【8/8ちあふゆ新刊本文サンプル】雪、空白、そして

8/8のWebオンリーにて発売する新刊「雪、空白、そして」の本文サンプル(次ページ~)です。
まだ入稿していないので多少変更がある可能性があります。

今回の頒布分に関してはイベント開催前日~当日にかけて当方のboothでの受注販売を予定しています。
イベント規約で受注販売NGとの指摘いただきましたので、イベント当日からの在庫販売に変更します。申し訳ありません……!
詳細は当日が近くなりましたらお知らせします。

ページ数:22p
サイズ:A6(文庫版)
頒布価格:500円(予定)

【あらすじ】
夜の散歩をしていた冬沢が運悪く自宅(一人暮らし)から締め出された千秋を拾う話。
時間軸は卒業後となります。

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 暦は春に近付こうかというその日、東京で少し遅めの雪が降った。
 綻び始めた蕾は空から降る白い結晶に触れて固くなり、町も時を巻き戻されたかのように凍りついている。
 そんな日だったから、あと一時間もすれば日付が変わる頃の住宅街は人も車も気配すら無く、いつにも増して静かだった。
 そしてその白い静寂の中に溶け込むようにして、冬沢亮は歩いていた。
 風は吹いていないが、朝に一度降った雪は夜になってまた降り始めていた。
深夜ではあるが、雪が街頭や月の僅かな光を反射して、町はどこか白んで見える。服の隙間から入り込む冷気を少しでも遮ろうと、オールドブルーのマフラーを締め直した。
 何故こんな日に夜の散歩と洒落込んだのか、それは冬沢自身にもよく分かっていない。どうにも眠れないから散歩でもしよう、などという発想が浮かぶこと自体、決まった時間の就寝・起床を原則とした生活をしている普段の冬沢であればまず有り得ないのである。
 だが事実として、冬沢はおよそ一駅か二駅分は歩いていた。遠回りの道を選んでいるので、実際の距離としてはもう少し長くなるだろうか。
 白い世界の中、世界に自分しかいなくなったかのような錯覚と共に歩くのは、時間や距離の感覚を忘れさせるほどに心地良かった。
 どれ程歩いたか冬沢も忘れた頃、車道を挟んで、小さな滑り台と砂場といくつかのベンチだけが置いてある小さな公園が見えて来た。見覚えのある公園ではあるがここまで歩いて来ることは珍しい、そろそろ家に帰るべきか……。
 そう、思った時。
 ベンチに人影を見つけた。
 人影というだけであればまあ、良いのだろう。問題は、その人影がやけに見覚えのある人物に見えたということで。
 一歩、車道側に近付いて、公園の外からその人影を見る。
 街頭にぼんやり照らされた白い闇の中、その男はベンチに座っていた。
焦げ茶色のコートに臙脂色のマフラーを巻いて、長い脚を投げ出して、どこか途方に暮れたように空を見上げていた。
 気のせいであって欲しい……そう念じながら、気が付けば車道を渡って公園側の歩道へ足を踏み入れていた。近付けば近付くほど、その人影ははっきりした形を結んでいく。
 その顔がはっきり判別出来るようになるまで近付いた時、そいつは冬沢が公園の外からこちらを見ていることに気が付いたらしくこちらを振り向いた。
 冬沢は溜息を一つ吐き出すと、公園の中に足を踏み入れた。
 ベンチに座っていた男は、自分の前に立つ冬沢に困惑の色を見せながら口を開いた。
「……何やってんだよ、こんな時間に」
「その言葉、そっくりそのまま返してやろうか?」
 ベンチに座っていたその男は、千秋貴史。
冬沢から見て幼馴染、腐れ縁、中高の元同級生、そして現在は同じ劇団所属の現同僚にあたる存在だった。
 そう言えばこいつはこの辺りに住んでいるのだったか、と冬沢はぼんやり思い出す。
まさか夜の公園で思い出すことになるとは思いもよらなかったが。おまけに今は天気が天気、時間が時間である。
冬沢はからかい半分で当て推量を口にする。
