【一心と竜弦】院長室、一人と一人

※藍染による空座町侵攻直前の話

「よお、調子はどうだ?」
 その声は、院長室の入口のドアではなく壁際から聞こえた。
 デスクでノートパソコンと大きなサブディスプレイに向かい合っていた竜弦は、声のする方には顔を向けず指はキーボードから離さず、ただ言葉だけを返す。
「何の用だ」
「様子を見に来た」
「貴様は貴様でやることがある筈だろう、さっさと帰れ」
「つれねえなあ」
 声の主はそうぼやくが気にした風もなく、デスクの方に歩み寄ってきたかと思うと竜弦のノートパソコンとディスプレイを肩越しに覗き込んできた。
 男の体で光が遮られて視界が暗くなるが、退かせるのも面倒なので竜弦は打鍵とマウス操作をやめない。
「……入院中患者のリストか」
「万が一目を覚まされたところで私しか対応出来ん」
「……そうだな、頑張れよ」
「余計な仕事を増やしてくれたものだ……」
『この町にとある悪党の手が迫っています。
 なのでこの町を守るために丸ごと尸魂界に転送します。
 住民の皆さんにはその間眠っていただきますが、強い霊力をお持ちのアナタには全く効かないでしょうから事前にお伝えしておきます。
 アタシ以外にアナタのこと知られるとアナタも何かと面倒でしょうから、なるべく病院から出ないでおいてください☆』
 駄菓子屋店主が隠し倉庫に残して行ったあのふざけたメッセージのことを思うと頭が痛くなる。この病院にどれだけの人間が入院していると思っているのか。
「……何だか知らんが、人間を巻き込むな」
「……ああ、そうだな」
 思わず溢れた独り言に返ってきた相槌がひどく重苦しいものに聞こえたので、竜弦は初めてディスプレイから視線を外して振り向いた。
 黒い着物を身に纏ったその男は、腕組みをして竜弦の背後に立っていた。
 その表情は険しかったが、すぐに取り繕うような笑顔に変わった。
「それ、手伝うか?」
 作り笑顔がひどく癇に障るので竜弦は視線をディスプレイに戻した。
「要らん。貴様は自分の家にいろ」
「……そうかい、ありがとよ」
 礼を言われる覚えはないので無視してパソコンの操作を続ける。
「そんじゃ、俺は帰るわ」
「さっさと帰れ」
「おーおー、それじゃあな」
 男の気配が背後から離れていく。
「黒崎」
 名前を呼ぶと、壁をすり抜けてきたくせに律儀にドアから出ようとしていたらしい男……黒崎一心が振り向く。
 最初に名前を呼んだ時は驚いていた癖に、あれから一週間と経っていないにも関わらず今では驚きもしていない。
 人間的なものか年長ゆえのものか分からないが、その余裕に僅かに苛立ちを覚えながらも、竜弦は言葉を続けた。
「死ぬなよ」
 この頑丈な男が死ぬと本気では思っていない。
 ただ、必要があれば自分の命の優先度を下げることに躊躇いのない男であろうことは分かっている。なのでその言葉を投げ掛けた。大した抑止にもならないだろうが、言わないよりはマシであろうと。
 一心は竜弦の言葉に目を見開いたが、すぐにニヤリと破顔した。先の作り笑いとはまるで違う笑顔だった。
「命は賭ける予定だが死なねえよ。……お前と仲良くしてくれって、真咲に頼まれてるからな」
 思いがけず出てきた従姉妹の名、そして何故自分と『仲良く』することが一心が死なないことに繋がるのか理解できず、思わず眉をひそめる。
「……初耳だが」
「二十年近く俺の名前呼ぼうとしなかった奴にそんなこと言えるわけねえだろ……じゃあな、本当に帰るぞ。そろそろ午後の診療が始まっちまう」
 一心はひらひら手を振って、ドアをすり抜けて院長室から出て行った。
 邪魔をするだけして、一体なんだというのだ。竜弦は一つ溜息を吐いて、仕事を再開した。
 あの男が去り際に見せた無遠慮な笑顔。それを見て少なからず安心している自分に気付いたが、思いの外悪い気はしなかった。

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