スノードーム(再録)(ソーヒカ)

 ニューヨークのホリデー・シーズンは、町中がどこもかしこも煌びやかに輝いている。
 町全体が刺すような冷気に包まれていても、温もりのこもった光が町を包んでいるせいか、頬をピリピリと刺激する寒さは不思議と気にならない。
 大きな通りに出ると、ソーは目を見開いてぐるりと周りを見渡し、そして呟いた。
「これは全て魔法ではなく……?」
「電気だよ」
 夜の帳が降り始めた町には、色とりどりの電飾が輝き始めていた。ビルの前に立っている大きなツリーには大きなボールや雪の結晶のオーナメントが飾られ、ライトアップを反射して煌めいている。街の喧騒の中には、クリスマスツリーやサンタクロース、雪だるまが描かれた色鮮やかなショッピングバッグを持つ人々が目立つ。街頭のスピーカーからはクリスマス・ソングや賛美歌が流れ、喧騒をより華やかなものにしていた。
「ソー、クリスマスは別に初めてじゃないんでしょ?」
「ああ……だが、いつもは遠巻きに眺めているだけだった。まさか下に降りて見てもこんなにも美しいとは」
「うん、凄いよね……日本もクリスマスになると色んなところが飾り付けをがんばるけど、こんなに凄い所はまだまだないかな」
 建物の外壁に大きな赤いリボンがプレゼントの箱のように結ばれているデパートを指して、ソーが「あれも……」と声を上げたのでヒカルはすかさず「魔法は使ってないと思うよ」と答えた。
「人間の力は凄いのだな!」
 はしゃぐソーに、ヒカルは「そうだね」と微笑んだ。
 寒さに強いからか、ソーは普段着の上から薄手のコートを一枚羽織っているだけだ。ダウンジャケットにマフラーを巻き、手には手袋をはめている自分と並ぶと、身長差も相まってとても目立つ、とヒカルは思う。その上ソーはスーパーヒーローなのでかなりの有名人……有名神だ。外を歩く時はいつも知らない誰かに声を掛けられたりしないかと勝手に冷や冷やしているが、今のところばれたことはない。どうやら、顔を隠さなくともこうも堂々と洋服を着て歩いていれば案外ソーだとは思われないものらしい。しかし念には念を入れて、ヒカルはポケットの中にソーがいつでもかけられるようにサングラスを忍ばせていたりはするのだった。
「とりあえず出て来ちゃったけど、ソーは何が食べたい?」
 そう尋ねると、ソーは心ここにあらずと言った感じでそわそわと視線をあちこちに泳がせている。
「ソー?」
 名前を呼ぶと、ソーははっとしてヒカルを見た。
 そして少し気まずそうに口をぱくぱくさせてから、
「ま、まずはこの美しい街を堪能してからでもいいだろうか……」
 子供のような表情のソーに、思わず吹き出す。
「あはは……もう、ソーったら」
「な、何かおかしいのか?!」
 狼狽えるソー。ヒカルはひとしきり肩を震わせてから、「ごめんごめん」と謝る。
「分かった。じゃあ、ぐるっと歩こうか。何を食べたいか考えておいてね」
「ああ」
「それじゃ、スノードームを売ってそうなお店に入りながら、ロックフェラー・センターの方にも行ってみようか。あと、スタークタワーもイルミネーションが凄いんだよ」
「そうか!どれ、アイアンマンがどれほどのものか見に行ってやろうではないか」
「ほら、こっち」
 ソーの手を引いて歩き出す。固くて大きな手の温かさが手袋越しにも伝わって来た。頬が不思議と熱くなり、寒さもいつの間にか感じなくなった。
二人は人混みをかき分けながらニューヨークの町を進んでいった。
 ラッパを天に向かって吹き鳴らす光り輝く巨大な天使たちや、天に向かって伸びる光に包まれたツリーの上で楽しそうに踊る妖精たち。道端には、ソリの上でギターをかき鳴らすサンタや、サングラスをかけたトナカイもいた。
スノードームを探しに店の中に入れば、どの店もクリスマス一色の可愛らしい装飾がそこかしこに施されている。しかしソーの気に召すものはなかなか見つからないようで、2人は店に入ってもすぐ出てはまた夜の光に溢れる町を歩いた。
 ソーの歩幅が大きかったのかヒカルの歩みが遅かったのか、いつの間にか2人は並んで歩いていた。無論、その手は離れぬまま。
 ヒカルが横目でソーを見ると、ソーは微笑んでいた。とても穏やかで、優しい笑みだった。ソーが見ているのは、イルミネーションの光を浴びて楽しそうに笑う人々だった。ソーのその顔を、人間達を優しく見守るその横顔を見て、思う。
 ああ、やっぱりソーは神様なんだ。
「ヒカル」
「え?」
「雪だ」
 ソーの言葉に上を見上げると、イルミネーションの光に紛れて見えにくいものの、確かに白くて冷たいものが空からはらはら舞い降りていた。
「わあ……」
 手を差し出すと、雪が手袋の上に止まる。
「まさかソーが降らせたの?」
「私は力を使っていない」
「だよね。凄いなあ、今年のニューヨークはホワイトクリスマスだ。明後日の飛行機ちゃんと飛ぶかなあ?」
「酷くなりそうであれば私が晴らす」
「それじゃ、その時はお願いしようかな……あっ、あそこのデパートに大きな雑貨屋さんあるから見てみようか?」
「案内を頼む」
 ヒカルがソーの手を引いて入ったデパートの中の雑貨屋の品揃えは、今まで入ったどの店よりもスノードームの種類が豊富だった。ソーはそこで、アスガルドに持って帰るスノードームを4つ選んだ。
 サンタが乗ったそりを引く角が立派なトナカイ、明るい光の点る木組みの家、飾り付けが施されたすらりと伸びるモミの木、豪華な飾りを付けた白い馬たちのメリーゴーランド。
 ソーは地球では度々S.H.I.E.L.D.やトニー・スタークの手伝いを(半ば無理矢理)してはお金を稼いでいるので、ヒカルとの生活費を差し引いてもその懐はかなり温かいのだ。
「友達にあげるの?」
 雑貨屋から出て尋ねると、ソーは頷いた。
「ああ。角の生えた獣はシフ、家はヴォルスタッグ、木はファンドラル、馬はホーガンの分だ。彼らの話は何度かしているが、いずれヒカルにもちゃんと紹介しよう。ヒカル、アスガルドに行ってみたいと言っていただろう」
「うん。ソーの故郷にに行ってみたいし、ビフレストっていうのにも興味があるからね……自分の分は買わないの?」
「? ヒカルの物があるのだから私の分は必要ないだろう」
「あ……そ、そっか……」
 頬が熱くなり、何と返せばいいものか分からなくなる。ソーはそれに気付かず、
「では食事と行こうか」
 と楽しそうに言うのだった。

