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交際マイナス一日目

※監視役をやっているエグザベと同じ家で監視されているが満更でもないシャリアがまだ付き合ってないやつ

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 体の丈夫さにだけは自信があったというのに、朝目が覚めると全身が奇妙に熱い。
 熱を測ってみれば38.4℃。
 体を起こそうとしたが、ずきずきと鈍い痛みが体重を掛けたところから存在を訴える。無視するな、お前は今風邪を引いているんだぞ、と。
 エグザべはバタンとベッドの上に倒れ込んだ。
「……あー……」
 意味をなさない呻き声を上げ、熱で上手く回らない頭の片隅で同じ屋根の下に住む思いを寄せる人のことを考える。
 いつから風邪を引いていたんだろう、うつしていないといいけど……そんなことを思っていると、コンコンとノックの音がした。
「エグザべ少尉、何かありましたか」
 ドアの向こうから、監視をある種口実に同じ屋根の下に住んでいる上官の声がする。
 風邪ひきました。うつしたくないので来ないでください、と苦手な感応で伝えようと試みる。するとガチャリ、と部屋のドアノブが下がる音がした。
「なるほど、入りますよ」
 なんでだよ!?
 思わずそう叫ぼうとした瞬間、喉がつかえて勢いよく噎せた。

 ◆◆◆

 部下のコモリに今日は自分もエグザべも出勤できない旨を連絡してから、シャリア・ブルは開けたフルーツの缶詰の中身を皿に乗せてエグザべの部屋へと向かった。
「コモリ少尉に我々二人分休みの連絡を入れて来ました。ナシの缶詰を開けましたよ、気分はどうですか」
「……」
 額に氷嚢を乗せたエグザべは、ぼんやりした目でシャリアを見る。
「あなたまで休まなくても……」
「ウイルス性だったらコモリ少尉に移すわけにもいかないでしょ。まあ元より君は明日非番予定でしたから、今日一日様子を見ても熱が下がらないようなら明日病院へ行きましょう」
 ベッドの脇に持ってきた椅子に座り、シャリアはフォークに刺したナシを軽く持ち上げる。
 エグザべはどこか不服そうな顔をしながら体を起こした。
「どうぞ。まず何かお腹に入れましょう」
 シャリアの差し出したナシに、エグザべは口を開けて齧り付く。
「食べ続けられそうですか?」
 咀嚼し終えるのを待ってから尋ねると、ぼんやりした声色で答えが返ってきた。
「……甘いです」
「はは、シロップ漬けされてますからそりゃあね。後で栄養ゼリーを買ってくるので、昼はそれを食べましょうか」
 こくり、とエグザべは頷いてからまた口を開けた。どこか抜けてはいるものの根本的にしっかり者であるエグザべのその甘えるような仕草が新鮮で、シャリアはそのまま全てのナシを手ずから食べさせた。
 救急セット内で手付かずであった風邪薬を飲んだエグザべは、肩までタオルケットをかぶってまた横になる。
「それでは少し買い物に出ます。すぐ戻りますが、何かあったら呼んでください」
「うぅ……あなたを一人で外に出すなんて……」
「薬局に行くだけです。どこにも行きやしませんよ」
 シャリアは笑いながら、首に下げたドッグタグをちらりと揺らした。
「私の居場所なんて、君にもコモリ少尉にも常時筒抜けなんですから」
 そんなシャリアにエグザベは少しだけ不服そうな顔をしてから、寝返りを打ってシャリアに背を向けた。
 そうして自宅のフラットを出たシャリアが薬局で買い物を終えて帰宅すると、エグザべはベッドの中ですっかり寝入っていた。
 氷嚢の氷を入れ替え、肌に浮く汗を拭いながらその寝顔を見守る。普段からコロコロとよく変わる表情の持ち主であるために幼い印象すらあるが、初めて見る寝顔は随分精悍だ。
 少しはだけてしまっていたタオルケットを引き上げてやると眠っていたエグザべのまつ毛が震え、瞼が上がった。
「ん……中、佐」
「ああ、起こしてしまいましたか」
「いえ……眠りが浅いのはいつものことなので……」
 そう言いながらエグザべは欠伸を一つ。首筋に触れて熱を見ながら、シャリアは小さく眉をひそめた。熱はまだ下がっていないし、日頃から睡眠が浅いというのも心配だ。
「それは心配ですね」
「大丈夫です、睡眠時間は確保できていますから」
「睡眠は質も重要ですよ、医者からの受け売りですが」
「……あなたも、睡眠のことで医者にかかったりするんですね」
「私を何だと思ってます?」
 苦笑しながら、エグザべの額を撫でて汗で張り付いた前髪をどけてやる。
「これでも戦後しばらくは不眠が続いたんですよ。二年もすればマシになりましたが、薬がないと眠れない時期もありましたね。ご希望ならクリニックを紹介します」
「……検討しておきます」
「睡眠は健康の資本、健康は全ての資本です。自分を大事にする意味でも、重視してください」
「……自分を大事に、ですか」
 うっすらとエグザベの瞳が潤んだ。じりり、とエグザベの心が粟立つのが分かる。
「考えたこと、なかったな……」
「少しずつ慣れてみてください。私やコモリ少尉が大事にしている君が君自身を大事にしていなくては、我々も寂しいですよ」
「大事に……」
 シャリアの言葉でざわ、とエグザベの心の内に波が立つのと同時に、エグザベの目尻から一筋涙が零れた。
「ほんとに、いいんですか。僕が、自分を大事にして、大事にされて」
 ぶわり、と、風に煽られた花の香が眼前に舞うようにエグザベの心の片鱗がシャリアの脳を擽る。人好きのする青年を心の芯まで巣食う虚無に胸を締め付けられ、シャリアはエグザベの手を握っていた。
「当たり前です。自分を大事にする権利は万人にある。まして君はいつも他人のことばかりでしょう、私に生きろと叫んだ時だってそうだ。例えそれが君の選択であったとしても……君の中に、君がいない」
 きっと私が言えたことではない、とシャリアは思う。シャリアがセルフケアを覚えたのは、ただ理想とする世界のためにそうするのが都合が良く、その時が来るまで死ぬわけにはいかなかったからだ。打算でセルフケアを心掛けていた自分が、エグザベには自分を素直に大事にして欲しいと願うのはきっとエゴでしかない。
 それでもこの願いを恋や愛と呼ぶことを許されるのなら、喜んでそう呼ぼう。例え自分から告げることが無くても、君にそれを捧げることで少しでもその心の穴を埋められるのならば、きっと悪くない。
「〜〜〜〜ッ、うぅ、」
 何かが決壊したかのように、次から次へと涙を零すエグザベはしゃくりあげながら背中を丸めた。まるで幼い子供のように、けれど声は押し殺して。そして縋るようにシャリアの手を握り返す。
 風邪で体調を崩し心のガードが緩んでいるせいか、握った手からとめどなくエグザべの感情が流れ込んで来た。
 痛い、怖い、苦しい、寂しい、辛い、悔しい、助けて、許して……ずっと蓋をしていた穴から溢れ出すかのように次々溢れるそれらの感情をシャリアはすべて受け止め、涙が伝う頬にそっとタオルを当てた。
 己の命に見切りをつけ再び虚無へ還ろうとしていた自分に新たな光を灯したこの青年が、これまでの人生でどれほど傷付いてきたかを思う。どれだけ世界に裏切られ傷付けられ利用されることが生存戦略になってしまっても他者を思いやり対話をやめようとせず、それなのに自分を大事にするという発想もないこの青年への愛おしさと哀しみにじりじりと胸を焦がされながら、手に力を込めた。エグザベから溢れる思いごと包み込むように、抱き締めるように、どうかこの青年が幸せであるようにと。
 エグザベはシャリアに縋ったまま、しばらく声を殺して泣いていた。
 エグザベが落ち着いてから、シャリアは水を注いだグラスをエグザベに差し出す。エグザベは体を起こすと目を擦り、グラスを受け取った。ちびり、と水を飲んでから、「ありがとうございます」と少し掠れた声で呟いてから洟をすすった。
「……中佐」
「なんですか」
「風邪、治ったら、あなたに伝えたいことがあります」
「今ではなく?」
「……今だと、あなたに甘えてしまいそうで」
 エグザベがグラスを握る手に小さく力を込める。発熱している上に泣き腫らしたばかりの目は真っ赤だが、何か覚悟でもしたかのように力強い目をしていた。
 いよいよこの時が来るか、とシャリアは目を細めた。
「後悔するかもしれませんよ」
「しないし、させません」
 そう言い切るエグザベの声は掠れているが、とても力強い。伝わる思念も、熱でまともな思考も難しいだろうに雑念の無い澄んだ覚悟に満ちている。
 自分はとっくのとうにこの青年に恋をしているというのに、それでも将来のために自分を選ばないで欲しい、などという考えはこの青年からすればきっととても身勝手なものなのだろう。受け止める覚悟をしなければならない──シャリアはそう心を決めると、「分かりました」と頷いた。
「待っています、あなたが良くなるのを。それでも心変わりがないなら、聞きましょう」
 覚悟を決めて、そしてきっと彼は逃げないと分かった上でまだ逃げ道を用意する自分は卑怯なのだろう、とシャリアは自嘲する。しかしシャリアの言葉を聞いたエグザベは、サイドボードにグラスを置いて脇に退けていた氷嚢を手に取りながらそれでも笑った。
「逃げませんよ。あんたからは絶対に逃げないって、決めてるんで」
「────」
 その真っ直ぐな目に射抜かれる。主にシャリアに対してだけ発揮されるエグザベの勘の良さに、今回ばかりは叶わない、と思わず笑いが込み上げた。
「……分かりました、待っています。早く良くなってください」
 これ以上病人に無理をさせるべきではない、とエグザベの肩に手を置く。エグザベは笑って自分からベッドに横たわると、シャリアに向けて小指を立てた手を差し出した。
「すぐ良くなってやりますから、待っていてください。約束です」
「ええ、待っています」
 小指に小指を絡めて、二度三度と揺らす。
 どこか睦言にも似たその指切りで、ふと甘いものが食べたくなる。次の休日には二人でカフェにでも行こうかと年甲斐もなく浮かれてしまったシャリアは、そんな自分に苦笑いを抑えられない。
 しかし同時に、小指を繋いだエグザベがあまりに幸せそうなので、今からそんなに幸せになってしまって君はこの後どうするんですか、と、苦笑いを浮かべるより先に声を上げて笑い出してしまったのだった。

