カテゴリー: エグゼ

メモリ

 ──これはライカの上官としてではなく、あの子の叔父としての言葉だが。
 ──何があろうとも、お前だけはあの子の味方でいてやってくれ。

 自分がライカさまの指揮下に入る前日。
 最終メンテナンスを終えその時をただ待っていた自分のもとを訪れたネット警察総監……またの肩書をシャーロネットワーク軍大将は、自分に向かってそう言った。
 ネットナビは常にオペレーターの指示に従うもの。
 であれば、ナビがオペレーターの味方であることは当然であり自分にもそうプログラムされている。何故それをわざわざ言葉で自分に伝えるのか?
 そう尋ねると、総監は笑ってこう言ったのだった。
 ──あの子は、手が掛かるからね。
 それが「自分」にとっての原初の記憶。
 ライカさまの指揮下に入る以前のほとんどの記憶を消去しておきながら、新たなオペレーターに関わることであるからと消すことなく、現在に至るまで消していない些細な記憶だ。
 ネットナビは見聞きした全ての情報を記憶、否、「記録」する。そして人間の脳に備え付けられている「忘却」の機能の代わりとして、記憶された情報は重要度に伴ったソートを行い、重要度の低い記憶は圧縮し──人間で言うエピソード記憶を情報記憶に変えるようなものだ──必要に応じて消去あるいは外部に書き出した上で消去することでネットナビは記憶領域の容量を確保する。
 一般的なネットナビの場合、記憶領域の整理をしなかった場合にはおよそ二十年分の記録を保持可能なのだという。
 検索・情報処理に長けたナビとして設計された自分には、一般的なネットナビより余程多くの記憶領域が用意されているのに加え、効率的な記憶整理アルゴリズムも備わっている。巨大なデータを扱う可能性がある故に、記憶領域を常に充分に空けておくことを求められるためだ。
 結局、「自由に」使える記憶領域は一般的なネットナビよりせいぜい十年分多い程度に過ぎない。
 記憶領域に保存する情報の優先度について、ライカさまは最初から自分に判断を一任してくれていた。不要と判断した情報は削ぎ落として構わん、必要ならば外部メモリも使え、と。
 自分はその言葉に従い定期的な記憶整理を実行した。月に一度の記憶整理を繰り返し、やがてその回数が三十を越えた頃。
 ライカさまのナビになったばかりの頃と比較して、記憶整理に時間が掛かるようになっている自分に気が付いた。
「記憶整理……そういえば、考えたことないや」
「オレもだな」
 相談する相手を間違えたかもしれない、と思った。
 軍の外にいるナビの中で最も近しい存在であるロックマンもブルースも、究極プログラムの持ち主である。記憶保持についても一般的なナビとは全く異なるプロトコルを用い、記憶領域も多く確保されている可能性が高い。
 二人からすればむしろ自分が「一般的なナビ」であり。自分のように記憶整理の判断に悩むようなこともない、と。
 少し考えれば分かるはずのことを失念していたのは自分の感情由来の判断ミスだ。
「でも、僕はちょっと嬉しいな。サーチマンにはもしかしたら、忘れたくない記憶が沢山あるのかも」
「忘れたくない記憶?」
「うん。いつでもすぐ取り出せるようにしておきたい、だから消去したくないし圧縮もしたくないし外部保存もしたくない、つまり、忘れたくない……そういうことなんじゃないかなって」
「……」
 ロックマンのその言葉は、擬似人格プログラムたるネットナビよりも余程人間の思考に近い。
 だがその考えは……
「心当たりはあるだろう、サーチマン」
「……そうだな」
 自身の記憶領域内のディレクトリを辿れば、それらの記憶はいとも簡単に取り出せてしまう。
 戦いの記憶、任務の記憶であればどうにか優先順位を付けて整理することは出来る。だが、こうした任務の外での他愛ない会話や、ふとした瞬間の己の感情の変数の揺れ動き、そして何よりもライカさまと共にある時間の記憶といったデータ達は、どうにも「整理」し難かった。
 ロックマンやブルースに相談した結果得られたのは、どうやら自分は記憶の整理タスクのスムーズな実行に支障を来しつつあるようで、その事象は紛れもなく自分自身に由来しているという自覚。
 自分は大人しく、ライカさまに指示を仰ぐことにした。
「では、領域そのものを拡張してみるか?」
 ニーイチヒトナナ、習慣となっている就寝前の軽いミーティング。ライカさまは自分の報告に事も無げにそう言った。
「今のPETの性能であれば、お前が俺の元に来た時以上のメモリを積んだ上でも性能を充分に発揮することは可能だろう」
「は……」
 記憶領域の拡張。それは予想された答えの一つであった。
 だが、事象の根本的な解決ではない。それ故、自分は言葉に詰まった。
「どうかしたのか、サーチマン」
「いえ。ただ自分は、記憶整理機能の点検を求められる物かと」
「最初に言ったはずだ、お前に任せると。それでお前がこのままでは記憶整理と容量確保に支障が出ると判断したのなら、領域拡張くらいは必要だろう」
「ライカさまが、そう判断なさるのであれば。しかし、」
「根本的解決ではない、と言いたいのか?」
「……その通りです」
「そうだろうな。だが、サーチマン。ネットナビは人間とは違い、見聞きした物全てをあるがまま記録として記憶している。俺はそれも考慮した上でお前に任せている。お前からの報告を受けた今も、それで問題ないと判断している」
「……」
 ライカさまがそう言うのであれば、自分は従うより他ない。そしてどういうわけか、ライカさまの言葉を聞いて自分が安堵していることに気が付いた。
 自分の記憶を、失わずに済むのだと。
「任務に関わりのない記憶でも、ですか」
 ライカさまはそれすらも織り込み済みなのだろう。そう思いながら尋ねると、ライカさまは僅かに目を細めて笑った。
「簡単に忘れられるような記憶ではないんだろう、ならばしばらくは保存しておけ。……忘れないでいられるお前が少し、羨ましい」
 ならば、ライカ様の今の笑顔を半永久的に記憶しておける自分はとても幸福なのだろう……そう考えた時、あの時ロックマンが「嬉しい」と言った理由が理解出来た。

