【姫野父子】とある父親の回想

「私、こういう者です」
 差し出された名刺にはこのような肩書が記されていた。
『315プロダクション プロデューサー』……聞いたことがない事務所だ。だがすぐ、名刺の左下に事務所の住所と代表取締役の名前が書かれていることに気付く。
『代表取締役 齋藤孝司』の名に目が留まる。この名前は知っていた。
「齋藤さん、独立なさるんですか」
「はい。齋藤を社長とした新たな芸能プロダクションを立ち上げるにあたり、弊社にアイドルとして所属していただける方を現在募集しているところです」
「なるほど……」
 であれば話を聞いてみる価値はあるかもしれない。
 名刺から、その名刺を差し出した者へと視線を移す。
「それで、その新しい芸能プロダクションのプロデューサーさんがなんのご用です?」
「はい、実は私、姫野かのん君をアイドルとしてスカウトしたいと考えております!」
「……うちのかのんを、ですか」
 突然の申し出に、驚きがない訳では無い。
 ただ、こういったことは初めてではなく、それ故に、父親としての僅かな警戒心が先立った。
「何か、そう思ったきっかけでも?」
「以前からモデルとしての活動は拝見しておりましたが、先ほどの特番収録現場を見て確信しました。かのん君には間違いなく、アイドルの才能があります!」
 ここまでは、よく聞く文句。言葉だけなら他のスカウトと同じことを言っているなあ、と思うだけで済むのだが……
「自らのカメラ写りや周りの子も意識した立ち居振る舞い、何より素敵な笑顔……とても、アイドルに向いています。是非! 一度お話を!」
 畳み掛けてくるような言葉の勢い。加えてそのプロデューサーの目は、見たことがないほどに輝いていた。
 芸能関係者でここまで目が綺麗な人を初めて見たかもしれない……そう思ってしまうほどに。
 ともすればその目に惹きつけられて首を縦に振ってしまいそうになったが、慌てて思い留まる。
「すみません。回答は、かのんと話してからにさせてください」
 プロデューサーは、「構いませんよ」と頷いた。
「大切なことですから、ゆっくりと話し合ってください」
 ちょうど会話が終わったタイミングで、背中から僕を呼ぶ声がした。
「パパ〜!」
 かのんの声だ。着替えが終わって帰る支度が出来たのだろう。
 それでは私はこれで、とプロデューサーは一礼して立ち去った。
 貰った名刺をしまいながら、かのんがこちらに来るのを待つ。かのんはすぐに僕の元へ走って来た。
「お着替えおわったよ、かえろ♪」
「ああ、帰ろうか。忘れ物はない?」
「うん、ちゃんとかくにんしたもん!」
「よしよし、偉いぞ」
 かのんと手を繋いで、スタジオを後にする。
 さて、先のスカウトの話をいつするべきか……そんなことを、二人でエレベーターに乗りながら考える。
「なあかのん、モデルやテレビのお仕事は楽しい?」
 そう尋ねると、かのんは「うん!」と満面の笑顔を向けてきた。
「とってもたのしいよ♪ パパのかわいいお洋服を着られるし、みんなにパパのお洋服をしょうかいできるし、ときどきこうやってテレビのおしごとするのも、とってもたのしい!」
「そっか、それは良かった」
 かのんの見せる心の底からの笑顔に安堵すると同時に、僅かな靄が心の内に広がる。そしてその靄はすぐに、このままでいいのだろうか、という不安に変わる。
 その不安は、仕事終わりのかのんの笑顔を見ると時折顔を覗かせる。
 かのんには、物心つく前から僕のブランドのモデルをして貰っている。それこそ僕のブランドの立ち上げ初期からだ。僕の作った可愛らしい服を着て、可愛い可愛いと大人達だけでなくブランドのターゲットである子供達からも褒められあるいは憧れの目を向けられ、年齢とほぼ同等の芸歴ゆえの経験値は高いプロ意識へと転化している。
 かのんは僕の作る服を大好きだと笑ってくれる。ずっと着ていたいと、いつまでもそうであると信じて疑わない無邪気な笑顔で。
 だが少なくとも、僕のブランドの服を着ていられる期間は残り少ない。かのんが子供でいられる期間はまだ長いとしても、「子供服」というカテゴリの衣服が人間の人生において必要とされる期間は恐ろしく短いのだ。
 僕がかのんのためだけの服を作り続けることも出来なくはないだろうが、それでもモデルをお願いすることは難しくなる。僕のブランドのモデルというあり方がアイデンティティにまでなっているかのんにそれは酷ではないだろうか。
「パパ、どうかしたの? どこかいたい?」
 不安が顔に出てしまっていたらしく、慌ててかのんに笑顔を向けてその小さな頭を撫でる。
「いいや、なんでもないよ」
 駐車場のある地下階にエレベーターが到着した。
「帰りにケーキでも買って帰ろうか。今日のお仕事を頑張ったご褒美だ」
「ほんと⁉ やったあ!」
 かのんと手を繋いで、駐車位置まで向かう。
 こうして一緒に帰れるのは残り何回なのだろうと、思わずにはいられなかった。

