シャリア・ブルを監視し、可能であればその懐に入って情報を引き出すこと。
それがジークアクスの正規パイロットとしてソドンに乗艦したエグザベ・オリベに課された裏の任務であった。
適材適所って言葉を知らないの? だの、人事能力ゼロなの? だの、組織化の弊害? だの、彼の今の同僚であるコモリ・ハーコートあたりが聞けばそれはそれは容赦なくオブラートにも包まず時代によっては不敬罪でしょっぴかれそうな(そしてエグザベに対してもそこそこ失礼な)ことを言ってくれそうな采配ではあるが、とにかく事実としてエグザベ・オリベはそのような任務を課されていた。
ソドン乗艦中の、そして今現在の上官であるシャリア・ブルもコモリと概ね同意見なのだが、しかしエグザベのそのあまりの素直さ素朴さ実直さ直向きさにシャリアはすっかり絆されてしまっていた。俗な言葉でもっと率直に言えば、めろめろになってしまっていた。
まあ相手に絆されめろめろになったところで、世界のために必要とあれば葛藤の末に引き金を引けてしまうのがその頃のシャリア・ブルだったのでそこは今はどうでもいい(と、少なくともシャリアはそう考えている)。
問題は、軍事法廷で裁かれその身で全てを背負って退場しようとしていたらエグザベから脳天ぶん殴るかの如く叱られてしまったことで。
その時の衝撃で、シャリアは再度エグザベにめろめろになってしまった。今度こそ、もう二度とエグザベに向けて引き金なんて引けないほどに。
そしてなんやかんやでエグザベとシャリアは現在交際している。いやはや人生って分からない。
……などと。
今なら過去のそれらを極めて軽く思い出話として語れてしまうシャリア・ブルであったが、当時のエグザベの実力に見合わぬ任務を課された葛藤やそれでも目の前の任務に愚直に取り組んでいた直向きさは、当時から今に至るまでとても真剣に評価している。
それこそ、ハニートラップなんてものを仕掛けて自分の手元に引き込んでしまってもいいかと思っていたくらいには。
◆◆◆
「いやいやいや、なんでそうなるんですか」
「おや、なにか引っ掛かりましたか」
「あなたの将来的な敵となる僕を真剣に評価していたからハニートラップでもして手元に引き込もうと……え、なんでそうなるんですか」
かつて考えていたことを洗いざらいシャリアがぶちまけると、エグザベは顔中に困惑を浮かべてみせた。
シャリアが暮らすマンションの一室、わざわざ照明をちょっとだけ暗くしたりなんかしてどうにかムーディな雰囲気にならないものかとシャリアが悪戦苦闘した結果生み出された、事実それなりに雰囲気のあるリビングのソファで、エグザベはそのムーディさに似合わぬ愉快な(シャリア視点)表情で目を白黒させている。
「だって君になら効きそうだったので」
「ええ……」
「それに一応実行はしていましたよ私」
「い、いつですか」
「君がイズマ軍警から解放された後、バーから一度ホテルに泊まった時ですよ」
「えっ」
◆◆◆
クランバトルの観戦を終えしばし思案に耽っていたシャリアがふと横に視線を向けると、エグザベはひどく険しい顔をしていた。
ジークアクスを奪われた自分の失態を悔いている……というのもあるにはあるだろうが、どうも回っている酔いと必死で戦っているように見える。
ウイスキーには慣れていないのか、その頬はほんのり赤かった。
「少尉」
なるべく気さくに、穏やかに声を掛けると、その肩がビクリと震えた。
ああこれは眠かったのだな、とシャリアはそんなエグザベを微笑ましく思う。
酒、そして眠気で判断能力が鈍ったところに思いを寄せる一方で監視対象である上官から迫られても、それを拒まずいられる理性を果たして彼は持ち合わせているだろうか?
