メモリ

 ──これはライカの上官としてではなく、あの子の叔父としての言葉だが。
 ──何があろうとも、お前だけはあの子の味方でいてやってくれ。

 自分がライカさまの指揮下に入る前日。
 最終メンテナンスを終えその時をただ待っていた自分のもとを訪れたネット警察総監……またの肩書をシャーロネットワーク軍大将は、自分に向かってそう言った。
 ネットナビは常にオペレーターの指示に従うもの。
 であれば、ナビがオペレーターの味方であることは当然であり自分にもそうプログラムされている。何故それをわざわざ言葉で自分に伝えるのか?
 そう尋ねると、総監は笑ってこう言ったのだった。
 ──あの子は、手が掛かるからね。
 それが「自分」にとっての原初の記憶。
 ライカさまの指揮下に入る以前のほとんどの記憶を消去しておきながら、新たなオペレーターに関わることであるからと消すことなく、現在に至るまで消していない些細な記憶だ。
 ネットナビは見聞きした全ての情報を記憶、否、「記録」する。そして人間の脳に備え付けられている「忘却」の機能の代わりとして、記憶された情報は重要度に伴ったソートを行い、重要度の低い記憶は圧縮し──人間で言うエピソード記憶を情報記憶に変えるようなものだ──必要に応じて消去あるいは外部に書き出した上で消去することでネットナビは記憶領域の容量を確保する。
 一般的なネットナビの場合、記憶領域の整理をしなかった場合にはおよそ二十年分の記録を保持可能なのだという。
 検索・情報処理に長けたナビとして設計された自分には、一般的なネットナビより余程多くの記憶領域が用意されているのに加え、効率的な記憶整理アルゴリズムも備わっている。巨大なデータを扱う可能性がある故に、記憶領域を常に充分に空けておくことを求められるためだ。
 結局、「自由に」使える記憶領域は一般的なネットナビよりせいぜい十年分多い程度に過ぎない。
 記憶領域に保存する情報の優先度について、ライカさまは最初から自分に判断を一任してくれていた。不要と判断した情報は削ぎ落として構わん、必要ならば外部メモリも使え、と。
 自分はその言葉に従い定期的な記憶整理を実行した。月に一度の記憶整理を繰り返し、やがてその回数が三十を越えた頃。
 ライカさまのナビになったばかりの頃と比較して、記憶整理に時間が掛かるようになっている自分に気が付いた。
「記憶整理……そういえば、考えたことないや」
「オレもだな」
 相談する相手を間違えたかもしれない、と思った。
 軍の外にいるナビの中で最も近しい存在であるロックマンもブルースも、究極プログラムの持ち主である。記憶保持についても一般的なナビとは全く異なるプロトコルを用い、記憶領域も多く確保されている可能性が高い。
 二人からすればむしろ自分が「一般的なナビ」であり。自分のように記憶整理の判断に悩むようなこともない、と。
 少し考えれば分かるはずのことを失念していたのは自分の感情由来の判断ミスだ。
「でも、僕はちょっと嬉しいな。サーチマンにはもしかしたら、忘れたくない記憶が沢山あるのかも」
「忘れたくない記憶?」
「うん。いつでもすぐ取り出せるようにしておきたい、だから消去したくないし圧縮もしたくないし外部保存もしたくない、つまり、忘れたくない……そういうことなんじゃないかなって」
「……」
 ロックマンのその言葉は、擬似人格プログラムたるネットナビよりも余程人間の思考に近い。
 だがその考えは……
「心当たりはあるだろう、サーチマン」
「……そうだな」
 自身の記憶領域内のディレクトリを辿れば、それらの記憶はいとも簡単に取り出せてしまう。
 戦いの記憶、任務の記憶であればどうにか優先順位を付けて整理することは出来る。だが、こうした任務の外での他愛ない会話や、ふとした瞬間の己の感情の変数の揺れ動き、そして何よりもライカさまと共にある時間の記憶といったデータ達は、どうにも「整理」し難かった。
 ロックマンやブルースに相談した結果得られたのは、どうやら自分は記憶の整理タスクのスムーズな実行に支障を来しつつあるようで、その事象は紛れもなく自分自身に由来しているという自覚。
 自分は大人しく、ライカさまに指示を仰ぐことにした。
「では、領域そのものを拡張してみるか?」
 ニーイチヒトナナ、習慣となっている就寝前の軽いミーティング。ライカさまは自分の報告に事も無げにそう言った。
「今のPETの性能であれば、お前が俺の元に来た時以上のメモリを積んだ上でも性能を充分に発揮することは可能だろう」
「は……」
 記憶領域の拡張。それは予想された答えの一つであった。
 だが、事象の根本的な解決ではない。それ故、自分は言葉に詰まった。
「どうかしたのか、サーチマン」
「いえ。ただ自分は、記憶整理機能の点検を求められる物かと」
「最初に言ったはずだ、お前に任せると。それでお前がこのままでは記憶整理と容量確保に支障が出ると判断したのなら、領域拡張くらいは必要だろう」
「ライカさまが、そう判断なさるのであれば。しかし、」
「根本的解決ではない、と言いたいのか?」
「……その通りです」
「そうだろうな。だが、サーチマン。ネットナビは人間とは違い、見聞きした物全てをあるがまま記録として記憶している。俺はそれも考慮した上でお前に任せている。お前からの報告を受けた今も、それで問題ないと判断している」
「……」
 ライカさまがそう言うのであれば、自分は従うより他ない。そしてどういうわけか、ライカさまの言葉を聞いて自分が安堵していることに気が付いた。
 自分の記憶を、失わずに済むのだと。
「任務に関わりのない記憶でも、ですか」
 ライカさまはそれすらも織り込み済みなのだろう。そう思いながら尋ねると、ライカさまは僅かに目を細めて笑った。
「簡単に忘れられるような記憶ではないんだろう、ならばしばらくは保存しておけ。……忘れないでいられるお前が少し、羨ましい」
 ならば、ライカ様の今の笑顔を半永久的に記憶しておける自分はとても幸福なのだろう……そう考えた時、あの時ロックマンが「嬉しい」と言った理由が理解出来た。

