【200111】transparent masquerade(ちあふゆ)

 信号が青に切り替わる。
 駅前のスクランブル交差点に人が一斉にわっと溢れかえるので、隣に立つ冬沢の手を引いて千秋も歩き出す。おい、と抗議の声が聞こえたような気がしたが、人混みに掻き消されて気付かなかったということにさせてもらう。
 だが人の群れを掻き分けて交差点の反対側に辿り着くと、睨まれながら手を解かれてしまった。
「やめろ、人前で」
「別にいーだろ、どうせ誰も見ちゃいねえよ」
「そういう問題ではない」
 そんな事を言う冬沢の耳が少し赤いのがなんだか愛しい。寒いだけと言われたらそうなのかもしれないが。
 冬沢はすたすたと先に行ってしまう。千秋は苦笑しながらその後を追いかけた。
 明日の朝から買い物に付き合って欲しい、と昨日の放課後に急に言われ、承諾した所本当に今日こうして買い物に付き合わされる事になった。明日お前の誕生日だよな、とは何となく聞くに聞けなかった。
 だが事実、今日は冬沢の誕生日なのだ。あちらはそれに気付いているのかいないのか、そんな素振りは見せない。鞄の中に入っているプレゼントを渡すのは最後でいいかなんて思いながら、千秋は冬沢について歩くのだった。それに誕生日デートみたいだよな、などと言えば、何を言っているんだお前は、という顔をされているのが目に見えている。
「つーか買い物なら初売りのタイミングで来ればいいだろ」
「年始は人が多すぎるんでね」
 初売りの壮絶な混雑の店の中を歩くのはどうにもこの神経質な潔癖症には耐えられないらしい。繁華街の人混みを歩くのも好きではない筈だが、今日の冬沢は随分機嫌がいいように見受けられる。
 千秋一人を連れて町中を歩く冬沢の姿はどこか、お忍びで町に飛び出した王女のように見えなくもない。
 アイツがヘプバーンに見えてるのはちょっと惚れた弱みが過ぎるか、と、いけ好かない幼馴染をいつの間にやらそんな可愛らしい人としても見るようになっていた自分に苦笑いしてしまう。
「どこ行くんだ?」
「いいから着いて来い」
 ……とは言え、行先も告げられず連れ回されているような状態なので、もしかしたら荷物持ち扱いなのではという疑惑はなかなか消えないのであった。
 まあ、荷物持ち扱いでも数ヶ月前と比べれば大した進歩だ。
「お前、何買いたいとかちゃんとあんのかよ」
「買いたいものくらいはあるさ、そうでなければ買い物なんてしない」
「よく着るようなもんならちゃんとお前でも洗濯機で洗える物にしとけよ、洗濯機でニット洗って駄目にした事のある冬沢亮君」
「その話をいちいち蒸し返すな」
 口ではそう言いながらもその表情は随分と穏やかだ。千秋が冬沢の半歩後ろを歩くうちに到着したのは、最近オープンしたばかりの百貨店だった。
 エスカレーターに乗るための列が出来ているような混雑ぶりに千秋は思わずたじろぐ。冬沢も一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに人混みを掻き分けるように進み始めた。
 その姿を見失わないように気を付けながら慌ててその後を追う。お互い身長が高い方とはいえ、人が多いとはぐれてしまいかねない。
 エスカレーターに乗り、メンズファッションのフロアに到着すると、少しばかり人混みは緩和される。エスカレーターから降りて数歩歩いた所で冬沢が立ち止まった。きょろきょろとフロアを見渡してから、また歩き出す。
 冬沢はカジュアル系ながら品のいい店構えのショップに足を踏み入れる。店頭のマネキンの服を見ながら、あいつ私服の傾向は昔から大して変わってねえよな、などと千秋は思う。とは言えお互い小中高と通して制服で、児童劇団でもレッスン用のTシャツとジャージが多かったものだったから、私服の記憶はそれほど多くない。
「……貴史、これどう思う」
 冬沢が手に取っているのは、ワインレッドのジャケットだった。ハンガーに吊るしたまま、自分の体の前に当てている。
「お前そういう色選ぶんだな……」
 冬沢は私服にしろ小物にしろ、寒色を好みがちだ。それは昔から変わらずなので、少し意外に思う。だが彩度を抑えた赤は自分が好きな色なので、冬沢が自分の色に染まっているような錯覚を覚えてくらりと視界が揺れる。だがそんな下心はどうにか隠して、素直な感想を述べる。
「いいんじゃね?でも襟の形がな……お前が着るならもう少し襟が細い方が……大きすぎない方が似合うんじゃねえの」
「なるほど……」
 冬沢はジャケットをひとしきり眺めた後、売り場に戻す。
「よし、次だ」
「は?もういいのかよ」
「俺が次と言ったら次だ」
 冬沢がすたすたと店を出て行くので、千秋は慌てて追い掛ける。
 亮の奴、ジャケットが欲しいのか……?ジャケットの出番にはまだちょっと早くねえか。千秋はそう思いながら冬沢を追い掛ける。