 ◆◆◆

 手が掛かる、とはどのような意味か。
 事前に与えられたプロフィールや訓練成績のデータから、新たなオペレーターは非常に優秀であると判断している。
 それを尋ねると、そうだな、と総監は頷いた。
 ──その通り、あの子はとても優秀だ。ネットセイバーとしても、将来的には我が軍の士官としても。才ある子供を、そうあるように育てたのだから。
 ──だが、あの子はまだ子供なのだ。子供なのだよ、サーチマン。
 そう語った時の総監は、今にして思えば、どこか痛みを堪えるような顔をしていた。
 その時の自分はそれを気に留めることもなく、黙って総監の話を聞いていた。
 ──子供であるということは、まだ精神が成熟しきっていないということだ。普通の子供とは全く異なる道を歩きながら、あの子は成長しなければならない。
 ──故に私は、今回の君に感情のプログラムをインストールさせた。あの子の道具としてではなく、あの子を支え、並び立つ相棒としての役割を君に与えることにしたのだ。これから人として育っていくあの子のために、それが善手であると信じて。
 それらが、自分の新たなオペレーターについて手が掛かると総監が評した理由か。
 そう尋ねると、その通り、と総監は頷いた。そして、最後にこう付け加えたのだった。
 ──今の話は、他言無用で頼むよ。無論、あの子にもね。
 既に「自分」の記憶にはないが、ライカさまの指揮下に入る以前、自分は多くのネットナビが持つ感情のプログラムを与えられていなかったのだという。
 軍事ナビにそのような物は不要。ただオペレーターの指示に従い任務を遂行すべきである。その考えは理解出来る。
 だが総監はライカさまのネットナビとなる「サーチマン」に感情を与えさせた。恐らくは総監としてではなく、ライカさまの叔父としての判断だったのだろう。
 その是非を問うても意味はなく、ライカ様はシャーロで最も優れたオペレーターであり、自分はシャーロで最も優れたネットナビとなった。その結果が全てである。
「支障はないか、サーチマン」
 記憶メモリ増設後のテストオペレーションで一通りのテストをクリアした後、ライカさまはそう尋ねてきた。
 ここでライカさまが問うているのは自分が内部データとして測定した数値ではなく、「俺」自身がどう感じているかである。
 内部データなどいくらでもログから見れる、お前の口から所感を聞かせろ、と、初めて言われた時は驚いたものの。これも長官が言っていた「手が掛かる」面なのだろう、と今では納得している。
「問題ありません。増設前と同様の動作が出来ています」
「そうか、ならば良い。それでは実動作でのテストはここまでとしよう。ログ解析とサマリの作成を頼む」
「了解」
 テストプログラムを終了し、テスト用仮想電脳から、ライカさまのPETの電脳へと移動した。
 ログ解析もサマリ作成も、自分と現世代PETのスペックならば0.1秒と掛からずに終わる。
 出力されたそれらに目を通して、ライカさまは頷いた。
「よし、問題ないな。技術部に送信を」
「了解しました」
 電子署名と共に、それらを報告書として技術部に送信する。
 立ち上がったライカさまがマシンルームから向かう先は食堂だった。時刻はヒトサンヨンマル、食事時を少し過ぎている。この後は昼食、それからは待機命令が出ている。
「……本日のランチのデザートは、クルミ入りブラウニーです」
 「肩に乗り」そう囁くと、ライカ様は「そうか」と小さく目を輝かせた。
 任務とは一切関係のない些細な会話、些細な表情の変化。
 もしライカさま自身がそれらを忘れても、自分は決して忘れることはない。
 大切な記憶、記録。
 今は、それで良いのだ。

