「そこ、随分気に入ったようですね」
航行中のソドン船体下部に取り付けられた有視界索敵窓。平時は艦橋と船尾のそれのみが使用されるため、掃除や巡検以外でクルーが立ち入ることは滅多にない。
巡検の最中に発見したそこが自身の気に入りの場所となったのが新たな上官であるシャリア・ブルにバレて、窓辺に腰掛けていたエグザべは薄暗い中でも分かるほど顔を真っ赤にしながら立ち上がった。
「何か御用でしょうか、シャリア・ブル中佐!」
「ああ、楽にしてください。咎めるつもりはありませんから」
シャリアは苦笑しながら、窓の外に目をやった。そこに広がるのは、何の代わり映えもしない宇宙空間である。
「よく飽きませんねえ。宇宙の景色なんて、若い子は大抵すぐ飽きるものですが」
「いえ、その……自分は、配属前はグラナダにいたもので」
「窓から外が見えることが珍しい?」
「……はい」
エグザべは気恥ずかしそうであったが、シャリアは「そうですか」と微笑んだ。
「好きなだけ過ごしてくれて構いませんよ。そこを平時でも立ち入り可能にしたのは私なので」
シャリアの言葉にエグザベは目を瞬かせた。
「本来は立ち入り禁止区域、なのですか?」
「禁止と言うほどでもないですが、ほとんど使わない場所ですからねえ。開放しておく理由もありません」
「何故、立ち入り可能に?」
「私が今より少し若かった頃にこういった場所を好んでいたからです」
「そうなんですね」
エグザべの声が弾んだ。上官との間に思いがけず共通点を発見して喜ぶ無邪気な表情に、シャリアは顔に出さず苦笑する。
──君、私の監視役なのでは?
間諜としてどうなのかとは思うが、シャリア個人としては彼のような心優しく素直な青年は嫌いではないのでつい口数も増える。
「木星船団にいた頃は、こうして窓辺で読書をするのが数少ない安息の時間でした。軍艦暮らしをしていれば一人になりたい瞬間は誰しもあるだろうと、ラシット艦長も同意してくれたのでここを開放しているのです。君のように窓が珍しくて来ている子は少数派ですが。今のクルーの子たちもここにはほとんど来ませんからねえ」
「そ、そうなんですね?」
変わり者、と暗に言われたと感じたのかエグザべが小首を傾げた。
「さっきも言いましたが、初めは物珍しくても飽きてくるんでしょう。軍艦の上では非日常がすぐ日常になってしまいますから」
「……自分もいつか飽きるのでしょうか。ここは居心地が良いなと思うのですが……」
「さて、どうでしょう。ですが一瞬でもそこを気に入ってくれたなら、私としてもここを開放した甲斐があります」
そう締めくくったシャリアは腕時計を見ると、「おや」と呟いた。
「それでは私は定時通信の時間なのでこれで。消灯まであと一時間もありませんが、ごゆっくり」
「はい、お気遣いありがとうございました」
エグザベが一礼し、シャリアは踵を返して立ち去った。
残されたエグザベは、その背中が廊下の突き当りで見えなくなるまで見送ってからまた窓の外に目をやる。
窓が珍しい、というのは本当だ。この場所は居心地がよくて気に入っている、というのも嘘ではない。ただ、景色を見ているわけではなかった。何を見たいのかも、エグザベには分からなかった。
ただ、いつも艦橋に立って遠い宇宙を見ているあの人が見ているものを、自分も見てみたいと思ったのだ。何を見ているのか、見えるかどうかも分からないのに。
人類最強のニュータイプと目される彼に憧れる思いは確かにある。ただあくまでスクールでカリキュラムに従ってその能力を伸ばした自分と、本来軍人ですらなかったというのに木星の中でその才能を開花させ戦線に参加した僅か二ヶ月でエース級の戦果を挙げたというあの人とでは、やはり天と地ほどの隔たりがあるとエグザベはほとんど直感していた。
監視役という任務から逃げるつもりはない。ただ、果たせるかどうかも分からない任務は酷い重荷だった。
だからせめて、彼が何を考えているのか知りたくて同じものを見たいと思った……とだけ言い切ることが出来れば良かったのだが。
(結局僕は逃げてるだけだ)
常に遠くを見ているあの人がふいにこちらを見る時の全てを透過するような視線から、そしてその目で見られることに正体も分からぬ胸のざわめきを覚えてしまう自分から。
どれほど目を凝らしてみても窓の向こうには静寂と、闇と、何も教えてくれない星があるだけ。
「……やっぱり、僕には何も見えないな」
その声がどこか泣くのを堪える子供のようであるとエグザベに教えてくれる者は、ここには誰もいない。