「ねえ、君に聞きたいことがあるんだ」
加藤機関との戦いに区切りを付けたアルティメット・クロスがユニオンへと向かう、その前夜。
JUDAのレストルームで一人ノートパソコンに向き合っていた森次玲二は、自分に掛けられる声のする方にちらりと視線を向けた。相手を視認するとすぐにモニターに視線を戻して短い言葉だけを返す。
「何か?」
声を掛けた来主操も意に介せず、近くのソファに腰を下ろす。
「総士の知識で君のことを知ってから、君という存在と話したいと思ったんだ」
「……私と?」
「うん。総士の知識で、俺はここにいる人間達の事を知った。その中で君は、俺達の求める物を持っているかもしれないから、興味があるんだ」
それはまた、珍しい。操の言葉を聞いた森次は一つ息を吐き出すと、ノートパソコンのキーを何度か軽く叩いた。
「聞くだけ聞いておこう」
「君は、生まれつき痛覚がない……つまり、痛みを感じないんだよね。総士はそう認識していた」
「その通りだな」
「それなのに、どうして君は痛みを知っているの?」
「……」
一瞬、森次の手が止まる。操はそれを気に留めることもなく、言葉を重ねた。
「痛みを感じないなら、本来痛みを知る機会なんてない筈でしょ。それなのに、君は痛みを知っている。矛盾しているよ」
「……そうかもしれないな」
森次は視線はモニターに向けたまま腕を組んだ。
真壁一騎以外と対話するならば俺より早瀬の方が余程相応しいだろうに。己の体質の思いがけない難儀さに内心でそう呆れつつ、フェストゥム相手に黙っていても仕方なかろうと己の推測の正否を確かめることにする。
「お前達は世界から痛みを消そうとしている。そんなお前達から見れば、生まれた時から痛みを感じない私の体質はある種の理想型。しかし私は痛みを知っている、その理由を知りたい。そんなトコロか?」
「そう。痛覚というものが人間が痛みを感じる感覚なのだとしたら、俺達からもう一度痛みを消して全ての人間からもそれを奪えば世界から痛みが消えるのかもしれないと思った。そんな人間がいること、君を見て初めて知ったからね。でも総士は、君に痛覚が無いと分かっているのに、君は痛みを知っている人だと認識していて……よく分からなかった。だから、君と接触してみようと思ったんだ」
「……痛覚を持たない人間が痛みを知るプロセスを知りたい、と?」
「そう。俺達は総士によって痛みを教えられるまで、痛みを知らなかったのに……君はどうやって、痛みを知ったの」
「……」
森次はしばし黙り込んでから、ふとレストルームの入り口に視線をやる。見られているな、と思いながらもノートパソコンを閉じると、今度こそ操を見た。
さてどのように伝えるべきか、と思案する。
相手は少年の姿をしているとは言えフェストゥムの使者である。こちらが何を言っても本心を読み取ることが出来るのだ、昔からそうして来たように部下達の話を聞いてそれに言葉を返すのとは訳が違う……そう頭では理解しながらも、それでもそのように対話するのがきっと正しいのだろう。「皆のことよく見てるのは分かるけど表情が動かなすぎるし明らかに言葉が足りてない」、とは最近になって早瀬浩一に言われるようになったが。
少なくとも目の前の少年相手に言葉の不足を心配する必要はないだろう。
「そもそもフェストゥムと人間とでは、コミュニケーション手段だけでなく、物の感じ方、そして思考プロセスが全く異なっている。存在のあり方も。それを前提であえて言うなら……同じだ、お前達と」
「俺達と? 君は人間なのに?」
分からない、と言いたげに操は眉をひそめた。そうだ、と森次は頷く。
「皆城総士はお前達に痛みを教えた。存在を奪われることの痛みをその身に刻ませることによって。私もまた、ある人間によって痛みを教えられた。私の存在と同質の存在を奪われて、私は痛みを知った」
「君と、同質の存在を奪われて……?」
ぴんと来ていないのか、操は怪訝な顔をする。これはまだ理解出来ないか、と森次は説明に適した語彙を探す。