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インターバル

 AXESS最終話とStream1話の間の話。

 ◆◆◆

 特に深い理由があったわけではない。
 ただ漠然と、この男には話を聞いておくべきだと思ったのだ。

 シャーロへの帰国の便が出発するおよそ四時間前。
 科学省で用を済ませてから奥まったエリアにある病室に足を向けると、ベッドの上半分を起こした状態で一人の患者が本を読んでいた。
「邪魔をする」
「ん」
 患者は本に栞も挟まず閉じると脇に置き、ドアを開けた俺を見た。
 その男の名は伊集院炎山。ニホン国で恐らく最強のネットセイバー……と言ってしまえば熱斗が全力で張り合うのだろう。理由あって現在は入院療養中。病室は見舞いの品や花で溢れかえっているが、珍しく見舞いの先客はいないようだった。
「そう言えば今日で帰国だったな」
「ああ。用事ついでに挨拶がてら寄ったのと、帰国前に軽くお前に話しておきたいことがあってな」
 俺は見舞客用のパイプ椅子に腰を下ろすと、鞄から折り畳んだ紙を取り出す。
「シンクロ率の測定を受けて来た。サンプルが一件でも欲しい、と光博士から要請を受けてな」
「へえ、どうだったんだ」
「見るか?」
 その紙──測定結果を炎山に手渡す。炎山は紙を広げて、グラフや数字に軽く目を通してから呟いた。
「……随分高いな」
「光博士にも言われたが、やはりそうなのか」
「俺とブルース程ではないが、十分にクロスフュージョン可能な数値だ」
 感心したような炎山の言葉に、肩を竦めて返す。
「……予定も希望もないがな」
「サーチマンとクロスフュージョンするつもりはないと?」
「俺には必要ない」
「なるほど……俺は、お前には向いていると思うが」
「何故そう思う?」
「さあな」
 突き放すような物言いだが、その目にはどこか愉快そうな色が宿り口元は緩んでいる。
 からかわれている、と気付くがどう返したものか分からず、俺は誤魔化すように一つ咳払いをした。
 どうにも炎山には食えないところがある。歳は俺より僅かに下と言うが妙に老成していて、年齢に見合わぬ大人びた表情をする。感情豊かなくせに基本的に理性優位。熱斗とは真逆のタイプで、だから熱斗よりはよほど話の合う相手だが、正直俺はまだこの男との距離感を測りかねている。
 俺が勝手に気まずくなっていることなど意に介せず、炎山はまだ興味深そうに測定結果の紙を眺めていた。
「お前がこれを持っているということは、シャーロでもクロスフュージョンの研究を行う予定なのか?」
「その質問には答えられないが、測定データは本国に提出予定だ。それは俺が個人で保管しておく用だな」
「熱斗には話したのか」
「話していない。面倒なことになりそうだ」
「それもそうだな」
「……炎山、俺の思い違いかもしれないが」
「なんだ」
「お前、退屈してたのか」
「ああ、よく分かったな」
「入院患者にはよくあることだからな……」
 随分口数が多いと思えば。
 炎山は飄々と肩を竦めてみせる。
「ブルースはメンテナンス、仕事は取り上げられ、話し相手もいない、手持ちの本は読み尽した。そこにお前が来たからな」
「生憎だが俺はもう間もなく空港へ向かうためにこの病院を出なければならない。いつまでもお前の話し相手は出来ないぞ」
「忙しないことだ」
「お前に言われたくないが」
 今くらいは大人しくしていろ、と関わる人間全員から思われていることくらい承知の上なのだろう。
 紙上の文字も数字も隅から隅まで読み終えてから、炎山は測定結果を畳み直してから俺に差し出した。
「もう良いのか」
「ああ。……お前、本当にクロスフュージョンする気ないのか」
「何が言いたい」
「宝の持ち腐れ……いや。それもあるが、違うな。俺とブルース、熱斗とロックマンだけではどうにも限界があると言うだけの話だ」
「……」
「数年内にはシンクロチップも量産体制が整って他の適性ある人間にも行き渡るだろう。だがその数年を俺達だけで保たせられるか? クロスフュージョンが難所作業や災害支援に平和利用出来るようになるまでの期間を、俺達だけで、本当に? 今回のようにどちらかが潰れない保証がどこにある?」
 ひと息にそう言ってから、炎山はふうと息を吐いてベッドに背中を預けた。
 少し疲れたのか、顔色が少し悪いように見えた。
「……すまん。お前に無理にする話でもない」
「いや、お前の個人的な考えを知ることが出来て良かった。要は喫緊でないが本心としては猫の手も借りたいと」
「そうなるな」
 そう頷いて、サイドテーブルから水のボトルを手に取りひと口飲んでから、炎山は小さく笑った。疲れが見えたのは気の所為だったのか、随分血色がいい。
「お前なら猫よりは働けそうだからな」
「全くいい性格をしているな……」
 この男が根本的に善人で良かったとつくづく思う。人を乗せるのまで上手いと来た。
 その言葉一つですぐに考えを変える気もないが、しかし今後その可能性が来た時に思考のフックにはなるだろう。
「だがお前や俺の考えがどうであれ、俺が決めることではない。命令が下ればやるだけだ」
「ん、そうだな。お前はそれでいい。まあ、その時が来たら個人的に一報くらい寄越しては貰いたいがな」
「それくらいはするさ。猫より働ける自負はあるからな」
「ああ、そう言えばお前は犬派だったな」
「熱斗から何を聞いてるんだお前は……」
 そもそもモロゾフは俺の友達であって、犬派猫派の話ではない。
「お前が友人のために熱斗に大層な迷惑を掛けたことは聞いたな」
「……その件はもう解決している」
「ああ、俺からどうこう言うつもりはない。お前もそういうことをする程度には人間なんだなと思って、俺の中のお前の評価が上がったというだけの話だ」
 思いも寄らない言葉に虚を突かれて返す言葉を見失う。しかし炎山の目が心底愉快そうだったので、またからかわれているのだと気付いた。
「お前の言うことは皮肉なんだか本心なんだか分からん」
「褒めているんだがな」
「ならば受け取っておくが……」
「ところでお前、時間は大丈夫なのか? いつまでも俺の話し相手は出来ないと言っていた割に長く付き合ってくれているようだが」
 引き留めていたのはそちらでは。
 そう言いたいのを堪らえる。ここで何を言おうとまた手玉に取られる予感がしていた。
