※ソドンが地球に降りてます
◆◆◆
その日、エグザべは初めて地上から月を見上げた。
ビロードのように広がる夜空に浮かぶ丸く白い月をソドンの艦橋から見上げて、パチパチと目を瞬かせる。
「月って、地球からだとあんな風に見えるんですね」
思わず声が弾んだ。暗くはあるが常に薄ぼんやり明かりのあるコロニー内部の『夜』と比べると地球の夜はさながら宇宙のように暗く、けれどその中で白く輝き地上を照らす月の姿は圧倒的であった。
「そうですね。私も地球から見上げるのは初めてです」
一方で隣の上司は特に感慨がある風でもない。
冷めてるなぁこの人、とエグザべが思わず横目でシャリア・ブルを見ると、シャリアはエグザべの反応に思わずといった風に苦笑しながらこう言ったのだった。
「せっかくです、降りて見て来ますか?」
その提案にエグザべは目を丸くする。
「えっ、いいんですか」
「どうぞ。補給のために寄っただけの面白みのない基地ですが、少しは気分転換になるでしょう」
今この人自分の国の基地にさらりと酷いこと言ったな。エグザべは呆れながらも、ほとんど無意識にこう返したのだった。
「だったら、中佐も一緒に行きませんか」
だったらって何が――!?
エグザべが自分で自分に驚愕している間にシャリアは「いいですよ」とにこやかに応え、二人連れ立って艦橋を出て格納タラップを展開し、気が付けばタラップを降りていたのだった。
なぜこうなっているんだ……!? と混乱していたのも束の間、タラップから地上に降りると月の光が直に目に飛び込む。地球の夜の前で基地の灯りはあまりにも小さく、一方で空から地上を照らす月の光はあまりにも力強く、エグザべは言葉を失った。
「ここで立ち話もなんです、近くにベンチがあるのでそこまで行きましょう」
シャリアに肩を叩かれ、エグザベは我に返る。シャリアがそのままエグザベの肩を抱くようにして歩くので小さく細い息がエグザベの喉から鳴った。
地球の夜はほのかに肌寒く、肩に触れる体温が尚の事強く感じられる。心臓がドクドクと強く鳴り始め、全身に血が巡り体温が上がる心地を覚えながら、エグザベは大人しくシャリアにエスコートされた。
都市部の郊外にあるこの基地は、以前の戦争からジオンの補給基地として使われていた。どうやらソドンを収めておけるだけの格納庫がないらしく、ソドンは屋外に野ざらしで置いてある。少し歩けば、バスケットゴールやベンチが置かれている広場があった。
「街に行くのは明日、今日はここで我慢してください」
「は、はい……」
シャリアが指したベンチからは、月がよく見えた。腰を降ろす時にシャリアの手が離れていくのをほんの少し惜しく思う。まだ心臓がドクドクと鳴っていた。
「ふふ、緊張してますか」
ベンチのすぐ近く照明灯がベンチを照らしている。その白い光は月の光よりよほど弱々しく思えたが、エグザベを見て薄く微笑んでいるシャリアがよく見えた。
(この人はまた僕を弄んでいる)
それが少しだけ面白くない。
自分が上官に対して抱く感情の中に敬愛とか思慕とかそういうお綺麗なガワに包まれた劣情が含まれていようとこの人はそれも織り込んで利用しているのだ。最終的に己の目的に利するようであればなんでもする。劣情を刺激して年下の部下を籠絡することすら厭わない。そういう人だ。
「……中佐は、僕にどこまでしてくれるつもりなんですか」
口から出たのは、どこか拗ねるような声。こんなだから子供だと思われる。もう23だってのに。そんなエグザべに対してシャリアは、唇の端を緩く上げる。
「君が私に何を望んでいるかにも寄りますが。上官として出来る範囲のことなら何でもしますよ」
そして身を屈め、エグザべの耳元に口を寄せた。
「ちなみにこのベンチは監視カメラの死角です」
「――――」
低く甘い声が耳朶を打つ。脳を揺さぶりじわじわと髄まで染み込んで、全身の血を沸き立たせる。体の熱に突き動かされそうになる前に、理性を総動員して声を絞り出す。
「……なんで、軍事基地にカメラの死角なんかあるんですか」