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恋人が姫騎士メイド服を買ってきたもので

※攻めの女装と受け優位

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「……また凄いものを買ってきましたね」
 ベッドの上に広げられたそのドレス……否メイド服……ワンピース……? とにかくその一見レディースものに見える服を見て、シャリアはなんとコメントしたものか困り果てた。
「これを私に着ろと」
 床に正座している若き恋人に尋ねると、エグザベは小さくなりながら答えた。
「う……いやその、福袋に、入ってて……」
「何買ってるんですか」
 改めてその服を見て、シャリアは呆れてしまった。白いサテン生地で作られたロングワンピースに更に白いフリルエプロンが重なるような意匠で、ワンピースの裾は金刺繍のテープで縁取りがされている。ワンピースには深いスリットが入っており、ご丁寧に一の腕が隠れる手袋や白いニーハイソックスまで添えてある。
 偶然にしては出来すぎな気もするが、エグザベの愛機にそっくりな配色である。
「たまには何か未知に挑戦してみろとあなたがいつも仰るので……」
「だからってこれが入ってるような福袋を買いますか……」
 そう言いつつエグザベが空恐ろしくなるほどの無趣味であることを思い出し、シャリアは痛む頭を押さえた。無趣味が極まるとこれを偶然買うことがあるのか、とつい感心してしまう。
 エグザベは目を逸らしながらぼそぼそと呟くように言い訳をしている。
「メンズサイズとあったので、その、あなたに着て欲しいなあ、などと……」
 一つ訂正。エグザベは無趣味だが、一般人であれば映画や本や音楽、スポーツに向くような興味関心は概ねシャリア・ブル一人に向いている。あれをシャリアさんに着て欲しい、これをシャリアさんにやって欲しい。つまり「趣味:シャリア・ブル」。それを知るのはシャリアとシャリアの部下にしてエグザベの同僚であるコモリ少尉くらいなのはまだ社会的に真っ当と言えなくもない。
 若いうちからこれなのはちょっとよろしくないのでは? とシャリアとしても思い、折を見てはあれこれ趣味の取っ掛かりになりそうなことをエグザベにやらせてみているのだが、この様子を見るにその努力が実っているとは言い難いらしかった。
 長い目で見てやらねばならないとは思うのだが、たまに出す自我がこれなのでエグザベの望むままにするのも考えもの……とシャリアはしばし考え、一つ閃いた。
「私にこれを着て欲しい、とのことですが。これ、私が着られるようなサイズなんですよね?」
「え、はい。サイズ表記を見るかぎりでは」
「なら、あなたも着られますよね」
「…………えっ」

 ◆◆◆

「……着れました」
 ドアの向こうからのエグザベの声に、シャリアは部屋へ足を踏み入れる。
 部屋の中央には、先の白いワンピースドレスを着ているエグザベが困惑も隠さず立っている。
 頭に飾られているヘッドドレスを見るに、どうもメイド服という最初の印象は間違っていなかったらしい。喉仏は付け衿で、一の腕までは白い手袋で隠されているものの、アームドレスから覗く筋肉質な肩と腕や凹凸の少ない胴体には男らしさがどうしても滲み出ている。深いスリットとニーハイソックスの隙間から僅かに覗く太腿も男らしく硬い。エグザベの体格はむしろ細身な方なのだが、軍人として付くべき筋肉は付いているのが思いがけず女装によって露わになった形だ。
「姫騎士メイド、らしいです。コンセプト」
「属性過多ですねえ。姫でメイドってなんなんですか」
 キシリア・ザビの騎士たれと育てられ真っ当な人生を剥奪されたこの青年が自我の再獲得の中で偶然得た服が姫騎士メイドとは。益々不謹慎な笑いが込み上げてくる。
「……あんた何か変なこと考えてません?」
「ふふ、すみません、考えていました」
「深くは聞きませんけど……」
 どうせ碌でもないことを考えているんだろう、とエグザベの顔に書いてある。シャリアはベッドに腰掛けると、自分の膝を叩いた。
「こちらへどうぞ、姫騎士メイドさん」
「むぅ……」
 エグザベは頬を膨らませながら、シャリアの膝の上にまたがるようにして腰を降ろした。
「そうですね……折角あなたがお洒落をしているのですから、ロールプレイでもしますか」
「ロールプレイ、ですか?」
「ほら、君は今『姫』であり『騎士』であり、『メイド』なのでしょう?」
「っ……」
 エグザベの顔が羞恥でいよいよ真っ赤になる。
 その姿に、日頃ほとんど顔を出すことのない加虐心がつい煽られ、シャリアはエグザベの顎を掬った。ああこれがキュートアグレッションというやつか、と知識だけはあった単語の意味を実感する。
「ね、お返事は?」
「……仰せのままに、ご主人様」
 首を傾げて返事を促すと、エグザベの目が据わった。私好みの目だ、とシャリアは口角を上げる。
「ん、いい子ですね」
 唇を緩く重ね合わせ、白いサテン地で覆われた腰骨のラインを撫でる。
「私の言うことを聞ければ、ご褒美をあげます」
「貴方の望むままに」
 シャリアが差し出した手をエグザベは掬い上げ、甲に一つキスを落とした。堂に入ったその仕草に思わず背筋がぞくりと粟立つ。だが今はドレスを着せられ膝の上に跨るというなんとも煽情的な姿勢をしているので、そのアンバランスがおかしくて堪らなかった。
 いつしかエグザベから伝わる思念は困惑以上にシャリアへの直向きな愛情が勝り始めている。こんなわけの分からないプレイををしているというのに相も変わらず感情の切り替えが早くて、それを笑うべきか嘆くべきかシャリアにも分からない。分からないままにエグザベをベッドに引き倒し、その腰を抱いた。
「ああそうそう、さっきのはときめいてしまったのでノーカウントとしますが、今日はご主人様である私の許しが出るまで勝手に私に触れてはいけませんからね」
「ええ!?」
 腕の中のエグザベが心底残念そうな声を上げたので、シャリアは愉快に思いながら腕の中のエグザベをぎゅうと抱き締めた。
 さてこの「姫騎士メイド」をどうやって可愛がってやろうか、などと不埒なことを考えながら。

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ザベギャンを発売日に買えなかったので書きました。

君よそのままで

※最終回後、コモリ視点

==========

 ──おおかた、難民が新しい主人に体を使って取り入ったんだろ。

 基地の食堂でその声が「聞こえた」瞬間、頭にカッと血がのぼったのが分かった。
 まずその悪意が向けられた先である向かいに座るエグザべ君の方を見やるが、彼は顔色に変化もなくランチセットのハンバーグを頬張っている。
 次いで勢いのままその悪意の主を探そうと首を捻った瞬間、とんとん、と。何か硬い物がテーブルの板面を叩く音で我に返った。
『今は、抑えて』
 斜向かいに座る、ボールペンを手にした上司──シャリア・ブルは唇をそう動かし、ゆっくり首を横に振った。
 そうだ、まずは深呼吸。
 目を閉じて、ゆっくりと呼吸をして、それから意識して脳のチャネルを絞る感覚。聞こえてくるものは仕方ない、だけど受け流せ……よし、少しはマシになった。
 目を開けると、エグザべ君が不思議そうに私を見ていた。
「……どうかした?」
「なんでもない」
 私は肩を竦めて首を横に振る。それからちらりとエグザべ君の隣のシャリア中佐の方を見て……ぎょっとした。人でも殺せそうな程の冷たい目で、私の左後方を睨んでいたのだ。
 ──私よりずっと怖いキレ方してるじゃないか、この人!
「中佐っ!」
 思わず小声で咎める。すると「失礼」と中佐は一つ瞬きをしてから、にこりと人好きのする……しかし今は底冷えするような笑顔を浮かべた。
「大丈夫です、顔は覚えたので」
 その声色は一見にこやかだが、背筋がぞっとするほど冷たい。
 中佐からしたらエグザべくんは可愛い部下で、同時に恋人でもあるのだ。そんな大事な存在を侮辱されたらキレて当然だ、当然だけれど。
「ッ……お気持ちは分かりますが、抑えてください! ね!」
 私が小声で叱ると中佐は顔を伏せて緩く笑った。
「流石にこんなところで暴れたりはしませんよ」
「……?」
 自分を侮辱した人間に私と中佐がキレていたことなど露知らず、エグザべ君は不思議そうな顔で私と中佐を交互に見ている。
 ああ、エグザべ君よどうか鈍感なそのままで、と思わず願う。
 あんな酷い侮辱が聞こえたところで、きっと君はどんな傷を付けられてもなんてこと無いと受け流せてしまうから。
 それならきっと、何も聞こえないほうがマシなのだ──私は頭痛を堪えながら、すっかり冷めてしまったコーヒーをカップから一度に飲み干した。

