 照れと少しの嬉しさと困惑が綯い交ぜになり、顔がどんどん熱くなる。
 だが直ぐに、不思議なおかしさが込み上げて来た。なんて素直じゃないんだろう、と。
「……そんな事いちいちあんたに言われなくても、僕は今まで通り勝手に生きてやるよ」
 条件反射的に憎まれ口を叩いてしまうのが自分でも少しだけ口惜しい。
「でも……うん、ありがとう」
 それでも比較的素直に正直に感謝の言葉は言えるようになった。
「……ありがとう。僕の事を守ってくれて」
「私はお前を守る程の事はしていない」
「それでも僕を死なせない為に色々してきたんだろ。それを守ったって言うんだよ」
 やり方はどうかと思わなくもない点は数あるが。それでもこの不器用な父親は、息子である自分を守る為に戦っていたのだ。
 そのお陰もあるから、今ここにいる。
 竜弦小さく「そうか」と呟き、腕時計を見た。
「……そろそろ帰れ。明日も大学だろう」
「そうする」
「ああ、それと」
 ついでのように、竜弦はコートのポケットから小さな箱を取り出した。
「手を出せ」
「?」
 言われるままに手を出すと、布張りの箱が掌に置かれた。
「帰ってから開けろ」
「あ、ああ……ありがとう」
 誕生日プレゼントという事だろうか。何となく関係が改善してから毎年何かは貰っているのだが、流石に日付が変わった直後に渡されるのは初めてである。
「では、18時30分に病院前。忘れるな」
「分かってる。また後で」
 竜弦はくるりと踵を返し、瞬きをする間にどこかへ消えていった。飛簾脚でも使ったのだろう。
 僕も帰ろう、と雨竜はベンチから立ち上がると、元来た道を来た時のようにゆっくり戻って行った。

***

「な……なん……?!」
 帰宅後。照明の下で竜弦から渡された箱を見た雨竜は絶句していた。
 箱には、誰でも知っているような海外の超高級腕時計ブランドのロゴマークが箔押しされていたのだ。
 ──嘘だろ。
 ──こんなどう見たって高い物、あんな無造作にポケットに入れて深夜の公園で渡してくる奴があるか……?!
 震える手で箱を開ける。そこには、銀色に輝く1本の腕時計が収められていた。保証書も収められており、無論、どこからどう見ても新品。
 ひどい目眩を覚え、雨竜はこめかみを押さえた。
 誕生日に高級腕時計をくれるのは、まだ良い。もっと渡し方と場所を考えろ、と叫び出したい気分だった。
 夜会った時に絶対文句を言ってやろう。……まあ、それはそれとして、会いに行く時に一応着けて行ってやらなくもない。持っている服の合計額よりこの腕時計1つの方が高そうだが。
 なんだかどっと疲れて、雨竜はなんとかパジャマに着替えてベッドに倒れ込んだ。
 確かに、眠れない夜の散歩の効果は絶大だった。まさか最終的にこんな形で疲れる羽目になるとは思いもしなかったが。
 もうここから先は起きてから考えよう。
 雨竜は目を閉じ、あっさりと意識を手放す事に成功したのだった。

 ……そして、それからおよそ18時間後。
 父によって高級テーラーに連れて行かれた雨竜は再度絶句する事になるのだが、それはまた別の話。

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今日(2018年11月6日)が完結から2年経ってからの誕生日なので、もうこれは成人ネタで書くしかない……と思いました。
彼には健やかに素敵な大人になってほしいです。
それにしても原作完結済なのに今年は石田周りがあまりに怒涛だった気がしなくもないです。