DRAGON LEAPER – OP

 多分、これは俺が頑張ってもどうしようもなかった事なんだ。
 手の内でキューブ状プラスチックの小さなおもちゃを撫でながら、龍は自分にそう言い聞かせた。
 子供っぽい、無邪気、可愛い、などと形容されることは数あれど、木村龍とて二十歳を迎えている。自分に何が出来て何が出来ないのかの分別くらいは付く。
 けれど、分別が付くからこそ、自分ではどうしようもない事態に大して彼は人一倍の悔しさと遣る瀬無さを覚えてしまうのが木村龍という人間であった。
 そう、例えば今日のような。
 二〇一七年六月二五日。
 龍が一年半ほどイメージキャラクターを務めたバトルホビー「ドラゴンキューブ」の売上不振に伴う展開終了による、事実上最後となる公式イベントの最後の登壇を控えた楽屋で、龍は衣装と小道具の最終チェックを行っていた。
 ドラゴンキューブ、通称「ドラQ」は小さなルービックキューブにも似たプラスチックの立方体を転がすとドラゴンに変形する、というコンセプトで二〇一五年十二月から日本で売り出されているバトルホビーである。カードバトルと組み合わせた戦略バトルホビーとして売り出され、二〇一六年四月からは一年間、テレビアニメも放送される。
 そして龍は、「熱血ドラQファイター・リュウ」として、ドラQのイメージキャラクターを務めていた。
「木村さん、まだ時間はあるけど次が最後の出番です、大丈夫ですか?」
「プロデューサーさん」
 挨拶回りと会場視察に出ていたプロデューサーが戻って来たので顔を上げる。
「いつ来ても凄い人ですね、新世代ユニバースホビーフェアは……」
「昨日のもふもふえんスーパーステージも凄い人だったって橘から聞いたよ、俺も見たかったなー」
「あはは。木村さんにも見て欲しかったです、ビークロドラマの発表もあったし……でも、龍は今の仕事をちゃんとやり切らないとですからね」
 龍は「リュウ」として、二日間で合計六回ステージに登壇する事になっていた。「新世代ユニバースホビーフェア」のドラQブースに設置された特設ステージで最後の大会MCや子供達との対戦を行い、ほぼ丸一日動き通しである。自身が関わる事になるコンテンツであっても他のブースやステージを見る余裕など到底無い。それでもドラQに本気で向き合う子供達の姿を見ていると胸が熱くなるし、これまでのステージで沢山のパワーを貰ったと龍は感じていた。
 それでも、今日がリュウとしての最後の仕事なのだった。
「……なあプロデューサー」
「うん?」
「俺、ドラQの仕事出来て良かった。リュウとしては今日この後のステージが最後になるけど……沢山のパワーを貰えたし、ずっと楽しかった!」
「……そうですね」
「俺がもっと頑張ってれば、って思った事もあるけどさ……でも、俺がドラQの仕事を通して皆にパワーをあげて、俺も貰って……たぶん、俺に出来る事はそれで充分なんだ」
 ドラQは、ドラQを作り出した北米の玩具企業と日本の玩具企業がライセンス契約を結ぶ事で日本で商品展開されてきた。だが強力な競合コンテンツ達やアニメ放送とホビー実機販売の足並みが揃わなかった事などの様々な要因が重なり、売上は低迷。北米企業はドラQの日本撤退を決定した。
 そこに、龍の頑張りでどうにかなるような余地は見えない。
 龍はそれを理解していたし、プロデューサーもまた、龍の聡さを少し切なく思いながらもこの仕事に全力で取り組む彼をサポートし続けた。
「今日も最後まで、いつも通り全力で頑張るからさ!見ててくれよ、プロデューサー!」
「勿論です!」
 あと一回のステージも頑張るぞ、と意気込む龍を見て、プロデューサーは密かに胸を撫で下ろす。少し落ち込んではいるかもしれないが、それでも子供達の笑顔の為に前を見ている。それでこそアイドル木村龍だ、と。
 その時、コンコンと。小さな楽屋にノックの音が響いた。
「こんにちは、準備中の所申し訳ありません、ジョイファクトリー・ドラQ担当営業の但馬です」
 ドア越しの声に、プロデューサーは「今開けます!」と声を上げ、すぐに楽屋のドアを開けた。
 立っていたのは、細身のグレーのスーツをかっちりと着こなした三十半ばに見える男。どこか気の弱そうな表情をしているが、関係各所を説き伏せて龍をドラQのイメージキャラクターに抜擢した張本人。
 大手おもちゃ会社・ジョイファクトリーでドラQの営業を担当している但馬である。
「こんにちは但馬さん。本日もお疲れ様です」
「お疲れ様です!」
 龍も立ち上がり挨拶すると、但馬は「お疲れ様です」と頭を下げた。
「ああ、どうぞお座りになってください。お疲れでしょう」
「いいえ!まだまだ行けますよ!」
 胸を張ってみせると、但馬は嬉しそうに微笑んだ。
「さすが木村さんです。やはりあの時木村さんの起用を決めて良かったですよ。この手の仕事は本当に体力勝負なので」
「ありがとうございます、体力には自信ありますから!」
「ええ、本当に……このプロジェクトは、木村さんに支えていただいた所も大きいので。」
 しみじみと呟いてから、但馬ははっと顔を上げた。
