全てを持っていた頃の君

※前半はザべ君幼児化
※最終回後if、エグシャリは同棲してる
※8話毒ケーキの件でザべ君が甘いもの全般苦手という設定

◆◆◆

 全くもって奇妙な話であるが、シャリア・ブルが目を覚ますと、隣で眠っていた筈の二十代半ばに差し掛かり始めている恋人が五歳前後の幼い子供になっていた。
 おじさん、だれですか? と。ぱっちり開いた大きな瞳で見上げながら尋ねるその顔を見た時、シャリアの脳裏を稲光がぶち抜いた。
 それほどまでに、幼い恋人は可愛らしかった。
 
「さて、エグザべくんは何が食べたいですか?」
「ん〜……」
 シャリア・ブルがエグザべ・オリベと二人で暮らしているとあるコロニーの中でも有数の繁華街。その入口近くのファミリーレストランの更に隅のボックス席に、明るい茶髪の幼い子供を連れたシャリア・ブルの姿があった。
 エグザべくん、と呼ばれたシャリアの隣に座る幼い子供は、キッズメニューとグランドメニューをぱたぱたと開いたり閉じたりしている。それからキッズメニューの「キッズカレーセット(おもちゃ付き)」を指さした。
「これがいいです!」
「なるほど、カレーですか」
 エグザベが指さしたメニューの写真を見ると、仕切り付きのスペースグライダー型プレートにご飯が山の形に盛られたカレーライスとエビフライ、ミニトマトと小さなカップゼリーが盛り付けられている。おまけにカレーライスに入っているニンジンは星の形、とわざわざ写真付きでアピールしている。
 子供が食べるメニューとして見た目に楽しく、野菜も食べられる。良いメニューだ、と親のような目線でシャリアは頷いた。
「いいですね」
「あとケーキ!」
「……ケーキ、ですか」
 エグザベがグランドメニューのデザートページを開くのを見て、シャリアは僅かに瞼を伏せた。
「これがいい!」
 エグザべが指差したのは、何の変哲もないチョコレートケーキ。
 しかしシャリアは、胸が小さく締め付けられるような心地を覚えながらエグザべの頭にそっと手を乗せた。
 シャリアの知るエグザべ・オリベという青年は、ケーキが苦手である。
 食べ物としての好き嫌いではなく、何かアレルギーがあったり食事制限をしているわけでもない。ただ二人が軍人だった頃、しばらく離れていた時期にエグザべが関わっていた事件をきっかけに、エグザべはケーキを食べられなくなった。ケーキほどではないにせよ、他の甘味類も難しい。
 食べられないわけじゃないですよ、と本人は笑いながら言うが、ケーキを前にして深い悲しみを抱きながらその笑顔を曇らせるような恋人に無理にケーキを食べさせようともシャリアは思わない。
 つまり今チョコレートケーキの写真を指差しているこの子は、ケーキを前に素直にはしゃぐ、何も知らない無垢な子供であった頃のエグザべなのだ。そう思うと、なんとも遣る瀬無かった。
 シャリアはエグザべの丸い頭を撫でる。
「……そうですね、そのチョコレートケーキ一つならいいですよ。先にカレーを食べてからね」
「はい!」
 エグザべはその目をキラキラ輝かせながら頷いた。
 この目の輝きは幼い頃から変わらないのだな、とシャリアは小さく安堵した。
 そして、およそ三十分後。
「エグザべ君、もしやもうおねむですか?」
「う〜……」
 チョコレートケーキを前に子供用のフォークを持ったエグザべが、うつらうつらと船を漕いでいる。あんなに楽しみにしていた筈のケーキは、初めこそ目を輝かせて食べていたのだがそのフォークを運ぶペースは少しずつ遅くなり、まだ半分以上残っている。
 食後のコーヒーを飲みながら、そんなエグザベの様子にシャリアは苦笑した。
 どうやらカレーセットでほとんどお腹いっぱいになってしまっていたらしい。
「ほら、フォークを置いて。口の周りも拭きましょうね」
 エグザベの手から優しくフォークを取り上げると、エグザベはその小さな手を大人しく開いた。チョコレートクリームの付いたその小さな口の周りを紙ナプキンで優しく拭ってから、シャリアは自分の太ももを軽く叩いた。
「本当は食後すぐ横になるのは良くないのですが、今日はもう仕方がありません。ほら、おいで」
 エグザベはシャリアの膝を枕にすると目を閉じて、すやすや眠ってしまった。
 あんなにケーキを食べたがっていたのに子供は自由だ……とその無垢な寝顔を一頻り眺めたシャリアはその頭をまた優しく撫でてから、店員を呼び止めた。膝の上で眠るエグザべを見せてドリンクバーからホットコーヒーを新しく一杯持ってきてもらい、それから食べ掛けのチョコレートケーキに手を付けた。
 一口含むと、チョコレートクリームの強い甘さとハイカカオの微かなほろ苦さが口の中に広がった。
 エグザべと共に住み始めてから菓子やケーキは久しく食べていないが、ファミリー向けのレストランで出るにしてはなかなか美味なケーキだろうと思う。(今は)幼い子供であるエグザベも美味しそうに食べていたし、三十路半ばの自分もコーヒー片手に食べるには十分だ。
 最後のひと欠片を口に入れ、エグザベという青年が戦争の中で奪われてきたものに思いを馳せる。
 ルウム戦役で家族と故郷を奪われ、軍人となり安定を得た筈が先の動乱の中で友人を失い、甘味を食べるという些細な幸福も失った。
 この幼い子供は、失う前のエグザベだ。きっとこの可愛らしい子供は平凡で幸福な子供時代を過ごし、時々こうして家族と共に食事に出かけたりしたのだろう。
 この無垢な子から何も奪わない世界であって欲しい、とどうしても願ってしまう。
 だがその優しさを裏切られ傷付きながらも立ち続けることを選んだエグザベだからこそ彼はシャリアの手を握り、シャリアは彼の手を握り返したのだ。ならばせめて、エグザベがこれ以上何も奪われないよう彼を守りながら、幼い彼のような子供が何も奪われない世界を作っていくことが自分がこれから生きていく理由になるのだろうとシャリアは思う。
 それでも今だけは、この幼い子供は奪われることを知らず幸福であって欲しいと願うことしかシャリアには出来ないのだった。
 コーヒーを飲み干したシャリアは店員に座席での会計を頼み、会計を済ませてから眠るエグザベを抱き抱えて店を出た。
 二人が暮らす小さな一軒家へと続く道を歩きながら、シャリアは時折エグザベの背を優しく叩く。その姿は傍から見れば親子にしか見えなかった。

