【20191025】本当のプレゼントはきっと

 ずっと、言えなかった言葉がある。
 毎年同じ日に言おうとして、結局言えなくてしまい込んでいた言葉。言いたかったのに言うのをやめていた言葉。
 だってお前は、俺の事が嫌いだろうから。言われたところで大して嬉しくもないだろうし、撥ね付けられて終わりだろうから。
 言わなかったのは結局俺の決断なのにとりあえずまとめてお前のせいにした。早く言っておけば良かった。そうすれば、何かが今とは変わっていたかもしれない。もう少し早くにお前の温かさに触れられていたかもしれない。あいつの思いを知った今となってはそれら全てが後悔になる。
 だが、今更過去の出来事を思い出して後悔して考えてもそんなのは無駄中の無駄で。
 現に、今年のその日はもう来ているのだから。
 だから、今年こそは。

 ──そう、今日のために用意したリボンの掛けられたプレゼントの箱を手に自分の部屋で強く意気込んでいたのが朝7時頃の話で。
「悪いな、騒がしい家で」
 現在夜9時半。
 俺はどういう訳か、貴史の実家で開催された貴史の誕生日パーティに呼ばれ。そのまま貴史の部屋に泊まっていくことになっていた。
 もう下の子達は就寝しており、朝が早いおじさんおばさんも眠っている。部屋には来客用の布団が置いてある。この家で起きているのは俺達だけだ。
「いや、あの子達に会って一緒に遊ぶのは久しぶりだったから、楽しかったよ」
 口ではそう言うし本心ではあるのだが、それにしたって何故俺は祝おうとした相手からもてなされているのだろう。
 ……とは言え、うちに来てそのまま泊まって行かないかと言われたのはそもそもここに来る前、プレゼントを渡した時。つまり朝だ。俺はそれを承諾して、放課後一度自分の家で宿泊用の一式を揃えてから貴史の家に来ている。
 家族ぐるみの付き合いだから千秋家の人達とは顔馴染みであるし、泊まるというのも……貴史の家だし、明日は土曜日だから良いだろうと思った。その時点で俺は貴史にもてなされるという意識はまるで無かった。少し考えれば分かる事だというのに。
 こいつは根本的にもてなしたがりで、世話したがりなのだ。自分の誕生日パーティでもそれは変わらず、今日の為の豪勢な料理から俺の為に肉を除いて取り分けてくれたし、食後のケーキのクッキーのプレートは割って弟達に分けていた。
 本当に、自分の誕生日だって言うのにどこまでも利他的で献身的な奴。それをまざまざと見せつけられるようで、胸が少しざわつく。
 だからこそ、貴史から俺にわざわざ泊まって欲しいと言ってきたその誘いを断らなくて良かったという思いは強くなった。
「お前、ココア飲めたっけ?」
「?ああ……お湯で作るなら」
「まだ寝ないだろ。9時回ってるけど、飲むか?」
「……お前も飲むならね」
「それじゃ入れてくる」
 貴史が部屋から出るので、慌てて追い掛けた。
「いいから部屋で座ってろって」
「自分で飲む分は自分で入れる」
 貴史の部屋がある2階から1階への階段を下りながら、小さな声で言葉を交わす。
 キッチンに入ると貴史は戸棚からココアの缶を出し、ヤカンで湯を沸かし始めた。
「これお前の分な」
 マグカップを渡されたので、ココアの粉を分量より少し少なめにマグカップの中に入れる。
 ヤカンがシュンシュン音を立て始めた頃、貴史がぼそりと呟いた。
「……マシュマロあるけど入れるか?」
「……入れない」
 それは流石に。夜9時半、動物性タンパク質、糖分。ただでさえココアを飲もうとしているのにマシュマロなんて入れたら。……横でそんなに悩まれても俺は絶対に入れないからな。
 ヤカンが汽笛を鳴らした。
 結局貴史もココアにマシュマロは入れる事なく、ココアの粉にお湯を注いだだけのシンプルなココアが入ったマグカップをそれぞれに持って貴史の部屋へ戻った。
 折り畳み式の小さなテーブルを挟んで向かい合い、ひと口ふた口と熱いココアを飲む。冬に向けて気温が下がり始めた季節だが暖房を付けるほどでもなく、それでも部屋の中は少し肌寒い。喉元を過ぎていく熱いココアが芯から体を温めてくれるようだった。普段であればこんな時間にココアなんて飲まないが、今日は飲む事にして正解だった。少しだけ空気に流されているのかもしれないが。
 落ち着いた所で、本題に切り込む。
「それで、どうして俺に泊まって欲しいなんて言ったんだ?」
