おりのなかで

※最終回後エグザベ精神崩壊if

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「こんにちはエグザべ君、食事を持ってきましたよ。今日も何も食べていないそうですね」
 シャリアが食事の載ったカートを押しながらその部屋に入ると、部屋の中心に置かれたベッドの上に横たわる痩せた青年が首だけを動かしてシャリアを見た。
 緑の光を宿した紫の瞳を覆うまつ毛が震え、目尻が緩む。
 ベッドサイドに置かれた椅子に腰を下ろしたシャリアがエグザべの頭を撫でると、エグザべは目を細めた。
 エグゼべの唇が小さく開かれ、どこか辿々しく言葉を紡ぐ。
「ちゅうさ」
「なんですか?」
「すき、です」
 その幼い言葉から伝わる温かな好意。それがこの青年が『壊れて』しまう前と同じであることにシャリアは奥歯を噛み締めながらも笑顔を作る。
「ありがとうございます、私も好きですよ。ご飯は食べられそうですか?」
「たべ、ます」
「それじゃ、ゆっくり体を起こして」
 シャリアに背中を支えられ、エグザべは上体を起こす。その肉体は病院着越しでも分かるほどに痩せ細り、かつての優秀なパイロットとしての肉体はほとんど衰えていた。
 シャリアが液体状の病院食をスプーンで掬って口元に運ぶと、エグザべは大人しく口を開いてスプーンの先を口に含んだ。
 ほんの数ヶ月前、ジオン国内で大きな動乱があった。ザビ家独裁政権の打倒およびジオン共和国の成立をもって終結したその動乱の首謀者の一人であるシャリア・ブルは、臨時政権のトップとして多忙を極める身であった。
 その中で彼は週の半分以上、夜になると郊外の小さな病院を訪れていた。そこに入院しているエグザべを見舞うためである。
 エグザべ・オリベは一時期シャリアの部隊に身を置いてはいたものの、実際は旧公国におけるキシリア一派の優秀な騎士であった。しかし動乱の最中で受けた強化手術と限界を越えたサイコミュの多用により最終的に精神が破壊され、この病院へと収容された。
 一時期はぼんやりと宙空を見つめるのみであったが、今では少しずつ喋ることも出来るようになりつつある。しかしその精神は幼い子供のそれに変容しており、心を開くのはシャリアを含めたごく一部の人間に対してのみ。回復にはまだ時間がかかるというのが主治医の見解であった。
 たっぷり時間を掛けて病院食を食べ終えたエグザベに、シャリアは「よく出来ました」と微笑みながらその頭を撫でた。エグザべは嬉しそうに目を細め、緩慢な動きで点滴の跡が目立つその細長い腕をシャリアに伸ばした。
 シャリアは身を寄せると、エグザべの抱擁を甘受する。自身もエグザべを抱き締めながら、温かな体温がかつてと変わらないことに心臓がひどく締め付けられる心地がした。
 ──私にこの無垢な愛情を受け取る資格など、無いはずなのに。
「ちゅうさ」
「何ですか?」
「ちゅーしたい、です」
「ふふ、少しだけですよ」
 シャリアはエグザべの唇にほんの軽く触れるだけのキスをした。それだけでエグザべの頬は薔薇のように色付き、もっともっとと言わんばかりにシャリアにその顔を近付ける。シャリアは「仕方のない子ですね」と笑い、その頬や首筋に唇を落とした。エグザべもまたくすぐったそうにしながらお返しのようにシャリアの顔中にキスをした。
 求められるものを与え、与えられるものを甘受する。
 それだけが、シャリアがエグザべに対して出来る贖罪だった。
 彼のような若きニュータイプが搾取されることのない世界を作ろうとしている男が、かつて想いを交わした青年のために出来るのは、ただそれだけだった。

 ◆◆◆ 

 エグザべを寝かし付けたシャリアが病室を出ると、最低限の照明だけが灯されたロビーでサングラスを掛けた金髪の男がソファに腰掛けていた。
「どうだった、彼は」
 立ち上がりながら尋ねる男に、シャリアは微笑みながら答える。
「顔色が随分良くなっていました」
「……前回も同じ言葉を聞いた気がするが、まあいい」
 連れ立って病院を出ると、建物の傍に停めていたエレカへと身を滑り込ませる。男は運転席へ、シャリアは助手席へ。
 男の操作で、エレカは静かに都市部へと進み始めた。
 しばらく車内は無言であったが、赤信号でエレカが停まった時に男から口を開いた。
「いつまでこうする気だ」
「彼が回復するまでは」
「このままでは君が壊れるぞ」
「彼の居場所になってやりたいという私の傲慢でやっていることです。あと三ヶ月で私は今の肩書を失いますから、そうなったら彼をもっと環境の良い場所へ移そうかと」
 信号が青に切り替わる。男はエレカを発進させながら形のいい眉をひそめたが、それ以上何も言わなかった。
 あの青年についてかつてルウム戦役で戦果を挙げた自分が何かを言う権利はない……彼がそう考えていることをシャリアは知っていたので、シャリアはハンドルを握る男の代わりに呟く。
「彼は天涯孤独の身です。気に掛けてやってください」
「気に掛けるなという方が無理な話だろう……妬けてしまうな」
「彼と貴方では座っている席が違いますので」
「……彼の幸福は君の望みだ、私はこれ以上何も言うまい」
 都市部の明かりが近付き、眠らないビジネス街を抜け、やがて公邸の外観が見えた頃にシャリアはポツリと言葉を溢した。
「……私は、本当に彼のために正しいことをしているのでしょうか」 
「私はそれに対する回答は持たないが……少なくとも、彼がまだ君を呼んでくれるのは嬉しいのだろう、シャリア・ブル大佐?」
 男のどこか悪戯っぽい返答にシャリアが思わず顔をしかめたのと同時に、公邸前でエレカにブレーキが掛かった。

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