枯れない花を(ちあふゆ)

 昔の恩師に会いに行く予定が明日の午前に急に入ったので、手土産を買おうと学園近くにあるデパートに足を踏み入れると、最初に目に止まったのは入口近くのイベントスペース、アクセサリー売り場の卓上に並べられている桔梗の花を象ったアクセサリーの数々だった。
 近寄って見てみれば、樹脂だかプラスチックだかで作られた桔梗の花がペンダントトップやピアスに配されている。ハンドメイド作家の期間限定出店、と説明書きが卓の隅に置かれていた。
 桔梗。秋を代表する花だ。思えばもう暦は十一月も半ば。クリスマス商品が気の早い店に並び始めている頃合だが、まだ秋の気配の方が濃厚だ。そう言えば今年はなんだかんだであいつには毎年言っていた誕生日おめでとうの言葉すら言う機会も逃してしまっていた……などといった考えが脳裏をよぎり。
「……いや、待て。そうじゃない」
 冬沢は慌てて首を横に振ると、地下の専門店街へと足を向けた。
 そして三十分後。
 高級焼き菓子店の手提げバックを手に、冬沢はまたイベントスペースのアクセサリー売り場を前に佇んでいた。
 ──何をしているんだ、俺は。
 内心で自分自身に呆れ果てながらも、何気なく手近にあったヘアゴムを手に取る。
 ──そう言えば、あいつ髪を結ぶ時はいつも似たようなゴムだな……。
 当然、売り場の卓上に並べられているのはピアスやペンダント、ヘアゴムと言ったレディースのアクセサリー類である。だが桔梗の花を見るうちに思い出されるのは幼馴染の顔であり。そして今年は特にあいつに苦労をかけてしまったという後ろめたさがどうしてもあり。こういうのはあいつの柄じゃないだろう、と思いながらも、桔梗の花から目を離せなかった。
 やがて、この桔梗の花を髪に飾った幼馴染を見てみたいという欲求が頭をもたげ始める。ノーセンスと一蹴されてしまいそうだが、華やかだが気品ある桔梗の花はきっとあいつに良く似合う。
 俺はいよいよどうかしてしまったのか、と思いながらも冬沢は手に取ったヘアゴムを一度卓に戻して踵を返し、店の外に出ると上着のポケットからスマホを取り出した。
 電話帳から連絡先を呼び出し、発信。七コール。今日は出るまで少し長い。出た。
「冬沢だ」
『……南條ですけど。なんですか、急に。今日は土曜日ですよ』
 案の定、面倒臭いという南條の内心が既に言葉の端から滲んでいる。
「少し貴史の事で聞きたい事がある。聞けそうな人間が手近にお前くらいしかいないのでね」
『ええー……俺的にはもっと誰かいるだろって思いますけどね……?』
「そうかもしれないな、だがお前に聞きたい」
『冬沢さんが俺と話したがってるのはまあ別にいいんですけど、それで千秋さんダシに使うのそろそろやめません?』
 南條の言葉は何から何まで図星なのだが、冬沢は気にせず本題に切り込む事にした。
「貴史に贈りたい物があるんだが。男が男にヘアアクセサリーを贈るのは、どうだと思う」
 返って来たのは僅かな沈黙。そして、苦笑混じりの言葉。
『別にいいんじゃないですか、冬沢さんが選んでくれた物を無下にできるほど千秋さんは冷たくないし。それに冬沢さんなら変な物も選ばないでしょ……あ、もしかして自分のセンスに自信が無いとかですか』
「いや、今俺が見ている物はそう悪趣味な物ではないよ。レディース用だから男が使うには尻込みするかもしれないが純粋に作りがいい。それに貴史の顔と体型ならばワンポイントとしてレディースのアクセサリーを取り入れてもアクセントとして上手くはまるだろうと思っている。俺が気にしているのはそれを貰った時の貴史の心境の話だ」
『……あー、なるほど。はい。ご馳走様でした。つまり、冬沢さんが自信満々で選んだ物をあげてもそれで千秋さんが喜ぶとは限らないから不安だと。そういう事ですか』
 冬の気配を帯びた冷たい風が急に強く吹き付ける。屋内にいた方が良かったか、と僅かに後悔しながら冬沢は頷いた。
「そうだ」
『……冬沢さん、俺が人にプレゼントなんてほとんどあげない人間なの知ってますよね?』
「……そう言えばそうだな」
『本当になんで俺に聞いたんですか。……ま、プレゼントは気持ちが大事とは言いますけどね。冬沢さんが千秋さんの為に選んだんなら千秋さんはそれを無下にしない人だし、何をあげようと驚きはすると思いますけど……余程変な物でもなければ嬉しいんじゃないですか。さっきも言いましたけど』
 ちなみに俺的には、と南條は、あの食えない笑顔が目に浮かぶような声で続ける。
『そもそも服飾品を人にあげること自体ハードル高いって思いますけど。冬沢さんが千秋さんのために選ぶんなら別に平気でしょう』
「……そうか」
 この後輩の目にそう見えているのであれば、少しは自信を持ってもいい気がしてきた。南條の人を見る目は確かだ。
「ありがとう。今度何か奢ろう」
『ははは。余計な貸しを押し付けられそうなので遠慮しておきます』
 後輩の態度は相変わらずつれないが、相談にそれなりに真剣に乗ってくれただけ、今日は機嫌が良かったのだろう。
「では切るよ、土曜日だというのにすまなかった」
『全くですよ』
「それではまた」
 電話を切る。
 気が付けば体温は冷たい風にすっかり奪われていた。冬沢は少し早足で、また店の中へと足を踏み入れた。

