※最終回後同棲if
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「何かやりたいことはないんですか」
軍を辞めるのであれば一緒に暮らそうと誘ったその人は、同棲初日、つまり退役した日の夜のささやかなパーティの終盤にエグザべの目を見ながらそう言った。
「やりたいこと……ですか」
鸚鵡返しするエグザベに、シャリアは「やりたいことです」と頷いた。
「君にはマ・クベ中将の懐から一個小隊長というポジション相応の退職金が渡されている筈でしょう。まさかそれは全て貯金に回してすぐ就職活動をするなどと言いませんよね?」
「…………」
まさにシャリアの言う通りのことを考えていたエグザべは沈黙する。
やっぱりね、とシャリアは一つ頷いてから、グラスを傾けながら穏やかに続ける。
「子供の頃の将来の夢はなんでしたか?」
「将来の夢、ですか……」
将来の夢、というものがあったことなど久しく忘れていた。
エグザべが首を傾げて記憶を手繰ると、スペースグライダーのパイロット、パン屋、漫画家……と無軌道な「子供の憧れの職業」が次から次へと思い出された。
「随分色々な物に興味がある子だったのですねえ」
「子供の将来の夢なんて、そんなものじゃないですか?」
「もう少し大きくなってからは?」
「……覚えていない、です」
嘘ではなかった。この人相手に嘘などついても意味がない。本当に何も覚えていなかった。
進路希望の紙に何と書いて出したかも、覚えていない。
「なるほど」
シャリアは頷き、グラスをテーブルに置いてナッツを一つ摘む。
「では、『自分』が本当に何をしたいか、何をしたかったも見えていないと」
「……はい」
「探してみては? 時間ならいくらでもあるんですから、じっくり時間を掛けて考えてみてもいいでしょう。分かりやすく将来の夢を例えに出しましたが、行きたい場所とか、食べたいものとか、そういうものでもいいんです」
「…………」
エグザべが小さく頬を膨らましながら考え込むのを見て、シャリアは摘んだままのナッツをエグザべの閉じられた口元に運んだ。
唇をナッツが押すのでエグザべが慌てて小さく口を開くので、シャリアはその隙間にナッツを押し込む。エグザべはそのままもそもそとナッツを咀嚼する。そのどこかリスを思わせる様子を見てシャリアがひっそり悦に浸っていると、ナッツを飲み込んだエグザべが「それじゃ」と口を開いた。
「シャリアさんと一緒に料理したいです」
「……料理ですか」
「その、一緒に台所立つのって家族みたいだなって、思って」
駄目ですか? と、エグザべが上目遣いにこちらを伺うのでシャリアは小さく唸った。
大多数がシャリアの自宅からの荷物の運び込みであった引っ越し作業の中で、キッチンにろくに調理器具が運ばれていないのをエグザべは見ている。シャリアがろくに料理をしないと分かった上で、それでも一緒に台所に立ちたいと言っているのだ。
それはエグザべのささやかな我儘であり、この三大欲求以外の欲があまりない青年が我儘を言えるようになれば喜ばしいと考えるシャリアには効果覿面であり、何よりシャリアはエグザべのこの濡れた子犬のような視線にとにかく弱かった。
「……いいでしょう、君の望みに付き合います」
根負けしたシャリアがまた唸るようにして答えると、エグザべの表情がぱっと輝いた。
「それじゃ明日、鍋とかフライパンとか、買いに行きましょう!」
「……そうですね」
まさかこの歳になってから初めてまともな料理をすることになるとは、と内心で自分に呆れてしまう。
しかし見るからに表情を弾ませているエグザべを見ると、まあそれも良いかと思えるのだから、自分はつくづくこの年下の恋人に甘いのだとシャリアはしみじみ酒を舐めるのだった。
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あんま関係ないけど言っておきたい補足:この世界線のマ・クベはキシリア親衛隊の若者達に内部のなんやかんやで退職金出ないと聞いて全員に自分の懐から相応の退職金あげてます。