「お友達なら構いませんが」
「えっ」
花壇が美しい休日の公園に呼び出した上でのエグザベ・オリベの決死の覚悟の愛の告白を、シャリア・ブルは不発に終わらせた。
しかしその告白が不発に終わったとはエグザベには思えなかったらしい。何故ならそう告げたシャリアの白い頬はシャリア自身にも熱という形で分かるほどに紅潮していて……
「お友達になっていいんですか!?」
エグザベが飛び上がりながらシャリアの顔を覗き込むと、シャリアは小さく咳払いしながらついと目を逸らした。
「んんッ……まあ、君なら、いいです」
「嬉しいです、中佐とお友達になれるなんて……!」
ぱあ、とエグザベの笑顔が輝く。そしてそれを見たシャリアは喉の奥からうめき声を溢しながら、休日用サングラスのブリッジの位置をそっと直した。
「私、今君の告白を振ったのですが」
「え、でもお友達にはなってくださるんですよね?」
「それは……そうなんですが……」
通じているのか通じていないのか。
シャリアは思わず頭上を仰いだ。人工の青空の向こうにうっすらと対岸の街並みが見える。あちらにも人の営みがあるのだと思うとなんだか気が滅入るようでまた視線を戻すと、きらきら輝くエグザベの瞳。何故こんな事に、とシャリアはただ困惑する。
(少尉の希望は、私と恋人関係になりたいというものだったはずだ)
しかしその望みを素直に叶えるには、シャリア・ブルという男は地位が高すぎて、彼より年嵩で、更に言えば木星行き以降性愛に興味を失っていた。
その告白に頬を赤くしてしまうほどに嬉しくて、その思いをどれほど好意的に受け止めていようと。
十一も年下で将来性溢れるエグザベ少尉の人生を私のような男で無為に浪費させるわけにはいかない──それがシャリアの思いだった。
ゆえに、お友達からと。そう答えたのだが、どういうわけかエグザベはシャリアの返答をいたく喜んでいる。希望が全く叶っていないのにも関わらず。
「……貴方、あれですか。お友達から始められれば恋人になるチャンスがあると思っているクチですか」
「そうですね、失礼ながらそう思っていないことも無いです。しかしそれよりも、中佐が僕とお友達になっていいと思ってくださっていることが嬉しいです。僕は中佐と、恋人にも友達にもなりたかったんだと思います」
「……」
呆れるやら嘘偽り無い言葉に気圧されるやら、眩しい笑顔に灼かれてしまいそうになるやら。シャリアはまた目を逸らした。なんなのだこの真っ直ぐすぎる青年は。ますます私の人生に付き合わせていい子ではないだろう。
「貴方は、私の友人にもなりたかったと」
「はい。僕はあんたのことを沢山知りたいと思っているのですが……上官相手に友達になりたいと言うのは、どうにも気が引けてしまって」
「恋人も十二分に気が引けるはずでは……!?」
あまりに大胆なエグザベの思考に思わずそう突っ込んでしまう。しかしエグザベはきょとんとしている。
「でも地位の高いお方が若い男を侍らすのは不自然なことではありませんよね、なら友人より恋人の方が自然では」
「やめなさい」
思わずピシャリと言葉を遮る。
「嬉々として若き燕を侍らす高官など大概がろくでもない人間です。私はそんなものになる気はありませんので覚えておくように」
「か、かしこまりました……貶めるような発言をして申し訳ありません……」
エグザベが肩を落として俯く。彼がソドンに乗る前にいた環境に少々「偏り」があったことを思えば悪気が無いであろうなど分かりきっている、少し強く言い過ぎたかとシャリアは慌てるのを押し隠しつつ「まあまあ」とエグザベの肩に手を置いた。
「そこは少しずつ学んでいきましょう、私の友人として」
「はい……」
エグザベはまだ落ち込んでいる。この素直さを可愛いと思ってしまう自分はもうどうしようもないのでは……と、シャリアは己の内から湧き上がる何かに必死で蓋をするのだった。
そうして、シャリアは十一も歳下の部下と友人になった。
果たしてこれで良いのか、と一抹の不安はありつつ、シャリアは一先ず己の中の気まずさを誤魔化そうと近くに停まっているフードトラックを指差した。
「ところで、お腹空いてませんか」
そうして友人になって最初にしたことは、フードトラックで買ったそれぞれのホットドッグと一ボックス分のフライドポテトによるランチであった。
「中佐は子供時代や学生時代、どのような交友関係をお持ちだったのですか」
シェアするために買ったポテトをつまみながらエグザベがそう尋ねてきたので、シャリアは努めて淡々と答える。
「人並みだと思いますよ。私の不精のせいでもうほとんど連絡も取れませんが」
「軍人になってからは?」
「友人と呼んでよいか定かではありませんが、あちらのお陰で定期的に連絡を取り合う仲が続いている方はいますね、ドレン少佐のことですが。お会いしたことあるでしょう」
裏を返せば、あの艦に乗っていた尉官以上の人間で健在かつ遠慮なく連絡を取れる人間がドレンしかいないわけだが。