「すみません、まだしんみりするのは良くないですね。次は大会の決勝です。決勝に進んだ2人とも、初期から大会に参加してくれた猛者ですから、是非木村さんの熱いMCで盛り上げていただければ」
「勿論です!任せてください!」
「ありがとうございます。……それでは、私はこれで。また大会の後にお会いしましょう」
「はい!」
 但馬は一礼すると部屋を出て行った。
 その背中にはどこか、疲れと哀愁に似たものが漂っている。
「……但馬さん、いつもより元気なかったなあ」
「そうですね……」
 やはり次で最後の大会という点が堪えているのかもしれない、とプロデューサーは思う。
 プロデューサーの目から見て、但馬はよく頑張っていた。それでも但馬の力ではどうにもならない事がドラQプロジェクトに多く降り掛かったのは事実である。それは但馬の実力不足やミスもあるし、但馬以外の関係者が原因でもあるし、外的要因もある。順風満帆に進むプロジェクトなど夢物語に等しいとは言え、ほとんど部外者であるプロデューサーが見てもドラQプロジェクトはあまりに多くの問題を抱えていた。それでも但馬はプロジェクトの責任者の一人として舵取りに奔走していた。ドラQを多くの子供達に届けようと、その熱意──事務所の社長であれば「パッション」と呼ぶであろうそれは十分に本物だったのだ。
 それだけに今のこの時間は辛いのかもしれない……プロデューサーがそう考える一方で、龍はぐっと拳を握った。
「よーし、次の決勝、絶対盛り上げて、皆を笑顔にしてみせるぞ……!来てくれる皆も、但馬さんも、ドラQに出会えて良かったって、思ってくれるように!」
「……ええ、頑張りましょう!私も応援してます!」
 自分が感傷に浸っている場合ではないのだ、とプロデューサーは気を引き締めた。
 きっとこの龍なら、そんな感傷も吹き飛ばすくらい皆を笑顔にしてくれる。
「では、私はまだご挨拶に伺う所があるので。ステージ直前には戻って来ます」
「ええっ、ステージまであと1時間もないよ?」
「先方もお忙しい方で、この時間でしかお会い出来ないんですよね……大丈夫です、楽屋エリア内でお会いする予定なので。木村さんは、英気を養っていてください」
「分かった!プロデューサーもお仕事頑張って!」
 プロデューサーが楽屋から去った後には、また龍が一人残された。
「……お前も今までありがとな。多分、皆の前でお前と遊ぶのはもう次が最後だな」
 龍は、ずっと手の内にいた己の愛機に声を掛けた。
 バーニング・ドラギオン[リュウカスタム]。「リュウ」の相棒である。ドラQプロジェクトの看板キャラでもある「バーニング・ドラギオン」の赤いボディを、リュウ仕様のオレンジに塗装した機体だ。
 ころん、とサイコロのように転がすと、キューブはカチャリと音を立てて翼を広げたドラゴンに変形した。
「やっぱりドラギオンはかっこいいな!」
 満面の笑顔を浮かべながら呟くと、ふと、肩が一気に軽くなったような感覚がした。
「……あれ?」
 それはまるで、アンコールが聞こえる中急いで衣装を脱いでライブTシャツを着た時に似た体の軽さで。
 思わず立ち上がる。テーブルの上から、ドラギオンの姿は消えていた。自分の腕を見る。リュウ衣装のリストバンドではなく、信玄がくれた防水で衝撃にも強い腕時計が巻かれていた。
「……なんで?!」
 自分がいる楽屋に変化はない。
 はっとして、大きな鏡を見る。鏡に映っていたのは、もうすぐ子供達の前に出る「リュウ」ではなく。Tシャツにジーンズの、私服姿の自分だった。
 テーブルの上にいつの間にか置いてあった250mlペットボトルの緑茶を手に取る。ペットボトルは開封済み。賞味期限を見ると、『2016.7.1』と書かれている。
「過去の日付……?!」
 楽屋に賞味期限切れペットボトルが置いてあるなど普通は有り得ない。そもそも自分が今日このブランドのペットボトル緑茶を飲んだ覚えすらない。
「今日飲んだのはスポドリと水……お弁当に付いてきたお茶は飲んだけどパックだったし……」
 ガチャ、と楽屋のドアが開くのが鏡越しに見えた。振り返るとプロデューサーが入って来た。
「お待たせしました、木村さん。今回のプロジェクトの担当営業の方がもうすぐ来ますのでしばらくお待ちを……」
「プロデューサーさん!」
「は、はい?」
 食いつく様に呼ばれて思わず肩を震わせるプロデューサー。
「ごっごめん、驚かせて……ねえ、今日って何月何日の何曜日?!」
「は、はい?ええと……二〇一五年の、六月二十八日、日曜日ですが」
「……にせん、じゅうごねん。本当に?」
「ええ……本当ですよ、どうかしましたか?」
 首を傾げるプロデューサー。とてもでは無いが嘘や冗談を言っている様には見えない。龍は首を横に振った。
「ううん、なんでもない。ごめん……」
「はあ……具合が悪いとかでしたら、すぐ言ってくださいね」
「うん、ありがとう」
 この時、龍の頭を一つの可能性が過ぎっていた。
 映画や漫画で見た事がある。もしかしたら自分は、タイムリープだとかタイムスリップだとか、とにかくそんな目に遭っているのではないか。
(でも不幸で時間を遡るとか、そんなことある……?!)
