夏色模様(再録)(空閑と虎石他)

合宿の合間のあれこれを空閑虎石中心で考えてました。
なゆかわいい。

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「お醤油が無くなりそう……」
 昼食を終えて片付けをしていると、冷蔵庫の中身をチェックしていた那雪が呟いた。
「ええっ、もう?早くない?」
 皿を洗っていた卯川が言うと、「毎食12人分作ってるしね……」と那雪は苦笑する。
「とりあえず、明日の朝までの分は必要かも」
「チーム柊は、今日は五時には練習を終えます。緊急で必要なら誰かに買いに行かせましょうか」
 卯川と並んで皿を洗っていた申渡が提案すると、那雪は少し考え、
「その時間にはうちのチームも練習終えてるから……うん、じゃあ誰かに買いに行ってもらおうか」

***

「という訳で麓のコンビニかスーパーまで誰かに醤油を買いに行ってほしいので、じゃんけん大会をやりまーす!」
 夕方五時過ぎ。稽古部屋の舞台に上がった那雪は、マイクを握ってチーム鳳・チーム柊のメンバーにこう宣言した。
「鳳先輩とじゃんけんをして、最後まで勝ち残った人にはお金を渡すので、お醤油の一リットルボトルを一本買ってきて貰いまーす!」
「はいはい那雪、しつもーん!」
「何かな星谷君?」
「醤油買った人に何かご褒美ある?!」
「明日の夕飯、好きなメニューを僕に注文出来まーす!」
「おおー!」
 一斉に色めき立つ、那雪に胃袋を握られている男子高校生達。主に星谷と戌峰。
「それじゃさっさと買ってきて欲しいので、鳳先輩お願いします!」
 傍らに立つ鳳にマイクを渡し、舞台から下りた那雪は星谷の横に立つ。
 マイクを受け取った鳳は、壇の下の後輩達にウインクひとつ。
「オーケー那雪。それじゃボーイズ、行くよー。じゃーんけーん……」

 最後まで勝ち残ったのは、若干眠そうな顔をしている空閑だった。
「空閑いいなー!」
 星谷が心底羨ましそうに言うと、月皇が呆れたように「お前は小学生か……」と突っ込む。
「だって那雪に好きなご飯作って貰えるって最高だろ?」
「……まあ、それは悪くないよな」
 天花寺が思わず同意の呟きを漏らす。
「それじゃ空閑君、出掛ける準備してくれる?五時二十分に玄関ホール集合ね」
 那雪に言われ、空閑はこくりと頷いた。
 そしてそんな空閑を心配そうに見るチーム柊メンバーが一人。
「虎石、どうかしたのかい?」
 辰己に声をかけられ、虎石は「いや、別に……」と頭をかく。
「ただあいつ、方向音痴だからさ……大丈夫かなって。まあでも、流石にもう高校生なんだし大丈夫か……」
 すると辰己は「そうかな」と首を傾げた。
「あんまり大丈夫じゃないんじゃない?この辺り、熊出るみたいだよ」

「それじゃ空閑君、お願いね」
 練習着から外出用の私服に着替えた空閑は、玄関ホールで那雪と落ち合わせた。那雪からトートバッグと合宿時専用の財布を渡される。
「念のため、これも持っていってください。熊避けの鈴とこの辺りの地図です」
 続いて、那雪の隣に立つ柊から銀色の大きな鈴と折り畳まれた紙を渡される。
「……熊防止の柵も直しましたし、麓まで出ることは殆どありませんが、念のため鞄に付けておいてください。それにここから最寄りのコンビニやスーパーまではかなり歩きますし、人通りも多くはありません。くれぐれも舗装された道から外れないように」
 空閑が地図を広げると、インターネットから印刷したと思われるこの辺りの地図に、屋敷・最寄りのコンビニ・最寄りのスーパーにピンクの蛍光ペンで丸が付けてあった。
「ありがとうございます」
「それじゃ、一リットルボトルで一本、お願いね」
「分かった。それじゃ行ってくる」
 空閑はトートバッグの持ち手に熊避けの鈴を付け、地図を手に踵を反そうとした。すると、
「ちょーーーーーーっと待った!!」
 ドタドタと言うと足音と共に、声楽科でありミュージカル学科候補生故のよく通る声が玄関ホールまで届く。
「……」
 空閑はよく聞き知った声に少し眉をひそめ、思わず足を止めた。
「?」
 那雪は驚いて声のした方を見るが、柊は声のした方を見向きもせず呆れたように息を吐き出す。
「なんですか、騒がしいですよ虎石君」
「すんませんっ!」
 階段を駆け下りて来たのは、今頃は他のメンバーと一緒に入浴中な筈の虎石だった。
「愁、俺も行く!」
「え?虎石君も?」
 那雪が首を傾げると、虎石は勢いよく空閑を指差す。
「こいつ、方向音痴なんで!」
「え、そうなの空閑君?」
「……地図くらいなら読める」
「東と西を右と左で覚えてるようなやつが言っても説得力がねーし、だいたいそう言って昔何回道に迷ったよお前!そんで俺が何回探しに行ったと思ってんだ」
「お前が言うほど多くねえ」
「いや絶ッッッ対忘れてるだけだっつの」
 那雪はきょとんとしながらも空閑と虎石の間でしばし視線を往復させ、
「空閑君、ちょっと地理弱いなって思ってたけどそっか……そうなら早く言ってくれればいいのに」
 そしてにっこり笑い、虎石に向き直った。
「それじゃあ虎石君、空閑君と一緒に行ってくれる?」
「任せろ」
「そうですね、一人で行くよりは二人の方が安全です。頼みましたよ虎石君」
 柊の言葉に虎石はびしっと敬礼。
「了解っす」
「勝手に来といて何言ってんだお前」
「お前には言われたくねぇよこの方向音痴。それじゃ行ってきまーす!」
「……行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
「気を付けるように」
 那雪は手を振って、柊は腕を組んで、玄関から外へ出ていく空閑と虎石を見送ったのだった。

