my only wish

シャリ受ワンドロワンライお題「離別」
※クライマックス妄想死ネタ
※エグシャリ以外の登場人物→ニャアン、マチュ(台詞だけ)、コモリ

==============

『……い、エグザベ少尉!』
 必死で僕を呼ぶ声がする。
 誰だ。女の子の声。聞き覚えのある、そう、僕が守らなきゃいけない女の子の……そう気付いた瞬間、意識が表層に引き上げられる。
 水から引き揚げられたかのように、必死で酸素を取り込もうと息をした。視界の右半分が赤い。意識を失う前の強い衝撃でヘルメットがひび割れ、頭部が出血しているようだった。
 と同時に、自分が今置かれている状況と、意識を失う直前までの記憶がどっと脳内に押し寄せる。そのあまりに莫大な「情報」量で吐き気が込み上げるのを必死で堪えながら操縦桿を握り接触回線越しに呼びかける。
「ニャア、ン、大丈夫か?」
『私は大丈夫、です』
 回線越しのニャアンの声は落ち着いていた。良かった、とひとまず安堵する。
 全天モニターは死んでいたが、幸いメインカメラと正面モニターは生きているようだった。モニター越しのジフレドもジークアクスも損傷は軽微。先の大爆発の直接の被害は免れたようだ……僕のギャンと違って。
『ねえ、このおっさん大丈夫なの⁉』
 ジークアクスのパイロットの声がする。おっさんて、ひどいな。まだ二十三なんだけど……と苦笑する余裕が自分にあることが不思議だった。
「聞くんだ、ニャアン、そしてジークアクスのパイロット」
 声の震えを努めて殺しながら、二人に指示を出す。
「ジークアクスは至急ソドンに帰艦。ジフレド……ニャアン、君もソドンに向かって、保護してもらうんだ。艦長のラシット中佐は、君を守ってくれる人だ。僕のギャンも、連れて行って……」
 時折視界が暗くなり、意識が深層に引きずり込まれそうになる。まだだ、まだ落ちるな。
「僕は、爆発直前にシャリア・ブル中佐から渡された情報を持っている。その情報の中から至急性の高いものを可能な限り、今からギャン内部に音声データとして格納する。君達がソドンに到着したら、それをソドンの尉官以上のクルーに、必ず渡してくれ」
 がくん、とコックピットが揺れた。ギャンがジフレドとジークアクスによって両脇から支えられ、そのまま真っ直ぐとソドンに向かって運ばれて行く。
 僕は一つ深呼吸して、コックピットから酸素漏れが起きていないことを確認してからヘルメットを脱いだ。赤い血が玉となってコックピットの中を点々と舞う。それを目で追う暇もなく、僕は非常操作用のタッチパネルを開くと、ギャンのOS内部にディレクトリを一つ作成した。
 これからレコーダーに録音されるコックピット内部の音声データをすべてこのディレクトリ内部に格納、と設定を書き換えてから、僕は口を開いた。
「『以下は、ジオン公国突撃機動軍所属シャリア・ブル中佐による声明である』──」
 僕が今から語るのは、あの人がこの世界に対して残した遺言だ。誰よりもこの世界の行く末を憂いた人が、この世界に対して残せた最後の置き土産。きっとニャアンにもジークアクスのパイロットにも接触回線を通して聞こえている。だが彼女たちは何も言わない。それを有難く思いながら、僕は沈みそうになる意識と必死で戦いながらあの人の言葉を僕の声で遺す。
 一言一句すべて覚えている。忘れられるわけがなかった。
 キケロガが目の前で爆炎に吞まれる直前に見た、極彩色のハレーション。その中で確かに僕を見て笑っていたあの人が、人間の脳の秘された領域をすべて使って僕に流し込んだ言葉。文字通り、脳に刻み付けるようにして渡された膨大な情報達。
 その中から、世界に向けて公開して欲しい、と託された思いを声にした。体の方が耐えられなくなって、途中何回か吐いた。血と吐瀉物がコックピットの中に舞おうと構わなかった。ただ、あの人の生きた意味をこの世界に刻み付けられるなら、もう自分がどうなってもいいとさえ思えた。
 時間にして三十分は運ばれていただろうか。僕がどうにか最後の言葉を吐き出し終えた頃、ニャアンの声がした。
『少尉、ソドンに着きました!』
 ありがとう、と言いたいのに声が出ない。視界が暗くて、もう目の前すら見えなかった。
「エグザベ少尉! しっかりしなさい! メディックはまだか!」
 この声は……コワル中尉だ。久しぶりに聞いた。ソドンにいた時はジークアクスの件で散々沢山迷惑をかけてしまったから、一度ちゃんと謝りたかったのに、その暇もなかったなあ。
「エグザベ少尉……!」
 ニャアンの声がした。泣きそうな声。いつも飄々としている彼女のこんなに感情が昂っている声を聴いたのは初めてだ。
「エグザベ少尉、大丈夫ですか!」
 一年戦争時から従軍しているベテランのメディックの声。軍警に殴られて出来た青あざを見て湿布を渡してくれた。中佐も絆創膏以外も用意してあげてください、とその場にいた中佐に小言のように言っていたことを思い出した。
(ああ、中佐──)
 確かにここにいたあの人の記憶に、涙が溢れた。
 メディックに小脇に抱えられ、担架に縛り付けられ、医療区画に運ばれながら、僕はただ、何も見えないのに天井を見ながら泣いていた。

