大概お前のこと言えない(ちあふゆ)

「貴史、明日空いているか」
「ん?なんだよ急に」
 授業もホームルームも終え、オレがいつも通りに華桜館に向かおうとした時、同じくこれから華桜館に向かうところであろう亮がわざわざ席までやって来た。
 やや気難しそうに腕を組んではいるがこれは個人的な恥から言い出し辛い事を言おうとしている時によくやる仕草だ。
 明日……は土曜だから授業はない。
 なんかオレでなきゃ駄目な用事でもあんのか、と面倒事への忌避感より少しの胸の高鳴りが勝るのを感じながらオレは肩を竦めた。
「別に空いてるけど、どうした」
「ホラー映画を見たいんだが、俺の家まで来て一緒に見てくれないか」
「ホラー映画……?」
 ホラー映画。こいつが、ホラー映画を。
 あまりに突拍子もない用事だったので思わず聞き返す。亮は神妙な顔で頷いた。
「辰己から、ホラー映画を何本か勧められた」
「はあ」
「少し興味を持ったので、見てみようとは思ったのだが」
「見ればいいじゃねえか」
「俺はホラー映画を見た事がない」
「……あー」
 ホラーは、その気になればいくらでも映画という娯楽芸術に触れられるこの時代この国でも、見ようと思わなければなかなか見る機会のないジャンルである。映画館ではPG12やR15指定、配信やレンタルもホラー映画をわざわざ選ばなければ見る機会もない、週末にテレビ放送される映画でもそうそうやらない。
 おまけに亮は温室育ちと言えば温室育ちで人生の半分以上を舞台芸術に費やしている。ホラー映画を見た事がないと言われても、納得するしかなかった。
 つまり未知の物に一人で触るのにどうしても怖気付いてしまうから、幼馴染のオレを道連れにしようと。なるほど。四季や辰己の前でカッコ悪いとこ見せたくないもんなあお前、と意地悪な思考が脳裏を掠めるが言わないでおく。
「まあ、教養として有名所のホラー映画が必要になる事もあるしな。お前も通っていいジャンルだと思うぜ、付き合う」
「……そうか。助かる」
 助かるって。
 もしかしてそんなに一人で見たくないのかお前。
「お前はあるのか、ホラー映画を見た事が」
「まあな」
「……そうか……」
 なんでそこで若干むくれるんだよ。
 とは言えオレもそんなに沢山見ているわけじゃない。
「辰己から勧められたホラー映画って何本くらいだ?一日かけるつもりなら二本は見れるんじゃね」
「いや。五本ほど勧めてもらったんだが、最初は巨匠の撮ったものを、と言われた。まずそれを一本見ようと思う」
「分かった。じゃあ午後からお前ん家でいいな?」
「ああ。待っているよ」
 そう言って薄い笑みを浮かべた時の亮の顔は少し安心しているようにも見えて、こいつ可愛いとこあるよなとか不覚にも思ってしまった。
 ……で、それが約二十四時間前の話。
 今、映画一本見終えた亮はソファにうつ伏せになってクッションに突っ伏していた。
「おーい亮、大丈夫か」
「…………」
 答えはない。相当に弱っている。
 淹れてやった温かいジャスミン茶を注いだ湯のみをソファの前のローテーブルに置いてやると、亮がのろのろと首を回して俺を見た。
「聞いていない……血があんな大量に……」
「ああうん、そうだな、俺もちょっと驚いたけどな……」
 こいつが肉を食べないのはまず健康上の理由だ。そしてそれに合わせて、生の血と肉が、生理的に駄目だ。中学の生物の授業で教科書のカエルの解剖写真を見る時に目の焦点が合っていなかった程度には、駄目だ。
 まあホラー映画見る気を起こしたって事はいつの間にか克服したんじゃねえかなとか多少我慢出来るくらいにはなったんじゃねえかなとか気楽に捉えていたが、エンドロールが終わった瞬間にバタンとクッションに突っ伏してソファに倒れ込む程度にはまだ駄目だったという事だ。
 ……まあこいつの事だから自分が血が駄目なのは一応理解した上でそれでも大丈夫だろうと思っていたとかだろう。その辺割と見切り発車でやるからなこいつ。
 亮はのろのろと体を起こすと、湯呑みをそっと手にしてひと口啜る。ほうと息を吐き出して、湯呑みをテーブルに戻して口元に手をやった。
「演出、役者の演技、脚本はどれも素晴らしかった……名作として挙げられるのも頷ける……だが血が」
「そうだな、巨匠が撮っただけの事はあるって思ったが……お前血が駄目でホラー映画見れるのかよ。辰己に勧められたのまだあるんだろ」
 今見た映画は確かに一度に出てくる血の量は凄いのだが、オレが見た事のあるホラー映画もこれくらいの血は出ていた、気がする。それに演出としての血の雨だとか血の海だとかを使うホラー映画は割とざらだろう、多分。
 とにかく、この映画の血の量でこのザマじゃ他の映画を見るのは到底無理なのではないか。
 オレが勝手にそう考えていると、亮は「いいや」と首を横に振った。
「辰己の選んだ映画に恐らく間違いはないからなるべく見ておきたい。この映画も血以外はとても良かった」
「その血が駄目なんだろお前……」
「……そこで思ったんだが」
 亮が目を細め、鋭い目で俺を射抜いた。
 嫌な予感がする。と同時に、少し良い予感もする。どっちだよ。
「お前、二週間に一回程度でいい。一緒に見てくれ」
「……え、ええー……」
 お前それ、自分がぶっ倒れても俺がいれば面倒見てもらえるからとか、どんなに怖いのに当たってもオレを道連れに出来るからとか、そういう事だろ。お前。ちょっと横暴すぎないかそれ。
 それでも向こうから付けてくれやがった雑な口実で週末一緒にいられる事への嬉しさだとか、それならこいつのために飯を作ってやるのも悪くないななんて楽しみだとか、他の誰にも見せない弱った顔がオレだけに向けられている事へのほんの少し──いや結構あるかもしれない愉悦だとか、そういう諸々がどうしようもないくらい俺の中では大きくて。
 でもそれはどうしようもないくらい悔しいのだ。ようやく少し歩み寄れるようになったとは言えまだこいつが嫌いという思いは消えてない。それでもその嫌いより大きくなり始めている、俺はどうやらこいつの事を相当に好きらしいという自覚が。
 だから、オレはわざと深深と溜息をつく。
「……分かったよ」
 亮の顔色がぱっと明るくなる。
 ああうん、ほんと分かりやすいなお前は。
 そしてその顔を見て簡単に絆されてしまうんだから、オレも大概分かりやすい奴なのだ。

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ちなみに辰己が最初に勧めた映画は「シャイニング」です。