「疲れたでしょう、連絡艇には明日の朝迎えに来るよう伝えてあります……今日は、この近くに泊まりましょう。」
少しだけエグザベに体を寄せ、グラスを握るその指にゆっくりと自分の指を這わせる。解くように、誘うように。
「部屋は用意してありますから」
シャリアはそうやって耳元で囁き……
◆◆◆
「あれってハニートラップだったんですか!?」
「ああ、やっぱり気付いていなかったんですね。君がどうも私に好意を持っているようだったので、それをちょうど使えるかと思いまして……いやあ、それが部屋に着いた瞬間ベッドに倒れて寝落ちるとは」
ホテルに向かう道すがら、一見エグザベの足取りはしっかりしていた。酒に酔っていて眠いのを堪えているのは明らかだったものの、シャリアの言葉にもきちんと受け答えをしていたのだ。
それがホテルで部屋に着いた瞬間、シャリアに贈られた服を着たままダブルベッドに倒れ込んですやすや眠ってしまったのだ。
あれは本当に面白かった、とシャリアは当時を思い出して笑う。
思えばあの時からあまりに自分の思う通りにならなかったエグザベに、そして彼を自分の思うように出来ると思いながらもすやすや眠るエグザベを見て唖然としてしまった自分の愚かさに。
「あの時から最高でしたよ、君は」
「恐らく褒めていませんよねそれ」
「褒めています、褒めていますよ」
「では白状しますが! 僕だってあなたにハニートラップを仕掛けようとしたことがありました!」
「あっはい、それは気付いてました」
◆◆◆
それはエグザベにとって決死の覚悟であったと言っていい。
上官でありながら監視対象であるジオン最強のニュータイプ──シャリア・ブル相手に腹芸で勝てるとはエグザベとて思っていない。
しかしその懐に入り込めるようなら入り込むように、と、必須ではないが任意の任務としてエグザベは言い渡されていた。
それは果たして任務と言っていいのか、と普通なら考えるところだが、この頃、具体的にはジークアクス捜索でイズマコロニーを駆けずり回った挙句何の成果も得られずにいた頃のエグザベの脳裏をよぎったのはその任務だった。
もう自分の体でも何でも使ってシャリア・ブルに取り入るしかない、そうでもしなければ自分はようやく得た安定収入も生活もあっという間に消し飛んでしまうのだ、と考えるまで追い詰められていた。
幸か不幸か、シャリア・ブルは若い男を好むという話がエグザベの耳には入っていた。そう聞かされていた。これまたコモリ辺りの耳に入ればセクハラ、パワハラ、最悪などとあらん限りの語彙で非難してくれそうな話だが、そもそもザビ家派閥にはそのような旧態依然もいいところの諸々が集まりがちで、エグザベを拾ったのはその中のキシリア陣営であるからしてエグザベが生き残るためにはそこに適応しなければならなかった。
当時の主であったキシリア・ザビや面倒を見てくれていたキシリア陣営のお偉方には間違いなく恩があるが、忠誠心があったわけではない。
ただ、難民上がりで吹けば飛ぶような軽い命の自分が生き残るためにはそういうことをしなければならない、ここはそういう世界だから。
それでもやはり人に自分の体を差し出すには相応の覚悟が必要で――難民であった頃にその危険はあったが、どうにか逃げ延び続けて今に至るのだ。それをするタイミングを自分の意志で選べるだけまだ幸運ではないか、と。
強者がそうさせているのだ、とどこかで聞いたような全身全霊の怒りの声が飛んできそうな思考回路でもって、エグザベ・オリベはシャリア・ブルへのハニートラップを、計画した。
「やり方」の知識だけなら仕込まれていたのだから、計画を立てることが出来てしまった。
覚悟を決めてしまえば必要なのは、己の体の準備を整えて、シャリアに近付くだけだ。
そう、だから今夜、エグザベは就寝時間に程近い時間にシャリアの個室を訪れた。
「おや、エグザベ少尉。こんな時間にどうかしましたか」
まだきっちりと左官の制服を着ているシャリアは、柔らかな笑顔でエグザベを出迎えた。
エグザベはバクバクと鳴る心臓を努めて無視しながら、真っ直ぐにシャリアを見た。
「あの、中佐にお話したいことが──」
◆◆◆
「引っ掛かってあげても良かったんですがね。何と言うか君が哀れで、やめました。それかハニートラップに掛かったふりをして君をソドンに閉じ込めて、イズマ軍警あたりの手に掛かって死んだことにしてしまおうとかとも。やるデメリットの方が大きかったですし、何よりコモリ少尉にばれそうだからやりませんでしたが」
「お、恐ろしいことを……」
素直にドン引きしているエグザベに、シャリアはにこにこと笑う。エグザベのこの素直さこそシャリアにとって最高の癒しであり、酒の肴である。
「そしてクーデター直前にキシリア派にメッセージを送りつけるわけです、『エグザベ少尉は我々の手に落ちました』、と。NTRビデオレターというやつですね。折角これから弓引く相手なんですし、NTRビデオレターの一つや二つ送ったところで大して変わらないでしょう」
「怖いものが無さすぎる……」
「……マ・クベ中将になら今からでも送れますかね」
「やめてくださいね⁉」
「冗談です」
「不謹慎です!!」
顔を真っ赤にして怒るエグザベ。
彼がこのように素直に怒ることが出来るようになって良かった、とシャリアは思う。
「ふふ、やはり君は最高ですねエグザベ君」
「なん、なんなんですかいったい……」
シャリアはグラスをテーブルに置いて、動揺するエグザベにそっと体を寄せた。
温かく、そして心安らぐ温度。
ハニートラップなんて後ろ暗い手を使わなくても、今この温度が手の届く場所にあることのなんと幸福なことか!
「少し酔ってしまったようです」
「あなたはこの程度の酒量で酔ったりしないでしょう……ほら、横になるならどうぞ」
エグザベがそう言いながら己の太ももを叩いたので、シャリアは有難く膝枕に与ることにする。
肉付きの薄く硬い足は枕としての実用性は低いだろうが、エグザベの気配に全身が包まれる心地がしてどんな枕よりも気持ちが良いのだ。言葉と裏腹にこうして甘やかしてくるのだから堪らない、このままでは駄目になってしまう……とシャリアは目を閉じた。

