ふかきそこから(※クトゥルフ神話パロ)(レジェ)

レジェのクトゥルフ神話パロ?です

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北村想楽はその日、クリスと事務所の待機スペースで向かい合わせに座りながら次の仕事までの時間をどうということない雑談で潰していた。

「深きものども、ですか」
「うん。クリスさん、深きものどもとかダゴンとか、クトゥルフ神話は知ってるのかなーって」
「無論です。海を題材とした神話は数ありますが、海がキーファクターとなる創作神話の中でクトゥルフ神話は最も広く人口に膾炙したものですから」
「ふーん」
この人は海についてなら本当になんでもありだなー、と思いつつ想楽は賢が淹れた番茶をすすった。
「ですが何故突然クトゥルフ神話の話など?」
「この前、バイトしてた雑貨屋にちょっと用があって行ったら、店頭で特集しててねー。TRPGのルールブックとか置いてあって」
「なるほど。そう言えばクトゥルフ神話は、ラヴクラフトやダーレスの作品だけでなくテーブルトークRPGが日本では主流なのでしたね。Call of Cthulhuと言いましたか」
クリスは頷くと、目を輝かせながら身を乗り出す。
「深き海の底に眠るかつて地球を支配した神、その神を信奉し我々の中に紛れて暮らす海を故郷とする者達……大いなる海の神秘を感じませんか?」
「うーん、いつものクリスさんだなー」
苦笑しながらお茶請けのどら焼きをかじる。恐らくこういう話は雨彦の方が相手にするのが得意なのだが、雨彦は到着がもう少し遅れるという。
「クリスさん的にはクトゥルフ神話もアリなんだねー」
「ええ。クトゥルフ神話は、海に纏わる神秘らその可能性の宝庫です……そう、海には大いなる神秘が隠されているのです」
「え?」
クリスの声色がいつもと違う気がして、想楽は思わず長い髪の陰になったクリスの顔を見つめた。
ふと、ぞわりと急に背筋に冷水が流れたような感覚がした。
目の前にいるクリスが何故だか自分がよく知るクリスのようには思えなかった。その長い髪の隙間から覗く目は陰って深い紺色をしているように見え、その目を見ていると想楽は全身に震えが走るような気がした。
決して感じる筈のない嫌悪感のようなものが、今目の前にいる男に対して何故だか体の内から湧き上がって来るように感じてしまう。想楽は寒気を感じながら恐る恐る口を開いた。
「……クリスさん?」
「おっとお二人さん、遅れてすまないな」
聞き慣れた声と共に、ぱきん、と頭の隅で薄氷が割れたような音がした。
「おや、遅かったですね雨彦」
そう言ってクリスが顔を上げる。想楽も釣られて顔を上げると、いつの間に事務所に到着していたのか、雨彦が立っていた。現れた雨彦を見上げるその笑顔はいつものクリスで、嫌悪感のようなものも全く感じられず、想楽は内心で胸を撫で下ろした。
「そうだ古論、プロデューサーが呼んでたぜ」
「おや、ありがとうございます雨彦。では私は少し席を外します、想楽」
クリスは立ち上がり、にこりと笑って立ち去って行った。
ああ、いつものクリスさんだ。改めてそう思い安堵から息を吐き出すと雨彦が立ったままひょいと身を屈めて想楽の耳元で囁いた。
「……北村、『見た』な?」
「っ!」
先の悪寒が蘇り思わず後ずさると、雨彦は「やっぱりな」と苦笑する。
「古論はたまにああなるみたいだな。いつもの海の話くらいならどうってことはないが……ま、その海の神様周りの話は避けることだ」
雨彦はそう言って笑うと、クリスが座っていた位置は空けつつ想楽の向かいのソファに座る。長い足を持て余すようにして組むと、ひょいと菓子盆に盛られたお茶請けのどら焼きに手を伸ばした。
「……雨彦さんは、クリスさんがああなる理由、何か知ってるのかな?」
「いいや、詳しくは知らないさ。古論も自覚はないようだな」
雨彦はどら焼きの封を開けてぱくりと一口、しばし咀嚼し喉仏を上下させてからまた口を開いた。
「俺に出来るのは、ああなったら適度につついて元に戻すことくらいだ」
「……そっかー」
こんな言い方をされれば、この食えない男にどう食い下がっても無駄だろうということは経験上分かっている。そして、本当に雨彦もクリスのあの状態についてはよく分かっていないのであろうことも、経験で分かる。
「……もっとも、どっちが『元』なのかは俺には分からないがね」
「……」
雨彦の言葉が何時になく重く聞こえ、想楽は不安を誤魔化すかのように湯呑に手を伸ばす。番茶はいつの間にか冷め切っていて、冷水が喉を通るような心地がした。
ふと、その温度に想楽は思い出した。

──あの時のクリスさんの目、夜の海に似ていたな。

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