 食事を終え、レストランから出てアパートに帰り着く頃には、町はうっすらと雪化粧を施され始めていた。
「アスガルドでは雪は珍しい……他の世界でなら雪は何度も見た、だがアスガルドの地で見たことはあまりない」
「そうか……地球は星の中であちこち気候が違うからなあ。その辺りの違い、もう少し詳しく調べてみたいな」
 2人がアパートの前に辿り着き、ヒカルがエントランスをくぐろうとした時。
「待て、ヒカル。少しだけ、良いか?」
「何?」
 呼び止められて振り向くと。
 そこには鎧と紅のマントを身にまとい、ムジョルニアを手にしたソーがいた。
「……えっと」
 目をぱちくりさせる。
「どうしたの?」
「久しぶりに、飛ぼうと思うのだが」
「え? ……え? 飛ぶって?」
 何が何だか分からず聞き返すと、ソーは手を伸ばしてぐいとヒカルの肩を抱き寄せた。少し冷たくて硬い鎧が頬に押し当てられる。
 ああ、懐かしいな。
 そう感傷を覚えるも束の間。
「しっかり捕まっていろ!」
「?!」
 ソーの掛け声と共に、重力に逆らって上方に勢いよく引き上げられる感覚。耳元で冷たい風が甲高く鳴り始める。目に強く当たる冷たい風に反射的に目を閉じる。顔に当たる風とばさばさと乱れる髪が頬に当たる感触で、自分がソーに抱えられて飛んでいるのだと気付いた。
 ソーにしがみ付くと、ソーがより強く抱き締め返してきた。
 耳元の風はどれ程長く鳴っていたのか。いつの間にか、風は静かになっていた。
「目を開けてみろ、ヒカル」
 ソーの囁くような声に、恐る恐る目を開けた。
「下を見てみろ、美しいだろう」
 少し首を捻り、宙ぶらりになっている足元を見て、
「わあ……」
 思わず感嘆の声が漏れた。
 足元のずっと下方には、マンハッタン島をくっきりと象る色とりどりの光の洪水が広がっていた。高層ビル群やがその中に屹立し、光の海に凹凸を生み出している。自分達より遥か頭上から降る雪が、その中にはらはらと舞い落ちていく。
「この景色は、この時期に地球に来る度目にしてはいたのだがな……ヒカルは、この景色をここから見たことは無いのだろう?」
「うん……凄い、凄いよ」
 自然と目頭に熱い物がが込み上げて来た。上手い言葉が見つからずに、ただ同じ言葉を繰り返すことしか出来ない。
「それだと見にくいか」
「え、うん少し……うわ?!」
 膝の下にソーが腕を回したと思ったら、軽々と横抱きにされた。顔を上げればすぐ近くにソーの顔がある。急にそんな事をされたものだから、頬が火が付いたように熱くなる。
「どうだ、これで少し見やすくなるのではないか?」
「う、うん……ありがとう……」
 心拍数がどんどん上がっていくのを感じる。
 ソーは恥ずかしげもなくこういう事をしてくるのだから恐ろしい。
「ところでヒカル、思ったのだが」
「何?」
「スノードームのようだな、この景色は」
「え……」
 鼓動の異常な高鳴りはまだ収まっていないが、改めて眼下に広がる景色を見る。マンハッタン島の中に込められた光の海の上に舞い落ちて行く雪。それは確かに、巨大なスノードームのように見えた。
「……本当だ。大きなスノードームだね」
「そうだろう」
 ヒカルは手を伸ばし、舞い散る雪にそっと触れた。
「じゃあここは、大きなスノードームの中だね……」
 自然と、満面の笑みがこぼれる。
「ありがとう、ソー。素敵な景色を見せてくれて」
「私からの贈り物だ。クリスマスには大切な人に贈り物をする風習があると、アイアンマンから聞いたことがある」
「あはは、そっか。プレゼントか……こんな凄いプレゼントくれたらもうお返しできるものが無いや……」
「お前が傍にいるだけで十分だ、ヒカル」
「……ありがとう」
 ヒカルは背筋を伸ばすと、ソーの首に腕を回して抱き締めた。
 ソーに優しく抱き締め返され、その温かさに自然と涙が零れた。
 この時間が永遠に続けばいいのに、と思ったが、それは無理だ、とまだ冷静を保っている理性が否定する。それでもせめて、この景色と温かさは、永遠に心の中に留めておきたいと願わずにはいられなかった。

 そう、スノードームのように、この美しい一瞬を切り取って。
 いつまでも、心の中の一番大切な所に飾っていたい。

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この話を書いたのは放送時ですが今でも特に気に入っている話の一つです。