「まさかとは思うが、鍵と財布を部屋の中に忘れて外に出たままオートロックに締め出されてしまったがこの時間では管理人不在で管理会社にも繋がらないから途方に暮れていた、なんてお粗末な話じゃないだろうな」
「…………」
 帰ってきたのは、沈黙だった。
 不貞腐れたような顔をしながらもどこか気まずそうに目を逸らす千秋に、冬沢は眉をひそめる。
 「お粗末な話」が図星らしい事実と千秋のその子供じみた態度に二重の意味で呆れながらも、どうしてやるかと考える。一応は幼馴染で腐れ縁で同じ劇団に所属している男である、ここで見捨てるのは流石に忍びない。
 一応財布は持って来ているのだ、金を貸してやって駅前のビジネスホテルに押し込むくらいは出来るが……そう考えながらも、冬沢は一つ溜息を吐いた。
「……俺の家に来るか?」
「は?」
「は……」
 自分の口から思い掛けず出てしまった言葉を撤回しようとしても遅かった。
 その言葉をしっかりと聞いてしまったらしい千秋は目を丸くして、ぽかんと口を開けている。
 何だその間抜けな顔は、ああ俺の言葉のせいか……と、不用意な言葉を口にしてしまったことを後悔するが、こうなるとやっぱりホテルにでも行けと言うのも寝覚めが悪い。
 もうどうにでもなれ、と冬沢はもう一度その提案をはっきりと口にした。
「だから、俺の家に来るのか来ないのか、どちらなんだ」
「……え、お前の家?」
「そう、俺の家だよ。何回言わせるつもりだ?」
 飲み込みが遅すぎる。
 今し方の自分の提案と日頃の千秋に対する言動の落差が千秋をひどく驚かせているという(普段の冬沢であればすぐに気付きそうな)事実を棚に上げながら苛立ちと共に踵を返すと、慌てた様子で千秋が立ち上がる気配を背中に感じた。
  行きは遠回りに歩いて来たが、帰りは最短距離を選んで歩く。道中一度も振り向くことはしなかったが、千秋がついて来ているのは気配で分かった。
 互いに言葉のないまま、雪の降る町を歩く。夜の町の小さな足音は雪に吸い込まれ、一度だけすれ違った車の走行音もすぐに消えた。
 程なくして冬沢のマンションに辿り着く。
 エントランスを抜け、エレベーターで上階に上がり、自分の部屋の前に辿り着いたところで冬沢は初めて千秋の方を振り向いた。冬沢の三歩後ろを歩いていた千秋はびくりと肩を跳ねさせる。
 その顔いっぱいに広がっている困惑を見た途端に心がざわつくが、冬沢は努めてそれを押し殺しながらコートのポケットから革のキーケースを出した。
「少しそこで待っていろ」
 それだけ言って、鍵を開けて先に部屋に入る。暖房を付けたまま出て来たものだから部屋の中は温かい。収納からスリッパを出して玄関前まで持って行く。
 自分の部屋に他人を上げることがまずないのだ、来客用の準備など何も無い。だからスリッパは普段使っているスリッパに何かあった時用の予備だし、千秋はダイニングのソファに夏物のタオルケットを敷いた上にブランケットを被って寝てもらうことにする。
 何故部屋に上げることにしてしまったのか、と一抹の後悔が押し寄せるが、あの男相手に今更何かを気にする必要があるのかと考えると、特に無いだろう……という結論に至ってしまうのであった。それを嘆くべきか安心するべきかは考えないこととして。
 玄関のドアを開けて廊下で待たせていた千秋を部屋に上げると、千秋は恐る恐ると言った風情で入って来た。
「お、お邪魔します……」
 入って来る時だけ敬語になる千秋が何だかおかしかった。
「朝になったら叩き出すからな」
 冬沢の冷たい言葉に、千秋は安心したような表情を浮かべながら肩を竦める。
「分かってる。泊めてくれるだけでありがてえよ、こっちは」
 何故そこで安心するんだ。
 収納から引っ張り出したブランケットを苛立ち混じりに千秋に放ると、柔らかなブランケットが秋の顔面に直撃した。

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