「その存在は『私』そのものではないが、その存在が奪われることで私は私の存在が奪われるのと同等の痛みを負った」
「君の存在が奪われるのと、同等の痛み……」
操は呟くと、じっと森次を見た。森次は臆するでも無くその視線を受け止める。操はしばし森次を見詰めたが、やがて目を逸らした。
「……君は、とても強いんだね」
「……?」
操の発言の意図を測りかねて、森次は微かに眉をひそめる。操はどこか悲しげに笑って言った。
「あの大きな火を吐く器を前にしても恐怖を感じない君にも、恐怖という感情はある、存在を奪われる恐怖を知っている……それでも君は、その恐怖からも痛みからも逃げないで戦うことを選んだんだね」
操の言葉に虚を突かれた森次は僅かに目を見開いた。だがそれは一瞬のことですぐに表情を引き締める。それでも僅かな動揺は伝わっているのだろう、と承知しながらも森次は小さく首を横に振った。
「……それは、私だけではない。UXで戦うコトを選んだ誰もが、そうして恐怖や痛みと向き合ってここにいる」
「……そうか。君達は……」
操は森次を再度じっと見て、そして項垂れた。
「誰もが、選べるんだね」
どこか噛みしめるように呟く。
──伝わりは、したのか。
森次がそれに気付くのと同時に、操は姿を消した。
森次は誰もいなくなった空間を見詰めてしばらく黙り込む。それから眼鏡を外して目を閉じるとこめかみを押さえ、長く息を吐き出した。疲れを感じることなど滅多に無いが、何ヶ月ぶりかにひどい疲れを覚えた。最後にこれほどの疲れを覚えたのは、そう、宴会場……いや、これ以上思い出すのはやめよう。
また眼鏡を掛け直しながらレストルームの入り口に視線をやり、そちらに向かって声を投げ掛ける。
「入って来たらどうだ」
ドアが開くと、ひょこりと顔を出したのは浩一、山下、そして足元に犬のショコラを連れた一騎であった。
「すみません森次さん、立ち聞きするつもりはなかったんですが……」
三人してレストルームに入って来てからとりあえずといった風に浩一が謝ると、森次は肩を竦めた。
「聞かれて困る話はしていない。……お前達はもう部屋で休んでいるものだと思っていたが」
「来主が部屋にいないようだったので、探していたんです。そしたら早瀬と山下さんに会ったので、一緒に探してもらっていました」
「もーびっくりしたッスよ、森次さんの声がすると思ったら来主と話してるし……」
「山下クンずっとそわそわしてたもんなあ」
「そわそわもするだろ!」
部下達は相変わらずのようだった。森次は口元を微かに緩めながらも、厳しい言葉を口にする。
「騒いでいる暇があったら寝ろ。明日の出発は早い」
「すいません、俺はもう少し来主を探します。部屋に戻ったとは思いますが……」
「俺は一騎を手伝います」「ボクもそのつもりッス」
一騎を手伝うと言いつつまだまだ寝るつもりのない部下二人に森次は呆れながらもそれは顔に出さず、閉じていたノートパソコンを開いた。
「……寝不足で使い物にならない、などという事態では話にならない。自己管理は怠るな」
「森次さんも早く休んでくださいよ、UXだと社長と緒川さんが見てないから寝てないんじゃないかって、さっき緒川さんが心配してたッスよ」
やはりと言うべきか、緒川さんには見透かされているものだ。半分図星で半分外れだ。ほとんど眠らない時もあるが睡眠時間が取れる日は眠るようにしている。
「森次さん寝てない日があるのボクは知ってるんスからね、ほんとに作戦前夜くらいはちゃんと寝てくださいよ」
どちらにしろ山下にはばれているわけだが。
「善処する」
「寝るつもり無いでしょそれ!」
「もぉーちゃんと休んでくださいよ!」
森次を心配しながらも一切遠慮のない浩一と山下に、聞いている一騎が小さく笑った。
「それじゃ森次さん、ボクらはこれで。お休みなさいッス♪」
「お休みなさい、ホントにちゃんと寝てくださいよ!」
「ああ、お休み」
