朝のゴミ出しのために玄関のドアを開けると、ちょうど隣の部屋のドアが開いたところだった。
「雪之助、おはよう」
声を掛けると、室内から凄まじく眠そうな目をした雪之助がゴミ袋を手に出てきた。
「……おはよ」
「昨日仕事だったんじゃないの?」
俺がそう尋ねると、雪之助は深々と溜息を吐き出した。
「仕事だったけどゴミ出しのために起きてるんだよ……」
「代わりに持って行こうか?」
「……頼む……」
雪之助は少し迷ったようだったが、眠気が勝ったのか俺にゴミ袋を渡してくれた。
「ちゃんと寝なよ、おやすみ」
そう声を掛けると、雪之助は頷きながらドアをゆっくり閉めた。
「ん……おやすみ」
階段を降りて、アパートの前のゴミ捨て場に二つのゴミ袋を入れる。自分の部屋に戻ろうと階段に足を掛けると、小さな人影が階段の上に立っていることに気付いた。
「おはよ、焔」
声を掛けると、焔は冷たい目で俺を見下ろした。そのまま大きなゴミ袋を持って階段から下りて来たが、俺の方を一瞥すらしない。
いつものことなので気にせず……と思いたいけど。いつかきちんと話したい相手に無視され続けるのはやっぱり堪える。
階段を最後まで上ってから振り返ると、焔がゴミ捨て場から戻って来ているところだった。
ここにいたら、またあの氷のような視線を浴びることは分かりきっている。過去にこれ以上絡もうとしたら黙ってポケットから防犯ブザーを取り出されたこともある。
雪之助とは話すらしいのに……と少しだけ雪之助に嫉妬しながら、今日は諦めて自分の部屋に引っ込むことにした。
今日の講義は昼からなので少し時間に余裕があるし、バイトも入ってない。それまでは今日の講義の予習をしようと、俺は小さな一室のちゃぶ台の前に腰を下ろした。
俺は「海月」。
高校卒業と大学進学を機に育った施設から離れて、このアパートで一人暮らしをしている。
物心ついた頃には親はいなかったけど、施設では良くしてもらったから寂しくはなかった。
他の人と違うことがあるとすれば、俺には「違う人生」の記憶が断片的にある、ということくらいだろう。前世の記憶、ってやつだ。多分。
そしてどういうわけか、俺は越してきたこのアパートで、同じく前世の記憶を持つ━━その上、前世で関わりのあった雪之助と焔に出会うことになった。
元々雪之助が一人で住んでいる部屋と、焔が保護者と住んでいる部屋の間の部屋が空いていて、そこに俺が越してきたという形だ。
ラノベみたいな話だけど、これが実際に俺の身に起きていることだから受け入れるしか無い。
雪之助は俺が「海月」だと気付いてからすぐ前世の頃のような仲になってくれた。
雪之助の今の仕事は夜間の警備員らしい。昼は寝ていることが多いし俺も大学に通っているから、実はそんなに話せているわけではない。
でも時々、昼下がりや夕方になると、タバコを吸いにベランダに出て来ては隔板越しに俺の話に付き合ってくれたりする。
そんな時の雪之助は少し気だるそうで、でも立ち姿はいつも真っ直ぐで、派手な柄の服が好きで、いつだって正しい。そんな、俺の覚えている雪之助そのままだった。
まあ、隔板越しだと雪之助の姿なんてほとんど見えないけど。
焔は、最初に挨拶した時に色々あって、それからろくに口を利いて貰えない。
雪之助から聞いた話だと保護者(雪之助よりは年上の男らしい)と二人暮らしをしているそうだ。学校には通っていないらしくて、その上保護者は仕事で多忙だから焔が家に一人でいることが多い。そして雪之助は焔の保護者から、時々様子を見てあげてほしいと頼まれているんだそうだ。
俺はここに越してきてひと月が経とうとしているけど、その焔の保護者にはまだ会えたことがない。
焔の持つ前世の記憶がどのくらいのものなのかは、雪之助もあまり知らないらしい。でも俺の覚えている通りなら、まあ、嫌われても仕方ないかも、とは思う。
嫌われたくないわけではない、ただきちんと話をしたい。そう思っても、俺はそのスタートラインにすら立つことすら出来ていない。
雪之助からは、あまり焦るなよと釘を刺されている。雪之助としても、焔には思うところがあるらしい。その辺り前世ではどうだったのか、俺は覚えていないんだけど。
予習をしているうちに、スマートフォンのアラームが鳴った。そろそろ家を出る時間らしい。 教科書とノートを閉じてカバンに放り込みながら立ち上がると、玄関の古いチャイムが鳴った。
このアパートに訪問営業が来ることなんてほとんどないと大家さんから聞いているし俺も訪問営業を受けたことがない。どこの誰だろう、平日の真っ昼間に。
不審に思いながらもドアスコープから玄関の外を見ると、グレーのスーツを着た男の人が立っている。赤みがかった髪に、俳優と言われれば信じるくらいには綺麗な顔をしていて、外見年齢は……中年になるかならないかくらい?とにかく見覚えのない顔だった。
チェーンを掛けたまま恐る恐る玄関ドアを開ける。
「どちら様でしょうか……?」
「こんな昼間に申し訳ありません」
その人はまずそう言って会釈した。
「大学生と伺っていたので、不在だったらどうしようかと」
ドアの隙間越しに見てはっきりと分かったが、その人はとても背が高かった。多分俺より二十センチはでかい。
そして直に顔を見てもやはり見覚えがないけど、営業にも見えない。
不審がる俺をよそに、その人は胸に手を当てて、こう名乗ったのだった。
「はじめまして、自分は焔の保護者……叔父です」
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こんな感じの転生現パロ小説本を9月のミラフェスで頒布予定です。小説ということ以外の形式は未定です。