 次に入った店も、いわゆるキレイめカジュアル系。冬沢は店内を歩き回り、やがてニットのコーナーに目を止めた。畳んで置いてあるニットを手に取り、眺めている。
 千秋はそのニットの色を眺める。臙脂色。
「……なあ、亮」
「どうした?」
「赤い服が欲しいのか?」
「その通りだが。何か問題でも?」
「いや、別に……」
 自意識過剰と言われればそれまでだが。赤い服を求めてのショッピングに自分を連れ回すとはどういうつもりなのか。
「で、これはどうだと思う?」
「……悪くねえけど。袖の白いラインが微妙。お前にはもっとシンプルな方が似合う」
「そうか……」
 冬沢はしばしニットを眺め、また畳んで売り場に戻そうとする。オレがやるから、と千秋は冬沢からニットを受け取って綺麗に畳んで売り場に戻してやった。
 その後も冬沢は何着か赤い服を手に取り、何軒か店を覗いた。そしてその度に千秋に意見を求めて来る。ジャケット、ニット、マフラー、スウェット、パンツ、コート。赤ならなんでも良いのかと思ってしまう。冬沢が手に取るのはいずれも鮮やかすぎない落ち着いた赤だが、赤は赤だ。
 やがて、百貨店内の全てのメンズファッションのショップを見終えた冬沢はこう呟いたのだった。
「……ここにはないな」
「そうか……」
 ここまで来て冬沢はまだ何も買っていなかった。
 約二時間、広いフロアを歩き回り、エスカレーターで上へ下へ移動して。千秋としてはそろそろ休憩したい所であった。
「なあ亮、もしかして別のとこ行く?」
 千秋が尋ねると、冬沢はこくりと頷いた。
「そのつもりだ」
 案の定。これは冬沢が納得するまでショッピングが終わらないだろう。
「じゃあどっかで休憩しようぜ……そろそろ昼飯の時間だろ」
 言われた冬沢は腕時計をみる。そしてようやく現時刻に気付いたようだった。
「……ああ。そうだな。何を食べたい?」
 その言葉に千秋は面食らう。この偏食の、食べられない物の方が多いような幼馴染から店の希望を聞かれるなど。
「おいおい、食えないもん多いお前に合わせた方がいいに決まってんだろ」
「俺がお前に求めているのはそのような意見ではない。お前が何を食べたいか、あるいはどの店に入りたいのかを聞いている」
 冬沢の言葉に、千秋はあんぐりと口を開けそうになった。
 あの亮が。オレに譲っている。言い方はだいぶ居丈高だが、間違いなく譲っているのだ。空から槍でも降るのか。
「……じゃあ。イタリアンとか……?」
「それならこの近くに美味しい店がある」
「あ、ああ……そこでいいぜ」
 冬沢が知っている店ならば冬沢が食べられる料理が出てくるという事だろう。今日の冬沢にはどうにも調子を狂わされているものだから、冬沢から店の提案があった事に密かに安堵する千秋であった。
 百貨店を出て五分ほど歩いた所に、冬沢の言うイタリア料理店はあった。表通りからやや外れた場所にある為か、土曜日の昼時だというのに店内に人は少ない。
 自然光が柔らかく照らす店内は白を基調とし、クラシックが流れている。なるほど冬沢の好きそうな上品な雰囲気の店である。
 冬沢はジェノベーゼ、千秋はミートソースのパスタのランチセットを注文して料理が出てくるのをしばし待つ。
 聞くなら今だろうか、と少し迷ってから千秋は口を開いた。
「……どうしたんだよ、今日は」
「何がだ?」
 セットのドリンクとグリーンサラダが運ばれてきた。冬沢はアイスティー、千秋はジンジャーエール。
「急にオレを買い物に誘った事だよ。しかも目当ての物は赤い服だけらしいと来た、荷物持ちでもないならなんでオレを連れてくんだよ」
「……なんだ、そんな事か」
 そんな事って。オレには結構一大事だぞ。
 自分と冬沢の間の気持ちの温度差を思い知らされたような気がして黙り込む千秋を見て、冬沢はくすりと笑う。毒と砂糖をスプーン一杯ずつ混ぜたかのような、最近の冬沢がよく見せる笑顔。
「俺はお前の見る目を買っているんだけどね」
「は?」
「お前はいつでも俺を見ているつもりなんだろう?それなら俺に似合う服くらい分かるはずだ。自分では意外と分からないものだからね」
「……」
 何だそりゃ。唖然とする千秋を見て、冬沢は笑いながらストローを咥えてアイスティーを一口吸う。ストローから口を離した時の僅かに開いた唇がやけに艶やかに見えた。
「俺が着る服を選ぶのなら、俺の事を一番よく見ている人間を連れて行った方が俺に似合う服が分かる。合理的じゃないか。それに……自分が選んだ服を着た俺を見て慌てふためく貴史を見たいんだよ、俺は」
 その言葉は、その笑顔は、いとも簡単に千秋を捕らえる。捕らえて、甘い毒針を突き刺してくる。その毒はあっという間に全身を巡り、たった一つの事実を千秋に突き付ける。
 敵わない。
「……じゃあ、亮」
