【ちあふゆ】暗夜光路

※死体を埋めに行く話。
※ホラー。血の表現があります

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 マンションのドアを開けた時にそこで見たものを忘れることは、恐らく一生ないのだろう。
 玄関に立ち尽くしてぼんやりとした目でこちらを見る幼馴染の着た白いシャツはどういうわけか胸の辺りがべったりと赤くて。天井を仰ぐようにその足元に転がっていたのは、どこの誰とも知らない、真っ赤に染まった人の形をした何かで。その胸元からは、木の柄が生えていて。
 そして玄関中に赤い何かが悪趣味な花のように飛び散り、鉄のような肉のような臭いが立ち込めていた。
 それらの光景を、千秋は自分でも驚くほど冷静に受け止めていた。非常事態を前にして何をするべきか、考えるより先に脳が結論を導き出す。
 こちらを見る冬沢の目が焦点を結ぶより先に、千秋は口を開いていた。
「……車出すぞ」
 それをビニールシートで包み、紐でぐるぐると縛ってから大型スーツケースに押し込んで家庭用乗用車のトランクに放り込む。ぼんやりしたままの冬沢を一人置いて行く訳にも行かないので服を着替えさせてコートを着せて助手席に座らせ、まず自宅(千秋は実家住まいである)に寄って物置から剣先スコップを引っ張り出してこれもトランクに入れた。そしてどこに埋めるべきかと考え、とりあえず西の山の方へ向かうことにした。
 スマホで開いた地図アプリでここから車で行けるが人家の少ないあたりの住所表記を調べたら後はカーナビに入力して案内通りに車を走らせるだけだ。
 時刻は日付も変わろうかという頃、インターチェンジへ向かう車道を走る車は少ない。カーラジオも付けない車内に会話はなく、冬沢は千秋が持たせた缶コーヒーを両手で持ったまま目を閉じて黙りこくっている。道路脇の店にはぽつぽつ明りが灯ってはいるが車道を照らすほどでもなく、時折対向車線をすれ違う車のライトと街灯だけが車内に光を投げた。
 高速道路に入り、西へと進む。
 深夜の高速道路を走る車の数は少なく、絶え間ない走行音は夜の空気に吸い込まれていく。
 途中でサービスエリアやパーキングエリアに寄ることはなく、真っ直ぐに走ってやがて高速を降りる。料金所で係員と顔を合わせるのは可能であれば避けたいところなのだろうが、生憎と千秋はETCカードを所持しておらず、またなるべく早くトランクにある物を片付けるには高速道路を使わないという選択肢は無かった。料金所が近付いたところで冬沢には寝た振りをしてもらい、自分は特に何事もない顔をして料金を払う。ただそれだけで良いのだ。
 山の方へ、人家の少ない方へと休むことなく車を走らせる。
 ほとんど土地勘のない辺りであったが、カーナビの言う通りに進めば道はどんどん暗く、細くなる。道もあまり舗装されておらず、車はガタガタとよく揺れる。カーナビの画面はいつの間にかほとんどペールグリーン一色になっていた。
 やがてカーナビの案内も終わり、それでも車を走らせて、街灯の一本も立っていないような道で車を止める。月のない夜であった。車の灯りが無ければ文字通りに一寸先は闇である。
 ここで待ってろ、とシートベルトを外しながら言うと、冬沢は首を横に振って自分のシートベルトを外し始めた。止めるべきかと一瞬迷ったが、ここに残していく方が危険かと思い直す。
 トランクからスーツケースとスコップ、そして非常用に車内に常備している懐中電灯を引っ張り出し、ガードレールを超えて山奥へと足を踏み入れる。
 適当なところで足を止め、スコップを地面に突き立てる。一時間ほど、千秋も冬沢も何も言わないままに、千秋は黙々と穴を掘った。やがて千秋の背丈程の深さまで掘り終えたところで冬沢は穴の中の千秋にスーツケースを渡す。スーツケースを穴の底に置き、穴の中から這い出した千秋は穴の底のスーツケースに土を被せ、黙ってその穴を埋めた。
 掘り出した全ての土を元に戻し、地面を均して周りの地面から目立たないようにする。 
 すべての作業を終え、埋め終わった穴に背を向けて顔を上げる。
「……終わった」
 冬沢がどんな顔をしているのか、暗闇が邪魔をしてよく見えなかった。ただ、コクリと一つ頷いたのだけは分かった。