シャリアが薄く笑ったのが分かった。体勢はそのまま、エグザべの耳元でシャリアは囁く。
「さあ。予算がないか、あるいは敵対勢力のスパイが深くまで入り込んでいるのかも」
ざわざわと全身が粟立つ。エグザべは必死で堪えようと自身の太腿をつねった。
「だとしたら大ごとじゃないですか……!」
「しかし我々が言ったところで信用してもらえるかどうか。本国で要注意指定されてる人間ですよ? 私」
「ええ……」
「大丈夫、ここでこうしているだけでその手の輩への牽制にはなりますから。元々ここはまだ泳がせておくことになっているらしいので、警戒の必要はあれど我々が直接どうこうする必要はありません」
そしてシャリアはエグザべから顔を離し、
「はい、時間切れ」
「えっ」
呆気に取られるエグザべの肩を、シャリアは軽く叩いた。
「私とどうにかなりたいのなら、もう少し思い切りの良さを持つことです。君のその愚かなまでの賢さは嫌いじゃありませんが」
先生が穏やかに生徒に言い聞かせるような口振り。その向こうに白い月が見える。
その光に目が眩み、気が付けばシャリアの手首を掴んでいた。
「分かってやってるんでしょ、僕があなたを好きだって」
ほとんど睨むようにして、あらゆる光を吸い込むかのようなシャリアの目を見つめる。その目には何も映っていない。彼の目に見えているはずのものを、何も映していない。
「……思い切れって言ったのは、あなたですよ」
その目に無理矢理にでも自分を映したくて、互いの吐息がかかるほどの距離まで顔を近付け、無理矢理唇を重ねた。
思いを寄せ続けていた相手の唇は、少し固かった。
唇を離すと、シャリアは小さく肩を揺らした。
「……もう少し粘るかと思ってましたが」
「死角とは言え一応基地の中なので、ここ。処罰なら受けます」
「図太いですねえ……」
呆れたように肩を竦めてから、シャリアはベンチから立ち上がった。
「戻りましょう。話の続きは私の部屋で」
「えっ」
思いがけない言葉に、思わず馬鹿みたいに口を開けてしまう。
「話の続き、していいんですか」
「したくないんですか?」
「したいです!!」
それはそれは大きな声が出た。
シャリアはそんなエグザべを見て薄く笑いながら、ソドンの方へと踵を返す。エグザべは慌ててその後を追った。
タラップを上がりながら、シャリアがふと呟いた。
「……私も少し、月の光に当てられたのかも知れません」
「月の光……?」
「月には人をどうにかしてしまう魔力がある、という、旧世紀の言い伝えのようなものです。我々には馴染みのないものですが、あながち嘘ではないのかもしれませんね」
だから、と、タラップの一番上の段を静かに踏みながら、シャリアはエグザべを振り返った。
「今起きたこと、これから起こることは全て、スペースノイドの我々が初めて経験した月夜のせい……ということで」
そう言いながら《木星帰りの男》の浮かべた笑みはひどく蠱惑的なものだった。
こんなの、月の光などよりも余程人をどうにかしてしまうだろ……と、エグザべは慌てて後を追ってタラップを駆け上がる。心臓は先からひどく鳴っていた。
そうして機体の扉が閉まる。月の光は変わることなく、何食わぬ顔でソドンを照らしていた。
以下、この話を書いた経緯。
一応声優さん由来の話なので畳んでます
7、8年前とかだったと思うのですが、声優が集まってカラオケをやるというイベントに行った時にエグザべ役の山下さんが出てSideMのMOON NIGHTのせいにしてを歌って場内ドカ湧きしていた思い出がありまして。
ムンナイは曲調は凄くイケイケなのですが、歌詞は月夜のせいにしないと好きな人に積極的なアプローチが出来ない男の歌でもあって、エグシャリのエグザべ君みを感じるなあと当時のことを思い出してこの話を書いた次第です。まあ特別映像的にそのうち本編でソドンも地球降りると思いますが全てが曖昧な今のうちに書いとけと書きました。
公式でSideMの3Dライブの映像あるので貼っときますムンナイを聴いて下さい