山下と浩一はレストルームから出て行くが、一騎は足を止めたままだ。その足元ではショコラが座って一騎を見上げている。
「どうした?」
森次が声を掛けると、一騎は森次に向かって小さく頭を下げた。
「ありがとうございました、森次さん。来主と、正面から話してくれて」
「大したコトではない」
「それでも、俺以外にも多くの人と対話することで来主が得るものはあると思うんです。この前も刹那さんと対話したことで、来主の中で何か新しいものがきっと生まれた。だからまだ多くの可能性がある筈だと俺は信じたい。総士も、きっとそう信じています」
まさかその対話の相手に自分が選ばれるとは思いもしなかったが、一騎の言う事は正しいのだろう、と森次は思う。
僅かでも対話の積み重ねが人間とフェストゥムの共存に繋がる可能性を生むのなら、世界を背負って戦う我々が対話を恐れるべきではない。
「……ああいう子供の相手は初めてではない。それだけだ」
「俺の時もそうでしたよね」
「……かもしれないな」
あの時は随分厳しく当たったというのにそう認識しているとは。
「暉にも目を掛けてくれてたみたいで、ありがとうございました」
続く一騎の言葉に今度こそ呆気に取られ、森次が黙り込む。一騎はそれに気付いているのかいないのか、あっけからんとして言葉を続けた。
「お礼を言いたかったんですが、タイミングを逃していて」
「…………」
何も言わない森次に一騎は「それではお休みなさい」と一礼すると、今度こそショコラと共にレストルームを後にした。
「やっぱ一騎雰囲気変わったよなあ」「そうか?」「早瀬もちょっとは見習えよなあ」と、三人の賑やかな話し声が遠ざかっていく。
「……全く」
三人の声が聞こえなくなってから、森次はソファに深く身を預けた。
これだから素直すぎる子供は困る。早瀬のように厳しく当たって嫌われたと思えばいつの間にかこれだ、幼い頃から面倒を見ていたシズナ・イズナや山下ならばともかく……そんなことを思ううちに、ふと、操に言われた言葉を反芻する。
「……恐怖を知っている、か」
フェストゥムとは言え、出会って数日の相手に見透かされるとは……そう己を戒めるが、ファフナーに乗れない自分に読心への対策など取りようもない。恐怖を知っていることを見透かされてもなお恐怖を抱えたまま向き合う方が余程建設的である。
その恐怖の正体も、はっきりと自覚している。積極的に表に出しはしないが、それでも社長辺りには見透かされているのだろう。いや、あいつにも見透かされていたから皆を巻き込んでしまったのだったな、としばし過去の己の不甲斐なさを恥じる。
その恐怖は自覚の有無に関わらず恐らくほとんど全ての人間が持ち得る。
だが、来主操は人間ではない。
生命体の本能として己の存在を失う恐怖は知っていても……己の大切なものを失う恐怖をまだ知らない。
(お前は「綺麗な空」を失う恐怖と向き合い、抱えながら、それでも存在するコトを選び続けることが出来るのか? それを奪おうとするものと戦うことが出来るのか?)
森次はかつて、初めて知った痛みに耐えかねて己の存在を世界から消すことを望んだ。しかしそれは叶わず、その先での出会いによって己の生き方を選んだ。恐怖と向き合いながらも存在することを、そして守るために戦うことを選んだ。
故に、彼は思いを馳せる。来主操は、対話の果てに何を選ぶのだろうかと。
最終的に戦うことになるのであればそれは致し方無し。「JUDA特務室室長」として、躊躇無く戦う用意はある。
(それでも、もしこれ以上奪う痛みを与え合わずに済むのであれば)
「切実な願い」を胸の内に秘めつつ、森次はまたノートパソコンのキーを叩き始めた。
(私は、対話が実を結ぶコトを願おう)
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※スパロボUXは一時的にファフナー周りと同じページに置いています
次ページにこの話を書くに至ったUX本編の感想があります。めっちゃネタバレしてます。