 ◆◆◆

 さて、エグザベが突然に幼い子供になるという摩訶不思議な現象は僅か一日で終わりを告げた。
 定時のアラームが鳴る一時間前にシャリアが目を覚ますと、すぐ隣にはすっかり見慣れた大人の男の姿がある。
 精悍な寝顔につい見とれていると、固く閉じられていた瞼が震え、やがてゆっくりと開かれた。瞼の下からどこかぼやけていても美しいバイカラーの瞳が覗く。
「……あれ、シャリアさん?」
 ぽやぽやと意識の定まらない声に名を呼ばれ、思わず肩を震わせて笑ってしまう。
「ふふ、おはようエグザべ君」
「え……なんで笑ってるんですか」
「いえ、君は今日も可愛いなと思って」
「な、なんですか急に」
 エグザべが頬を膨らませる。そんな姿が可愛らしいのだと、シャリアはエグザべを胸元に抱き寄せながらその頭を撫でた。エグザべもシャリアの背に腕を回して抱き返してくる。
 この丸い頭は幼い頃と変わらないのだな、と髪を梳きながら思いに耽っていると、エグザべがぽつりと呟いた。
「……夢を見たんです」
「夢ですか?」
「はい。子供になった僕が、シャリアさんと遊んだり出掛けたりする夢でした」
「……ふふ、偶然ですね。私も君が子供になった夢を見たんですよ」
「え、ほんとですか」
 不思議なこともあるんですねえ、と呑気に呟くエグザべに噴き出しそうになってしまう。
 今の彼なら心を覗いてこの話が夢ではないこともこの場で看破できるだろうに、彼は滅多なことではこちらの心を覗こうとしない。その律儀さがまた愛おしく、シャリアはエグザべのつむじに一つ唇を落とした。
「……子供の君は可愛らしかったですよ、今の君と変わらず劣らず」
「だから可愛いって言うのやめてください……」
 拗ねた声色に、シャリアはまた小さく肩を震わせて笑った。言葉と裏腹に、彼から伝わる思念は幸福そのものであった。私は彼に幸福を与える事が出来ているようだ、と安堵する。
「……その、夢の話なんですけど」
「ん?」
「ケーキ、食べてたんです。僕。すぐ眠くなっちゃって、全部は食べてないと思うんですけど」
「……」
「あなたと一緒なら、いつかまた食べられるようになるのかなぁって……思って……」
 エグザべの声が小さく震える。シャリアは何も言わずにエグザべの頭を撫で続けた。
「これでも良くなってきてると思うんです、職場で同僚がお菓子食べてるの見ても、吐き気とかしなくなってきましたし……」
 声に震えが混じるのを誤魔化すかのように、エグザべの声が明るくなった。しかしシャリアはその震えを見逃してやれなかった。
「無理をする必要はありません。カウンセラーにも言われているでしょう、君のペースで良いのだと」
「……」
 エグザべが小さく鼻を啜る音がした。シャリアはゆっくりと、睦言のように囁く。
「大丈夫、君ならちゃんと乗り越えられるし取り戻せます。君自身がそれを望んでいるんだから」
「それは、あなたの勘ですか」
「いいえ、信頼です」
「……ずるいなあ……」
 ぽつりとそう呟いて、エグザべはシャリアをぎゅうと強く抱き締めてからその腕の中から抜け出した。そしてまだ僅かに潤んでいる真っ直ぐな目でシャリアを正面から見詰める。
「……僕がケーキ食べられるようになったら、ケーキカットしてください」
 その突拍子もない提案に、シャリアは目を瞬かせた。
「ケーキカット………ああ、結婚式の?」
「目標が欲しくて」
「式は?」
「呼ぶにしても身内だけで、でも式挙げなくてもケーキカットはしたいです」
「凄いこと言いますね君」
 シャリアはくすりと笑い、エグザべの頬を撫でた。エグザべは目を細めて笑い、けれど少しだけ不安げな上目遣いでシャリアを見た。
「……待ってて、くれますか」
 シャリアは返事の代わりに、まだ赤い恋人の目頭と鼻の頭にそっとキスをした。

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