 ◆◆◆
 
 目が覚めると、ソドンに置かれている医療用ポッドの中だった。
 覚醒直後は一人だったが、脳波モニターを見たのかあのメディックが僕の様子を見に来た。
 どうやら僕はポッドの中で三日眠っていたらしい。
 意識がはっきりしていることを確認されてから、一度メディックは処置室を出て行った。それから少し経ってポッド室に入ってきたのは、タブレットを手にしたコモリ少尉だった。目の下には隈が出来て、僕がソドンを降りた時と比べて、少しやつれているように見える。
 コモリ少尉はポッドの傍の椅子に座ると、どこか無理矢理に見える笑顔を作った。
「久しぶり、エグザベ君」
 ポッドのアクリル越しで、その声は少しくぐもって聞こえた。
「……お久しぶりです」
 僕の声も少し掠れている。
「最初に聞いてきそうだから、言っておくね。あのニャアンって子はうちで保護してる。キシリア様の侍女として雇われた民間人がジフレドで逃げ出した……ってことにしてね。ちょっと無理はあるけど、今は本国もグラナダも大混乱でそれが通せちゃう状況だから。で、今ソドンはグラナダに向かってる」
 コモリ少尉の言葉に安堵する。良かった、彼女は無事なんだ。
「……ギャンのデータも、無事回収した。だけどギャン自体はもう損傷規模が不可逆で、修理するより乗り換えた方が早いだろうってコワル中尉が」
「そっか……マ・クベ中将に怒られるな……」
 あの爆発の最中、あの人を守ろうとしたことでハクジも無くしてしまった。僕にギャンを託してくださった人の期待を全て裏切って生き延びてしまった、ひどい騎士だ。
 コモリ少尉はどこか痛ましげに目を伏せてから、顔を上げた。その表情は引き締まり、軍人の顔をしていた。
「……少尉はまだ、絶対安静の身です。よって最低限の情勢だけ、説明します」
「よろしくお願いします」
 僕が頷くと、コモリ少尉は現在の状況を話してくれた。
 ギレン総帥・キシリア閣下を同時に失ったが、本国・グラナダ共にそれぞれ臨時のトップが就いて情報統制を敷いているためどうにか酷い混乱は抑えられていること。総帥とキシリア様が巻き込まれたのはゼクノヴァなどではない、イオマグヌッソをも巻き込んだ完全に不可逆な物理現象としての爆発。両名とも乗艦ごと巻き込まれたため、生存は絶望的。
 そしてその爆発の中に、シャリア・ブル中佐が、搭乗していたキケロガと共に巻き込まれたこと。
「エグザベ少尉がギャン内部に残したシャリア・ブル中佐の遺言は、ラシット中佐の考えで本国・グラナダ各政府への公開はまだされていません。ですがソドン内部においては、尉官以上のクルー全員が確認済みとなります」
 コモリの言葉に、仕方ないか、と頷く。
 中佐の遺言は、きっと恐ろしく政治的インパクトが強い。ザビ家を滅ぼしたところでまたジオン国内で戦争の火種になりかねない。そうならないように可能な限り手は回した、とあの時に伝えられはしたけれど。
「……私からは、以上となります」
 コモリ少尉に礼を言うと、コモリは少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「本当は面会も駄目らしいんだけど。でも、無理言っちゃった」
(だってエグザベ君は、中佐が遺言を託した人だから)
 コモリ少尉の、音にならない声がはっきりと聞こえた。僕にはずっと聞こえなかった筈の、人の心の声。
「グラナダに就いたら、もっといい治療を受けられる筈だから。それまでゆっくり休んでね、それじゃあ」
(ほんっと、なんでエグザベ君を一人にするかなあのおっさん)
 コモリ少尉がポッド室を出て行く。彼女は僕の前でずっと、怒りながら泣いていた。
 ──これが貴方の置き土産なら、あまりに残酷じゃないですか、中佐。
 そう思うと、また涙が溢れて来た。
 涙を止めることも出来ず、ポッドの中で一人しゃくりあげる。
 あの人が僕に遺していった全てが、まだ脳に明確に刻まれている。あの人は文字通りに全てを僕に遺して僕の目の前からいなくなった。そこにないのは、あの人の魂と肉体だけ。だけどそんなの、どこにもいないのと同じだ。
 ――君には、生きていて欲しいんです。
 接触回線越しにそう言ったあの人は、確かに笑っていた。キケロガのあの細い腕で僕のギャンを爆風から押し退けながら。
 ――大丈夫。君も、ニュータイプでしょ?
 何がニュータイプだ、人の革新だ。それを信じて僕やニャアンのような若者の未来を誰よりも願った貴方が、どうして死ななければならないんだ。
 心だけ明け渡されても、僕はあなたにもう何も返せない。そんなのコミュニケーションでもなんでもない、一方的な暴力と同じだ。それも分かった上でいなくなったのだから、本当に酷い人だ。
 なんであなたの願いのために僕の願いを蔑ろにしたんだ。
 あなたには、全部、見えていた筈なのに。
 
「……僕はただ、貴方ともっと話したかったのに」
 
 終ぞ伝えられなかったその願いを初めて口にした時、僕はあの人に恋をしていたのだ、と、ようやく気が付いた。

作品一覧へ戻る
ロボ作品一覧へ戻る