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誓いは笑顔と共に

「一緒に指輪、作りたいです」
 崖から飛び込むかのような半ば決死の覚悟で、エグザベは朝食の席で向かいに座るシャリアに告げた。
 朝食を終えてコーヒーを飲みながら紙の新聞を読んでいたシャリアは、エグザベの言葉に新聞をめくる手を止めて目を瞬かせる。
「指輪、ですか」
「……指輪です」
「結婚ではなく」
「今の貴方、偽の戸籍しかないでしょ」
「一応本物扱いの戸籍ですよ?」
「嫌ですよ、『シャリア・ブル』以外の名前の人と籍入れるの。僕が好きなのは『シャリア・ブル』であるあんただ」
 子供のように唇を曲げるエグザベに、シャリアはまた目を瞬かせてからくすりと笑い、かさかさと音を立てながら新聞を閉じた。
「そうですね、『シャリア・ブル』はMIA扱いですから、『シャリア・ブル』と『エグザベ・オリベ』が籍を入れるのは不可能だ」
 通称「イオマグヌッソ事件」と呼ばれるあの内乱から三年が経つ。
 シャリアは世間に対して自身の正体が『シャリア・ブル』であるということを隠し、偽の戸籍を用いて生活していた。この戸籍はアルテイシア総帥やランバ・ラル将軍が用意した本物扱いの戸籍ではあるが、エグザベはシャリアが偽名を用い続けていることが気に入らないことを事あるごとに主張していた。
 それは今回のような、「指輪を作る」という疑似的な婚姻に至っても一貫している。シャリアとしては、エグザベ個人のあらゆるものに対する拘りの薄さの中で、シャリアが『シャリア・ブル』であることへの拘りが如何に特別かを思うとそう悪い気はしなかった。
「いいですよ。行きましょうか、指輪を作りに」
 シャリアの返答に、エグザベの表情がぱっと明るくなる。
「あの、ショップとか実はもう調べていてっ」
 嬉々としてタブレットを取り出すエグザベに、シャリアは思わず笑みを深めた。
 この年下の恋人と共に生活するようになるまでには紆余曲折があった。
 キシリア近衛部隊の隊長であったエグザベはイオマグヌッソでの事件後しばし本国に拘束され、シャリアはアルテイシアの庇護の下で怪我の治療の入院を余儀なくされた。やがてアルテイシアの即位に伴った恩赦でエグザベは想定され得る罪を不問とされ、エグザベとシャリアはコモリ・ハーコートと共にアルテイシア直属の特務部隊に配属されることになる。
 部隊での顔合わせ当日、何も知らされていなかったエグザベはあまりに見知った顔がそこにいたので安堵のあまり笑いながら泣き出してしまい、そこでシャリアは初めてエグザベが自分に明確な恋慕を抱いていることを知ったのだった。ソドンに配属されていた頃は新たな上官への疑念・憧れ・不信・尊敬・感謝で揺れ続けていたこの青年の感情がまさかそこに着地するとは、とシャリアは呆れながらも年甲斐もなく喜ばしいと思ってしまった。
 生きて責任を取れと叫び、空っぽの自分に再び生きる意味を灯してくれた青年にあまりに素直な好意が存在することに、求められることの喜びを覚えてしまったのだ。
 しかしその場にいたコモリにもこのエグザベとシャリアの心の動きはばれていた。エグザベ君のことあんまり弄ばないであげてくださいよ、とジト目で釘を刺され、知られていることを知らぬはエグザベばかりなり……といった状態からシャリアもエグザベもそれぞれ押し引きを繰り返してなんとか交際に至ったのが二年前、同棲までこぎつけたのが一年前である。
 それがいよいよ指輪まで来たか……と、シャリアは感慨深く思いながらエグザベが見せて来るジュエリーショップの情報を眺めた。
 エグザベの現在の階級は中尉。特務部隊所属に伴う特別手当が出ているが、それを考えても尉官の給料ではかなり背伸びをしているであろう価格帯の店も見受けられる。この時のために貯金を続けていたのだろうと思うと我が恋人ながらいじらしい。
 この店はああだこうだと言い合いながら二人でしばし同じタブレットの画面を眺めていたが、華やかな結婚式を上げる男女の写真を見た時にぽろりとエグザベからこぼれた言葉をシャリアは耳聡く聞き留めた。
「……本当は、式も挙げたいです。呼べる人、少ないですけど」
「じゃあ挙げますか、式」
 聞き留めたその言葉に、ほとんど反射でそう返していた。
 えっ、と驚いたようにエグザベがタブレットから顔を上げた。
 まさか承諾されると思っていなかったのか、とシャリアは遠慮癖が抜けきっていないエグザベを慈しむように見つめる。
「二人だけでも、せめてコモリ中尉を呼ぶだけでも……きちんとした形で以て我々二人の未来を誓い合いながら指輪を交換するのはきっと、悪いことではないでしょう。挙式とはきっとそのための儀式です」
「未来、を……」
 エグザベの反応を見るに、挙式への希望は結婚式というものへの素朴な憧れから出たものでそこまで考えていなかったらしい。それがどうにも可愛らしくて、シャリアはエグザベの頬に手を伸ばした。
「ただの『エグザベ・オリベ』と『シャリア・ブル』が未来永劫共に在れるよう、ね」
 エグザベの頬に触れてみると、少し熱い。エグザベの手がシャリアの手に重なり、シャリアの手を自身の頬に押し付けながらエグザベは目を細めて笑った。
「……挙げましょう、式。やることも調べることも増えますけど」
「そうですね、一緒にやっていきましょう」
 シャリアと同じ未来を見られる喜びで、エグザベは笑っていた。
 そしてシャリアもまた、未来を見られる幸せで胸の内が満たされるのを感じていた。

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首輪は陽だまりのいろ

※最終回後、監視役ザベと監視対象シャリアの同居設定。
※特にアルテイシア政権周りを色々捏造しています

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「シャリアさん、そろそろ起きてください。洗濯機回したいんですけど」
 頭上から降って来る声に、シャリアは呻きながら寝返りを打つ。
 その様子を見たエグザベはシャリアのシーツを掴んで引っぺがそうとする。シーツを奪われまいとシャリアはすかさずシーツを固く握った。
「あと今日こそは朝から買い物行こうって寝る前に言いましたよね僕! そろそろ卵とか牛乳とか無いんですが! あっこらふざけんな!」
「……はあ……」
 シャリアはシーツを頭から被りながら、これ見よがしに溜息を吐いた。そして隙間からエグザベをじっとりと見る。
「『首輪』になってからすっかり生意気になっちゃいましたね、君」
「誰のせいだと思ってます!?」
 築二十年の一軒家に、エグザベのやや控えめな怒声が響いた。
 その声にシャリアはくつくつと喉を鳴らして笑い、シーツの中からエグザベに向かって手を伸ばす。エグザベは「もう……」と呆れながらその手を取ると自分の頬に押し当てた。
「……朝ごはん、早く食べてください。このままだと冷めたものしか出せなくなります」
「ふふ、それは嫌ですね」
 シャリアは指先でエグザベの頬をすりすりと撫でてから、眠い体に鞭打つようにシーツを撥ね退けた。
 
 ◆◆◆

 ジオンの内乱の首謀者の一人として軍籍を剝奪されたシャリア・ブルがアルテイシア・ソム・ダイクン政権下で与えられたのは、その名と素顔を隠した上での「首輪」付きでの生活であった。
 本来なら終身刑か死刑、良くて生涯軟禁生活のところをそのようなことになったのは、彼がアルテイシア即位の影の立役者であることに対する政治的配慮がアルテイシア即位による恩赦という形で働いた為である。
 公的にシャリア・ブルという男は既に死んでいる。
 ザビ家独裁政権打倒という結果を齎しはすれどジオンに混乱を引き起こした「最強の人間兵器」が生きていては国民感情へ不安を与えかねない……それがシャリア・ブルの判断であり、同時にアルテイシアが同志の男に対して行える人としての配慮だった。
 シャリア・ブルが生きていることを知る人間はごく僅か。
 現在シャリアは、ズムシティ郊外の小さな家で慎ましやかに生活している。
 「首輪」──エグザベ・オリベ中尉と共に。
 
