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【一心と竜弦】カウントダウンのはじまり

「九年前」の竜弦の話。一心視点。ちょっと暗い。

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 一ヶ月ぶりに会ったその男は、黒崎一心の目には酷く憔悴しているように見えた。
「よう!」
 でかい声で呼び掛けながら近付くとじっとりした目で睨まれた。青白い顔、こけ気味の頬、目の下の隈、スーツの下からでも分かるやせ細った体躯、そして体の重心が安定していない。不健康の権化だなこりゃ、と内心溜め息をつきながら自販機で買った温かい緑茶のペットボトルを差し出す。
「元気そうには見えねーな」
「…………」
 渋々といった感じでペットボトルを受け取られる。
 学会の後の懇親会……という名のパーティでこの顔馴染みの姿が見えないので探しに来てみれば、会場の複合施設の中庭のベンチでぐったりと座っていた。
 人付き合いを面倒がる癖に上司に呼ばれればすぐ向かえるようにここにいるんだろう。こいつらしいな、と思いながらその隣に勝手に腰掛ける。
「講演お疲れさん、石田」
「……大したことではない」
「何言ってんだ、お前の歳で講演任されるなんて大したことだろ」
 それどころじゃなかっただろうにな、と心の内で付け加える。
 自分が百年以上生きている事を差し引いて人間の尺度で見ても、目の前で憔悴している石田竜弦という男はまだ若い。正式に医者になったのだってまだ三、四年前というところだ。
 そしてこの男はつい半年前に妻を亡くしている。一人息子のこともあるだろうし、他にも色々と背負い込む羽目になっている。自分も似たような状況ではあるが、この顔馴染みが会う度にやつれていくのは見逃せなかった。
「随分やつれたな。ちゃんと寝てるか?」
「毎日三時間は寝ている」
「それは寝てるとは言わねえ」
「時間が足りない。そうでもしなければ……」
「その前にお前が潰れるぞ。お前が潰れたら雨竜君はどうなる? うちの長男と同い年ならまだ小学三年生だろ」
「…………」
 痛いところを突かれたように竜弦は黙り込む。この男も頭では分かっているのだ。それでも焦りが彼を掻き立てている。
「体の不調があったりは?」
「生憎、体だけは昔から丈夫だ」
「そいつは良かった。だがもうそろそろ若さで無茶出来る歳じゃねえだろ」
「……それでも、私しかいない」
「……ああ、そうだな」
 自分を相手にしているというのに暴言も辛辣な言葉も飛んで来ない。こりゃ相当参ってるな、と一心は判断を下す。
 それでも死神の力を失っている自分に出来る事など、適度にガス抜きをさせてやることくらいなのだ。余計なお世話かもしれないが。
 竜弦が受け取ったまま手に持っているだけだったペットボトルのキャップを開けようとする。余程手に力が入らないのか、少し手間取った挙げ句になんとか開封して一口だけ喉に流し込んだ。
「……お前今日車か?」
「タクシーだ」
「うっわ、金ある……」
「車がどうかしたか」
「いや、それじゃハンドル握るのも怪しいだろ」
「今日は調子が悪いだけだ」
「どうだかなあ……調子悪けりゃいつでもうち来い、診てやるよ」
「……夕べ、夢を見た」
「は?」
 リアリストの極地にいるような眼の前の男が突然夢の話など始めるものだから、一心は目を丸くする。竜弦は地面のどこか一点を見つめながら独り言のような口振りで続けた。
「……雨竜を殺す夢だった」
 竜弦は、言葉を失った一心を見ない。
「目が覚めて、真っ先に雨竜の霊圧を確認した。雨竜は部屋で寝ていて、朝になるときちんと起きて学校に行った。……それでも、夢で私は一度息子を殺した。この手で……」
 竜弦な両手を組んで俯き、ペットボトルを強く握り込む。ペットボトルが僅かにへこむ音を立てた。絞り出すような震える声は懺悔のようだった。
「私はあいつが無事で安堵した筈だった、雨竜だけでも無事で良かったと、そう思ったはずだった。叶絵が倒れてからは毎朝雨竜に異常がないことを確認した、叶絵が死んだ後も雨竜が生きているならば叶絵の思いは無駄にならないと、何事にも関わりなく真っ当に生きて欲しいから霊力を奪おうとすら思った、それなのに……」
「なあ石田、夢の中のお前は、雨竜君を殺した後どうなった?」
 一心がなんとか尋ねると、静かに答えた。
「死んだ。……自分で自分の大動脈を切って、死んだ」
「……そうか。夢の中のお前は、自分を許せなかったんだな」
「…………」
 竜弦は黙りこくる。一心はひどく小さく見えるその背中をぽんぽんと軽く叩いた。
「お前はちゃんと戦えてる」
「夢で息子を殺した男がか」
「夢は夢だ。その夢を見た自分をお前は許せない、今はそれでいい。後は自分でしっかり解決しろ」
「……宗弦が言っていた。雨竜はこのままだと、私に並ぶ滅却師になると。……突然変異的な天才だと」
「それが嫌なんだな、お前は」
「叶絵が倒れてから、何度も雨竜から霊力を奪おうとしたが、出来なかった。封印しようとしても効果はなかった。そうしている間にも雨竜は滅却師として確実に能力を身に付け始めている」
「……子供の成長ってのは、俺らが思ってるよりずっと早いもんだ。どう向き合うかきちんと考えた方がいい」
「……どう向き合うか、か」
 あらゆる能力はひどく優秀でありながらひどく不器用なこの男のあり方を、一心は嫌いになれない。きっと「九年後」に迫ったタイムリミットまで人知れず死に物狂いで戦うつもりなのだろう。誰にも頼らず、たった一人で。だからこそ放っておけないと思うし、既に潰れかけているのを何とか支えたいと思う。
 無論、死神の力を失っている自分に出来る事はひどく限られているが。
「ようし石田、パーティーフケてラーメンでも食って帰るか!」
 そう高らかに宣言してベンチから立ち上がると、竜弦は深々と溜め息を吐き出してから顔を上げて冷たい目で一心を見た。
「学生か貴様は。……生憎、私はお前と違って病院の経営者一族の人間としてある程度挨拶回りや情報交換の必要がある。帰るならお前一人でさっさと帰れ」
 調子が戻ってきたみてえだな、とニヤニヤ笑うと「気色が悪い」とばっさり斬られた。

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このおっさん二人の関係性が好きです。