「……やっぱ気になるか」
「当たり前だろう」
 だよなあ、と貴史は深々と溜息を吐き出してから口元に手を当てる。それからしばし沈黙が続いた後。
「……嬉しかったんだよな、多分。それで舞い上がっちまった」
「嬉しかった、とは」
「……お前が朝イチで誕生日おめでとうって言いに来た事。何年ぶりとかだろ」
 手で顔を隠している貴史の耳が赤い。
 釣られてこちらの頬まで熱くなってきそうだ。どうしてくれる。
 いや、こちらも顔を赤くしている場合ではないのだ、言って良かったとか喜んでくれて良かったとか押し寄せてくる感情はあの朝の時間から俺の方にも確かにあるしそれで胸がいっぱいになりかけているのだが、その前に聞いておかないといけない事があるような気がする。
「それで、嬉しかったから『泊まって行かないか』になるのかお前は……?」
「うるせえ自分でも飛躍しすぎてノーセンスだって思ってるよ!言っとくけどお前相手じゃねえとそこまでは飛ばねえからな!」
 なるほど。……なるほど。
 困った事にどんどん体温が上がっていく。これはココアのせいなのか、目の前で勝手に顔を赤くしているやつのせいなのか。
 いや、本当はきっとそう恥ずかしがる事もおかしな事もない。昔は貴史の家に泊まった事もある。また少しずつ昔のように、ただの友達のようにと思っていたしあの誕生日プレゼントもそういう事だ。そしてそれを、舞い上がるほど嬉しかったと言われて、……俺の方まで、舞い上がるほど嬉しくなってしまっている。
 それにどう整理を付けるべきか分からず、ただただ頷く。
「そう、か。分かった、そうか……」
「……お前顔真っ赤だぞ」
「うるさい」
 先に顔を真っ赤にしていたのはそっちだろう。 
「……貴史」
「……なんだよ」
「それならお前は、あの時俺と誕生日を過ごしたいと、そんなに思ってくれたのか」
「……まあ、昔みたいに互いの家泊まって遅くまでくだらないお喋りとかしてえなとは、前からちょっと。今更そんな、ガキみてえだけどな。……誕生日は、丁度いい口実っつーか……舞い上がって勢いついたっつーか……」
 どんどんしどろもどろになっていく貴史が随分可愛く見えてきた。歳を重ねると共に随分押強くなっていくものだと思っていたが、こういう所は変わっていない。大人しくて少し引っ込み思案な小さい貴史がまだそこにいた。
 少しだけ、からかってやりたくなってきた。
「なら俺の方から誕生日おめでとうを言わなかったら一生泊まりに誘えなかっただろうな、貴史。感謝しろ」
「決めつけんな?!……まあ、そうかもしれねえけど!」
 それでもお前が俺に気持ちを伝えてくれたから、俺はお前にようやく言えたんだよ。「誕生日おめでとう」と、たったそれだけの、でも年に1度しか言えない、ずっと言えなかった言葉を。
 そんな素直な言葉を告げればこちらも更に顔を赤くする羽目になるのが目に見えているから奥にしまう。貴史の顔を見れば、手で隠しきれていない目尻が少ししまりなく緩んでいた。だがふと、その目が細くなる。
「……なあ亮」
「どうした、貴史」
「お前のせいで勢いついちまったからまだ言いたいことあんだけど」
「俺のせいにするな」
「……だよな」
 貴史は手で顔を隠すのをやめると、表情を引き締めた。
 その精悍な顔付きに、心臓がどくんと鳴った。
 心の距離は遠くともずっと近くにいたと思っていた貴史の初めて見る表情に、身体中の筋肉が強ばっている。痛い程鳴り始めた心臓が締め付けられるような心地がする。背中を汗が伝い、唾を飲み込む。板の上に立つ時だってこんなに緊張しない。
 ただ、貴史からの言葉を待つ。
 そしてしばしの沈黙の後、貴史は口を開く。
「……嫌だったら嫌って言えよ」
「ああ」
 貴史の緋を帯びた目が真っ直ぐに俺を見た。
「お前の事が好きだ」
 脳の機能が強い衝撃で無理矢理に停止させられたような心地がして、言葉を失う。その言葉を呑み込むのには少し時間がかかった。
 それだのに体温はまた上昇していくばかりで。
「……というと」
 どの好きなんだ、それは。自分がどんな答えを求めているのかも分からずに尋ねると、貴史は俺から目をそらさずに、だが苦しそうに、絞り出すような声で言った。
「……恋愛対象として、好きだ」
 心臓の音がうるさい。
 恋愛対象として?友達としてではなく?