 ◆◆◆

「腕を上げましたね」
 エグザベの用意した朝食のスクランブルエッグを口に運び、シャリアの頬が綻んだ。
「ありがとうございます」
 向かいに座るエグザベは、照れ臭そうにしながらもその誉め言葉を真っ直ぐに受け取って笑っている。
 毎朝の朝食を用意するのはエグザベの役割だった。特に決めているわけでもなく、ごく自然とそうなった。
「で、今日はなんでしたっけ」
「買い物です。やっぱり通販だけじゃ味気ないですよ、ここは貴方の家なんですから」
「私の家、ねえ」
 シャリアはマーマレードの乗ったトーストをかじりながら、向かいに座るエグザベを見る。
 エグザベはシャリアの監視役という任務を帯びてこの家に住み込んでいる。そもそもこの家自体、シャリア・ブルの監視のため……という名目で国が所有しているが、内実はごく普通の一軒家だ。当分の間はここで大人しくしていてください、とはシャリアをこの物件に押し込んだアルテイシアからの言伝である。
 エグザベを伴ってさえいれば外出に制限があるわけでもないので元部下のコモリも引き連れて何やらきな臭い場所を引っ搔き回しに行くこともあるが、基本的にはこの家で本を読んだり料理をしてゆったり過ごすのがシャリアの日常だった。
「あくまで私の『首輪』である君にとってここは家ではない、ということですか?」
 トーストの最後のひと欠片まで咀嚼し終えてから揶揄うように尋ねると、エグザベはむうと唇を曲げた。
「そんなわけないじゃないですか。もう出世は望めなくなりましたが関係ありません、僕の希望を聞き入れて下さったアルテイシア総帥には感謝しています。貴方の帰る場所に僕はなれたんです」
「……」
 そんな恥ずかしい台詞を臆面もなく吐けてしまうのだから、やはりこの青年は末恐ろしい。
 シャリアは自分の方が恥ずかしくなってしまい、コーヒーの入れてあるマグカップに手を伸ばした。
 目の前に座るこの青年には帰る家というものがない。グラナダにいた頃に住んでいた宿舎はとっくに引き払っている。
 だから今日からここが私の家であり君の家ですね、とこの生活を始めた日に言ってみた時には顔を真っ赤にしていたが、もうとっくに今の生活を当たり前のものとして受け入れているらしい。いやはや若者の成長は早い。
 こんな真っ直ぐな心根の青年だからこそ彼は私の光なのだ──と、シャリアはブラックコーヒーを啜りながら目を閉じた。直視するには眩しすぎると今でもこうして思う程に。
 それでも、と、またシャリアは瞼を上げた。エグザベはタブレットで新聞を読みながらミルクのたっぷり入ったコーヒーを飲んでいる。安物のTシャツにルームパンツという、監視役とは思えないリラックスしきった格好だが、これが彼の素の姿なのだと思うといつもこそばゆい心地になる。
 ──空っぽの自分でも、彼の居場所になれているようだ。
 砂糖もミルクも入っていない筈のコーヒーが恐ろしく甘く感じて、シャリアはそんな自分に年甲斐もなく、と静かに苦笑いした。
 

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ふわふわの日常

※犬化したエグシャリがシャアに飼われてる
※一応現パロ

 ==========
 
 自分の周りをころころと駆け回る小さな茶色い毛玉を目の隅に留めながら、シャリアは一つ欠伸をした。
 冷房の効いた涼しい室内の隅に敷かれた大型犬用の冷たいカーペットが、夏の間のシャリアの気に入りの場所だった。
 飼い主の帰りを待ちながら、エアコンという人間が生み出した文明の利器とカーペットの冷たさを思う存分に享受する──そんなシャリアとは対照的に、同居犬のエグザべは体を動かすのが好きらしい。
 ほんのふた月前に怪我をしているところを拾われ、怪我が治ってからも飼い主が見つからずそのまま住み着いたエグザべはまだ幼い子犬だった。柴犬と他の小型犬のミックスらしく、バーニーズマウンテンドッグのシャリアの背中にエグザべがすっぽり乗ってしまうほど体格に差がある。
 エグザベにもシャリアの隣に中型犬用の冷たいカーペットが用意されているのだが、エグザべはそこには収まらず、いつもシャリアの傍で駆け回るかおもちゃで遊んでいた。
 ──シャリアさん、シャリアさんっ。これで遊びましょうっ。
 エグザべが尻尾を振りながら咥えてシャリアに見せてきたのは、音が鳴るぬいぐるみだった。鳥を模したそのぬいぐるみはシャリアが子犬の頃よく遊んでいたもので、今はすっかりエグザべの気に入りである。
 しかしシャリアはエグザべの背中越しに、ひっくり返ったおもちゃ箱を見た。
 エグザべは体が小さいので、おもちゃ箱からおもちゃを出す時に毎回おもちゃ箱をひっくり返している。
 ──遊ぶのはいいですが、先に片付けましょうねえ。
 シャリアはのっそり立ち上がっておもちゃ箱へ向かうと、鼻先で倒れたおもちゃ箱を元に戻した。
 ──あ、ごめんなさい……。
 クゥン、と小さく鳴いてエグザべがおもちゃを咥えたまま項垂れる。おもちゃを落として尻尾もしゅんと丸くなるのを見て、シャリアはその顔をぺろりと撫でた。
 ──いいんですよ、君はまだ小さいんですから。
 シャリアは床に散らばったおもちゃをぽいぽいと箱に放り込むと、エグザべが落としたぬいぐるみを咥える。
 ──元気が一番です。せっかく怪我が治ったんですから、沢山遊びなさい。
 咥えたぬいぐるみをそのままほいとリビングに向かって飛ばすと、エグザべはぱっと目を輝かせ、小さな四肢を目一杯に動かしてぬいぐるみを追いかけたのだった。 

 そして飼い犬達のそんな様子を、スマホでペットカメラ越しに眺めて癒されている男が一人。
 シャリアとエグザべの飼い主、シャア・アズナブルその人である。シャアは部長デスクで私用スマホから堂々とペットカメラ越しに愛犬たちを眺めていた。
「ああ〜……可愛い、あまりにも可愛すぎるな、うちの天使たちは……」
 そんなシャアを部下のドレンが横目で見る。
「部長、仕事してください」
 しかしシャアは意に介さず、ペットカメラアプリの映像をドレンに見せつけた。
「さっきの会議のためだけに出社しているんだぞ、これくらい許されるだろう。ドレンも見ろ」
「若いのに示しがつかんでしょうが……む、保護した子元気になったんですか」
「ああ、もうすっかり元気だ」
「それは良かった……はい、それじゃ仕事してください」
「ちっ、騙されんか……」
 シャアは舌打ちすると渋々私用スマホを脇に置いてノートパソコンに向き合う。しかしその頭の中は、家で待つ天使たちのことでいっぱいなのだった。

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夢浮橋

 ただひたすらに、足を動かすことしか頭になかった。
 後ろから聞こえてくるのは怒声、罵声、悲鳴、何かが崩れる音、爆発音、あまりにも大きすぎる銃声。
 目の前は暗闇だった。それでも走ることしか出来なかった。足を止めたら、あの音に捕まってしまうから。
 怖かった。
 あの嫌な音達に心を全部飲み込まれて、自分もそういうものに変えられてしまいそうで。
 だからひたすらに走った。周りに何があるのかも、自分がどこに向かっているのかも分からず、彼は無我夢中で足を動かした。
 走って走って、息が上がりそうになった時、どすん、と。何かにぶつかった。走ってきた勢いのまま地面に転げる。
 見上げて初めて、自分がぶつかったのが人間の背中であると気付いたので彼は慌てて声を上げた。
「わ、ごっ、ごめんなさい!」
「……?」
 その人がのろのろと振り向いてこちらを見た。薄汚れた作業着を着ていて、髪も髭も無造作に伸び放題のその男は、長い前髪の隙間から彼を見た。
 その人の目を見た時、思わず息を呑んだ。何も反射しない、光のすべてを吸い込んでしまうような虚ろな目。それなのに……どうしてか、その目をとても美しいと、思ってしまった。
 同時に、その目の美しい虚ろが、ひどく痛々しいものに見えた。
 男はしゃがんで彼に目線を合わせる。
「……大丈夫、ですか」
 しかしその動作は人でないものが人の真似事をするようにぎこちなく、声はひどく陰鬱だった。
「あの、どこか痛いんですか」 
 彼は男に向かって思わず尋ねていた。
「ごめんなさい、僕、絆創膏とか何も持ってなくて」
「……」
 彼がそう続けた言葉を聞いてか、男はゆっくりと瞬きをする。そして、ぽつりと呟いた。
「君だって、痛いでしょうに」
「僕は平気です」
 さっきまでどこか痛かったような気がしたが、もうどうということはなかった。
 走ってる間に痛いのは忘れられたし、さっきこの人にぶつかって転んだ時は不思議と痛みはなかった。
 だから、もう平気なのだ。
 そう主張する彼を見て、男は小さく俯いた。何か変なことを言ってしまっただろうか、と彼が焦っていると、男は緩やかに首を横に振った。
「君が平気なら、私も平気です」
「……?」
「ありがとう。君は、優しい子ですね」
 男は表情一つ変えずにそう言いながら、彼に手を差し出した。
 彼がその手を取ると、強い力で引っ張り上げられる。そのまま二本の足で地面を踏み締めると、男の手が離れていく。
「……この先も、気をつけて。どうか幸運を」
 男はそう言い残すと、ゆっくりと彼に背を向けた。彼が思わず手を伸ばした時には、男の姿はもやのように掻き消えていた。

 ◆◆◆

 ふと、シャトルの中で目を覚ます。
 焼かれた故郷を追われた人々がすし詰め状態の船の中でその少年に与えられたスペースは、少し体を折り畳んで横になれる程度の広さだった。
 もう何日も着替えていないし風呂にも入っていない。最後の食事は十時間前。空腹を我慢するためにほとんどの難民がただ横になるか座るかして運ばれているだけの、どこへ向かうのかも分からない航路。
 ほとんどの者と同じように体をただ床の上に横たえ、少しずつ細くなり始めている指を見詰めながら、その明るい茶髪の少年は夢の中で出会った誰かを思った。
(……絆創膏、持ち歩いてれば良かったな)

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それはもぎ立てのオレンジのような

※シャリ受けワンドロワンライお題「壁ドン」
※キケロガvsギャン後妄想

 ==============

 シャリア・ブルの搭乗したキケロガは、キシリア親衛隊のギャンを、その大多数の手足のみをビームで破壊するという超精密「砲」撃によって無力化した。
 唯一まともにキケロガと渡り合った白い隊長機はキケロガを寸でのところまで追いつめたが、ハクジの無力化によりキケロガが辛勝、隊長機を鹵獲することに成功した。
 しかしギャンを鹵獲したMS形態のキケロガの動きは、鹵獲というよりさながら抱擁のようであったのだが──キシリア・ザビによるクーデーターという前代未聞の混乱の最中で、それを気にする者はほとんどいなかった。

