ゆりかごのなかで

※最終回後エグザベ精神崩壊if
※以前書いたこの話との繋がりはありません

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 地球の片隅、大きな町からそう遠くない山間の村。
 かつて国の首都であった都市から車で片道三時間程度のその村は、一般的な集落としての村とは異なる性格を持っている。
 この村には小規模ながら設備の整った病院・療養施設が集中していた。村に点在する宿泊施設はそれらの施設の入院患者を訪れる見舞い客向けという性格が強く、定住しているのは大多数が医療施設に勤務する者とその家族。ともかく人の出入りの少ないこの村はとても静かであった。
 旧世紀中に発生した大戦の中で疎開者によって成立したこの小さな村に昨日新たな住人が加わった、と、村で小さな酒場を営む男は客の世間話で聞かされた。
 その新たな住人と同じ職場だという客の女曰く、家族がこの村の施設に入院するので付き添うためにこの村に住んで働くのだと。老いてはいないが若い印象もない男だという。その女の職場とは、この村の中でも特に奥まったエリアに建つ精神病棟である。女はそこで清掃員をやっており、人手が増えたと喜んでいた。
 この村の施設の入院患者の多くは世捨て人であったり、身寄りもない人間が半数以上を占める。入院する家族に付き添うためこの村に移り住む者はゼロではないが、そう多くない。珍しいもんだ、と思いながら店主の男はその話を聞いていた。
 そしてその噂の新たな住人を、店主の男は思いの外早く目にすることになる。
「サンドイッチとビールを」
 噂話を聞いた翌々日、聞き慣れない声がカウンターから聞こえた。
 カウンターに座っていたのは見慣れない男だった。長い前髪で左目を隠しどこか物憂げな雰囲気を纏っている。綺麗に整えられた口髭は都会の役所の人間じみていて、病院の清掃員という役職がどこか似つかわしくないように思えた。
「あんた、最近この村に越してきただろう」
 瓶に入ったビールとサンドイッチを出しながら言うと、男は「おや、わかりますか」と薄く微笑んだ。
「小さな村だからな、見ない顔がいれば分かる」
「なるほど」
 男は一つ頷くと、ビールを瓶から直に呷ってからサンドイッチにかぶりつく。一見粗野だが品のあるしぐさは、家族がこの村にいるとは言えますますこの小さな村に似つかわしくないように思えた。
 
 ◆◆◆

「掃除、入りますよ」
 シャリア・ブルが『イヴァン』という偽名を用いてこの精神病棟で清掃員として働き始めてから、およそふた月が経とうとしていた。
 生粋のスペースノイドであるシャリアは初めこそ虫や定まらない天候に辟易したが、ここが静かで小さな村であること、そして山の中の澄んだ空気と自然豊かな景色を気に入り始めていた。
 シャリアが掃除のため足を踏み入れた病室には、ベッドが一つ。そこにはぼんやりと焦点の定まらない目で天井を見ている青年が横たわっていた。
 ベッドに括りつけられたネームプレートには『Elias Francis』と記されている。
「おはようございます、エグザベ君」
 掃除道具を病室の隅に置いて、シャリアはベッドに歩み寄りながら声を掛ける。本名を呼び掛けてみても反応はないが、シーツをめくってその手に触れると仄かに温かなものが流れて来る。彼の心の芯にある優しさ、穏やかさ、そういうった形にならない輝ける美しいもの。大丈夫、まだ彼の心は死んでいない──それを確認して安堵し、シャリアはエグザベ・オリベの額をそっと撫でた。
 シャリアがこの病棟で清掃員として働き始めたのは、エリアスという偽名を用いてエグザベがここに入院しているからである。見舞いだけであれば面会時間は制限されるが、病院内部で働いていればもう少し長い時間彼と会うことが出来る。病院側もシャリアが仕事の合間にエグザベに会うことを容認していた。
 エグザベの部屋にモップを掛け、窓を拭き、全く使われていないゴミ箱の袋を交換する。ルーティンをこなしつつ、念のため部屋の各所に何か怪しい物が仕掛けられていないか確認する。シャリアもエグザベも、命を狙われる危険性の高い身であった。特にエグザベはルウムの難民でありながらキシリア・ザビの引き起こしたあの大虐殺に加担「させられた」キシリア親衛隊の若き隊長として好奇の目で見られることも多い。
 偽名を用いての入院及び居住、というシャリアの希望をこの村の村長は何も聞かずに受け入れた。昔からそういった訳ありの患者の多い村であり、それがむしろ連邦政府の介入を難しくしている特殊な地域であることが、シャリアが連邦内部に潜む間者からの情報でここを隠れ家とした理由であった。
「他の部屋の掃除が終わったら後で来ます、お話はその時に」
 病室の隅々までを検分し、異常がないことを確認したシャリアはエグザベにそう声を掛け、病室を後にする。
「イヴァンさん、この次204号室より先に205号室を先にお願いできます?」
 廊下に出ると看護師にそう声を掛けられたので、シャリアはにこやかに応じて205号室へと足を向けた。

