約束は裏表

深夜のシャリ受ワンドロワンライお題「約束」

 ◆◆◆

 エグザベのソドンからの離任はキシリア閣下がサイド6を離れると同時に慌ただしく行われた。
 エグザベはソドンのクルー達に別れを告げる間もなく、大急ぎで荷物を纏めてキシリアのチベ[パープル・ウィドウ]へと異動してしまった。
 艦を降りるあの純朴な青年を見送ったのが直属の上官であった自分とコモリ少尉の二人だけというのはどうにも可哀想な気がしたが、彼がキシリア派閥からソドンを監視するために送り込まれた存在なのは公然の秘密であったゆえどうにも艦内の空気として彼の扱いは良くなかった。まあそれをさせていたのは自分なので、彼を可哀想に思う権利もないのだろう……と。シャリアはエグザベのためだけに割くことが出来る僅かな思考時間をそうして費やしながら、かつてエグザベに与えられていた個室へ足を運んだ。
 エグザベのソドンへの赴任期間は短いものだったが、彼はパイロットゆえ個室を与えられていた。
 私物は全て片付けました、と艦を降りる時に、身のあまり詰まっていないボストンバッグ一つという少ない荷物と共に言っていた。だがあのどこか抜けているところのある青年のことだ、何か忘れ物をしている可能性はある。そうでなくとも明け渡された部屋は管理者として確認しておく必要があるのだ。
 しかし部屋に足を踏み入れてみればものの見事もぬけの殻である。部屋に備え付けの収納の扉は全て開け放たれ、その中身が空であることを主張していた。
 ──驚いたな。本当にあれだけの荷物で軍艦に乗っていたのか。
 軍艦である以上荷物量に制限はある。しかしソドンのクルー達は、あれよりもう少し大きなバッグを持ち込んでいることが多い。コモリの荷物などエグザベの倍はある筈で、それで規定上限ぎりぎりだ。
 すぐに艦を降りることを想定していたか、あるいは本当に私物の数が少ないか……どこか遣る瀬無さを覚えながらシャリアが部屋を出ようとしたとき、私用端末が震えた。
 端末の画面を見ると、音声通話の着信であった。そしてその着信元を見てシャリアは唖然とした。
『From : エグザベ・オリベ』
 確かにこの番号を教えた覚えはあるが、離任直後にこうして掛けて来るとは。
 呆れながらも着信を受ける。
「……こちらシャリア・ブル」
『シャリア・ブル中佐! 突然の連絡失礼致します!』
 聞こえてきたのは、威勢の良い挨拶。私の下にいた頃より元気でよろしい、と大人げなく拗ねてしまいそうになるが無論顔には出さない。
『その……一つ、お伝えし忘れていたことがあるので、連絡させていただきました! ただ今お時間よろしいでしょうか!』
「……構いませんが、君もう私の部下ではないでしょ。大丈夫なんですか」
『? 部下ではなかったら連絡してはいけないのでしょうか?』
「……もういいです。要件をどうぞ」
『ありがとうございます!』
 そうだった、彼はこういうところがあるのだった……と、その嬉しそうな返事に、小犬が尻尾を振っているさまを思い出した。
 キシリア閣下の騎士でありながら、ジオン公国の転覆を企んでいる人間を相手になんと能天気な……呆れながら思わず笑ってしまいそうになるシャリアだったが、
『その、次にソドンがグラナダへ帰港なさる時で構いませんので、食事をご一緒しても構いませんか?』
「……は」
 あまりに突拍子もないその申し出に、思わず言葉を失ってしまった。
『……ダメ、ですか?』
「…………」
 駄目では無かった。
 エグザベという青年の根の純粋さ、そして心優しさにシャリアはあの短い期間で心を癒されていた。いち個人として好意を抱いているだけではない。その優秀さを鑑みれば、間違いなく自身の配下として欲しい人材である。
 だが、彼はキシリアの騎士なのだ。
 難民であるところを掬い上げられ、衣食住を与えられ、そうあれかしと洗脳に近い教育を施された結果が今現在のエグザベ・オリベなのだ。
 彼がどれほど心優しい人間であろうと、その純粋さゆえ監視対象に恋をしてしまうような愚かさを持っていようと、そしてそれを自分がどれほど好ましく思っていようと……それを、忘れてはならない。常に、一線を引いていなければならない。エグザベも気付かないような、薄い線を。
『……中佐?』
 エグザベの心配そうな声に、シャリアは深くに潜りかけた意識を表層へ引き上げた。そして『優しい上官』としての仮面を被る。
「ええ、構いませんよ。いい店を知っているので、そこに行きましょう」
『あ、ありがとうございます!』
 プレゼントを貰った子供がはしゃぐような声。
『それでは、ソドンの帰港のタイミングで僕から連絡致します!』
「はいはい。君が忘れていても怒りませんから大丈夫ですよ」
『わ、忘れたりしませんよ! ……あ、すみません、そろそろ休憩が終わります。それでは、失礼致します!』
「はいはい、……そちらでも、頑張ってくださいね」
『はい、頑張ります!』
 通話が切れると同時に、エグザベの声が聞こえたような気がした。
 ──あいたい。
 ──はやくあいたいな。
 宇宙の距離や時間の制約も一越えした、ニュータイプの感応、あるいは自分の気のせい。きっと後者だろう、彼はこの能力はそれほど得意ではなかった。
 思いの外あの青年に絆されている自分に、シャリアは苦笑した。同時に、通話履歴だけが表示されている端末の画面を見つめながらエグザベの身の上を思う。
 キシリア派にいる限り、エグザベが真の意味で自由になることはない。自分とあのお方が目指すニュータイプが真の意味で自由になれる世界において最も自由になるべきは、彼のようなニュータイプ能力を戦争に利用される存在だ。ニュータイプ能力の戦場での有用性を証明してしまった自分には、彼を自由にする責任がある。
 履歴の『エグザベ・オリベ』の名前を見つめながら、シャリアは呟く。
「……ええ、きっと自由にしてあげますよ」
 例え、君の好意を踏み躙ることになろうとも。それが私から君に出来るただ一つの約束。
 そうなったら君は、私を食事に誘ってくれるだろうか。

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