 喉が震える。動揺を悟られまいと、テーブルの下で拳を握る。
「いつからだ、それは」
「……朝、気付いた。けど……多分、本当はすげえ前から。自覚したのが、朝」
 朝。……朝?!
「自覚したその日に告白してくる奴があるか……?!」
 思った時には言葉に出ていた。
「普通、もう少し置くだろう……時間を」
 中等部の頃、幾度となく女子生徒から告白された事がある。『ずっと前から好きでした』、『どこどこでお見かけした時から好きでした』、それらが主な定型文。全て角が立たないように断ったが、俺に思いを寄せている女子生徒の多くが、俺を好きになってから告白するまでに長かれ短かれ時間を置いていた。
 当時は酷くうんざりしていたものだが、ついさっき恋愛対象として自覚したと目の前の幼馴染に言われてはどうしてもあの頃の事を思い出してしまう。思いを自覚してから告白するまでは少しは時間を置くものだろうと。そう思ってしまう。だがそれを1番理解しているのは貴史の方らしく、頭を抱えていた。
「だから言っただろ勢いついちまったせいだって!」
「っ……勢いで告白するな!もう少し考えてから言ってくれ!」
 貴史は今朝、俺を好きだと自覚した。だから今、告白した。どういうスピード感なんだそれは、とどうでもいいような事を気にする事でどうにか平静を保つ。
 だってこんなにも体温が熱い。心臓が鳴って、身体中にざわめきのような波が広がっている。こんな感覚知らない。
 貴史は自分でもやってしまったと思っているのかなんなのか、頭を抱えたまま唸っている。俺を置いて1人で混乱するんじゃない。
「……悪かったほんと……驚いたよな……」
 だが苦しそうなその言葉を聞いた瞬間、すっと身体中の熱が引いた。
「……謝るな」
 次いで、別の熱が奥底から湧き上がってくる。
 その熱は先までのような思考を奪うような物ではない。思考が澄んでいくのを感じながら、俺は真っ直ぐ貴史を見た。
「俺の気持ちを勝手に推し量って勝手に落ち込むな、嫌だとは一言も言っていない」
 驚いたのは事実とは言え。
 そう、俺は貴史の告白を聞いて嫌だとは思わなかった。友達として以上の対象として見られていた事に困惑しながらも、そこに嫌悪だとかは全く存在しなかった。それだけは誓って嘘ではないと言えた。
 ……それなのに、嫌なのだろうと一方的に思われていた事に、少しだけ怒りを覚えた。
 貴史がそろそろと顔を上げる。
 その瞳の中には困惑と僅かな恐怖がない混ぜになっている。それでようやく得心がいった。
「……結局怖いんだろう、告白して俺に拒絶されるのが」
「……」
 貴史は目を見開いてしばし黙り込んだ後、深々と息を吐き出した。
「お見通しかよ」
「随分浅く見られた物だね、俺も」
 もう少し俺を信じてくれても良かっただろう、と身勝手な事を思って胸が火で炙られるようにじりじり痛む。貴史の事を信じる事も見る事も無かった俺が今更何を考えているのやら。
 貴史が俺をずっと見ている事に気付いたら気付いたで、信じて欲しいだなんて。虫が良すぎるだろう。
 それなのに貴史は、悪い、ともう1度謝る。
「……ようやくただのダチに戻れそうだってのに、お前が好きだって思いの方がデカい事に気付いちまったからな。そしたらすげえ怖くなったよ、オレから全部ぶち壊すみたいでさ」
「それでも、俺が好きだから勢いでその恐怖を全部飛び越えてしまったんだろ。……たった1日足らずで」
 俺が好きだと気付いて、その事に恐怖を抱いて、でもそれを一度に飛び越えて告白までして、我に返ってまた怖くなって。
