※両片思いです
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『明日の朝五時に迎えに行く。出掛ける支度をして待っていろ』
「……は?」
一月十日、夜の十時。
一人暮らしをしているアパートでメッセージアプリに届いたその短い文を見て、シャワーを終えたばかりの千秋は声を上げた。
送り主は冬沢亮、千秋の幼馴染である。冬沢は千秋になら何をしても構わないと思っている節がある故にか、こういう突拍子もないメッセージが届くこと自体はそう驚くことでもない。振り回されるのは予想の範疇だし、迎え撃つ心構えならいつでも出来ている……などと、誰に向かって宣言するでもなく自負している千秋であったが、流石に今回はそうも行かなかった。
迎えに行く。いつ。明日の朝五時に。今は何時だ? 夜の十時を回ったところ。
「……いやいやいや」
さてはこいつ、俺に睡眠を取らせる気がないな? と千秋は深々溜息を吐き出した。
確かに明日は劇団の稽古が無いし劇団以外の仕事もない、完全なオフ日だ。それを知った上での冬沢のこのメッセージなのだろうが、それにしたって、である。オフ日だからって徹夜やら短時間睡眠やらをしていいわけではない。千秋は生活習慣には気を使う男なのである。振り回され慣れているからと言ってそう易易と冬沢の言うことを聞くわけには……
「本当に待っているとは。てっきり無視して寝ているかと思ったよ」
「もしそうだったらどうする気だったんだよお前……」
翌早朝五時。まだ夜の帳が立ち込めるそんな時間に、冬沢は来た。本当に来た。スリムなコートにマフラーを巻いて玄関前に立っている冬沢を見て頭が痛くならなかったと言えば嘘になる。
アパートの廊下に立たせて話すわけにもいかないので、一旦家の中に入れて座らせ、熱いインスタントコーヒーを出してやると、冬沢は上機嫌でそれをちびちびと飲んだ。
「でもお前はしっかり待っていたじゃないか、コートまで着て。それはありがたいと思っているよ、俺は」
「どうだかねえ……」
どこまで本心でどこまでからかっているのか、付き合いが長くても判断しかねるのもこの幼馴染の厄介なところなのだが、そこはひとまず気にしないことにした。いちいち気にしていてはこちらの身が保たない。
確かに千秋はきっちりと防寒着を着込んで冬沢を待ち構えていたわけだが、冬沢としては口でありがたいと言いつつもこれが「当たり前」なのである。そんなわけがあるか、と千秋は思うが結局冬沢の思い通りに動いてしまっている自覚もあるので、その点については強く言えないのであった。
「で、どうしたんだよ今日は。こんな時間に。お前もオフなのか?」
「いや、俺は夜に少し取材があるが……それまではオフと言って差し支えない」
「そうかよ……」
そんな中早朝からわざわざオレをつつきに来るとは何を考えているのか。
「なあ、貴史」
そして冬沢はこう言った。多くの人間を虜にしてしまうのであろう、それはそれは魅力的な笑顔で、頬杖を突いて小首を傾げながら。
「デートしないか」
冬沢亮という人間は、難解である。
その思考回路を理解出来る人間は、余程の似たもの同士──存在するだけで驚きであるが千秋の知る限りでは一人だけいる──か、付き合いの長い人間くらいなものであろう。そして今回の冬沢の行動は、付き合いの長い千秋ですら真意を掴みかねるものであった。
あの後手を引かれるままにアパートを出て、近くの時間貸駐車場に連れてこられたと思ったら「わ」ナンバーのセダンの助手席に押し込まれ、ぬるいボトル缶コーヒーを握らされ、今は早朝の一般道を揺られている。顔と立ち居振る舞いの割に手先も性格も不器用な冬沢であるが、その運転は千秋が想像していたよりは安定したものだった。冬沢はカーナビの指示どおりに走っているが、どこに向かっているのかは教えてくれない。なんとなく分かるのは、東京から南に下っているらしいということくらい。
まだ寝静まっている街を法定速度で走りながら、冬沢は何も言わない。千秋も黙って窓の外を見ていたが、気まずさは感じなかった。カーラジオからは一昔前の映画のサウンドトラックが流れているがそのボリュームは小さく、時折エンジン音でかき消されていた。
やがて高速に乗る。お前高速大丈夫なのかよ、などと思ったことを口に出せば睨まれることは確実なので黙っていることにした。暗い窓の外を時折白い光が追い越して行く。
車は首都高から東名高速道路に入る。空が白み始めた頃には、周りを走る車の数は少しずつ増え始めた。車は静かに神奈川の南へと走り続けていた。そしてそのルートは、千秋にもなんとなく覚えがあった。家族で車に乗って出掛けた時に同じようなルートを辿った覚えがある。
その時の千秋家の目的地は、江ノ島であった。もしこの車の行き先もそうであれば、冬沢が何を考えているのかいよいよ分からなくなる。もう少し遅い時間ならともかく。いや、仮に朝の十時頃に迎えに来られて車に押し込められて冬の澄んだ青空の下のこの道を走っていたとしても、何考えてんだお前、となっていたであろうが。