 なんで(あの単純極まる)熱斗はよりによってこの男と平然と友達をやれているんだろう、とつくづく思う。
「ああそうだな、俺も暇では無いのでそろそろ帰らせてもらう。お前はよく休めよ」
「お前まで熱斗のようなことを……」
 炎山が小さく顔をしかめたのを見て、この男の弱点はここか、と少し意外に思う。何気なく付け加えた言葉のつもりだったのだが……と、気付けば笑いが込み上げてきた。
「おい、なんだいきなり」
「いや、……だからお前は熱斗に弱いんだな、と思った」
「うるさい、帰るならさっさと帰れ」
 不機嫌で照れを隠すようその反応は言ってしまえば子供じみていて、普段どれほど大人びていても俺より歳下なのだと思わされた。
「そうさせてもらうよ、お大事にな」
 病室のドアをくぐりながら軽く手を振ると、意外にも炎山は軽く手を上げて返した。
 帰り際に思いがけないものを二つも見たが、さっき炎山が俺に対する評価を上げたと言った気持ちは理解できた。
 炎山は俺が思っていた以上にただの人間なのだと、そう分かっただけでここに足を運んだ意義はあった。
それも計算ずくであれば恐ろしいが、そういうわけではなさそうだ。
 だからあいつは熱斗とはまた違った意味で人たらしなんだろう、俺ですら少し心が揺れたくらいなのだから……俺は、そんな事を考えながら空港に向かった。
 
 仮に公式のCF成功例一・二号が熱斗と炎山でなかったとして、俺は命令されればきっとCFの力を得ることを選んだ。
 だが現実として俺より先に熱斗と炎山がその力を手にしていて、命令を受けた時に脳裏をよぎったのはあの時炎山を見舞いに行った時の記憶で、それからろくな訓練も受けていないだろうに実体化したウイルス達と戦っていた熱斗の姿だった。
 二人しかいないことを理由にこいつらに潰れて欲しくはないな、と思ってしまった時点で俺は炎山の言葉に見事乗せられたのだ。
 そうして俺は、ニホンに行ってシンクロチップを受け取り、シャーロ・クリームランド共同研究プロジェクトに参画せよというその命令を受諾したのだった。

デフラグ

※12年後の大人RGB

 ◆◆◆

「……終わんねえー……」
 深夜十時を回る頃、デンサン大学ネットワーク工学部研究棟の一室で光熱斗はデスクに突っ伏しながら呟いた。すかさず脇のPETからロックマンが声を上げる。
『熱斗君寝ちゃ駄目だよ、今日研究室の夜間利用申請出してないでしょ』
「べ〜っつに良いだろどうせ教授も先輩達も出さないで泊まってるし……」
『だからそれが駄目なんだってば! ほら寝るなら起きて、続きは明日書こっ』
「ゔー……」
 唸り声を上げながら、熱斗はズルズルと体を起こす。デスクの上に散らばった何冊かのノートやペンを引っ掴んでリュックに放り込み、パソコンをシャットダウンして最後にPETを掴んで立ち上がった。
「きっつ……」
 大学の正門から駅へのごく短い夜道を歩きながら、熱斗はぼやく。
「俺なんで博士研究始めたんだっけ……」
『パパを支えていずれは超えるようなネットワーク科学者になるため、でしょ』
「炎山は俺が中学生の時にこれ書いてたわけ? 副社長とネットセイバーやりながら? あいつなら学士でも誰も文句言わないだろお……」
『炎山は修士だよ』
「15で修士号取ってる時点で色々おかしいんだよッ!!」
 消息は調べなくても目に入ってくるし定期的に連絡も取っているがここ1年は直接会っていない友人を勝手に引き合いに出しながら、光熱斗24歳は駅の眩しさに目を細めた。
「なんていうか……炎山もパパもだけど俺の周りにいた人達って凄かったんだな……今になって思うぜ……」
『熱斗君……』
 はあ、と大きな溜息と共に駅前を通る。デジタルサイネージのほのかな光がゲーム広告を映し出すのを横目で見ながら、熱斗は呟く。
「……新型のクロスフュージョンテストっていつだっけ」
『来月だよ。ライカも来るから久し振りに3人揃うね』
「もうシンクロチップの量産体制もとっくに整ってるのにな」
 改札は通らず、駅前の繁華街の手前側にあるラーメン屋へ向かう。特筆して美味くはないが不味くもない、代わりに量はあるそのラーメン屋はデンサン大学の学生達のお腹を支え続けており、熱斗も遅くまで大学にいた夜はこのラーメン屋に通っていた。
「やっぱ炎山のやつ会いたいのかな、俺たちに」
『そうかもね』
「素直に言えばいいのに。ライカはともかく俺なんか結構近くに住んでるんだし」
『炎山だって忙しいんだよ、きっと』
 チャーシューメン半チャーハンセットの食券を買い、水を飲みながら提供を待つ。
「ま、俺たちの出番がテストモニターだけで済むならそれが一番。後進に出番を譲って、俺達はゆっくりしようぜ」
『後進って……クロスフュージョン部隊の人達ほとんどが熱斗君達より歳上だよ』
「俺達より経験年数少なけりゃ後進です〜」
 熱斗と炎山は、クロスフュージョンの戦士としては現在ほぼ一線を退いている状況にあった。
 彼らが活躍した12年前と異なり、当時少年であった彼らが戦わずともネット警察内のクロスフュージョン部隊が整備されている。
 ネットセイバーとしての資格はあれど、現在の熱斗は研究を優先する意向を伝えているのでネット警察から任務が回ってくることもそうそうない。むしろニホン国ネット警察においては「光熱斗・伊集院炎山の出動は最終手段」扱いとなっており、そして近年のネット世界の治安はかつてと比べればすこぶる良く、そんなわけで熱斗は研究に専念出来ているのだった。
 カウンター越しにチャーシューメンと半チャーハンが置かれた。熱斗は割り箸を割る。
「でも楽しみだな。炎山はともかく、ライカはそうそう会えないからさ。今どこで何してんのかもよく分かんねーし……」
『そうだね。僕も楽しみだよ、サーチマンに会えるの』
 ライカとサーチマンの近況について熱斗とロックマンが知っているのは「生きてはいる」ということくらい。半年ほど前、正月に署名付きの年始の挨拶だけ寄越して来たが送信元が厳重に暗号化されており、返信も出来なかった。
「元々細かく連絡して来るような奴でもないけどさあ、返信くらいさせろっての。炎山とブルースでも解析できない暗号ってなんなんだよ」
『心配だけど、でも来月は来るって話だからさ。話はその時に聞こうよ』
「だな〜……」
 熱斗は相槌を打ちながら熱いラーメンを啜った。