 日頃の飄々とした振る舞いからはまるで想像も付かないであろう滅茶苦茶な感情の起伏だが、昔から貴史はこうだったな、と少し懐かしさを覚える。
 大人しいようで時々思いがけない大胆な事をして、後になってそれを悩み始める。とても強いように見えて実の所繊細で、それでも折れないだけの強さがあって。
 ……そんな貴史を、俺は長い事傷付けてきた。その分、今の貴史の強さとも脆さとも正面から向き合いたかった。
「お前が俺を見ているように俺がお前を見るようになるかどうかは分からない。それでも、嫌ではないから……いつか、俺のお前に対する思いも変わるかもしれない」
 貴史は狐につままれたような顔になっている。だが俺も他に答えようがない。
 だから今は、取り繕わずに想いを伝える事しか出来ない。
「お前の想いを拒絶はしない。したくない。でも、受け入れる準備が俺はまだ出来ていない。……だから、少し準備をさせて欲しい。もしくは、本気で受け入れて欲しいなら受け入れる手伝いをしろ」
「受け入れる準備……手伝い、ってのは」
 貴史は怪訝な顔で聞き返してきた。やはり直接的に言わないと伝わらないだろうか。……流石に恥ずかしいのであまり言いたくはないのだが。
 それでも腹を括る。なんなら、わざととびきり高圧的に挑発的に笑って、貴史を正面から煽って。
「どんな手を使ってでも俺を落とす、くらいの気概は見せて欲しいのだけどね」
「なっ……」
 絶句しながらも、貴史の顔はカッと赤くなる。
 やっぱりまだ可愛いところがあるじゃないか。
 すっかりぬるくなったココアをひと口飲み、貴史の様子をうかがう。
 貴史は何やら考え込んでいる。さて、何を言ってくれるのか。やがて貴史は重々しく口を開いた。
「……お前、明後日の日曜日空いてるか?」
「ああ」
 どこかへ出掛けよう、などとでも言うつもりだろうか。あるいは日曜また家に来い、か。
「じゃあ日曜日お前の家までメシ作りに行ってやる。それで一緒に食おうぜ」
「……な」
 予想外の言葉に虚を突かれていると、貴史はニヤリと笑った。
「生憎、オレは不器用なもんだから恋愛事の駆け引きとか口説くのとかそういうのは多分てんでダメだし、お前相手にやっても意味無いだろうからな。まず胃袋掴ませて貰うぜ」 
「……お前、土日は家族と過ごすだろ」
「そりゃ家族サービスも大事だぜ?その大事な時間の半分あげられるくらいには亮と過ごしたいんだよなオレ。なんか食いたいもんあったら言えよ、レシピ調べて作ってやるから。ああ、オレの家族サービスに付き合いたいんだったらそっちも歓迎だぜ?あいつらもお前の事好きだし?オレとしてはガキ共の面倒見れるしお前と過ごせるしで願ったり叶ったりだしな」
「待った。待って、くれ……」
 堰を切ったように口が回り始めた貴史の言葉を上手く呑み込めない。ただとてつもない熱量がその言葉にこもっている事だけは分かる。
 やっぱり煽らなければ良かった、開き直った途端にぐいぐい来るじゃないか。口説くのは多分てんでダメだとかどの口が言うんだ。
「また顔赤くなってるぜ、亮」
「うるさい」
 そんな事、言われずとも頬の熱で分かる。
「で、なんか食いたいもんあるか?」
 にっこり笑って、貴史がテーブルに手を付いて身を乗り出してきた。顔が近い。目が据わっている。そしてそんな貴史に心臓を高鳴らせている俺がいる。
 これは。時間の問題かもしれない。
 そう脳の片隅が警告を発しているのを悟られまいと目を逸らしながら、わざと貴史が知らなさそうなリクエストを伝えてみる。
「……ファラフェル」