 ◆◆◆

「ヒゲマンさあ、アイツ壁ドンするつもりだったらやめた方がいいよ、勘違いされるから」
 ソドンのモビルスーツ格納庫。
 ジークアクスのコックピットから降りてきて同じくギャンと同じくソドンに連れて来られたギャンのコックピットを覗きに行こうとしたマチュのすれ違いの言葉に、シャリアは眉をひそめた。
「壁ドンとは?」
「えっ嘘無自覚でやってた? こわ~……」
 本気で引いているマチュに、さっさとしなさいとコモリが声を掛ける。マチュはひらりと手を振り、無重力空間の中で身を翻した。
「それじゃ後でねー」
「ええ、後で……ああ、なるほど」
 ジフレドの方へ向かうマチュの背中を見ながら、彼女の言う「壁ドン」が何を指すかようやく気付く。
 相手を壁際に追いやり、逃げ道を防ぐようにして壁に手を突く、あの動作。あの時は焦りのあまり行儀の悪いことをしてしまったが。
 なるほど、若者の言葉ではあれを壁ドンと言うのか……と、シャリアは一つ学習した。
 ソドンはひとまず補給基地であり、ジオンにおける事実上の二つ目の首都・グラナダを目指している。
 鹵獲されたのはジフレドとキシリア親衛隊隊長機であるギャン、そしてそのパイロット達。
 いずれもあのクーデーターの中心にいたが、彼らがニュータイプとしてのキシリア・ザビに利用されていたことはシャリアの目には火を見るよりも明らかであった。自分が五年間で築き上げてきた権力や人脈を使えばどうとでも解放してやれる……シャリアはそう考えていた。
 一つ、個人的な悩みがあるとしたら。
 親衛隊隊長のエグザベ・オリベとシャリア・ブルは、恋仲であった。

 ◆◆◆

「気分はどうですか」
 独房に足を踏み入れると、部屋の隅で壁にもたれて立っていたエグザベが顔を上げた。手錠こそ掛けられていないがパイロットスーツを着たまま、その顔には傷の最低限の手当てがしてある。
「ずっと放っておいて申し訳ない、この軽い尋問が終わったらシャワーを浴びられるよう取り計らいます」
 シャリアはそう声を掛けながらエグザベに近付く。
「悪いようにはしません、尋問というより面談とかそういう性格の物なので」
「……」
 ひどく気まずそうに、エグザベはシャリアから目を逸らした。
 その仕草がシャリアの胸にチリリとささくれたような痛みを齎す。
 先までのマチュとの会話を思い出し、シャリアはエグザベが壁際に立っているのをいいことにその顔の横の壁に両手をついた。
 エグザベがハッとして顔を上げる。シャリアより背が低く体格も細いエグザベはシャリアの体の影にすっぽり収まる格好になる。
 シャリアはエグザベに顔を近づけ、低い声で尋ねる。
「……後悔は、していませんか」
 エグザベは陰の中で今なお光を失わない美しい目で睨むようにしてシャリアを見上げた。
「……ありません。僕は生き延びるために、僕の命を拾ってくださった方のために僕に出来る選択をしました」
「嘘ですね」
「……」
「親衛隊は君同様に身寄りのない難民や戦災孤児が中心。軍事法廷で君が彼らを庇えば確かに彼らの罪は軽くなるかもしれませんが、ここは法廷ではありません。所詮はいち軍艦の営倉であり、私は君の元上官として君から話を聞きたいのです」
「っ……分かっていた筈でしょう、僕はキシリア様からの間者としてソドンに来た。どうして僕に優しくしてくださるんですか。僕の懐を探るためですか」
「今更君の懐を探ったところでなにも出て来やしないでしょう」
 親衛隊隊長という身分でありながらキシリアから何も知らされず大虐殺の片棒を担がされたこの青年をひどく哀れに思いながら、シャリアはエグザベを見下ろした。エグザベはなお睨むようにシャリアを見上げていたが、
(ああ、やっぱり綺麗な人だなあ)
 うん?
 エグザベから聞こえて来た心の声にシャリアは思わず眉を上げた。
(シャリア中佐、やっぱり綺麗な人だ。髪がまだ生乾きだ、きっとシャワーを浴びて髪を乾かす暇もなかったんだ、それなのにこうやって僕に会いに来てくれた。うん、これなら処刑される時も一番新しいこの人の思い出を抱えて死ねるのかな。それならきっと僕は幸せだ)
「待ちなさい、待ちなさい!」
 思わず大声を上げたシャリアに、エグザベがびくりと肩を震わせた。シャリアはその両肩に手を置き、エグザベに視線を合わせる。
「君、この小一時間で死への覚悟まで終わらせたって言うんですか? 誰もそんなこと言っていないでしょう!?」
 マチュやジフレドのパイロットの方にシャリアが付いていたために代わりにエグザベを営倉まで連行したのはコモリ少尉やコワル中尉だが、彼らは決してそのようなことを言う人間ではない。むしろ彼らはエグザベがキシリアに利用されていた可能性が高いとシャリアに聞かされて同情的になっていたほどだ。
 シャリアが見たことも無いほどに焦るのを見て、エグザベは困惑したように首を傾げた。
「ええ、ですが……クーデターを決行した勢力は、その首謀諸に近い者は皆殺しがセオリーなのでは?」
「ッ……」
 そのあまりにあっけからんとした言い様に、言葉を失う。
 この青年の生死に対する認識が麻痺しているわけではない、と思う。
 自分の命の勘定が恐ろしく軽いというのもまた違う。
 ただ、「どんなに頑張っても人間死ぬときは死ぬ」という諦念があまりにも絶対的な原則として彼の芯を貫いているだけで。
 シャリアは無我夢中でエグザベの体を抱き締めていた。彼がソドンを降りる前、最後に抱き締めた時よりほんの僅かに体格がよくなっている。
「……させませんよ、絶対に」
 どういうわけか、シャリアの方が泣き出したい気分であった。己の人生に対する諦念があまりに強烈で、死への恐怖で泣くことも出来ないこの青年の代わりに泣くことが許されるならばどんなに良いか。恋人とは言えジオン軍人である自分にそんな権利があるわけがない。
 エグザベは、おずおずとシャリアの背中に手を回した。
 どうしてこの人がこんなに悲しんでいるのか分からない。でも、この人には悲しまないでいてほしい。
 そんな温かで優しい思念が彼の手から伝わり、シャリアはエグザベを抱く腕に力を込めた。
 エグザベはどこか困惑したまま、おずおずとシャリアに尋ねた。
「……中佐は、僕が死んだら毎年花を供えに来てくれますか」
「ッ……そんなことはあと四十年くらいしてから考えなさい」
「生きてていんですか、僕」
「当たり前じゃないですか。君は、生きていていい人間なんです。例え本国やグラナダが何を言おうと、君の味方が誰もいなくても、私が絶対に君を守ってみせますから」
「そっか、僕って生きてていいんだあ……」
 エグザベはどこか他人事のように呟いてから、ぎゅうとシャリアを抱き締め返した。
(中佐の腕の力強くて苦しいな、でも嬉しい、この人はまだ僕を好きでいてくれているんだ)
 そのどこかピントのずれた感想に苦笑しながら、シャリアは腕の力を緩めた。エグザベはするりとシャリアの腕の中から抜け出すと、床を蹴って無重力に浮遊しながらシャリアの目を見た。
「……シャリア・ブル中佐、僕はどうして貴方がそんなに悲しんでいるのか分かりません。ですが、貴方にはこれ以上僕のことで悲しんで欲しくない、だから理解できるよう努力します。もしかしたらそれが、貴方が望むニュータイプ同士の理解と共感かもしれないと思うので」
 シャリアの背後に回ったエグザベは、体ごと振り向いたシャリアの体を壁際に追い詰めた。シャリアの肩を挟むようにしてエグザベの両手が壁に突かれる。
「こんな時にごめんなさい、やっぱり嬉しいので、キスさせてください」
 本当にこんな時、だ。あまりに素直な青年にシャリアは苦笑した。
「録音していたらどうするつもりだったんですか」
「していませんよね?」
「まあ、していませんが」
 エグザベの顔が近づく。シャリアは目を閉じて、そのキスを甘んじて受け入れた。数ヵ月ぶりのキスは苦かったが、それでも不思議なほどに甘かった。

 ◆◆◆ 

 一方その頃、隣の独房と隣の隣の独房。
 壁越しに伝わってくるそれこれにマチュとニャアンはうるさいと騒ぐことも出来ずひたすら唸っており。
 廊下では、何か必死で頭痛を堪えるような顔をしたコモリが立っていたという。

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ゆりかごのなかで

※最終回後エグザベ精神崩壊if
※以前書いたこの話との繋がりはありません

==========

 地球の片隅、大きな町からそう遠くない山間の村。
 かつて国の首都であった都市から車で片道三時間程度のその村は、一般的な集落としての村とは異なる性格を持っている。
 この村には小規模ながら設備の整った病院・療養施設が集中していた。村に点在する宿泊施設はそれらの施設の入院患者を訪れる見舞い客向けという性格が強く、定住しているのは大多数が医療施設に勤務する者とその家族。ともかく人の出入りの少ないこの村はとても静かであった。
 旧世紀中に発生した大戦の中で疎開者によって成立したこの小さな村に昨日新たな住人が加わった、と、村で小さな酒場を営む男は客の世間話で聞かされた。
 その新たな住人と同じ職場だという客の女曰く、家族がこの村の施設に入院するので付き添うためにこの村に住んで働くのだと。老いてはいないが若い印象もない男だという。その女の職場とは、この村の中でも特に奥まったエリアに建つ精神病棟である。女はそこで清掃員をやっており、人手が増えたと喜んでいた。
 この村の施設の入院患者の多くは世捨て人であったり、身寄りもない人間が半数以上を占める。入院する家族に付き添うためこの村に移り住む者はゼロではないが、そう多くない。珍しいもんだ、と思いながら店主の男はその話を聞いていた。
 そしてその噂の新たな住人を、店主の男は思いの外早く目にすることになる。
「サンドイッチとビールを」
 噂話を聞いた翌々日、聞き慣れない声がカウンターから聞こえた。
 カウンターに座っていたのは見慣れない男だった。長い前髪で左目を隠しどこか物憂げな雰囲気を纏っている。綺麗に整えられた口髭は都会の役所の人間じみていて、病院の清掃員という役職がどこか似つかわしくないように思えた。
「あんた、最近この村に越してきただろう」
 瓶に入ったビールとサンドイッチを出しながら言うと、男は「おや、わかりますか」と薄く微笑んだ。
「小さな村だからな、見ない顔がいれば分かる」
「なるほど」
 男は一つ頷くと、ビールを瓶から直に呷ってからサンドイッチにかぶりつく。一見粗野だが品のあるしぐさは、家族がこの村にいるとは言えますますこの小さな村に似つかわしくないように思えた。
 