「うん?」
「オレがお前の為に選んだのがどんな変な服でも着るのかよ、お前は」
「お前が俺に似合うと判断する服が碌でもない物な訳が無いだろう」
 悪足掻きのつもりで放った石は追い討ちの毒針であっさり砕かれた。
 冬沢の目は遠回しにこう言っていた。そんな事お前に出来る訳がない、と。
 侮りとも信頼とも区別の付かない冬沢のそれは、間違いなく「甘え」と呼ばれる物で。
「……ノーセンス……」
 どっと体から力が抜ける。思わず呻くと、冬沢は笑みを深めた。
「ノーセンスで結構」
 お互いサラダにほとんど手を付けないままに、パスタが運ばれて来る。冬沢はカトラリーに手を伸ばした。
「次行くつもりの所は店の数も多い。今の内にしっかり休んでおく事だな」
「それはお前もだろ……今日見付からなかったらどうする気だ?」
「そうなったら来週、別の場所だな。貴重な三連休だ、明日明後日は家族と過ごしたいだろう?」
「来週もオレを連れ回す事前提かよ……」
 千秋の事情をまるで斟酌するつもりのない冬沢に呆れてしまうが、悪い気はしないので自分も手遅れと言うよりほか無い、と千秋は深く溜息をついた。
「嫌なら適当に切り上げてもいいんだけどね?お前には出来ないだろう」
「ああそうだよ出来ねえよ、手が掛かる自覚があるみたいで安心したぜ」
 仕方が無いと腹を括りながら、千秋もカトラリーに手を伸ばした。
 こうなったらお前に一番似合う服を何がなんでも見つけてやる。そっちがそれをお望みならオレもそうさせてもらうからな。
 自分の選んだ赤い服を見に纏った幼馴染の姿を見た時どんな心地がするのだろう、とサラダを口に運びながら千秋は考える。
 最初の店で赤いジャケットを体の前に当てている冬沢を見ただけで立ちくらみを起こすかと思った程度には、その後の店でも込み上げるものを必死で抑えていた程度には、千秋は赤い服を着た冬沢に弱い。それはもうこの二時間程で思い知っていた。そして、冬沢が千秋が赤い服を着た己に弱いだろうと考えて千秋を連れ回す事にしたのではないかとも、薄々考え始めていた。
 千秋の好意に気付いたら気付いたでそれを手玉に取ってくるのがこの冬沢亮という男だ。小悪魔なんて可愛い物じゃない、それこそ悪魔のような笑顔を浮かべながら、試すようにくるくると千秋を弄ぶ。
 尤も、それで大人しく遊ばれ続けてやるほど千秋も受け身な訳ではなく、スクランブル交差点で手を引いた時のように、僅かな反撃のチャンスは常に窺っているのだが。互いに対する負けず嫌いはそう簡単に変わるものでは無い。
「……なんでそんなに赤い服欲しいんだよお前。それも俺を連れ回してまで絶対に自分に合うやつが欲しいとか」
 お互いのパスタが残り半分程になった頃に千秋が呟くと、冬沢は「そんなの」と笑う。
「自分の誕生日くらい、ずっと欲しかった物を手に入れても罰は当たらないだろう?」
「……それ答えになってなくねえか?」
「いいや、これが俺の答えだ」
「……ずっと欲しかったのか?赤い服が?」
「そういう事にしておいてやる」
 相変わらず掌の上で弄ばれているような気がして、冬沢の優等生らしいどこか得意気な笑みが面白くない。
 だがその代わり、今日の終わりに鞄の中のプレゼントを渡した時どんな顔をするのかもまた楽しみになってくるもので。この優等生の仮面が剥がれ落ちた時の幼馴染の無防備な表情がどれほど愛しいか、千秋は既に知っている。その仮面は滅多に剥がれないからこそ、剥がれる数少ない瞬間は自分の手による物であって欲しい。そんなささやかな強欲はなかなか消えるものでは無い。
 今日のプレゼントで仮面を剥せるかどうかは、五分五分といったところだが。赤い物にしなくて良かった、とは密かに思っている。
「……まあ、オレからのプレゼントなら用意してあるから。今日の最後に渡す」
「へえ、それは楽しみだな」
 冬沢は変わらず笑顔を浮かべている。その目が一瞬だけ輝いたのはどうか気の所為であって欲しくない。そう思いながら千秋は笑う。
「おう、楽しみにしとけ」

 互いに少しずれた思いを抱えたまま、そのずれがどこに行き着くのかは分からぬまま、二人は本心を隠して笑い合う。それでもこの穏やかな時間と、どこか優しい駆け引きの僅かな緊張感はなかなかどうして心地好く。
 今日が終わる頃には目の前の笑顔はどう変化しているのか。それを少しだけ楽しみにしているのはお互い様で。そして願わくば、その笑顔は心からのものであって欲しい。決して言葉に出さないその思いだけは、同じなのだった。
 それを言葉にして伝えられるようになるのは、もう少し先の話。

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付き合っているんだかいないんだかよく分からない距離感っていいなあと思いました。