 ◆◆◆

 新型PETのCFテスト前日、熱斗は酒やジュースの缶とつまみの入った袋を手に炎山が保有しているマンションの一室を訪れた。
 IPC本社からほど近くに建っているその高級マンションはエントランスにコンシェルジュが常駐していて、熱斗は炎山への来客である旨を伝えて足を踏み入れた。
 このマンションには過去に数度訪れたことがあるので勝手知ったる物だが、炎山がここに生活しているという感覚はどうにも実感と結びつかない。何せ部屋に生活感が無いのだ。掃除はハウスキーパーを雇っていて、ここにはほとんど寝に帰るだけと本人も言っている。
 それでも炎山がここに熱斗やライカを呼びつけるのはいわゆる「宅飲み」のためで──この言葉の軽さもいまいち炎山と結びつかないが他に言いようもない──、話す内容はどうしてもあらゆる種類の機密を含んでくるので店に入るわけにもいかないだろうというのが炎山の言い分だった。実際このマンションのセキュリティが住居としては国内トップクラスに厳重なのはブルースのお墨付きである。
 玄関ドアの前に建ってすぐにドアが開いた。ワイシャツにスラックスというラフな格好の炎山が顔を出す。熱斗はひょいと買い物袋を掲げた。
「よっす、久しぶり」
「ああ、久し振りだな」
「おう。痩せたんじゃないの?」
「会う期間が空く度にそれを言うのはなんなんだ」
 炎山は呆れ声を出すが熱斗としてはお約束のようなものだ。この友人は昔から仕事人間が過ぎて不健康な生活を送っている節がある。
 玄関を上がると、廊下を通って広々としたリビングに通された。ソファーに二方を囲まれたローテーブルの上には容器に入った料理やつまみの類が蓋をされた状態で置かれ、まだ準備途中だったことが窺える。
「ライカは?」
「先ほど空港に着いたと連絡が。あと三十分もすれば来るだろう」
「お前あいつが最近何してるか知ってる?」
「生きてはいること以外知らん」
「やっぱそんなもんか……あ、これお土産な。お前は食べなくてもライカは食べるだろ」
「人を偏食のように言うな」
「お前が酒も安いつまみもそんなに好きじゃないのは事実だろ~」
 炎山が用意している食事はフードデリバリーかデパ地下で揃えたのであろうデリやオードブルだが、熱斗はスーパーで買ってきた柿ピーやらあたりめにスナック菓子の類だ。価格帯も素材もランクが違うそれらをテーブルの上にごちゃごちゃと並べるのは今に始まったことではない。それに炎山は酒を最初の一杯──それも今日のような会では自宅に置いているワイン以外はほとんど飲まないので熱斗の持ってくる酒は主に自分とライカ用だ。
 炎山が言った通り、熱斗が到着してから三十分経った頃にブルースが声を上げた。
『炎山様、コンシェルジュより連絡が』
「分かった、少し出て来る」
「おう」
 炎山がライカを迎えに玄関に向かう。テーブルの上の準備は粗方終わり、熱斗は既にチューハイの1缶目を開けていた。
 玄関ドアを開ける音、それから話し声。
 程なくして炎山がライカを連れてリビングに戻ってきた。カルパスをつまもうとしていた熱斗は顔を上げ開口一番に。
「……痩せた?」
 炎山の後ろに立っているライカは、数年前に会った記憶の中のライカより幾分ほっそりして見えた。お約束でも何でもなく、目に見える実態として頬の肉が少なくなっていた。
 炎山は渋い顔をして熱斗の言葉に頷く。
「お前もそう思うか」
「否定はしない」
 当のライカは小さく肩を竦めながら、手にした紙袋を軽く持ち上げるのだった。
 ライカはシャーロからの土産としてジャーキーとクッキーの箱を持ってきていた。以前熱斗から好評だったものだ。
「先にお前達に話しておきたいことがある」
 さてそろそろ乾杯、という段階になって、ライカが口を開いた。
「明日のことに影響があるわけではない。ただ知っておいてほしいから話す」
 どこか重々しいその口調に、缶やグラスを手にしようとしていた熱斗と炎山は手を止め、ちらりと視線を交わしてからそれらをテーブルの上に戻した。
 こいつ大事なことを事後報告するとこあるからな……と、二人して長い付き合いでうっすら察しながら、耳を傾ける。
「実は前のテストから帰国してすぐ後に、ちょっとした事故に遭ってな。臓器を一部摘出する羽目になった」
「は?」
「臓器?」
「しばらく入院して既に回復はしているのだが……バイタル低下は免れず未だ軍務には支障ありとして現在は再度シャーカリーの研究所勤めに回され……」
「待て、一旦止めろ」
 淡々と話を続けるライカを、炎山が手を挙げて制止した。ライカはおとなしく口を噤み、すかさず熱斗は突っ込んだ。
「臓器摘出が必要になる怪我のどの辺が『ちょっとした』なんだよ!?」
「……少しばかり体力が落ちて、左手の握力が下がり、それから酒が飲めなくなった程度だ」
『握力と肝臓!?』
 熱斗と炎山(と聞くに徹していた筈のロックマン)の声が綺麗にシンクロし、ライカはとても後ろめたそうに頷いた。炎山は額を押さえて呻く。
「肝臓なら……いや、良くない。外傷で摘出は良くはない。まさかと思ったが本当に死にかけていたとは……」
 怪我の理由は聞いてくれるな、とライカが目で訴えていたので熱斗と炎山はそこは追及しないことにした。軍人という職業上死の危険は常にあり、訓練中の死亡事故や国内での危険任務従事の可能性はいくらでもあるだろう。しかし聞くべきことは山ほどある。
「握力ってことは腕か手の怪我もだろ、父さん達には話したのかよ?」
「話した。事前提出のバイタルデータに加えて国で測定したCF後のデータで今回のテスト参加可否を判断していただいたが、数字の上では問題ないため俺の意思で参加を決めるようにと」
「俺たちに今日まで何も言わなかった理由は……いや、サーチマンからの連絡すらなかったのは何故だ?」
「俺がサーチマンを口止めしていた」
『ライカさま、それは』
 黙って会話を聴いていたサーチマンが声を上げた。だがライカは首を横に振る。
「お前は俺の言葉から意図を正しく汲んだだけだ。どの道俺は治って直接顔を合わせる機会が来るまで熱斗にも炎山にも話すつもりは無かった」
「だから何でだよ」
「黙秘する」
「……」
 熱斗はライカを睨み、一方で炎山は深々と溜息を吐き出した。
「少なくとも今ニホンに来ているということは、お前はそれでもまだクロスフュージョンから降りる気はないということだな」
「ああ、そのためのリハビリを続けて来たし訓練も継続している。数字の上でも問題ない」
「強情め……」
 呆れ果てながら、再度溜息をひとつ。
「まあ、お前はそういうやつだ。知らない間に死にかけていたのには思うところがあるが……もういい。俺は納得した」
「ええ〜……」
 一方で熱斗は大きく顔をしかめた。
「心配くらいさせろよ」
「それについては謝罪する」
「せめて治り始めた頃には連絡するとかさ」
「……すまなかった」
「はあ〜……まあ元気になったみたいだし、しょ〜がないから許してやるけどさ……」
 渋々受け入れた熱斗に、ライカは目を伏せて「ありがとう」と呟いた。
 ライカにしてはしおらしいその反応に熱斗と炎山は顔を見合わせる。
 このところは数年おきに会うだけになってしまったこの長い付き合いの友人が自分達に弱みを見せたがらないのは今に始まったことではないが、責められて落ち込むのはらしくないのだ。
 さてどうする、任せた、と、目線だけでやり取りが成立した。
「ではこの話はここまで」
 パン、と炎山が手を叩いた。
「とにかく食べろ。明日は午後からとは言え週の半分を使う大きなテストなんだ。ライカは酒が飲めないのは良いとして、食べられないものはないか?」
「食事については特に制限はない」
「ならいい」
「ええーライカが飲まないなら俺の持ってきた酒余るじゃーん」
 熱斗が卓上に乗り切らなかった酒缶の入った袋を抱えながら口を尖らせると、炎山に横目で睨まれる。
「お前は明日のことを考えろ、流石に多すぎだ」
「じゃーここに置いて帰る」
「お前の家じゃないんだぞ……」
 炎山が呆れる一方で、ライカは既にけろりとして熱斗が持ってきた袋の中身を覗いていた。
「ノンアルコールのハイボールかビールは」
「ゼロコーラならあるけど」
「……ではそれを貰う」
「飲みたいもんあるなら事前に言っとけよなあ」
 渋々と言った顔でゼロコーラのボトルを受け取るライカのふてぶてしさに呆れながらも熱斗は少し安心していたし、炎山もその様子を見て緩く口角を上げた。
「じゃ、飯の前に」
