「あ、これ愁の消しゴムだ」
寮の机の上を片付けている時に出て来た消しゴムを見て、虎石は呟いた。幼馴染みが使っている消しゴムは、自分が普段使っている消しゴムとは違うメーカーのものなのですぐに分かる。とは言え、
「……これ借りたのいつだっけ」
新品同様の消しゴムを目の前に掲げてみるが、分かる筈もない。
そう言えば消しゴムの他にも色々借りていた気がする。そう気付いた虎石は自分の机周りやベッド周りを引っくり返した。引っくり返したところ、
「うわ……めっちゃある」
学校指定の学生鞄がいっぱいになりそうな、いや、学生鞄が閉まらなくなりそうな量の借り物がごろごろと。ペンや消しゴムを初めとした文房具から生活用品、あげく英和辞書やら抱き枕まで。
虎石は床に広げたそれを眺めて頭を抱えたが、すぐに決意した。
「返そう。よし、即刻返そう」
虎石は私物のボストンバッグを引っ張り出すと、幼馴染みから借りた物を次々と放り込んでいった。ボストンバッグはあっという間に満杯になり、持てばその重みをずっしりと手から腕にかけて感じる。
「これで終わりだよな……?」
借りた物は一応全部入れた筈だが、「何か忘れているのでは」という不安感が付きまとう。しかし今はこれを返しに行くのが先だ。そう自分に言い聞かせ、虎石は幼馴染みの寮室に向かうために部屋を出た。
階段を下ろうとすると、ちょうど階段を上がってきたチームメイト兼クラスメイトの卯川に遭遇した。
「あれー、虎石君どこか出掛けんの?そんなデカい鞄持って」
虎石の鞄を興味津々で見る卯川。虎石は肩をすくめた。
「ああ、ちょっと幼馴染みの部屋に借りたもんを返しにな」
「借りた物……え、鞄の中身?」
「そうだけど」
卯川は虎石のボストンバッグに手を伸ばし、ぽんぽんとそれを叩いた。そして、
「うわ何これぱんぱんじゃん」
「思ったより色々借りててさー」
「借りててさー、じゃないでしょ?!こんなに沢山の物借りてて返してなかったの?借りパクでしょそれ!うわ引く!」
「だから今から返しに行くんだよ……じゃあな」
長々と卯川の相手もしていられないので、虎石はひらひら手を振り卯川と別れた。
幼馴染みは同じ寮の別の部屋に住んでいる。部屋の番号は知っているが、実際に訪問したことはまだない。住んでいる階が違う上に生活サイクルもかなり違うので、寮の中で会うこともあまりない。
(えーっと……ここで合ってるよな。空閑愁と月皇海斗……っと)
幼馴染みの部屋のドアの前に立ち、ノックする。
ガチャリと鍵が開く音の後、そっとドアが開いた。
「……空閑に何か用か」
部屋から出てきたのは幼馴染みの方ではなく、月皇海斗だった。
「愁は?出掛けてる?」
「ああ」
「じゃあちょっとお願いしたいんだけどさ、これ愁に渡しといてくんね? 愁に借りてた物なんだけど」
「……?」
ボストンバッグを差し出しながらそう言うと、不思議そう――と言うより不審そうな顔をしてきた月皇。やっぱ怪しむよな、と思いつつ虎石は弁解する。
「別に怪しい物じゃねーって、消しゴムとかシャンプーとか色々入ってるだけだから」
「ますます怪しいんだが……」
「大丈夫大丈夫、愁に渡せば分かってくれるから」
すると月皇ははあ……と溜息を一つ吐き、
「……分かった。ひとまず空閑が帰って来るまで預かっておく」
「頼む。重いから気を付けろよ」
「ああ」
ボストンバッグを月皇に手渡す。月皇がボストンバッグをしっかり持ったのを確認して手を離すと、持ち手がしっかり月皇の手に握られたままどさっと音を立ててボストンバッグが床に落下した。
「?!」
月皇は身を屈めた状態でバッグの持ち手を持ったまま、予想外の重さに唖然としている。
「だから言っただろ……大丈夫か?」
「いくらなんでも重すぎるだろう?! いったい何が入っているんだ」
「だから色々だよ、色々……とりあえず愁に渡しといてくれよ、頼むぜ」
「……分かった」
月皇はなんだか釈然としていない風だったが、虎石は「それじゃ」と部屋の前から立ち去ったのだった。
「さっき虎石がお前に荷物を届けに来た。ベッドの前に置いてある」
「虎石が……?」
バイト先から帰宅するなり、勉強机に向かっていた月皇にそう言われた。空閑は不思議がりつつも二段ベッドの前を見た。なるほど、見覚えのあるボストンバッグが置かれていた。やたらと膨らんでおり、どうにかして口を閉めているといった風だ。
「借りた物を返しに来た、と言っていた」
「……ああ、成る程な」