◆◆◆

 大人になんて、なりたくない。
 そう思うことは、子供であれば極めて自然なことと言えよう。
 僕もまた、幼い頃にその思いを経験してから大人になった者の一人であった。
『何言ってるの、この服はもうサイズが合わないでしょ』
 彼のお気に入りだったピンクのパーカーも、大判プリントがお洒落なカットソーも、母親のそんな言葉と共に学校のバザーに出品された。
 嫌でも身体は成長し、子供向けの可愛い服は着れなくなっていく。僕は身体の成長が早く、小学校高学年に上がる頃にはもうほとんどの子供服が着られなくなっていた。それ故にティーン向けの可愛い服を選んでみるが、どうしても「何かが違う」と感じてしまう。
 小学校高学年の家庭科の授業で再訪を習った彼は、次第に買った服に自分で手を加えるようになっていった。独学で被服デザインを学び、既製品を自分の思う「可愛い」形へと改造していった。自分の好きな服を着るために。
 それでも。鏡に映る自分は、もう決して体の小さな子供ではない。子供向けの、小さな子供のために最適化されたデザインの服が似合わなくなっていることを僕は嫌でも痛感した。
 次第に、こう思うようになっていった。

 ──こんなことなら体が小さいうちにもっともっと沢山「可愛い」服を着ておくんだった、と。

 子供服売り場の鮮やかな色彩と「小さくて可愛い」服の数々は、中学に上がる頃になってもなお、僕の心を捉えて離さなかった。
 そんな僕が子供服のデザイナーを目指すのは、ごく自然な流れであった。
 中学に上がった頃から、ネット上で自作の子供服を発表するようになった。初めはブログへ、次第にSNSへと。
 僕のデザインする、僕の思う「可愛い」を詰め込んだ服の数々は次第に話題となり、やがてある人の目に止まった。子供服専門衣料品店の経営者であるその人は、たちまち僕のデザインに惚れ込んだ。子供のために最適化された可愛らしいデザイン、着用する子供達のことを第一に考えた機能性・実用性。君がネットで公開している作品にはそれらが全て詰まっている──SNSを通して僕に直接コンタクトしてきたその人はそう語り、こう持ち掛けて来たのだった。
 我が社の傘下でブランドを立ち上げてみないか、と。
 そのメッセージを受け取ったのは、僕がデザイン系の高校に進学した直後のことであった。
 そう、子供服の可愛らしさに心を囚われ続けた僕が選んだ道は、「子供服を作り続けること」だ。
 可愛いものを愛する子供たちが、子供というごく短い期間のうちに、思う存分に可愛い服を着られるよう──そう考え続けていた。
 だがそれは、僕が成長したからそんな思考が出来ているだけのこと。
 かのんのように現在進行形で「可愛い服」に心を囚われている子供に、「すぐに着られなくなるから今のうちに沢山着ておきなさい」などと言えるはずもない。
 かのんが僕のブランドのモデルを出来る期間は、長く見積もってもあと二年。僕の成長期が早く訪れたことを考えるともっと短いかもしれない。
 かのんが僕のブランドのモデルを出来なくなった後のことを、考えなければならない。
 物心つく前の幼い息子に己のブランドのモデルをして貰っていた父親として、それくらいの責任は負うべきだろう……子供達も妻も寝静まった深夜に、仕事机に向かい合いながらそんなことを考え始めたら、引きずられるように昔のことを思い出す。
 僕が子供の頃と比べても、ファッションの選択肢は広がったと思う。
 それでも大人になってもずっと「可愛い」服を着続けることが出来るかというと、それは仕事によってはまだまだ。
 果たしてかのんは、大人になりたいと望むだろうか……そう考えると、どうしても昔の自分を思い出してしまうのだ。
 ふと、テレビ局で貰ったあの名刺の存在を思い出してデスクの上に置いてみる。
 アイドル、とあのプロデューサーは言っていた。
 アイドルという職種には、仕事上での関わりが大きいわけではないが、テレビ局に出入りすることもあるために少しは馴染みがある。今日かのんが出演した特番のMCも、子供達に人気の女性アイドルだった。
 タブレットのブラウザを立ち上げ、その女性アイドルの名前で検索してみる。
 一番上に出て来た事務所のプロフィールページに飛び、どんな仕事をしているのかと見てみると、本業であろうCDリリースやライブに留まらず、TVバラエティ、ドラマや舞台、モデルと幅広く活動しているようだった。
 男性アイドルはどうなのだろうと、とりあえず知っているベテラン男性アイドルの名前で検索してまた事務所のプロフィールページを眺める。こちらはアイドルとして歌や演技の仕事をしつつ作家もやっているようだった。
 他にも何人か、知っているアイドルや知らないアイドルのプロフィールや時折貼られているMVやライブ映像を眺めながら、アイドルというものについて考える。
 様々なアイドルがいた。
 農業をやっているアイドル、DJをやっているアイドル、セルフプロデュースによる独特の世界観を売りにしたアイドル、お笑い芸人としての顔も持つアイドル、演技力で高い評価を得ているアイドル、高い歌唱力を売りにしたアイドル、ガラの悪さをあえて押し出しているアイドル。ここまで千差万別だとアイドルという言葉で一括りにしてしまっていいのだろうか、これは。
 メンズライクのゴシックファッションを身に纏った女性アイドルが歌うMVがあれば、ゆめかわな世界観のセットで可愛らしく歌う男性アイドルのMVもある。後者はかのんが好きそうなので今度見せてみようと思う。
 ──かのん君には間違いなく、アイドルの才能があります!
 あのプロデューサーの言葉を反芻し、ブラウザの大量に開かれたタブに並んだアイドルの名前を眺める。この中にかのんが並ぶ可能性を考えると、あまり違和感はなく。
 アイドルになることが、かのんがかのんらしくい続けるための最善の選択なのかは分からない。そもそもスカウトを受けていることを知ったかのんが、アイドルになりたいと望むのかどうかも分からない。
 それでもこの名刺が、いつかかのんに必要になるのかもしれない……かのんの数ある未来の選択肢の一つとして、そんな可能性を思うのだった。

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