「げっ」
自販機の前で思わず声を上げた時にはもう遅い。
ごとんと音を立てて、自販機はルイボスティーのペットボトルを吐き出していた。
「ノーセンス……」
買おうとしていたのは隣の麦茶なのに、間違えてルイボスティーを押してしまった。
仕方なしにペットボトルを取り出す。見慣れないラベルの赤がやたら目に刺さった。
正直ルイボスティーを自分から飲む気にはなれない。あの独特の風味が嫌いというわけではないが、進んで飲みたいという味でもない。だったらまあ、適当にルイボスティーを好きなやつに譲ってやる方がいいだろう。多分。
そういうわけで、オレはルイボスティーのボトルを小脇に抱えてから自分の麦茶を改めて買い、とりあえず蓋を開けて一口。些細なミスで余計に乾いた喉に麦茶が沁み渡る。
そしてペットボトル二本を手に、さてどうしたものかと考えながら華桜館に戻ることにした。
道すがら誰か──後輩でも同級生でも──顔見知りにすれ違えれば良かったのだが、今は日曜日の午後。おまけに期末試験も終わった冬休み直前だ。いつもであれば生徒達が行きかっている敷地内に人影はない。
まあ仕方ないか、とは思うがこのルイボスティーはさっさと手放したい。
ふと、日常的にルイボスティーを飲みそうなやつが一人思い浮かんだ。
オレの幼馴染、同級生、宿敵、王様、人生のラスボス相当。そいつは今日、オレと同様に登校している筈だ。
あいつにあげるのか……オレが間違えて買ったこれを……そう考えると、愉快そうな笑顔を浮かべるあいつの顔を嫌でも想像出来る。
あいつは最近そういう顔をするようになった。オレが些細な失敗をするのを見ると、何か面白い物を見たと言わんばかりの顔をするのだ。否、絶対に面白がっている。少し前までじっとりとした目でこちらを見るだけだったというのに。
人の失敗を面白がっている時点でいい性格をしていると言わざるを得ないが、あいつがそんな顔をするのはどうもオレの失敗を見た時だけらしい……そう気付いてしまったのは果たして運がいいのか悪いのか。
あいつの顔を思い浮かべながらぐるぐると考えているうちに、華桜館の正面玄関前まで来てしまった。
館内に入る前に立ち止まってもう一度、手に持ったルイボスティーを見る。本当にこれをあいつにやるのか。あいつに、オレが、自発的に物をあげるのか……と考えて、
「……迷ってる方が余程馬鹿っぽいな」
それこそノーセンスだろう。
何もおかしなことはないのだ、とオレは迷いを振り切って館内に足を踏み入れた。
厳かな廊下を歩き、あいつの執務室の前まで足を運ぶ。今日登校している華桜会メンバーはオレとあいつだけの筈だから廊下はとても静かだ、知らない間に登校してるやつがいる可能性もゼロじゃないが。
執務室のドアの前で足を停め、小さく息を吸ってから軽くノックする。
はい、とドア越しに返事が聞こえて数秒待つと、ドアが内に開いて中から部屋の主──冬沢亮が顔を出した。
亮は最初の一瞬こそ優等生な「他所行き」の顔をしていたが、ノックの主がオレだと認めた瞬間にすっと表情が消えた。
「なんだ、お前か」
ペルソナが極端すぎるだろ。
だが今に始まったことでもないので、さっさと要件を済ませてしまうことにする。
「これやる。間違えて買ったけどオレはルイボスティー飲まねえから」
ひと息にそう言ってペットボトルをぐいと差し出す。
亮は不思議そうに眉を顰めたが、やがて小さく息をついてボトルを受け取ってくれた。
「不注意だな」
「うるせえ」
亮は手に取ったボトルを眺めたかと思うと、くすりと笑い。部屋の中に向けて踵を返した。
「少し待っていろ」
「は?」
そのまま、またドアが閉じた。
何をする気かは分からねえが、待ってろって言われたんだから待ってればいいんだよな。まさか亮一人で手が回らない仕事を押し付けでもするつもりか。それならそれで、手伝ってやらなくもないが。
大人しく待つこと数十秒。またドアが開いて、亮が出て来た。
「手を出せ」
言われるままに右手を出すと、掌に小さな瓶が乗せられた。僅かなものとは言え思いがけない重みに慌ててその瓶を掴む。持ち上げてよく見ると、掌に乗るサイズの瓶の中に青や水色に白と、涼やかな色の金平糖が詰まっているのが見えた。
思いがけないそれに虚を突かれて黙っていると、亮は小さく肩を竦めた。
「貰い物なんだが、量が多くてね。礼という程でもないがあげるよ」
「量が多いって……」
そんなに大きな瓶でもないだろ、これ。オレがそう言い掛けたところで、亮はその瓶を指先で軽く突いた。
「一箱にこの瓶が四つ。うち二つは親が持って行ったが、俺一人で二瓶分は多すぎる」
「なるほどな……」
金平糖は言ってしまえば砂糖の塊だ。栄養バランスやスタイル維持に相当気を使っているこいつからすれば小さな瓶でも食べ切るのに時間は掛かるだろう。
しかし、間違えて買ったペットボトルのルイボスティーと、瓶入りの金平糖を交換とか。
わらしべ長者かよ。
「……ま、貰っとく。ありがとな」
オレの言葉に亮は表情一つ変えずに頷いた。
「もういいか、まだ仕事が残っているんだが」
「最初っから長居するつもりはねえよ。じゃあな」
オレがそう言うと同時に亮は素っ気なく部屋の中に引っ込む。ドアが静かに閉められ、また廊下に耳が痛くなるほどの静けさが戻って来た。
結局自分の分の仕事は一人でやるつもりか、ほんっと可愛くねえなあいつ。
ずっとここに立ち続けていても仕方がない。右手に金平糖の瓶を、左手に麦茶のボトルを持ってさっさと自分の執務室に戻ることにした。
デスク前の椅子に腰を下ろし、自分しかいない空間でぼんやりと、窓から差す冬の陽光に金平糖の瓶をかざしてみる。
陽光を浴びた半透明の水色や青がほのかに光るのを見ていると何とも言えないむず痒さが体の芯から背中にかけて立ち上ってきたので、首を横に振ってそれを搔き消す。
折角だし一粒くらい食べてみるか、と瓶を覆うビニールをペリペリと剥がして蓋を捻る。
掌の上で瓶を傾けると、小さな星が二つ三つと転がり出て来た。水色、白、水色。
まとめて口の中に放り込んで、舌の上で転がす。どうも色によって仄かに味が違うようだが、どっちがどっちだなんて分からない。
ただ一つ分かるのは。
「……甘……」
背中のむず痒さが全身に回るのが止められそうにないということくらいだった。
20 2021.9