エグザベは「そうかあ」と呟いてから、ホットドッグの最後の一欠片を口に放り込む。咀嚼・嚥下ののち、「それでは」と口を開いた。
「仮に異動や昇進で距離が出来たとしても僕は中佐に沢山連絡し続けますね。絶対縁が切れないように」
ホットドッグの最後の一欠片を口に放り込みつつ、シャリアは横目でエグザベを見る。
エグザベは何か特別なことを言った自覚もない風に、ポテトにケチャップソースをディップしていた。
「大人をやっていると難しいですよ、それ」
「そうかもしれませんが、やってみないと分からないと思います。何しろ僕も安否が分かっているお友達が中佐くらいしかいないもので、まだやったことがないんですよ」
平然としているエグザベに、シャリアは内心舌を巻きながらカゴに手を伸ばした。
どのような形の関係であれ、この青年は自分から手を離すつもりがないらしい。
「……頑張ってください」
「何言ってんですか、あんたの協力がなければ関係維持は出来ませんよ。僕はあんたがどれほど連絡不精でもめげないつもりですが、それにそちらが甘えすぎるのも良くないと思います」
「ぐむ……善処します」
耳が痛いが、それにしては先よりエグザベから向けられる感情が妙に甘ったるく思えてポテトの塩気がありがたい。
友人から向けられる感情とは果たして、こんなに甘ったるいものなのか。
「……蒸し返すようで恐縮ですが貴方、私のこと好きなんですよね。恋愛対象として」
「え? ああはい、そうもなります」
「本当に良いのですか。そちらには応えられない男と、恋人になる代わりに友人になって」
「いいか悪いかは、きっとそのうち分かります。もしかしたらずっと分からないのかもしれませんが……少なくとも、今の僕は良いと思っている。だから、今はこれで良い。僕の恋愛感情は僕だけの都合で、それであんたを傷付けたいわけじゃない。ただ友達としていられるなら、ただの友達であり続けます」
人間そこまで利口になれるものだろうか、とシャリアは思う。一方で、この青年なら見事に割り切れてしまうのだろうとも。
「あんたこそ、本当に良いんですか。そちらから提案しておいて何度も僕に確認を取ろうとして。それは本当に僕のためなんですか?」
エグザベの言葉が突き刺さり、シャリアはまた口をつぐんだ。エグザベは追い打ちを掛けるように言葉を続ける。
「あんたのことだから、僕には他の友人や恋人を他所に作ってもらっていずれ離れてもらおうとか考えていそうですけど。僕は絶っ対に、あんたから目を離すつもりはないぞ」
「…………」
近いことは考えていたのでシャリアは無言で目を逸らしたが、エグザベが明らかに肩を落としたので慌ててエグザベに視線を戻してしまった。
「……中佐は、本当に僕と友達になりたいんですか」
どこか所在なさげなエグザベの声。釣られるように、シャリアの声も落ち込んでいく。
「話しているうちに、自信がなくなってきました。恋人になってあげることは出来なくても友人ならば……と思いましたが。想像していたより貴方の本気の純度が高く……私のような男が貴方の友人で良いのかと」
「いいに決まってるだろ、そんなの……」
エグザベの声が不貞腐れてたものだったので、シャリアは目を丸くした後に笑いが込み上げるのを抑えられなかった。
「ああ、君もそんな風に不貞腐れることがあるのですね」
「そーですよ、悪いですか」
「いいえ、むしろ喜ばしい。君の知らない一面を知ることが出来たのだから」
笑っているうちに、先聞いたエグザベの言葉を思い出す。『僕はあんたのことを沢山知りたいと思っている』……そうか、友人同士であれば彼のこのような一面も知ることが出来るのか。
「ねえ、エグザベ君」
「え……あ、はい!」
エグザベが目を丸くしているのを愉快に思いながら、シャリアは手についた油を紙ナプキンで拭った。二人で食べていたポテトのボックスはもう空になっていた。
「今、君のことをもっと知りたいと思いました。つまらない男ですが、やはり今後は君の友人でいさせていただきたいです」
エグザベに向けて手を差し出す。
もう一つの思いには応えてあげられない。感情云々以上に理性がそれを許さない。それでも、ただの友人として在ることは出来る。友人になりたいと言ってくれたこの青年の好意を無碍にしたくなかった。
この思いは薄々勘付かれているのだろう、それでもどうか見て見ぬ振りをして欲しい。私だって君のことを知りたいのだから。それはシャリアの献身であると同時にエゴだった。
「今後とも、よろしくお願いします」
シャリアの手にエグザベはおずおずと手を伸ばし、そっと握る。合わさった温かな掌から伝わるのは戸惑い、そして喜び。
どのような形であれ、自分は個人としてこの人の傍にいることを許されたのだ。
その思いが掌と共に重なって、シャリアは胸の奥の空洞が小さく締め付けられるような心地を覚えた。