 ◆◆◆

 手が掛かる、とはどのような意味か。
 事前に与えられたプロフィールや訓練成績のデータから、新たなオペレーターは非常に優秀であると判断している。
 それを尋ねると、そうだな、と総監は頷いた。
 ──その通り、あの子はとても優秀だ。ネットセイバーとしても、将来的には我が軍の士官としても。才ある子供を、そうあるように育てたのだから。
 ──だが、あの子はまだ子供なのだ。子供なのだよ、サーチマン。
 そう語った時の総監は、今にして思えば、どこか痛みを堪えるような顔をしていた。
 その時の自分はそれを気に留めることもなく、黙って総監の話を聞いていた。
 ──子供であるということは、まだ精神が成熟しきっていないということだ。普通の子供とは全く異なる道を歩きながら、あの子は成長しなければならない。
 ──故に私は、今回の君に感情のプログラムをインストールさせた。あの子の道具としてではなく、あの子を支え、並び立つ相棒としての役割を君に与えることにしたのだ。これから人として育っていくあの子のために、それが善手であると信じて。
 それらが、自分の新たなオペレーターについて手が掛かると総監が評した理由か。
 そう尋ねると、その通り、と総監は頷いた。そして、最後にこう付け加えたのだった。
 ──今の話は、他言無用で頼むよ。無論、あの子にもね。
 既に「自分」の記憶にはないが、ライカさまの指揮下に入る以前、自分は多くのネットナビが持つ感情のプログラムを与えられていなかったのだという。
 軍事ナビにそのような物は不要。ただオペレーターの指示に従い任務を遂行すべきである。その考えは理解出来る。
 だが総監はライカさまのネットナビとなる「サーチマン」に感情を与えさせた。恐らくは総監としてではなく、ライカさまの叔父としての判断だったのだろう。
 その是非を問うても意味はなく、ライカ様はシャーロで最も優れたオペレーターであり、自分はシャーロで最も優れたネットナビとなった。その結果が全てである。
「支障はないか、サーチマン」
 記憶メモリ増設後のテストオペレーションで一通りのテストをクリアした後、ライカさまはそう尋ねてきた。
 ここでライカさまが問うているのは自分が内部データとして測定した数値ではなく、「俺」自身がどう感じているかである。
 内部データなどいくらでもログから見れる、お前の口から所感を聞かせろ、と、初めて言われた時は驚いたものの。これも長官が言っていた「手が掛かる」面なのだろう、と今では納得している。
「問題ありません。増設前と同様の動作が出来ています」
「そうか、ならば良い。それでは実動作でのテストはここまでとしよう。ログ解析とサマリの作成を頼む」
「了解」
 テストプログラムを終了し、テスト用仮想電脳から、ライカさまのPETの電脳へと移動した。
 ログ解析もサマリ作成も、自分と現世代PETのスペックならば0.1秒と掛からずに終わる。
 出力されたそれらに目を通して、ライカさまは頷いた。
「よし、問題ないな。技術部に送信を」
「了解しました」
 電子署名と共に、それらを報告書として技術部に送信する。
 立ち上がったライカさまがマシンルームから向かう先は食堂だった。時刻はヒトサンヨンマル、食事時を少し過ぎている。この後は昼食、それからは待機命令が出ている。
「……本日のランチのデザートは、クルミ入りブラウニーです」
 「肩に乗り」そう囁くと、ライカ様は「そうか」と小さく目を輝かせた。
 任務とは一切関係のない些細な会話、些細な表情の変化。
 もしライカさま自身がそれらを忘れても、自分は決して忘れることはない。
 大切な記憶、記録。
 今は、それで良いのだ。

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