 ◆◆◆

「掃除、入りますよ」
 シャリア・ブルが『イヴァン』という偽名を用いてこの精神病棟で清掃員として働き始めてから、およそふた月が経とうとしていた。
 生粋のスペースノイドであるシャリアは初めこそ虫や定まらない天候に辟易したが、ここが静かで小さな村であること、そして山の中の澄んだ空気と自然豊かな景色を気に入り始めていた。
 シャリアが掃除のため足を踏み入れた病室には、ベッドが一つ。そこにはぼんやりと焦点の定まらない目で天井を見ている青年が横たわっていた。
 ベッドに括りつけられたネームプレートには『Elias Francis』と記されている。
「おはようございます、エグザベ君」
 掃除道具を病室の隅に置いて、シャリアはベッドに歩み寄りながら声を掛ける。本名を呼び掛けてみても反応はないが、シーツをめくってその手に触れると仄かに温かなものが流れて来る。彼の心の芯にある優しさ、穏やかさ、そういうった形にならない輝ける美しいもの。大丈夫、まだ彼の心は死んでいない──それを確認して安堵し、シャリアはエグザベ・オリベの額をそっと撫でた。
 シャリアがこの病棟で清掃員として働き始めたのは、エリアスという偽名を用いてエグザベがここに入院しているからである。見舞いだけであれば面会時間は制限されるが、病院内部で働いていればもう少し長い時間彼と会うことが出来る。病院側もシャリアが仕事の合間にエグザベに会うことを容認していた。
 エグザベの部屋にモップを掛け、窓を拭き、全く使われていないゴミ箱の袋を交換する。ルーティンをこなしつつ、念のため部屋の各所に何か怪しい物が仕掛けられていないか確認する。シャリアもエグザベも、命を狙われる危険性の高い身であった。特にエグザベはルウムの難民でありながらキシリア・ザビの引き起こしたあの大虐殺に加担「させられた」キシリア親衛隊の若き隊長として好奇の目で見られることも多い。
 偽名を用いての入院及び居住、というシャリアの希望をこの村の村長は何も聞かずに受け入れた。昔からそういった訳ありの患者の多い村であり、それがむしろ連邦政府の介入を難しくしている特殊な地域であることが、シャリアが連邦内部に潜む間者からの情報でここを隠れ家とした理由であった。
「他の部屋の掃除が終わったら後で来ます、お話はその時に」
 病室の隅々までを検分し、異常がないことを確認したシャリアはエグザベにそう声を掛け、病室を後にする。
「イヴァンさん、この次204号室より先に205号室を先にお願いできます?」
 廊下に出ると看護師にそう声を掛けられたので、シャリアはにこやかに応じて205号室へと足を向けた。

 ◆◆◆

 スペースコロニー内部の空気と異なり、ここの空気はいつもどこかうっすらと水気を帯びている。だが今日のように晴れた日であればそれは決して不快ではなく、むしろ爽やかと言えるのであろう。
 仕事が休みの日に、シャリアはエグザベを車椅子に乗せて病院の外へと連れ出していた。
 ここは山間を切り開いて作った村ゆえに坂や階段が多いが、車椅子使用者が多いためかほとんどの階段や急な坂には専用のスロープが設えてあるので移動は楽なものだ。
「よく食事をするバーの店長に景色のいい場所を教えてもらいました、今日はそこに行ってみましょう」
 週に二度の外出はエグザベの脳に刺激を与えるという目的で担当医に勧められていたので、シャリアは毎回エグザべを村のあちこちへ連れ出した。
 車椅子を押しながら病院から三十分ほど緩やかな坂を上って歩くと、目的地に到着する。
 そこは村全体を見下ろすことの出来る視界の開けた原っぱで、ぽつぽつと野生の花が咲いていた。小さな木のベンチがいくつか置かれているのを見るに、住民の憩いの場らしい。
「ああ、なるほど。確かにここは良いですね」
 四方を山に囲まれたこの村において、視界が開けた高所というのはそれだけで気分転換になる。不思議な開放感に包まれながら、シャリアは一番眺めの良さそうなベンチへとエグザべの車椅子を押して行く。
「不思議なものですね。人間が何も設定しなくても太陽と月は巡るし、天気予定なんてものはない、予報は時たま外れる……全てコロニーでは有り得ないことなのに、気が付いたら慣れてしまっていました。空を見上げても対岸の街の明かりが見えないのにはまだ慣れませんが、そちらもすぐに慣れてしまう気がします。順応性というものがまだ私にもあったんですねえ」
 エグザべからの反応はない。それでもこうすることが大切なのだと、シャリアはエグザベに語りかけることをやめない。
「昨日バーで、越してきた時以来にここの村長と話をしました。君のことも心配していましたよ。珍しいくらいに医師としての使命に燃えている方です。君どころか私の面倒まで見てくれる奇特な方ではありますが……ええ、ありがたい話です」
 既に退役した身とはいえ、元ジオン軍人であるシャリアとエグザべに対するアースノイドの目は厳しい。ましてシャリアはジオン独立戦争の英雄であり、エグザべはイオマグヌッソを用いた虐殺に加担した部隊の隊長である。石を投げられてでも頭を下げる覚悟でこの村を訪れたシャリアは、深い事情も聞かず二人の受け入れを決めた村長の態度に唖然としてしまったものだった。
 曰く、医療とは万人に享受する権利があるものだと。
 曰く、他の場所での療養に命の危険がある患者のためにこの村は開かれるのだと。
 ただあんたのその格好はこの村で掃除夫として働くには小綺麗すぎる、とも言われたが。
 村長の言葉に邪気はなく、その心にも嘘はなく、きっとこの人は本気であらゆる患者のために身を尽くす人間なのだろうとシャリアは安堵し、エグザべとともにこの村への移住を決めたのだった。
 ベンチまでエグザベを連れて行き、抱き上げてベンチに座らせ自分もその隣に座ると、視界の隅に鮮やかな紫が目に飛び込んできた。
 そちらに目をやると、足元に紫の花が咲いている。
「これは……リンドウ、ですね」
 若草の中で群れになって咲く紫の花は、エグザベの瞳を思わせる。地球に降りて初めて見たこの花が、シャリアは好きだった。
 シャリアはエグザベの頬を撫でながら、その顔をそっとリンドウへと向ける。
「綺麗な花でしょう、まるで君みたいで」
 すると、ゆるり、とエグザべの頭が動いてシャリアの掌に押し付けられた。
「……!」
 反応があったことにシャリアは目を見開く。エグザべが外界からの刺激に対して反応することは滅多にない。
 シャリアは相好を崩しながら、指先でエグザベの頬をすりすりと撫でた。指先からエグザベの温かな感情が流れて来る。幼子が家族の腕の中で抱かれている時のような安心感。その感情からエグザベの反応が単なる反射ではないことが伝わり、シャリアは目を潤ませながらその肩を温めるように抱いた。
「ええ、そう、君の目はこんなに綺麗な色をしているんですよ。地球に降りて初めて知りました、君の目は大地に咲く花の色をしているんだと」
 だからと言うわけでもないですが、と、言葉を続ける。
「君はきっと大丈夫です」
 幾度も、エグザベだけでなく自分自身に向けて言い聞かせるように、根拠などなくとも発したその言葉。
 あの日、あの瞬間を境にエグザベの精神から何も見えなくなった時、そして、ギャンのコックピットから引っ張り出されたエグザベの目に何も映っていなかった時。一時とは言え部下の若きニュータイプとして目を掛けた青年の末路がこのようなものであることに絶望すればそれが最も楽な逃げであったのかもしれない。しかしシャリアにこれ以上の絶望は許されなかった。
 一通りの後始末を終えたシャリアは、シャアの後押しもありエグザベの看病に専念することに決めた。
 ──君が一番絶望してはいけないんだ。
 ──彼を思う者が、愛する者が信じ続ければ、彼は良くなる。
 ──ニュータイプ全てを救いたいと願い、私を見つけ出そうと暗躍してきた君が今更、一人の若者のために時間を使ったって文句は言わせないさ。
 私は刻を見て来たからな、と、ワインを揺らしながらシャアはどこか苦々しげな笑顔を浮かべていた。その笑顔はシャア本人ではなく、ましてシャリアやエグザベに向けられたものではない、どこか遠くの何かを見ているようだった。
 シャアが何を見たのか、シャリアは知らない。ただ、エグザベの傍にいてやりたいという願いを肯定されたことは確かに救いとなった。
「その目に命の色を宿している君なら、きっと大丈夫。私はいつまでも君の隣で待っていますから。辛抱強さには自信があるんですよ」
 快復を願う私の思いが伝われば良い。
 その願いに時折エグザベがささやかに応えるのが今のシャリアにとっての希望であり幸福だった。
 