いくつかのインターチェンジを過ぎ、ジャンクションを回り、やがて高速を降りてまたしばらく車を走らせる。やがて千秋の目に飛び込んできたのは、水平に続く橙の光を帯びた紺青の空と、白む空を映した海であった。
「……なあ亮」
「なんだ?」
一時間を超えるドライブで、千秋は初めて口を開いた。
「湘南だよな、ここ」
「他のどこに見える?」
冬沢の答えは素っ気ないが、いつものことと言えばいつものことなので気にせず質問を重ねる。
「なんでわざわざこんな時間にこんなとこに連れて来る?」
「……すぐに分かる」
どうだかねえ。そんな嫌味は心の裡にしまっておくことにした。
ほんの数分海岸沿いを走り、冬沢は駐車場に車を入れた。
「降りろ」
エンジンを止めてすぐにそう言われ、冬沢はさっさと車を降りてしまった。千秋も呆れながら下車するが、途端に海沿いの冷たい空気が頬を刺すので思わず身震いする。幸い風は吹いていないようだったが、それでも寒気は防寒着を越えてくる。駐車場は防犯灯で全体が照らされている上に空は明るくなり始めており、思いの外暗さは感じない。
冬沢はスマートフォンで時間を確認すると、
「まだ少し時間があるな……」
と呟いた。そして画面から顔を上げると、ついて来い、と仕草で促して千秋に背を向けた。そのまま千秋に目もくれずすたすたと駐車場の外へ向かってしまう。ついて来ると微塵も疑っちゃいないことを喜ぶべきか悲しむべきか、と思いながら千秋は小走りでその背を追う。
駐車場を出ても街灯の本数はそう少なくないとは言え辺りはまだ薄暗い。冬沢は駐車場の近くの自動販売機でホットの缶コーヒーを二本買うと一本を千秋に放った。千秋が慌てて受け止めると、それを見た冬沢は少しだけ笑ったように見えた。
千秋の数歩前を歩く冬沢の足取りは、妙に軽やかだ。こういう時ってだいたい俺に碌な事無いよな、と思いながらも、こんな足取りをしている時の冬沢を見ているのは嫌いではないという自覚もあるので困ったものである。
互いに何も言わずに海岸線沿いの歩道を歩く。
どれほど歩いたか、空が明るい青に移り変わり始め、水平線を染めるオレンジの光は一際濃くなっていく。
「……この辺りだな」
ふと冬沢はくるりと方向転換して、ビーチに降りた。後を追ってビーチに降りると、湿ってどこか重い砂浜が足を受け止めた。
砂浜の近くともなると、空気は一際冷たくなっていく。波打ち際の方へずんずん歩いて行く冬沢を見ていると無性に心配になって思わず早足になってしまう。
「おい亮! あんまそっち行くと……」
足元のほど近くまで波が寄せているのを感じた。寄せては返す波音は静かだったが、無意識に声を張りながら手を伸ばす。波打ち際ぎりぎりでなんとか冬沢に追いついて手首を掴むと、冬沢はようやく歩を止めた。だが冬沢は千秋を見ない。
「ほら」
視線を水平線の向こうへ向けたまま、冬沢は呟いた。
「もうすぐ夜が明ける」
千秋は冬沢の手首を掴んだまま、冬沢と同じ方を見た。
水平線から一際強い光が顔を出そうとしている。千秋は眩しさに目を細めながらも、もう一歩踏み出した。冬沢の隣に立ってその横顔を見ると、冬沢も目を細めながらどこか焦がれるように水平線の光を見詰めていた。
「……お前さ」
「なんだ?」
「今日、自分の誕生日だって自覚あるか?」
「はは、何を今更」
「…………」
つまり自分は、「誕生日だから」というどこか子供じみた我儘に付き合わされたのだ、と千秋は悟る。誕生日だから海で夜明けを見たい、と。何故その発想に至ったのか今は追求しても雑にかわされるだけだろうから聞かないでおくことにする。
「あー……もしかしてお前アレか? わざわざオレを連れて来たのは帰路の運転手にするためか」
「察しが良いじゃないか」
はっきりそう言われても悪い気はしないのだから、結局どこまでも冬沢の掌の上だ。
「……っとに。年取っても性格悪いな、お前」
「それはどうも。その性格の悪い俺に、俺より早く年を取っても逆らえないお前の方が大したものだと思うよ、俺は」
「そういうところが性格悪いんだよお前は……」
悪態をついても、冬沢は千秋をちらりと見て穏やかに微笑むだけだ。握ったままの手首は振り解かれないままで、かと言って自分から離す気にもなれず、無性に調子を狂わされる。
これで冬沢の言葉が全てなら良かったのだ。ただ帰路の運転手として連れて来られただけなら。そして困ったことに、そうではないことが千秋には分かってしまう。この面倒くさい男との付き合いの長さゆえの理解度の高さを恨むべきか喜ぶべきか、と昇る太陽を見ながら考える。
一緒に夜明けを見て欲しい、とか。お前がそんなこと言うような性格かよ。
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亮の誕生日ネタですが投稿日は2月27日です。
大遅刻しました。ごめんなさい。