「木村さん、本当に大丈夫ですか?顔色が良くないようですが……」
「だっ大丈夫です!朝メシ食いすぎちゃって!」
「食べすぎは駄目ですよ、体調管理もアイドルの仕事のうちですから」
「気を付けますっ!」
 プロデューサーの言葉によれば、今は二〇一五年の初夏だという。龍はその頃の自分の仕事を思い出すうちに、ふと気が付いた。
(あれ?俺がドラQの仕事受けるのが決まったの、その頃じゃなかったっけ?)
 その頃はドラQは世間に発表すらされていなかった。龍とプロデューサーは「熱血ドラQファイター・リュウ」のキャラクター造形やデザインにも深く関わっていたのだが、この時期は確かドラQの仕事を受ける事を決めているか決めていないかの時期だ。
 そして、龍は今でもはっきり思い出せる。自分がドラQの仕事を受けようと思ったきっかけの出来事。それは……
「失礼します。木村龍さんとプロデューサーさんはいらっしゃいますか?」
「はい、少々お待ちください」
 プロデューサーが楽屋のドアを開ける。
 入って来たのは、スーツをかっちり着こなした三十歳程のビジネスマン。気弱そうな表情をしているが、ついさっき見た但馬と比べるとどことなく生気のある顔付きをしていた。
「木村さん、初めまして。私、現在計画進行中のホビープロジェクト『ドラゴンキューブ』の担当営業をしている、ジョイファクトリーの但馬と申します」
 名刺を受け取る。そこに記載されているのは間違いなく但馬本人の名前だ。
「木村龍、です!よろしくお願いします!」
 一礼すると、「勿論、存じ上げています」と嬉しそうな声。
「では早速ですが、本日の用件……の前に、新世代ユニバースホビーフェアの会場を一緒に見て回って頂きたいのです。恐らく、そうした方が簡単にお話が出来ると思いますので」
「は、はい!」
 但馬に先導され、楽屋エリアを抜け『新世代ユニバースホビーフェアの』本会場へ向かう。
(そうだ。俺がドラQの仕事を受けようと思ったきっかけは……)
 会場に近付くに連れ、ざわめきや音楽が壁越しに響き始める。そして但馬が本会場直結のスタッフ専用エリアへ続くドアを開けた瞬間、わっと音の洪水と子供達の歓声が耳に飛び込んできた。
 スタッフ専用エリアを抜けると、最初に飛び込んできたのは、展示場の高い天井まで上がったもふもふきんぐだむの人気キャラクター「アイツ」の巨大バルーン。
 広い会場内には色とりどりのいくつものブースが見える。玩具メーカーやゲーム企業の大きなロゴがブース壁面に掲示され、ブースにはたくさんの子供達とその親と思われる大人達。子供達の親ではなさそうな大人の姿もちらほらと見える。
「ようこそ、新世代ユニバースホビーフェアへ。こちらは、木村さんがオファーを受けていただいた場合、必ず登壇していただくことになるイベントです」
 その言葉に、龍は立ち尽くした。
 全く同じ言葉を、彼は体感時間で二年前に確かに聞いたのだ。
 そして、自分をドラQの仕事に誘ったのは、この後見る事になる、各ブースに集まる子供達の笑顔で。

(……俺、本当にタイムリープしたんだ……?)

 その瞬間から、木村龍の長い長い旅が始まった。

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続く予定です。