夏の日暮(再録)(アカツキ兄弟)

「アキラ、もうすぐバスの時間だぞ」
「うん……」
 ヒカルは腕時計に視線を落とし、墓碑の前に膝を抱えて座り込んだままのアキラに声をかけた。アキラの返事は心ここにあらずといった風で、ヒカルは苦笑いを浮かべた。
 空を見上げれば水色の中にもうオレンジ色がにじみ始めている。セミの鳴き声もいつの間にか、じりじりとやかましいアブラゼミ達のそれから悲しげなヒグラシ達のものになっている。空気も先までのうだるような暑さが少しずつ緩み始めているようだ
 お盆に兄弟二人だけで母親の墓参りに来るのはこれで二度目になる。昨年の母の命日を含めれば三度目だ。渡米中の父親からの連絡は一切なし。時々家に来ては自分たちの世話をしてくれている叔母も夏休みの期間ばかりは自分の家の方で手一杯なので、父が渡米してからは、お盆を含めた夏休みは兄弟二人だけで過ごすのが当然のことになっていた。そもそも父親だって元から研究であまり家にいないのだ、父から一切連絡が来なくなったということくらいしか変わりがない。
 それでも時々、ヒカルの目から見たアキラは寂しそうに見えた。あまりそれを表に出しはしないものの。
「……アキラ。今の時間のバスを逃したら駅まで歩いて行くことになるよ」
 ヒカルはアキラの傍にしゃがみ込み、軽くその肩を叩いた。
 するとアキラが小さく身動ぎした。
「なあ兄さん……」
「何?」
「父さん、今年も連絡して来なかった」
「……そうだね」
「父さん何やってんだろ……何でお盆にも母さんの命日にも、クリスマスにも……俺や兄さんの誕生日にも連絡して来ないし」
「父さんが連絡して来ないのなんて、いつものことだろ」
「そうだけどさあ……」
 自分の腕の中に顎を埋めたアキラの目は、真っ直ぐに母親の墓石を見ていた。
「こういう時くらい連絡して来てもいいじゃんか……」
「じゃあアキラは、父さんが嫌い?」
「むう……」
 アキラが頬を膨らませる。
「兄さんズルい……」
「あはは。さ、帰ろ」
「うん」
 ヒカルは立ち上がり、アキラに手を差し出す。アキラはあっさりヒカルの手を取った。ヒカルに引っ張られ、アキラは立ち上がる。
「荷物持つよ兄さん」
「ありがとう。それじゃ、こっちお願い」
「うん」
 スポンジやたわしが入った小さなバッグをアキラに渡すと、ヒカルはその他諸々の仏具が入ったトートバッグを持ち直した。それから腕時計を覗き込み、表示されている数字にぎょっとした。
「うわ、もうすぐバスが来る! 走るぞアキラ!」
「わあ!! ごめん兄さん!」
「いいから走って!!」
 バス停に向かって走りながらも、バスには間に合わないかなあと頭の片隅でヒカルは思った。
 もし間に合わなかったら、今日の夕ご飯は外食にしよう。久々の外食だ、アキラが食べたいものをお腹いっぱい食べさせてあげよう。
「兄さん、バスが!」
「あっ……ああ~……」
 視界の遥か前方、バス停から既に発車してしまった路線バスの姿を捉え、ヒカルは苦笑いしながら走る速度を緩め、やがて立ち止まった。
「間に合わなかったね……」
「ううっ……兄さんごめん……」
 後から走って来たアキラががっくりと肩を落とすので、ヒカルは「仕方ないよ」とアキラの肩を叩いた。
「駅まで歩こう」
「三十分歩くのかあ……」
「しょうがないだろ。そうだ、帰ってからご飯作ったら時間遅くなっちゃうし、今日はレストランにでも入ろうか。アキラの入りたいところで良いからさ」
「ホント?! やったー!!」
 先までの沈み顔はどこへやら、アキラは満面の笑みを浮かべながら両腕を天に突き上げた。その様子を見てヒカルは胸を撫で下ろす。
 よかった、いつものアキラだ。
「それじゃ、行こうか」
「うん! 早く行こう兄さん!」
 自分より先を歩き始めたアキラの背中を見ながら、ヒカルはその後ろを歩く。
 父の不在でアキラが寂しい思いをしているのは分かっているし、自分ではその寂しさを消せないことも分かっている。それでも、アキラが少しでも寂しい思いを和らげることが出来るのなら、それでいい。
親にはなれなくても、『親代わり』にならなれる。
「父さんには適わないなあ……」
 ほとんど無意識に発せられた蚊の鳴くような呟きは、ヒカル自身の耳にも届くことなくひぐらしの合唱の中に溶けてかき消されたのだった。

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放送時に書いたものです。
兄さん幸せになって