 ◆◆◆

 スペースコロニー内部の空気と異なり、ここの空気はいつもどこかうっすらと水気を帯びている。だが今日のように晴れた日であればそれは決して不快ではなく、むしろ爽やかと言えるのであろう。
 仕事が休みの日に、シャリアはエグザベを車椅子に乗せて病院の外へと連れ出していた。
 ここは山間を切り開いて作った村ゆえに坂や階段が多いが、車椅子使用者が多いためかほとんどの階段や急な坂には専用のスロープが設えてあるので移動は楽なものだ。
「よく食事をするバーの店長に景色のいい場所を教えてもらいました、今日はそこに行ってみましょう」
 週に二度の外出はエグザベの脳に刺激を与えるという目的で担当医に勧められていたので、シャリアは毎回エグザべを村のあちこちへ連れ出した。
 車椅子を押しながら病院から三十分ほど緩やかな坂を上って歩くと、目的地に到着する。
 そこは村全体を見下ろすことの出来る視界の開けた原っぱで、ぽつぽつと野生の花が咲いていた。小さな木のベンチがいくつか置かれているのを見るに、住民の憩いの場らしい。
「ああ、なるほど。確かにここは良いですね」
 四方を山に囲まれたこの村において、視界が開けた高所というのはそれだけで気分転換になる。不思議な開放感に包まれながら、シャリアは一番眺めの良さそうなベンチへとエグザべの車椅子を押して行く。
「不思議なものですね。人間が何も設定しなくても太陽と月は巡るし、天気予定なんてものはない、予報は時たま外れる……全てコロニーでは有り得ないことなのに、気が付いたら慣れてしまっていました。空を見上げても対岸の街の明かりが見えないのにはまだ慣れませんが、そちらもすぐに慣れてしまう気がします。順応性というものがまだ私にもあったんですねえ」
 エグザべからの反応はない。それでもこうすることが大切なのだと、シャリアはエグザベに語りかけることをやめない。
「昨日バーで、越してきた時以来にここの村長と話をしました。君のことも心配していましたよ。珍しいくらいに医師としての使命に燃えている方です。君どころか私の面倒まで見てくれる奇特な方ではありますが……ええ、ありがたい話です」
 既に退役した身とはいえ、元ジオン軍人であるシャリアとエグザべに対するアースノイドの目は厳しい。ましてシャリアはジオン独立戦争の英雄であり、エグザべはイオマグヌッソを用いた虐殺に加担した部隊の隊長である。石を投げられてでも頭を下げる覚悟でこの村を訪れたシャリアは、深い事情も聞かず二人の受け入れを決めた村長の態度に唖然としてしまったものだった。
 曰く、医療とは万人に享受する権利があるものだと。
 曰く、他の場所での療養に命の危険がある患者のためにこの村は開かれるのだと。
 ただあんたのその格好はこの村で掃除夫として働くには小綺麗すぎる、とも言われたが。
 村長の言葉に邪気はなく、その心にも嘘はなく、きっとこの人は本気であらゆる患者のために身を尽くす人間なのだろうとシャリアは安堵し、エグザべとともにこの村への移住を決めたのだった。
 ベンチまでエグザベを連れて行き、抱き上げてベンチに座らせ自分もその隣に座ると、視界の隅に鮮やかな紫が目に飛び込んできた。
 そちらに目をやると、足元に紫の花が咲いている。
「これは……リンドウ、ですね」
 若草の中で群れになって咲く紫の花は、エグザベの瞳を思わせる。地球に降りて初めて見たこの花が、シャリアは好きだった。
 シャリアはエグザベの頬を撫でながら、その顔をそっとリンドウへと向ける。
「綺麗な花でしょう、まるで君みたいで」
 すると、ゆるり、とエグザべの頭が動いてシャリアの掌に押し付けられた。
「……!」
 反応があったことにシャリアは目を見開く。エグザべが外界からの刺激に対して反応することは滅多にない。
 シャリアは相好を崩しながら、指先でエグザベの頬をすりすりと撫でた。指先からエグザベの温かな感情が流れて来る。幼子が家族の腕の中で抱かれている時のような安心感。その感情からエグザベの反応が単なる反射ではないことが伝わり、シャリアは目を潤ませながらその肩を温めるように抱いた。
「ええ、そう、君の目はこんなに綺麗な色をしているんですよ。地球に降りて初めて知りました、君の目は大地に咲く花の色をしているんだと」
 だからと言うわけでもないですが、と、言葉を続ける。
「君はきっと大丈夫です」
 幾度も、エグザベだけでなく自分自身に向けて言い聞かせるように、根拠などなくとも発したその言葉。
 あの日、あの瞬間を境にエグザベの精神から何も見えなくなった時、そして、ギャンのコックピットから引っ張り出されたエグザベの目に何も映っていなかった時。一時とは言え部下の若きニュータイプとして目を掛けた青年の末路がこのようなものであることに絶望すればそれが最も楽な逃げであったのかもしれない。しかしシャリアにこれ以上の絶望は許されなかった。
 一通りの後始末を終えたシャリアは、シャアの後押しもありエグザベの看病に専念することに決めた。
 ──君が一番絶望してはいけないんだ。
 ──彼を思う者が、愛する者が信じ続ければ、彼は良くなる。
 ──ニュータイプ全てを救いたいと願い、私を見つけ出そうと暗躍してきた君が今更、一人の若者のために時間を使ったって文句は言わせないさ。
 私は刻を見て来たからな、と、ワインを揺らしながらシャアはどこか苦々しげな笑顔を浮かべていた。その笑顔はシャア本人ではなく、ましてシャリアやエグザベに向けられたものではない、どこか遠くの何かを見ているようだった。
 シャアが何を見たのか、シャリアは知らない。ただ、エグザベの傍にいてやりたいという願いを肯定されたことは確かに救いとなった。
「その目に命の色を宿している君なら、きっと大丈夫。私はいつまでも君の隣で待っていますから。辛抱強さには自信があるんですよ」
 快復を願う私の思いが伝われば良い。
 その願いに時折エグザベがささやかに応えるのが今のシャリアにとっての希望であり幸福だった。
 
 外部に存在をほとんど知られていない、山間の小さなゆりかごのような村。
 名を偽ってその村で暮らす二人の男がこの村から発つまでは、残り二年の歳月を要することとなる。

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