 外部に存在をほとんど知られていない、山間の小さなゆりかごのような村。
 名を偽ってその村で暮らす二人の男がこの村から発つまでは、残り二年の歳月を要することとなる。

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(貴方と)したいこと

※最終回後同棲if

===============

「何かやりたいことはないんですか」
 軍を辞めるのであれば一緒に暮らそうと誘ったその人は、同棲初日、つまり退役した日の夜のささやかなパーティの終盤にエグザべの目を見ながらそう言った。
「やりたいこと……ですか」
 鸚鵡返しするエグザベに、シャリアは「やりたいことです」と頷いた。
「君にはマ・クベ中将の懐から一個小隊長というポジション相応の退職金が渡されている筈でしょう。まさかそれは全て貯金に回してすぐ就職活動をするなどと言いませんよね?」
「…………」
 まさにシャリアの言う通りのことを考えていたエグザべは沈黙する。
 やっぱりね、とシャリアは一つ頷いてから、グラスを傾けながら穏やかに続ける。
「子供の頃の将来の夢はなんでしたか?」
「将来の夢、ですか……」
 将来の夢、というものがあったことなど久しく忘れていた。
 エグザべが首を傾げて記憶を手繰ると、スペースグライダーのパイロット、パン屋、漫画家……と無軌道な「子供の憧れの職業」が次から次へと思い出された。
「随分色々な物に興味がある子だったのですねえ」
「子供の将来の夢なんて、そんなものじゃないですか?」
「もう少し大きくなってからは?」
「……覚えていない、です」
 嘘ではなかった。この人相手に嘘などついても意味がない。本当に何も覚えていなかった。
 進路希望の紙に何と書いて出したかも、覚えていない。
「なるほど」
 シャリアは頷き、グラスをテーブルに置いてナッツを一つ摘む。
「では、『自分』が本当に何をしたいか、何をしたかったも見えていないと」
「……はい」
「探してみては? 時間ならいくらでもあるんですから、じっくり時間を掛けて考えてみてもいいでしょう。分かりやすく将来の夢を例えに出しましたが、行きたい場所とか、食べたいものとか、そういうものでもいいんです」
「…………」
 エグザべが小さく頬を膨らましながら考え込むのを見て、シャリアは摘んだままのナッツをエグザべの閉じられた口元に運んだ。
 唇をナッツが押すのでエグザべが慌てて小さく口を開くので、シャリアはその隙間にナッツを押し込む。エグザべはそのままもそもそとナッツを咀嚼する。そのどこかリスを思わせる様子を見てシャリアがひっそり悦に浸っていると、ナッツを飲み込んだエグザべが「それじゃ」と口を開いた。
「シャリアさんと一緒に料理したいです」
「……料理ですか」
「その、一緒に台所立つのって家族みたいだなって、思って」
 駄目ですか? と、エグザべが上目遣いにこちらを伺うのでシャリアは小さく唸った。
 大多数がシャリアの自宅からの荷物の運び込みであった引っ越し作業の中で、キッチンにろくに調理器具が運ばれていないのをエグザべは見ている。シャリアがろくに料理をしないと分かった上で、それでも一緒に台所に立ちたいと言っているのだ。
 それはエグザべのささやかな我儘であり、この三大欲求以外の欲があまりない青年が我儘を言えるようになれば喜ばしいと考えるシャリアには効果覿面であり、何よりシャリアはエグザべのこの濡れた子犬のような視線にとにかく弱かった。 
「……いいでしょう、君の望みに付き合います」
 根負けしたシャリアがまた唸るようにして答えると、エグザべの表情がぱっと輝いた。
「それじゃ明日、鍋とかフライパンとか、買いに行きましょう!」
「……そうですね」
 まさかこの歳になってから初めてまともな料理をすることになるとは、と内心で自分に呆れてしまう。
 しかし見るからに表情を弾ませているエグザべを見ると、まあそれも良いかと思えるのだから、自分はつくづくこの年下の恋人に甘いのだとシャリアはしみじみ酒を舐めるのだった。

 ==========

 あんま関係ないけど言っておきたい補足:この世界線のマ・クベはキシリア親衛隊の若者達に内部のなんやかんやで退職金出ないと聞いて全員に自分の懐から相応の退職金あげてます。

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サンタクロースは夏にも来る

※時系列は3話後~5話くらい
 
 ===============

「エグザべ君の部屋、物少なすぎじゃないですか?」
 ランチタイムを少しすぎたソドンの食堂に人気は少ない。士官向けプレートをつつく副官であるコモリの言葉に、向かいでパイロット用プレートをつついていたシャリアは顔を上げた。
「エグザべ少尉の部屋、ですか?」
「さっき中佐のお遣いで書類渡しに行った時にちらっと見えたんですけど……生活感無さすぎでした。あんな狭い部屋のどこにも私物が見えないことってあります? 中佐も見たことありますよね、エグザべ君の部屋」
「まあ、そうですね」
「ミニマリストなんですかね?」
「さて、どうでしょう。私物が少ない、という意見には賛同しますが」
「寂しくないのかなぁ……」
 彼女の口ぶりは単なる世間話の種のようであったが、本気で気にしていることが伝わってきたので、シャリアは思わず口元を緩めた。
「気になりますか」
「気になるっていうか……あそこを自分の部屋だと思ってないのかなと感じました。ソドンの一員なんですから、もう少し落ち着ける空間にすればいいのに」
「ふむ……」
 こうした時のコモリの直感は割と当たる。
 確かに、エグザべがソドンで与えられた居室を自分の部屋と思っていない可能性はある。グラナダにいるシムス大尉から聞いた話では彼はキシリア親衛隊の次期隊長と目されるパイロットであり、名目としてもジークアクスのパイロットとしてのソドンへの出向。キシリアがシャリア・ブルを監視するために送り込まれたことを考えれば、ソドンで落ち着くのも難しい話ではあるのかもしれない。
 ただ、それだけかと言えばシャリアには引っ掛かるものがあった。
「……案外、それだけでない可能性はありますよ」
「やっぱりミニマリストってことですか」
「そうとも言えるかもしれません」
 これは本人に直接確かめてみても良いかもしれない……シャリアはそんな事を考えながら、プレートに乗ったハンバーグを切り分けて口に運んだ。

 ◆◆◆
 
「で、どうなんですか実際のところ」
「はあ……」
 事を終えた甘く気怠い空気の中で腕枕の主に昼間のコモリとの会話を思い出しながらそう尋ねてみると、エグザべはどこかぼんやりと頷いた。否定とも肯定とも取れない。
(そんなに変かなあ)
 本人は全く気にしたこともないらしかった。
「部屋に置きたい好きな物だとか趣味だとか、そういうものはないんですか」
「うーん……MSのマニュアルを読むのは好きですが、それ以外は好きな物とか特にないですね」
「食べるのは好きでしょ」
「食べるのは基本的に誰だって好きなのでは?」
「ふーむ……」
 シャリアはまじまじとエグザべの瞳を見つめる。エグザべはどうやらシャリアが何を気にしているのか全くピンときていない様子である。
(なんでそんなことが気になるんだろう。それにしてもシャリア中佐は綺麗だなあ、こんな人と恋人なんて幸せだなあ)
 エグザべから伝わる好意がむず痒く、本当になんでこんな純粋な子をスパイとして差し向けたんだと頭を抱えたくなる。エグザべと自分の意識をそこからどうにか逸らそうと質問を重ねた。
「何か欲しい物は、ないんですか」
「欲しい物、ですか……?」
 エグザべはしばし考えてから、陽の光を思わせる笑顔でこう言ってのけた。
「中佐との思い出がたくさん欲しいです!」
「…………」
 そういうことではないのだが、エグザべはどうも心の底からそれを言っているようだった。
「物、と言いましたよ。事、ではなく」
「そうは言われても……」
 エグザべは困ったように眉を下げた。その目がうるうると煌めいている。同時に、エグザベの心がはっきりと見えた。
(だって、思い出はなくならないし……)
 ああ、とシャリアは一つ得心した。
 この子は本当に物に執着がないのだ。
 それも、形あるものはいずれ全て無くなるからという、実体験に基づいた後ろ向きな理由で。
「……なるほどね……」
「? 中佐?」
 思わず独り言が溢れていたようなので、何でもありませんよとエグザべの頭を撫でながら抱き締める。
(さて、どうしてやるのがよいか……)
 その胸の内を悟られぬようにしつつ、シャリアは黙考する。
 仕事の上でも目を掛けているつもりはあったし、この関係になることを受け入れたのはキシリア派の彼の懐に入り込むためだ。
 しかし思いの外、彼に対し個人的に何かしてやりたいという意識が強くなりつつあるのはシャリアにとってそう悪いことでも無い気がしているのだった。