「なんだそれ」
「イスラエル料理の……ひよこ豆のコロッケだよ」
 貴史は元の体勢に戻るとスマホを手に取る。貴史の意識がスマホの画面に行っている間に小さく深呼吸して呼吸を整えた。
「ひよこ豆……スパイス……まあ材料さえあれば作れるな……お前の家フードプロセッサーあるよな?」
「ある。……スパイスもフードプロセッサーもある。ひよこ豆は、買わないと無い」
 1度ネットに載っているレシピで自分で作ろうと試みた事はあるので味付けのスパイスだけは揃っているのだが、揚げる時に指先を火傷しかけて以降作っていない。
「それじゃ日曜の昼のメインは決まりだな。ひよこ豆を一晩水に浸けとくのだけお前にやって貰うぜ。夜は何がいい?」
「夜までいるつもりか……」
「3食作ってやってもいいけどな?まあどっちにしろ材料買わないと行けねえし?朝は買い物付き合ってもらう事になると思うけどな?」
 そんな嬉しそうな楽しそうな顔をしないでくれ、もうお前の手の中に落ちそうになっている。落としてみろと言った手前それはいくらなんでも格好がつかない……そして悔しい。こんなにあっさり軽々しく陥落する男なのだと思われるのは少し癪だと、どうしても思ってしまって、膝を抱え貴史から視線を逸らす。
「……夜はお前が作りたい物でいいよ」
「それじゃあ最高に美味いもん作って卒倒させてやる、覚悟してろよ」
 それは少し楽しみだな、などと思ってしまう。言わないけれど。どうせ実際食べたら美味しいと言わざるを得なくなる。
 目を閉じて、貴史と2人でテーブルを挟んで食べる食事風景を想像してみた。今日の食事よりはずっと静かだろうが、嫌な感じはしない。
「……もう寝るか?」
 眠いと勘違いしたのか、貴史の声が優しい。
「……いや、もう少しだけ」
「なんだよ、まだ寝なくていいのか?」
「遅くまでくだらないお喋りをしていたい、なんて言っていたのはどこの誰だったかな?」
 本当は少し長く起きていたいのは俺もだったのだが、少しだけ貴史の本音のせいにさせてもらう。貴史は降参という風に両手を上げた。
「はいはい、オレだよ。じゃあ付き合ってもらおうか、お喋りだけで不満ならオセロもトランプもあるぜ」
「ではオセロでもするかい?負ける気がしないけどね」
「上等じゃねえか、受けて立つぜ」
 貴史は立ち上がると、クローゼットを開けてオセロを探し始める。 
 どこか楽しげなその背中を見ながら、考える。
 さて、いつ答えを出すべきか。いつまでなら、貴史は待ってくれるのだろうか。
 いつまでも黙ったままというのは、きっと貴史の思いに対して酷く不誠実だから。答えを、いつか告げねばならないのだ。
 迷った挙句、1つの区切りを決める。オセロ盤を見付けた貴史が俺の向かいに座った所で、口を開く。
「……貴史」
「ん?」
「来年の、1月。俺の誕生日、空けておいてくれないか」
 貴史の表情がふっと引き締まる。
 俺も、その目を真っ直ぐに見る。
「その時までに、返事をする。俺がお前の事を、お前が俺を見ているように見れるようになったかどうか」
「……分かった。待ってるよ、お前の事」
 そう言って笑った貴史の顔はとても穏やかで、それなのにどこか挑戦的な目をしていた。少しだけ肉食獣じみた輝きを帯びたその目に、また思わず心臓が跳ねる。
 まだそう簡単に陥落したくないと小さな意地で足掻きながらも、いつの間にか、目の前の男に落とされるのを本気で楽しみにし始めている俺がいた。

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