 熱斗は開けていた缶チューハイを掲げる。ライカもゼロコーラを開け、炎山はワイングラスを掲げた。
「かんぱーい!」
「「乾杯」」
 それから暫し、各々の取り皿に料理を取り分けての食事が始まった。
 テーブルの上にぎっしりと並べられた料理は初め言葉少なに早いペースで空けられていき、やがてつまみ類だけがテーブルの上に残った頃、熱斗が2本目のチューハイを開けながら呟いた。
「結局現行じゃ俺達の本番での出番無かったよな」
 何気ない熱斗の言葉にライカが相槌を打つ。
「平和かつ後進の練度も上がっている証拠だ」
 実際怪我で出撃どころではなかったであろう人間の言葉に、炎山は「そうだな」と頷いた。
「このまま出番無しで完全引退出来ればそれで良しだろう」
「完全引退っつってもさー。ロックマン達くらいのスペックのナビ量産技術が出て来ない限りまだ無理だろ。俺達のテストって限界値測定みたいなもんだろ?」
「ああ。現状CF時のPETのスペックを限界まで引き出せるのはまだ俺達しかいない。だからわざわざ新型開発の度に集めているし、お前達だって応じているだろう」
「俺達に会いたいのはお前の方だろ〜」
「うるさいぞ酔っ払い……」
 熱斗はだらだらと炎山に寄りかかり、炎山は熱斗をぐいぐいと押し返しながらライカの方を見た。
「大方シャーロも現状は似たようなものだろう。でなければ毎回お前を寄越す理由がない。今回は猶更だ」
「技術職の俺の出張が許可されている辺りから察してくれ」
「お前が技術職なの想像出来ないんだけど」
 熱斗がぐいと顔をライカの方に向けた。炎山はその隙にすかさず熱斗をライカの方に押しやってテーブルの反対側へと移動する。
「実際何やってるんだよ?」
「機密事項だ」
「ハードとソフトならどうだ」
「それをわざわざ聞いてどうする、ソフト」
「面白くないなあ~サーチマンの性能を活かしたソフト開発と見せかけてハード開発だったりしろよ~お前も技術研究の苦しみを味わえよ〜」
「おい、何とかならんのかこの酔っ払いは」
 ぐいぐい寄りかかって来る熱斗を押し返しながらライカは炎山を見る。安全圏に避難した炎山は平然と鮭とば(コンビニ価格五百円/三十グラム)を齧っていた。
「諦めろ、こいつは始めたばかりの博論研究でのたうち回っている最中だ」
「そうか……研究テーマはなんだ?」
 現在の熱斗が研究者の道に進んでいることを思い出して少しだけ同情心が沸いたらしい。ライカがそう熱斗に水を向けると、熱斗はだらだらとさきいかを裂きながら答えた。
「え〜……サイバーワールド実体化技術の汎用性拡張におけるセーフティ実装。今は」
「先行研究がありそうなテーマに思えるが」
「こいつが言っているのはディメンショナルエリア『外』での話だ。光博士が一度実験で成功させたきりの実体化技術をセキュアに実用化することを目指したいんだそうで」
「確かに実体化技術をインフラにまで押し上げる際の課題としてはよく挙がるが」
「そもそもエリア外での実体化技術の実用化自体遅々として進んでいないのが現状だからな。理論はあれど、というやつだ」
「でもそれくらい皆考えてることだからさあ~……俺みたいな学生に企業に各国に……ライバルが多すぎる……ネットバトルならともかく博論研究だからさこれ……」
「まあ頑張ることだな」
「完成したら花くらいは贈ってやる。依怙贔屓はしてやらんからスポンサー審査は公式窓口から応募して来い」
「ぐう……定職組め……」
 応援はしているが表面上どこまでも冷淡な二人の反応に、熱斗はもそもそとあたりめを噛む。
「まだ慌てる段階じゃねーから……実用化のボトルネックが解消されない限りは……」
 ボトルネックか、とライカは考えるように口もとに手を当てた。
「言われがちなのは……消費エネルギー周りだな。確かにそこの問題が解消されれば研究は一気に進むだろう」
「アメロッパのベンチャーが独自になかなかのところまで研究を進めているらしい」
「あれは単なるメディア向けアピールと思っていたが」
「メディア向けには違いないが、先日のテックサミットでのカンファレンスを聞いた限り肉薄の線は濃い」
「興味深いな……まだ見れるか?」
「ああ、アドレスを送る。ブルース、頼む」
 技術者トークで盛り上がり始めたライカと炎山に、熱斗はいよいよテーブルに突っ伏した。
「くっそ~……」
「難しい方へ行くのはお前らしいんじゃないのか」
「多少先を越されてもお前ならなんとかなるだろう」
 炎山はオリーブをつまみながら、ライカはカンファレンス動画へのリンクが送られてきたPETの画面を眺めながらそれぞれにそう言葉を贈る。
 ガバリと体を起こした熱斗は缶から酒を呷り、思わず叫んでいた。
「励ますのか鞭打つのかどっちかにしてくれよ!」
 そして缶をテーブルに置き、またバタンとテーブルに突っ伏した。そのまま動かなくなったのでライカが慌てて起こすと、呑気な寝顔と共にすやすやと寝息が聞こえてきた。
『大丈夫、眠ってるだけだよ』
 熱斗のバイタルを計測したロックマンの言葉に、炎山は「そうか」と頷いた。
「2缶で潰れたか……今日は早かったな」
「最近はこうなのか? 随分ハイペースで酔っていたが」
「直接会ったのは1年ぶりだが……前はここまでではなかった。とは言えこうなることも織り込んでここに呼んでいるからな。水は飲んでいたから、まあ疲れが溜まっていたんだろう。どの道明日は午後からだ。始発までは寝かせてやるさ」
「やれやれ……」
 ライカは溜息を吐いて熱斗を楽な体勢で床に寝かしてから、炎山を見た。
「お前も疲れてはいないのか」
「珍しいな、人の心配とは」
「茶化すな。この中で最も体を壊す可能性があるのはお前だ」
「お前は違うと?」
「生憎、軍医が許してくれないものでな。仮にも研究職だと言うのに毎日定時で帰らされている」
「……それはまた健康的なことで」
「まあ勲章持ちの国内最高戦力をこれ以上傷物にするわけにもいかんだろうからな」
「自分から言うか……」
 せっかくこちらが遠慮したと言うのに──そう言いたげな炎山だが、ライカは気にした風もなく炭酸が抜けかけているゼロコーラを傾けた。
「言ってしまえば俺は体を壊さないよう国から見張られている身だ。お前はお前とブルースくらいしか見張る者がいないだろう」
「その心配は有難く受け取っておく」
 炎山は薄く微笑み、自分の向かい側に座るライカと(寝ている)熱斗を交互に見た。
「……まあお互いに、というところではあるな。俺達にはもう昔ほどの余裕はない。だが俺達がCF以外のことで頭を悩ませることが出来るようになった程度には、俺達がいなくてもある程度回るような体制が整ったんだ。お前達にこれ以上ちくちく言われないよう気を付けるさ」
「気を付けて欲しいところだな。今だから言うが昔から心配はしていた。お前ほど職業・権力・財力と年齢が見合っていない人間を未だに見たことがない」
「あの頃からバイクやら戦闘機やらを乗り回していたお前に言われたくはない」
「仕方がないだろう、乗れたんだから」
 そう言いつつライカはちらりと熱斗を見る。
「熱斗はまあ普通の子供だったな。昔から」
 すると炎山が眉をひそめた。
「普通の子供が国内CF成功例一号になるわけがないだろう。こいつは昔からネジやらタガやらが外れている」
「諸々外れているのは認めるが……」
 炎山の声がほんの僅かに荒げられたものだったので、ライカは昔を思い出した。
「相変わらず、熱斗のことになると本当に分かりやすくなるなお前は」
「うるさい」
 ライカとしては軽いカウンターのつもりだったが、炎山の頬に微かに朱が走ったのを見るに思いのほか効いてしまったようだ。それとも少量とは言え酒を飲んでいるせいか。
 これ以上藪をつつくのも気乗りしないので、ライカは話の舵取りを変えることにした。
「だが、そんなお前達二人だけだった頃よりは余程健全な状況になった。昔気にしていただろう」
「……確かにあの時期はそれを気にしていたが、お前に話したことあったか?」
「覚えていないのか……」
 ショックを受けたライカは少しだけ眉を下げた。対する炎山は一切悪びれずには言い放つ。
「すまん、全く記憶にない」
「薄情め……」
 拗ねて見せるライカに、炎山は「まあ」と小さく肩を竦めた。
「公式成功例第三号がお前で良かったよ。あの頃はそう思っていたし、今でもそう思う。俺の前後が熱斗とお前だったお陰で俺もこの十年強何とかなった」
「……そうか」
 満更でもない風にライカはほとんど中身の残っていないゼロコーラのボトルを飲み干し、お前もなかなか分かりやすいぞ、と炎山は呟いた。