これまで虎石に貸しては返ってこなかった物の数々を思って納得しながら、空閑はボストンバッグを開けた。興味を隠せないのか、月皇が勉強机からこちらを窺っている。
「……何が入っているんだ?」
「どれも大したものじゃない……これ、受け取っといてくれたのか」
「ああ」
「悪いな、重かっただろ」
「重すぎて呆れたよ」
ボストンバッグに入っていた一通り取り出し、床に広げる。
大きいものは抱き枕から、小さいものは消しゴムまで。シャンプーのような生活用品や携帯電話の充電器、どうして貸したのかもよく覚えていない小型のドライバーセットもある。
月皇が呆れたというのも納得の量の返却物をずらりと並べるとなかなか壮観だった。
空閑はポケットからスマートフォンを取り出すと虎石から返って来た物を真上から撮影し、その写真をそのままLINEで虎石に送り付けた。それからまたスマートフォンをしまい、返って来た物をあるべき場所に戻して行く。するとやたらすっきりしていた自分のスペーズがどんどん雑然としていく。
どうせまたすっきりしていくんだろうけどな、と心の内で呟き。
「これ、返してくる」
すっかり空になったボストンバッグを月皇に見せながら言うと、月皇は一つ頷き、また勉強机に向き直った。
虎石の部屋へ向かって階段を上っていると、階段を下りて来たチーム柊の申渡とすれ違った。
「よう」
挨拶すると、申渡は「どうも」と頭を下げながら返してきた。それから空閑が持っているバッグを一瞥。
「もしや、虎石君に何か用ですか?」
「まあな」
「……成る程。大方、虎石君がそのバッグに入れて君に大量に物を返しに来て君がその虎石君の物であるバッグを返しに行くところでしょうか」
「よく分かったな」
「忘れ物が多い上に明らかに虎石君の私物ではない物を多く所持していましたからね、彼は。忘れ物に気付くとすぐそちらのクラスへ行っていたようですし」
「慣れてる」
「そうですか……いえ、そちらが良いのなら構わないのですが。では、また」
申渡は律儀にまた一礼し、階段を下って行った。空閑は階段を上り切り、廊下を歩いて虎石の部屋へ向かおうとする。しかしあまり広くない筈のフロアで虎石の部屋がどこにあるのか分からず――部屋の番号は知っているのだが――、体感で一フロアを三周ほど。バイト上がり直後の脚に少々堪えると思い始めたところでようやく虎石の部屋を見付けた。
ドアをノックすると、「あいよー」という虎石の声での返事の後にドアが開いた。
「おっ愁!」
「返しに来た」
空のバッグを差し出すと、虎石は「ありがとな」と言いながら受け取る。
「お前忘れ物多過ぎ。少しは遠慮しろ。無理ならさっさと借りたもん返せ」
「いやほんといつもありがとな愁。今度何か奢るわ」
人好きのする笑顔を浮かべる幼馴染の悪びれない様子に、こりゃまた明日にでも同じことをするな、と密かに確信する空閑。
「そうだ愁、お前肉食いたくねえ?国道沿いにあるファミレスが食べ放題やってるらしいんだけど、今度そこ行こうぜ」
国道沿い。ファミレス。食べ放題。しばし記憶を辿り、あそこの茶色い看板の店か、と検討を付ける。信号のすぐ目の前にある店なので、店の前ののぼりや広告なんかも思い出せる。ステーキとハンバーグに、スープやサラダ、パンやライスが食べ放題と謳っていた。
「……悪くないな」
「だろ?お前のバイトも俺のデートもない日に行こうぜ」
そんな日はなかなかない気がするのだが、悪くない提案なので空閑は頷いた。
「そうしよう」
「決まりだなっ!」
「ところで虎石、お前LINE見たか」
「LINE?」
空閑の質問にきょとんとした顔をする虎石だったが、すぐにズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。そしてしばしスマートフォンを操作し、呻く。
「……愁、マジでごめんな……」
「気にするな」
「ドリンクバーも奢ってやる」
「よし」
小さい頃からこの手のやり取りは何度もやってきたとは言えあまりいじるのも可哀想なので満足げに頷くと、虎石はほっとしたような顔になった。そして頭を掻き、
「そうだ愁……こんな時に何だけどよ」
「どうした」
「明日バイク貸してほしいんだけど、お前明日バイト入ってる?」
「……鍵は明後日で良い」
幼馴染の借り癖は、高校生になってもまだまだ治りそうになかった。
終わり……?
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最初に書いた空閑と虎石です。
2015年11月には書いてました。
抱き枕借りパクの意味は未だによくわかりません。