【ちあふゆ】君を待つ

 この音を覚えてしまったのは、いつの頃だっただろうか。
 階下十メートルとヘッドホンから小さな音で流れる映画の劇伴を越えて窓の外から室内に届いたバイクのエンジン音に、ゆっくりと目を開ける。
 あいつの愛車のエンジン音だ。プレーヤーを止めてヘッドホンを外すと、世界の音が一つ無くなった。代わりにバイクのエンジン音に耳を傾ける。だがエンジン音はすぐに消えていった。
 さて動くべきか、とソファに深く身を預けたまま考える。先に寝てろよ、などとあいつが言い出して来るのはいつもの事で普段は──そちらの方が合理的だからと──その通りにしているのだが、今日は何となく先に寝室に行く気にならず。間接照明だけを頼りに壁に架かった時計を見ると、とうに日付は変わっていた。
 ……元よりあいつの言う事など大人しく聞いてやる義理はない。だが俺がここにいる事であいつの驚く顔を見る事が出来るなら、それは少し楽しみかもしれない。普段はしない事をしているのだ、それくらいの期待は当然だろう。
 よく耳をすませば、やがてあいつの足音が微かに聞こえて来る。恋人の帰りを眠らずに待ち侘びるだなんて、俺も随分殊勝になったものだ。誰のせいでこうなったのやら。
 静かなドアの解錠音。小さな小さな、ただいまの声。なるべく足音を立てまいとする、ゆっくりとしたすり足の音。真っ直ぐに、ここまでやって来る。
「お帰り」
 リビングのドアが開くと同時に言ってやれば、貴史はドアに手を掛けたまま動きを止めた。
 ……ああ、やっぱり。俺の期待通りの顔だ。

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貴史がバイク乗れるの、なんか……いいな……と思いました。