 ◆◆◆

 熱斗が目を覚ますとそこは炎山の自宅の革張りソファの上だった。
「もう始発は出ているぞ。起きたならさっさと帰って支度して来い」
 頭上から温度の低い声がしたと思ったら、ランニングをして来たところらしい炎山がトレーニングウェアでコーヒーを飲みながら見下ろしていた。熱斗が体を起こすと体の上にはタオルケットが掛かっていて、テーブルの上はすっかり片付けられていて、ついでに自分のPETはテーブル上の充電ポートに置かれている。
「……おはようございます炎山様。俺にコーヒーを淹れてはくれませんか」
「まだ残ってるから自分で入れろ」
 炎山は素っ気なく言うとソファの端に腰を下ろし、PETのホログラムディスプレイを立ち上げて経済ニュースに目を通し始めた。熱斗は渋々体を起こし、充電ポートから自分のPETを手に取った。
「おはようロックマン」
『おはよう熱斗君。二日酔いとかしてないよね?』
「お、そういや全然平気だ。水飲んでて良かった~」
 炎山の家は勝手知ったるものなので、熱斗は棚から適当にカップを出してコーヒーメーカーからコーヒーを淹れる。炎山は昔からブラックコーヒー派なので砂糖もミルクもコーヒーメーカーの周りに置かれていない。キリリとした苦みで目を覚ましながら、熱斗はソファの空いている方の端に腰を下ろして炎山を横目で見た。
「なあ、炎山は俺が勝手に死にかけて事後報告したら怒、る……よ、なあ。なんでもない」
「俺は何も言っていないが」
 そう言う炎山はあからさまに眉を顰めている。
「顔見りゃ分かるってのー……昨日だって結構怒ってただろほんとは」
「お陰様でな。だがあいつの根性に免じて許した」
「根性?」
「あいつも俺達も、根性という精神論で何かを押し通せるような年齢でも立場でも無くなってきている。それでもあいつは、恐らく想像を絶する過程を経て押し通した上でニホンに来た。今回も来たという事実で俺は十分だ」
「……なんかお前、ライカと同じ状況になったら同じことしそうなんだよなあ」
 俺やライカがやったら怒るくせに、と炎山を横目で見ると、
「否定はしない」
 と澄ました顔でそう答えたので、呆れながらもこいつらしいやと笑いが込み上げる。
「じゃ、お前がやらかしたら俺が怒ってやるから。昔からそうだったみたいにさ」
「そうしてくれ」
 コーヒーを傾ける横顔は相変わらず澄ましたままだったが、その口角は僅かに上がっていた。

 ◆◆◆

 あの頃から12年が経って会う頻度も減って、それぞれに変わったものと変わらないものがある。
 だけどこの輸送機は今乗ってもでかいな、と熱斗は滑走路に停まっている輸送機を見上げながらふと思う。
「どうした?」
 数歩先を歩いていた炎山とライカが振り向く。
「いや、この輸送機との付き合いも長いよなーと思って」
 熱斗がしみじみ言うと、輸送機の所持者である炎山が「ああ」と表情一つ変えず頷いた。
「中古で買ったが、なかなか丈夫でな。使える限りは使う予定だ」
「ネビュラ・グレイ事件から12年か……戦闘機を出すと言ったら空で拾うと言われて驚いたな」
「戦闘機を出せると言われて驚いた俺の身にもなれ」
「これで迎えに来られて空で合流された俺の身にもなれよなあ」
 型破りな友人二人に思わずそう突っ込みつつ、「でもさ」と思わず熱斗は笑っていた。
「あの時はお前達が飛んで来てくれてすっげえ嬉しかったし、今だってこうやって三人揃ってるのが嬉しいよ、俺は」
「否定はしないな」
 ライカは澄ました、けれど照れも嬉しさも隠し切れないように笑っていて、
「あの状況で当たり前のことをしただけだ」
 炎山は相変わらず表情は変えず、けれど少しだけ柔らかな声でそう応えた。
「世界が消えかけてるあの状況で当たり前のように輸送機と戦闘機飛ばせる友達がいて幸せだよ、俺は」
 それがあの時の自分にとってどれほど心強かったことか。そして今でも何かあれば同じように飛んで集まってくれるのだろう……と思ったところでふと気付いたことをライカに尋ねるてみる。
「つかライカって今は戦闘機乗れんの?」
「再訓練を受ければな。今はライセンスが止まっていて発進許可が降りん。サーチマンがいればライセンスはどうとでもなるが……」
「おいお前達、立ち話はもういいからさっさと乗れ。出発まであと十五分を切っているんだぞ」
 ライカが何やら不穏なことを言い出したが、コックピットから通信を受けたらしい炎山に急かされ、三人は小走りで輸送機のタラップへと向かう。
「あっはは悪い悪い」
「すまん」
「そういった話なら搭乗してからでも一時間は出来るだろう全く……」
「お前もノってきただろー!」
「ここは熱斗に同意する」
「やかましい」
 三人騒ぐ声は輸送機のエンジン音にかき消され、当の三人以外には聞こえなくなった。
 タラップを上って機内に入ってしまえば少しはエンジン音が遮断されるが、床下からは振動が響いてくる。
「それではこれより、新型PETのクロスフュージョン実戦テスト会場となる実験場に向かう」
「おう」「了解」
 輸送機の発進直前、座席に着いて安全ベルトを締めた炎山の宣言に、熱斗とライカはそれぞれに頷いた。
 そんな二人を前に、炎山は僅かに口角を上げる。
 そして子供の頃から変わらない不敵な笑みと共に、こう言い放ったのだった。
「最強の座を空け渡すつもりはないことを、後進どもに知らしめてやろうじゃないか」

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原作ゲームや鷹岬版を参考にざっくり考えた今回の設定。

光熱斗(24)

デンサン大学大学院で博士論文を頑張りながらお父さんの研究を時々手伝っている。
お父さんに対する「パパ」呼びはロックマンの前でだけ出るし、メイルとは多分もう付き合ってる。
ネットバトルは今でも全然強いのでたまに気分転換としてロックマン共々ランクマに出没している。

酒には強くも弱くもない。ちょっと酔っていい気分になるために酒を飲む一般二十代。

伊集院炎山(24)

当然のように今でもIPC副社長の有名人。独身。
15の時に情報工学で修士を取っている。学士は経営学で取ったので巷で「伊集院炎山の経歴狂ってる」とか言われてる。
熱斗の研究に対しては別に私費でスポンサーやってもいいが甘やかすのも良くないと思って黙っている。

酒にはそんなに強くないが味は好きなので飲みたい酒(凄く高い)だけ飲んでいる。

ライカ(25)

成人すると同時に軍人となった。現在の階級は少佐。左官にしては若いがネットセイバー時代の功績が大きすぎるため。
色々あって技術士官に転向したが、元々クロスフュージョンについてシャーロ国内で一番詳しい人間なのでセカンドキャリアと開き直って楽しんでいる。
プライドへの思いは墓まで持って行くつもり。

