枕元に幽霊ふたり

※ミゲルが幽霊になってザベに憑いている話。ミゲル→ザベはあくまで友人。

 ◆◆◆

 シャリア・ブルには幽霊が見えている。
 
 これはシャリア・ブルという男に霊感があるだとかそういう話ではない。
 単なる事実として、幽霊としか言いようのない存在が、数日前からシャリアには見えていた。
『だからさあ、俺はずっと意味が分からないんだよ。なんでお前の乗機がサイコミュ未搭載のギャンなんだよ』
 ソドンの格納庫で自分専用のギャンの装甲を長柄モップで楽しそうに拭いているエグザベ。その肩越しにギャンを見上げながら不平を言う尉官服の男の足が地に付いていない……のは、無重力空間なので特に不思議なことではない。しかしその体は僅かに透けていて、予備機として艦載されているゲルググがその向こうに透けていた。
 格納庫に顔を出した際にその姿を認め、シャリアは頭痛を堪えるように眉を顰めた。
『そりゃお前の操縦テクがイカれてるのは認めるけど。だからってサイコミュ未搭載ってのは宝の持ち腐れだろ。操縦系にくらい積んどけよ』
 ぶつくさ言うその男の声は、エグザベには届いていない。エグザベはその男がそこにいることを認識していないし、他者から指摘されたこともない。
 そもそもこの男の存在を認識しているのはシャリアただ一人で、そして読心を大の苦手とするエグザベ相手にシャリアがこの男の存在を秘匿するのはそう難しいことではない。
「ミゲル・セルベート」。それがこの男の名前である。エグザベのフラナガン・スクール時代の同期生で、階級は少尉。イオマグヌッソでの「事故」の少し前に死亡している。その頃のキシリア派閥内で相次いだ行方不明者の一覧の中にその名があった。
「なんで俺がエグザベに憑いてるかって……気が付いたらここにいたんですよ」
 シャリアがミゲルと会話するのは専らエグザベが眠っている間である。
 シャリアと同じベッドですやすやと気持ちよさそうに眠るエグザベの寝顔を、ミゲルはどこか寂しそうに見ていた。
「未練があって成仏出来てない、ってやつなんですかね。そういう話を聞いたことがあります。俺は無宗教ですけど」
「……私としては、死者は早々に生者の世界から引き払うことをお勧めしたいのですが」
「冷たいですね」
 ミゲルはシャリアをジロリと睨んだが、すぐに肩を落とした。
「でもあなたの言わんとすることは分かるんですよ。死者にいちいち立ち止まってたら生きてる人間はどこにも行けなくなっちまうから死者はさっさと退場するべきだ。それなのに……」
 ぐい、とミゲルの透けた手が強く握り込まれる。そしてエグザベを指しながら前のめりに叫んだ。
「こいつ!! 友達の死を引きずらなさすぎじゃないですか!? 他の友達二人殺した奴をですよ!? 流石に堪えるんですが!?」
「……そう言われると、そうですねとしか言えませんねえ……」
「分かってますよ忘れられてるわけじゃないってことくらい! でもなんか……もうちょっとこう……さぁ! 年単位で引きずるくらいは!」
 ミゲルの言い分がよく分かってしまい、シャリアは頭を抱えそうになった。代わりに一つ溜息。
 エグザベは全てにおいて心の切り替えが早い。一つの物事に拘泥せず常に前を向いている、それは彼の長所でもあるのだが、一方であらゆる物事への拘りが薄いという短所とも裏表であった。
 それは例えばここ一年以内で発生した筈の友人達の死、部下達の死、仕えた主の死。全て彼の中ではもう「過ぎたこと」として処理されてしまっている。
 決してそれらの出来事を忘れているわけではない、きっと折を見ては花を手向けに行くのだろうとシャリアは思う。ただエグザベが日頃からそれに拘泥していないというだけのこと──少なくとも、人前では。
「引きずってないとは言いますが、エグザベ君のたまの不眠はあなたのような諸々の積み重ねですよね」
「うぐ……そういう健康に直接の悪影響が出るやつは、求めてない……!」
 君も大概お人好しだ、とシャリアは頭を抱えたミゲルを見る。
 月に一度か二度、エグザベは不眠で眠れていない時がある。薬を飲ませて効果が出るまでの間、シャリアは黙ってエグザベに寄り添うことにしていた。エグザベは何も言わないが、彼のこれまでの人生で積もり積もった澱のようなものが本人すら自覚しない内に心の大きな負担になっているのだろうとシャリアは見ている。
 眠れない夜、エグザベの心はそうした物たちに相対しながら「空虚であれ」と自身に命じるかのように動き続けている。空虚であれ、全てを受け流せ、そんなことより生きることを考えろ、と。
 それはきっとエグザベ自身も自覚していない防衛機制の暴走であり、同時に正気のまま生き残る為に身に付けた術だ。彼にそんな負担を強いたのはこの世界で、社会である。
 交際を続けるうちにそれに気付いたシャリアは自身が通い始めたクリニックにエグザベを引きずって行き、エグザベはそのまま月に一度クリニックとカウンセリングに通っているのだった。
 忘れないで欲しいがそれで病院通いまでして欲しいわけではない、というミゲルの言い分は分からないでもない。とは言えこっちはとっくに病院通いの身だから気にするなと当のエグザベ本人が言いそうなのがまた頭の痛いところである。
「では言い方を変えましょう。エグザベ君が今そういう状態なのは100%君のせいというわけではありません。元を正せば社会構造と戦争のせいですし、君だってその被害者です。君ばかりが思い悩む必要もありません。私だって彼がこうなる一因を担っている加害者です」
「……あんたの認識がそうだとしても、幾億と存在する加害者の中の一人であるあんたをいつまでも加害者として責めるほどこいつは馬鹿じゃありませんよ。誰を憎めばいいか分からないから誰も憎まない。誰かを憎むエネルギーがあるなら生きるために費やす。こいつはそういう奴です」
「君は彼に責められたいのですか」
「……そうですよ。でも誰も憎まないことを選んでる奴に向かってそんな事言える立場にないでしょう」
 それからミゲルは口をつぐみ、しばしエグザベの寝顔を眺めた。
 加害者として責め苛んでくれれば、などと望むのは所詮加害者側の自己憐憫。責められれば許されたような気になれるから。彼はそれくらい分かっているのかもしれないとシャリアは思った。彼も元を正せば友達思いの普通の青年だったのだろう。
 ミゲル・セルベート。自分が掬い上げることの出来なかった若きニュータイプ。もし今が彼の心を救済するチャンスなのだとしたら。
「……分かりました。気が済むまでいてくれて構いません」
 シャリアが溜息とともに吐き出したその言葉に、ミゲルは「言われなくてもそのつもりですよ」と肩をすくめてみせた。

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