 冬沢の手を取ると、冷え切った手に心臓がざわつく。その手を少し強く握って、元来た山道を引き返す。
 車道まで戻ると、車は置いて来た場所にちゃんとあった。迷わなくて良かった、と安堵しながら、千秋は車の鍵を開ける。広くなったトランクにスコップを放り込んでから二人で並んで車内に腰を下ろし、千秋はエンジンを掛けながら一つ息を吐き出した。
「もう遅いし、ホテルにでも泊まるか?」
「……お前はいいのか、帰らなくて」
 車内灯の下の冬沢の顔は青白く、ひどく張り詰めていた。膝の上で組んだ指先は僅かに震えている。
「多分泊まりになるって言っといたからな」
 適当に国道に近いコンビニをカーナビの目的地に設定して、静かに車を発進させる。来た進行方向でしばらく走っていれば山道を抜けることが出来そうだ。事を終えた今、こんなところでもカーナビは動くんだな、と千秋の思考は奇妙にクリアだった。
「忘れちまえ、今夜のこと全部」
「……それでも、あの部屋には戻らないといけないだろう」
「じゃ、オレが何とかしといてやる。お前はその間実家にでも帰っとけ。そうすりゃ安全だろ」
 千秋がそう言ったところで、舗装の乏しい山道を走る車体がガタガタ揺れる音に混じって、ダンダンダン、と、後ろから何かを強く叩くような音がした。横目でちらりと冬沢を見るが、冬沢は唇を固く引き結び、張り詰めた表情に変わりはない。
 ダンダン。
 ダンダンダン。
 しばらく車を走らせても、何かを叩く音は聞こえてきた。音の聞こえる方向からしてリヤガラスを叩いているようだが、運転中なのでそちらを見るわけにはいかない。
(ま、亮に聞こえてないなら、無視してもいいやつだろ)
 こういうのは、気にしてしまった方が負けなのだ。
 いつしか舗装された道に入り、シートから伝わる振動も大人しくなる。リヤガラスを叩く音は聞こえなくなった、が。
 バン、バン。
 今度はフロントガラスを叩くような音が響く。しかし当然ながら、車の前に影は無く、冬沢にも異変はない。
 じゃあこれも無視していいだろう、と。千秋は少しだけ深くアクセルを踏み込み、街に向かって車を走らせ続けた。
 ゴトン、と何かに乗り上げたような振動が一度だけ車を揺らしたが、こちらも意に介することは無い。気付けば車道脇の街灯の本数は増えていった。
 来た時は随分暗いと感じていた夜道だが、あの山道から出て来ると少しばかり眩しい。
「……お前は、良かったのか」
 ぽつぽつと店や人家の明りが目立ち始めた頃、冬沢が呟いた。
「何が?」
「っ……ここまでやって、もう引き返せないんだぞ」
「今それ聞くかよ、狡いなお前も」
「……」
「今更謝んな。……車出したのも埋めたのもオレの意志だ」
「だとしても、そうさせたのは俺だ」
 冬沢の言葉を聞いて、ハンドルを握る手に、少し力がこもった。
 冬沢の言葉にははっきりとした芯が戻りつつあって、このまま地元まで車を走らせて車から下ろせばその足で然るべき場所に一人で向かってしまうのだろうと、千秋にそう思わせるには充分であり……それでも、隣から聞こえるその声は微かな震えを帯びていた。
 山を降りてから初めての赤信号にブレーキを踏み、助手席の冬沢を見る。
 冬沢は唇を引き結んで俯いていたが、その肩は微かに震えていた。
 血に染まっていた服を着替えさせた時、シャツのボタンが不自然に無くなっていたことを思い出す。
 千秋は視線を道路に戻す。
「だったら、」
 アクセルを踏み込みながら、少しだけ笑う。人間こんな時にも笑えるものだな、と自分でも驚きながら。
「地獄の果てまで付いて行ってやるよ」
 たった二人だけの秘密を載せて、車は夜の道を走る。
 このまま走って走って誰もいない場所に行けたら、隣にいるやつがどんなにか楽だろう。それでも千秋は、自分の幼馴染はそんな場所にいるべき人間ではないとよく知っている。彼がどんなに苦しんでいたとしても、彼を孤独な場所に置いてはいけないのだと。
 そして、隣にいるのが自分だけでは駄目なのだと、それもまたよく知っている。
 故に千秋は、彼が帰るべき場所の方へと車を走らせる。夜の道は街に近づくに連れ少しずつ明るさを増して行き、千秋は連なる街灯の光に僅かに目を細めるのだった。

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