今は飲めないが元はザルだった。肝機能が自然回復すればまた飲めるようになるが別に飲まないままでもいいと思っている。

フィックス

メモリ」「インターバル」「デフラグ」を踏まえた話なので先にそちらをお読みいただけると分かりやすいです。

◆◆◆

「今日までよく支えてくれた、サーチマン」
 荷物をほとんど新居の軍宿舎に送り、空っぽになった首都のアパートの一室で、床に直に座ったライカが言う。
「まだバイタルは戻っていないし研究職にはなるが、復帰するという目標は達成できた。お前の支えのお陰だ」
 ライカは事故前より痩せて、身体機能も明らかに落ちていた。それはPETの標準機能で測定可能なバイタルデータと、そしてコピーロイドに入り、同じ世界からライカを見たサーチマン自身の主観から得た結論だった。
 それでも、一時は起き上がることさえままならなかったと言うのに驚異的な体力でライカは回復し、リハビリに励み、動かせなくなる可能性もあるとまで言われた左手は日常生活を送るに支障が無くなるまでになったのが現在である。
 ライカは今でも、身体機能を元に戻すことを目標にトレーニングを続けている。
「それは、ライカ様の努力の結果です。自分はあなたのナビとしてするべきことをしたまでです」
「普通の軍事ナビなら、そのコピーロイドに入ることは選ばないだろ」
 医療・介護用コピーロイドは、武装を全て制限される。外に出る機会も多いので、プラグイン中はドレスアップチップで町中に紛れるような格好をしている。
 今のサーチマンは、軍事ナビとしてのアイデンティティを全て捨てていた。しかしそうすることを選んだのはサーチマン自身だった。
 ライカを支えられるなら、それで良かった。
「自分はあなたのナビです。あなたのために存在しています」
「……そうか。ありがとう、サーチマン」
 ライカは壁に手を突いて立ち上がると、正面からサーチマンを見て右手を差し出した。
「これからも、よろしく頼む」
「……自分こそ、よろしくお願い致します」
 サーチマンは自分の右手を差し出した。ライカの体温が掌のセンサー越しに伝わる。35.9℃。平均に比べれば低いが、それでも温かい。一時と比べれば、ずっと。
 医療・介護用コピーロイドは武装以外にもあらゆるナビの能力の出力に制限が掛かる。だがこのセンサーの入力がナビの意識に感覚としてフィードバックされる機能は、医療・介護用タイプの中でも特に高価なタイプにしか備わっていない。
 サーチマンはこのコピーロイドとしての体を窮屈に思ってはいたが、それでもこのセンサー機能は捨て難く、このコピーロイドを用意したライカの叔父に密かに感謝していた。
「お前も実務への復帰は久しぶりだものな」
「問題ありません」
「頼りにしている」
 ライカはサーチマンの手を強く握り、そして離した。
「さあ、そろそろ司令部へ向かおう。叔父さんが……長官が待っている」
「タクシーは外に」
「助かる」
 二人連れ立って部屋を出る。アパートの大家に鍵を返し──退役軍人の大家にそれはそれは言葉を尽くして復職を祝われた──、サーチマンの呼んだ無人タクシーに乗り込んだ。
 復職したライカは明日からシャーカリーのクロスフュージョン研究所勤務となる。
 ネットセイバーとして任務にあたっていた頃は研究所開設直後からしばらく赴任していたものの、正式に軍人となってからは司令部勤務となっていたため研究所赴任は数年ぶりだ。
 走り出したタクシーの中、ライカは呟いた。
「叔父さんには散々心配を掛けてしまったな。俺に退役を持ち掛けるなど並大抵ではなかっただろうに」
「……長官はずっと悩んでおられました。退役する気がないようであれば、シンクロチップを取り上げることも選択肢にと」
「そうか……叔父不孝だな、俺は」
 窓の外を流れる景色に視線を向け、ライカは呟いた。
「ライカ様がご健康であれば、長官は喜びます」
「もう成人しているんだがな」
 そう苦笑するライカの横顔を、サーチマンは見る。
 ――あいつらには言うな。
 それが、一週間後に目覚める前、ライカがサーチマンに下した最後の命令だった。
 結論から言えば、それは事故ではなく事件だった。
 既に壊滅した反政府組織の残党によってあまりにもアナログな方法で実行された、シャーロ国内最高戦力のライカ個人を狙った攻撃。その罠に掛かったとサーチマンが気付いた時にはもう遅く、ライカの体は崩れた瓦礫の下敷きになっていた。長年の訓練や任務の中で培われたこの強靭な体力の持ち主でなければ死んでいた、と幾度となく聞かされた。あまりに低い確率の中での生存そして復職だったのだ。
 迫る命の危機を感じながら、特別な存在である二人の友人にそれを伝えないことをライカは選び、そしてサーチマンはその命令を受諾した。
 ライカは生きて元気な姿で二人に再び会うつもりだとサーチマンは確信していたし、ライカは二人との絆であるシンクロチップを手放そうとしなかった。ライカに退役を勧めようとしていたマレンコフは結局そのライカの頑なさの前に折れて、ライカに古巣での研究所勤めのポストを与えたのである。
「……でも、まだまだだ。研究所務めになろうと俺はまだシンクロチップを持っている。次にあいつらに会う時までには仕上げたい」
 窓の外からサーチマンに視線が向けられる。少し伸びた髪がさらりと揺れた。
「リハビリのメニューは頼むぞ」
「了解しました」
「その姿ももう見納めか……」
「? 何か」
「いや、少し勿体ないなと思った。楽しかったよ、お前との生活は」
「そう、ですか」
 楽しかった、との言葉にサーチマンは驚く。ライカがコピーロイドに入ったサーチマンに支えられながらの生活を気に入っていたことには気付いていた。しかしそれを直接口に出すとは思わなかったのだ。
 ライカを守れなかったことをサーチマンは悔やみ続けていた。悔やんだとてどうしようもない、サーチマンの能力では検知不可能だったと後の調査で判明してもその後悔は消えず。
 そうしてサーチマンが望んだのが、このコピーロイドの体だった。機能が制限されようと、電脳世界からではなく同じ世界でライカを支えたかった。
 けれど既にライカは一人で歩くことも出来るし、生活の中での介助も必要ない。このコピーロイドは司令部でマレンコフに返却され、その後病院に寄付される手筈となっている。
 名残惜しげにサーチマンを眺めてから、ライカはPETを取り出した。
「写真だけ撮らせてくれ。忘れるのが惜しい」
「構いませんが……」
 この人が自らカメラを向けるとは珍しい。サーチマンがそう驚いている間にライカはサーチマンの写真を撮り、満足気にPETをしまった。
「お前がいてくれて良かったよ」
「この姿でもお役に立てていたならば」
「役に立つなんてものじゃなかったさ。お前が現実世界にいない生活に慣れるかどうか不安なくらいだ」
「あるべき状態に戻るだけです。自分は生涯あなたの傍にいます」
「そうだな。生涯俺のナビでいてくれ」
「例え命令がなくとも、そのつもりです」
 サーチマンの言葉に、ライカは目を細めて笑った。
 良い笑顔だ、とごく当たり前にサーチマンは思う。
 そしてライカが笑っていることも自分がそのように思えることもひどく得難い幸福なのだと、その笑顔の「記憶」を最重要フォルダに格納したのだった。

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