***

「邪魔するよ」
「おう……どうした急に」
 月曜日の朝、執務室のドアを叩いたのは仏頂面をした幼馴染だった。いつも体温の低そうな顔が今日はいつにも増して顔色が悪く見える。
「少し話をしたい」
「別にいいけどよ」
 部屋に招き入れる。ドアを閉めると手首を掴まれた。ぐい、と強い勢いで引っ張られて驚きの声を上げる間もなく執務室のチェアに座らされる。
「お前急になに、」
「座ってろ動くな。この部屋にブラシと櫛はあるか」
 抗議の声を上げるも無視される。こうなると話聞かねえよなあ、まあ俺だけだからいいか、と千秋は諦めてデスクに備え付けのキャビネットを指さした。
「……そこの抽斗の中だ。上から二段目」
「借りるよ」
 冬沢は抽斗からブラシと櫛を取り出すと、デスクの上に綺麗に並べた。
「……何する気だ」
「すぐに分かる」
 長い指が千秋の髪に触れる。おい、と声を上げかけた時にはもうその指はするすると結んだ髪を解いていた。パサリ、と髪が無造作に肩や背中に落ちる。
 いよいよなんなんだこの状況は、と千秋が困惑するのも意に介せずに冬沢は解いた髪を手ぐしで整える。指が髪を梳く感覚がやけに心地良い。
「髪のメンテナンスは随分きちんとしているようだな」
「……そりゃな」
 手ぐしをやめて冬沢は手にブラシを持つと、丁寧に髪にブラシを掛けていく。
「……お前随分髪の手入れ上手いな」
「身嗜みを整えるためだ、役者として当然だろう」
 それはそうなのだが、自分になるのと他人にやるのとでは随分勝手が違うのではないだろうか。
 しばし、ブラシと髪の擦れる音だけが静かな執務室に響く。その静かな音に意識がゆっくり上昇していくような眠気を誘われながら、千秋はどうにか意識を保つ。いつの間にか、冬沢の手はブラシから櫛に持ち替えられていた。
「……こんなものか」
 やがて冬沢は小さく呟くと、櫛をデスクに置いた。
「貴史、少し目を閉じていてくれないか」
「なんで」
「いいから」
 まあ悪いようにはしないだろうと千秋は目を閉じた。
 冬沢の手が髪をすくい上げて一つに纏めて行く。いつもの位置に髪が集められ、結ばれる。目を閉じていても分かる冬沢の行為にますます困惑する。
「……よし、これでいいだろう。目を開けろ」
 目を開けると、髪が少しだけいつもより重い事に気付いた。それが何なのか確認する前に冬沢に手を引かれ、姿見の前に立たされる。
 自分の全身が姿見に映し出され、真っ先に目に入ったのは。
「……もしかしてこれか?お前がわざわざ来たの」
「……そうだ」
 いつもと同じ髪型のいつもと同じ結び目に、桔梗の花が二輪咲いていた。本物の桔梗の花より小ぶりだが、いつものシンプルな髪ゴムと比べれば確かな存在感がある。
「お前に似合うと思ったから買ってきたんだが。……ああ、やっぱりよく似合うな」
 冬沢は姿見と千秋本人を交互に見た後、淡い笑みを浮かべて頷いた。
「……今年は何かとお前に迷惑を掛けたからな。詫びの印と、遅い誕生日祝いだと思って受け取って欲しい」
「別に迷惑なんて思ってねーよ。……ま、詫びの印が誕生日祝いの花飾りってのは流石に驚いたけどな」
 明らかに女物の髪飾りなので驚きはしたが、ああ心底嬉しそうな顔をされては悪い気はしない。
 冬沢が気にしているのであろう事も、千秋にとっては後悔のない選択だ。それを迷惑と思う筈もない。
 ……そして千秋としては、冬沢が自分の為に選んだというそれだけで、この花飾りにひどく得難い価値があった。
「俺はこういうの自分じゃ着けないからな。こういうのもいいな」
「せっかく髪が長いんだ、少しくらい飾り気を出してもいいんじゃないか。あまり華美になられては華桜会メンバーとして自覚に欠けるようで困るが」
「はいはい。……ま、せっかくだし今日これで過ごしてみるわ。ありがとな」
 千秋が姿見の前から離れて櫛とブラシを片付けながら言うと、冬沢は渋い顔を浮かべた。
「……今日一日。ああ、いや、いいんだが」
「どうしたんだよ歯切れ悪いな」
「……。……もしかして授業も」
「別に先生もなんも言わねーだろ、これくらい。その辺の校則自体は緩いし」
 しばし、冬沢は沈思黙考した後。
「……やっぱり外せ、それ」
「はあ?!今更めんどくせぇ……!」
「矢鱈に詮索されたり勝手に変な噂が流れる方が面倒だ」
「俺がお前から貰ったって言わなければ済むだろそれくらい」
「どうせそのうち広まるんだ……南條あたりから……!」
「お前いい加減コウちゃんと仲直りしろ!!」
 ……などと言った押し問答の末、「当分の間平日はいつもの髪ゴム、桔梗を飾るのは一般生徒の少ない土日」という着地点を二人が見出すまでにおよそ十分掛かったのであった。

 冬沢が出て行った千秋の執務室。
 千秋は窓の光に桔梗を翳した。僅かに光が透けた桔梗は淡く発光しているように見えた。
 翳す角度を何度も変えながら、千秋は呟いた。
「冬の花……なんか調べとくか」

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ちあふゆにはなんやかんやでなんとかなって欲しいなあと思いながら書きました