 ◆◆◆

「昨日君から申し出のあったコロニーに降りてのジークアクス捜索ですが、明日から行って構いませんよ」
「ほ、本当ですか!」
 執務室に呼び出したエグザべの背筋が伸びる。
(よかった、許していただけて。頑張らなきゃ……!)
 やる気に溢れた彼の背中を押したいというのは間違いではないが、半分はキシリア派に怪しまれないようにするための放流に近い。相変わらず素直すぎる……とやや呆れつつ、シャリアは執務机の足元から紙袋を引っ張り出した。
「それに関連してこちら、差し上げます」
「え? はい……」
 エグザべがきょとんとしながら紙袋を受け取る。
「先日差し入れた私服、どちらにするかこちらとあれで迷ったんですけどね。どうせならこちらも買ってあげようかなと」
 開けてみてください、とエグザべに手振りで示す。シャリアから何も手を付けていない事を表すため、紙袋のテープや包装紙は店で包んだまま未開封だ。
 エグザべは紙袋から恐る恐る服を引っ張り出す。緑のモッズコートにワイシャツ、ベスト、ネクタイとシャリアが見立てた服をエグザべは目を白黒させながら見ていた。
「君、この前あげた物以外にろくな私服持っていないでしょう。コロニーに降りるんですから、少しくらいはバリエーションを持たせなさい」
「よ、よろしいんですか、こんなにいただいてしまって」
 声が上擦っているエグザべに、シャリアは肩をすくめた。
「大した事ありません、可愛い部下へのプレゼントくらい」
(部下かあ……)
「それとも恋人、の方がいいですか?」
「!」
 少し甘い言葉を掛けてやれば、エグザべの表情がぱっと輝いた。分かりやすくて本当に可愛らしい。
「イズマコロニー……と言うより、サイド6全体に言えることですが、表向きの治安こそ良くともジャンク屋の集まるスラム街の治安は決してよろしくありません、内ポケットの付いたコートを選んでいます。丈夫な製品なので、体型変化でもしない限りは長く着れると思いますよ」
「あ、ありがとうございます!」
 エグザべが新品の服をぎゅっと抱きしめる。
「その……お言葉の通り、私服は全然持っていなかったので、嬉しいです。大事に着ます!」
「喜んでいただけたなら結構。次は何か部屋に置くものをあげましょう」
「部屋に置くもの、ですか?」
 シャリアの言葉をエグザベが不思議そうに復唱した。やはりよく分かっていないのか、と苦笑いしながらシャリアは答える。
「この前話したでしょう、君の部屋の私物が少なすぎる件です。官給品以外にも何か……そうですねえ、ただ部屋の飾りとして、小さなオブジェを一つ置いてみるくらいはしても良いのでは。私があげれば、君も喜んで飾ってくれるでしょ」
「は、はい……!」
 エグザベの頬がほんのりと赤くなった。それを微笑ましく思いながら、シャリアは穏やかに言葉を続ける。
「『自分の物』から少しずつ好きなものや趣味が生まれて、後々部下が出来た時に人間性の深みとして示しが付くわけです。私が君に奢ったウイスキーだって、私が酒好きだから選んだものですからね。焦る必要もありませんが、私が君に贈るものをきっかけにでもそれ以外でも、何か好きなものを見つけてくれれば、年長者として喜ばしいです」
「なる、ほど……」
「あまり難しく考えなくていいんですよ。ゆっくりと、君のペースでね。私からの話は以上です。もう下がって構いませんよ」
 これ以上長くならないようにと話を切り上げると、エグザベは胸の前で服を抱き締めたまま弾かれたように頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます! いずれお返し出来るよう、頑張ります!」
「ふふ、ほどほどにお願いしますね」
 その服、君の月給三ヶ月分あるから無理に頑張られてもちょっと困るんですけどね……とは、意地悪が過ぎるので声に出さない。
 ただ、エグザベの目の輝きはとても眩しく、同時にこの美しい目をした青年が好きな物はないと言い切れてしまえることが少しだけ悲しく思えた。

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眠れぬ夜は

※最終回後if
※エグシャリ同棲
※シャアはよく遊びに来る友人として元気

 =============== 
 
 深夜零時。
 ふと目が覚めて喉の渇きを覚えたシャリアは、隣ですやすや眠る恋人のエグザベを起こさないようそっとベッドから降りるとキッチンへ向かった。
 冷蔵庫からルイボスティーのポットを出してグラスに注ぐ。口もとでグラスを傾けながら、冷蔵庫に貼ってある紙のカレンダーを眺める。
 シャリアはグレー、エグザベはオレンジとそれぞれのかつての愛機にちなんだ──エグザベはギャンに引かれたゴールドのラインに近くて見やすいオレンジを選んだ──色のマーカーでそれぞれの予定を書き込むのがこの家のルールであった。週に一度以上家を訪れる友人が赤いマーカーで何か書き込んでいることも多い。
 明日……否、既に今日の日付の欄には何も書かれていなかった。
 二人でゆっくりしようか、行きつけのカフェでモーニングもいいかもしれない……と日が昇ってからの時間に思いを馳せていると、脳裏を鋭い光が一筋走った。
 嫌な予感にシャリアがグラスをシンクに置いて急ぎ足で寝室へ戻ると、ベッドの上に残してきたエグザベが、毛布を掻き抱くようにしながら体を丸めていた。その眉はきつく寄せられ、額で汗が結ばれては流れ高い鼻梁を落ち、何か必死で堪えるように歯を食いしばって荒い呼吸が漏れている。
 しかし表出しているそれとは裏腹に、彼の中から感情は何も見えてこない。覗き込んでも何も見えない、人の形をした伽藍洞のようだった。
「エグザベ君」
 名前を耳元で呼んで、背中から抱き締めた。うなじに小さくキスをして、頭を撫でながら呟く。
「大丈夫、私がここにいますよ」
 しばらくシャリアより少しばかり細身の体を包み込むようにしていると、腕の中の体が小さく震えた。
 途端に恐怖・緊張・不安・焦りといった情念ががぶわりと解き放たれたかのようにエグザベから放出した。その密度にシャリアは瞑目しながら、腕の中のエグザベを強く抱きしめる。
「あ……シャリア、さん……?」
 腕の中で寝返りを打ってこちらを見るエグザベの額は汗に濡れている。シャリアは汗で張り付いた前髪をどけてやりながら尋ねた。
「大丈夫ですか?」
「はい……ありがとうございます……」
 ふにゃりとエグザベの表情が緩んだ。シャリアは濡れていることも構わずその額に一つキスをする。
「起きられますか? 寝直す前に何か温かい物でも飲みましょう、入れてきます」
「ん……」
 シャリアが起き上がってベッドから降りようとすると、エグザベがその腰にぎゅうと抱き着いてきた。シャリアは苦笑しながらその髪をくしゃりと撫でる。
「随分と甘えん坊ですね……でもちょっと降りられないのでどかしてくださいねー」
 エグザベの腕を引き剥がしたシャリアは、エグザベの膝裏と腰を支えるとひょいと持ち上げた。どこかぼんやりとしていたエグザベの目が一気に覚醒する。
「わ……わわっ!? シャリアさん!?」
 慌てたようにエグザベがシャリアの首筋にしがみつく。
「危ない、危ないですってばっ!」
「ふふ、これでもまだトレーニングは続けていますから。君一人くらいなら軽いものです」
「嘘だッちょっと腕震えてませんかっ……!?」
「分かっているなら大人しくしてましょうねえ」
「ひぃ……」
 ぎゅうとしがみついて来るエグザベをリビングまで運んだシャリアは、リビングのソファにそっとエグザベを置いた。今でも鍛えているのは噓ではないが、流石にエグザベを姫抱きして運ぶのは少々堪えた。
 水を入れた電気ケトルと二人分のマグカップにティーバッグの入った缶をいくつかキッチンからリビングに運んで、ローテーブルの上で深夜のティータイムの準備をする。
「何が良いですか」
「ん……レモンバームってまだありますか。カウンセラーさんが、夜寝れない時におすすめだって」
「ありますよ」
 レモンバームのティーバッグを二人分それぞれカップに入れる。
 ソファに並んで電気ケトルの湯が沸くのを待ちながら、シャリアはエグザベの手にそっと触れた。普段体温の高い彼にしては冷たい。先まで魘されていたせいか、間接照明の光の中だけで見てもその顔色は良くない。
「これを飲んだら、少しだけここでゆっくりしましょう。無理に寝る必要もないです」
「……はい」
 ケトルの電子音が静かなリビングに響いた。ティーバッグの入ったカップに湯を注ぐと、レモンに似た爽やかな香りがふわりと立ち上った。その香りにエグザベの表情が安堵で和らいだのを感じ、シャリアは思わず笑みを深めた。
「……シャリアさん、明後日から出張でしたよね」
 ハーブティをマグカップの半分ほど飲み終えた頃、エグザベがぽつりと呟いた。シャリアは先程見たカレンダーを思い出しながら頷く。
「ええ、一泊二日ですが」
「……」
「寂しいならキャスバルを呼んでは? 君が呼べばゲーム持参で喜んで来ますよ」
「あの人が来ると深夜までゲーム大会になるじゃないですか……」
 ここにはいない共通の友人の話をしながら、言葉と裏腹にエグザベの表情は明るくなり始めている。そんなエグザベの様子に、シャリアはくすりと笑った。
「夜更かしなんて出来るうちにしておきなさい、私はそろそろゲーム大会での二時越えが辛いので」
「むう……」
 エグザベはどこか子供が拗ねるような声を上げてから、すぐに「あ、そっか」と破顔した。
「じゃあシャリアさん、僕のために夜更かし付き合ってくれるくらいには僕のこと好きなんですね。申し訳ないですが、正直凄く嬉しいです」
「……」
 エグザベの言葉に虚を突かれてシャリアは目を丸くする。しかしすぐに、この子はこういう子だったと釣られて破顔する。故郷と家族を失い、いつしかひどく歪んでしまった内面と抱えたトラウマに苦しみ続けながらも、生来の正直さと優しさだけは失っていない。
「そうですね、眠れなくてもまあいいかと思うくらいには愛してます」
 若きニュータイプ達の生きる世界のために身を尽くすシャリアがただ一人、情と恋をもって愛する男は、ほっと顔を赤くしながら、それでも心の底から嬉しそうに微笑んだのだった。

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