そして星は最後まで瞬く(再録)(サリエリ)

 どれほどの間きらきら星を弾いていたかは分からない。
 いつしか夜空に、世界の終末を告げるように幾条もの流星が走り始めていた。濃紺のビロードに宝石を大量にばらまいたような星空を横切るそれらは不気味なほどに明るく、眩しく、鮮やかだった。
 鍵盤に指を運びながら星空を見上げ、サリエリは自分が強制的に座に退去させられそうになっているのを感じていた。
 それはそうだ。汎人類史の英霊である限り、人類史を守るためにこの地に喚ばれたサリエリが異聞帯と心中する事は恐らく許されない。
 おまけにマスター不在、聖杯もない状態でよくこれだけ長いこと現界出来ているものだと我ながら思う。
 ──この世界と心中しようというわけではない、だからもう少しだけ待ってはもらえないだろうか。
 そう念じながら、鍵盤を叩く。
 あるいは心中したとしても結局は何事もなく座に還されるのだろうか。それはその時になってみないと分からない。
 ただ、この演奏会だけは、この世界が終わるまで続けなければならないと思った。
「なんだあれ!」
 異変に気付いたのか、ピアノを聞いていたヤガの一人が空を指差した。
 ヤガ達は一様に空を見上げる。この世界の終末が間近に迫っている事を悟り静かに家族を抱きしめる者がいた。初めて見る光景に目を奪われ感嘆の声を漏らす者がいた。空を一度は見上げたものの、すぐにピアノに目を閉じて聞き入る者がいた。それぞれの反応を見せながらも、彼らはパニックになることはなかった。
 観客達の注意が逸れようと構うことなく、サリエリはきらきら星を奏でる。終末の始まりを告げる空に、静かに広がる白銀の大地に、きらきら星が吸い込まれていく。
 アマデウスはこうなることを理解していたのだろう、とその光景にサリエリは思う。
 「全てが終わった後」ということは即ち、この世界の終末が確定するということだ。消え行く世界とそこに住まう者達のために奏でられるきらきら星が葬送曲となることも、今の霊基の自分──アマデウス・ヴォルフガング・モーツァルトから全てを託されてしまったアントニオ・サリエリは、アマデウスとの約束を反故には出来ないということも、奴の掌の上だと思うと少し悔しくはある。
 夜とは思えない程、空が明るくなり始める。雪に覆われた銀色の大地が空の光を浴びて輝き始めた。
「ありがとうなあ、最後に素敵なものを聞かせてくれて」
 観客の年老いたヤガの一人が、サリエリに静かに声を掛けた。
「音楽、なんて聞いたのいつぶりだろうなあ……」
 ああ、この世界にもかつては音楽があったのだ。
 音楽を失ったこの異聞帯に、人類史がアマデウスと俺を喚んだ意味はなんだ、とサリエリは想う。人類史を守るため、だがきっとそれだけではない。それだけな筈がないと、自分のピアノに聞き入るヤガ達を見て思う。
 何しろ自分もアマデウスも、サーヴァントとしては弱いのだ。人類史を取り戻す戦いのためであるならアタランテやベオウルフ、ビリー・ザ・キッドがいたし、所詮は音楽家である自分達より戦闘向きなサーヴァントもたくさんいるだろう。
 どちらにしろ、あのイヴァン雷帝を封じ込めるのは自分とアマデウスにしか出来ないことではあったのだが、それだけではないだろうと、サリエリは感じていた。
 きっと、もう一つ。
 この異聞帯で、俺達にしか出来ない事があったから喚ばれたのだ。
「ああ、本当に綺麗な音だ……」
 老ヤガは呟いて、また静かに空を見上げた。
 この異聞帯でただ一つのピアノとただ一人の音楽家の周りに集まって、思い思いに最後の時を過ごすヤガ達を見ながら、サリエリは微笑んだ。
 ──音楽のない世界に、最後に音楽を届けられた。
 ──お前が望んだのはこの光景だろう、アマデウス。
 そのきらきら星が例え葬送曲であったとしても、彼らの最後が安らげるものであるように。
 いずれ終わる世界であると知りながら、その最期が安らかであるようにと願ってしまったがためにこの世界での霊基を終えたあの男が、自分に託した願い。自分にしか託せなかった願い。
 ──アマデウスは分かっていたのだろう。俺達はきっと、この世界を見送るためにここに喚ばれた。人類史の為に滅ぶ世界を優しく葬送するために。
 葬送曲は、死に向かう者達を等しく見送る。その最期が安らかであるようにと。
 例え無かったことになる世界だとしても、あってはならない異聞の世界だとしても、確かにそこに生きる者達がいる。音楽を受け取る者達がいる。故に、サリエリは尽き掛けている力を振り絞って鍵盤を叩く。
 ──アマデウスのことだ、音楽が無いまま滅びる世界には我慢がならなかったんだろうが。
 空からの光が一層強くなり、目を開けているのがやっとなほどに世界に光が溢れる。だが構うことなく、指を動かし続ける。
 ──ならば俺はこの世界の最期を音楽で満たして見せよう。この世界と、この世界に生きた者達の最期を、お前が望んだ音楽で見送ろう。
 それはサーヴァントとしてではなく、アントニオ・サリエリとして。聴衆がいる限り、彼は音楽を奏でる。
 やがて唐突に、光は収まり。
 静けさの中に、きらきら星の最後の音が吸い込まれていった。
 全てが終わったことを悟り、サリエリは途方もなく広がる青空を見上げた。もう指一本動かす力すら残っていなかった。
 ──ただの「アントニオ・サリエリ」として現界出来るのは、これが最初で最後だろう。
 ──悪くはなかったな。
 復讐者として在ることを定められてしまった無辜の怪物は、ただの音楽家として在る事が出来た世界が消えてしまった事を少しだけ惜しく思う。だが、不思議な清々しさはあった。
 あの神才のために、あの神才の友として力を振るうことが出来た今の霊基があったことを次の霊基の自分が覚えていられるかは怪しいが、今の自分が満足出来ているのだからもうそれで良い。
『うん、いい演奏だったじゃないか。僕ほどじゃないけどさ』
 ふと、そんな声が聞こえた気がして。
「そういうところだ、アマデウス」
 思わず吐いた悪態は辛うじて最後の音になり。白い大地だけが、そこには残された。

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アマとサリはガンにはまだ効かないがそのうち効くようになる

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