 さて、屋敷から一歩外に出た幼馴染み二人。空閑は合宿初日に歩いて来た道を下りながら、虎石を横目で睨んだ。
「……お前な」
「はいはい悪かったって」
「もうガキじゃねえんだぞ」
「それ中二の時にも聞いた」
 やたら細かいことを覚えている。普段甘えてきてばかりのくせに変にお節介な幼馴染みに、眉間に微かな皺を寄せる空閑。虎石はわざとらしく肩をすくめてみせた。
「この辺熊も出るって話だし、二人で行くに越したことはねーだろ」
「お前のチームメイトのことか?」
「あいつは熊っつーか犬だから」
 軽口を叩き合いながら歩く山道は、強い夏の日差しのほとんどが木々を通して柔らかく、空気は清涼で、心地よく澄んでいる。時折吹く風は、練習を終えたばかりで少し汗ばんでいる体を心地よくクールダウンさせてくれる。
 虎石は深呼吸し、それから大きく伸びをした。
「しっかし山の空気ってうまいよなー」
「だな」
「やっぱすげーんだな、柊先輩の家。この辺すごい別荘地だし、この山全部柊家の物らしいぜ」
「山もなのか」
 一歩踏み出す度にトートバッグに下がった熊避けの鈴が大きな音を鳴らす。虎石はそれも気にせず喋り続け、空閑は適度に相槌を打つ。
 山を下りたところにあるコンビニまでは歩いて二十分かかる。二人は時々地図を確認しながら、装され道の脇に柵が立っている道を下って行った。
「そうだ愁、お前明日那雪に何作ってもらうか決めた?」
「決めてねえし決める気もねえ……あいつの作るもんならだいたいなんでも美味いし」
「こ、この贅沢者め……」
 料理下手な母親に育てられた虎石は思わず拳を握ってぷるぷる震える。
「お前も合宿中は毎日あいつの飯食えるだろ」
「お前ら毎日あのレベルの飯食ってんだろー?食べ物の味とかまっっっっったく気にしないくせに食事には恵まれてるよなお前……」
「あ、コンビニ」
 山をもうすぐ下り終えるところで、よく見慣れたコンビニチェーンの看板が木々越しに見えた。
「醤油、でかいボトルだろ?コンビニにあんのかな」
「見とくに越したことはないだろ」
「それもそうだな」
 山道を下りきり、空閑は熊避けの鈴をトートバッグから外して中にしまう。
 山道から出れば狭い道路と、道端に看板だけが立っている歩道が二人の前を横切るように延びている。人はほとんど歩いていないし、道路はたまにバスや車が通るくらいだ。
 空閑はきょろきょろ周囲を見渡し、コンビニの看板を探す。
「あそこ」
 虎石に肩を叩かれ、指差す方を見る。反対側の歩道の、ここから五分とかからないような場所にコンビニが見えた。
「行くか」
「おう」
 やたらと広い駐車場併設のコンビニは、別荘地という立地と夏休みという時期ゆえか食材や調味料の品揃えが充実していた。少なくとも、綾薙学園の近くにあるコンビニよりは。
 これなら醤油もあるのでは、と期待したものの。
「……ねえな。一リットルボトル」
「ねえな」
「ちっせー瓶ならあるのにな……」
 売り切れているのか元々置いていないのか、那雪から頼まれたサイズの醤油は見当たらなかった。
 二人はそそくさとコンビニから出ると、駐車場で一旦地図を広げた。
「スーパー行くっきゃないかー……」
「地図だと、そんなに遠くねえな」
「まだ歩くのかー」
「文句言うならついて来るな」
「冗談。お前が心配でついて来たのにお前置いて帰れるかよ」
「全く……」
 歯の浮くような台詞だが、本心で言っているのだから手に負えない。
 空閑はわざと溜め息を一つ吐き出した。
「さっさと帰って風呂入りてえし、行くぞ」
「おう」
 コンビニからスーパーまでは、歩いて十分程度で、醤油も無事に一リットルボトルを一本買うことができた。しかし練習上がりの二人には少々堪える距離を歩いてきたことになる。買い物を終えた二人は少し休憩とばかりに、スーパーの軒下のベンチに思わず座り込んだ。
「あー、流石に疲れたな……」
「だな」
「アイス食いてえ……」
「……」
 空閑はジーンズのポケットから小銭入れを出し、中身を確認した。513円。虎石も自分の財布を確認し、空閑の顔を見る。
「買うか、アイス」
 至って真面目な顔の虎石に言われ、空閑は頷いた。早く帰って風呂に入りたい、という先の言葉は本心だが、少し疲れが溜まって甘いものが食べたくなっているのも本当だった。
「食いながら帰ろう」
「じゃあ俺買ってくるわ、愁は何が良い」
「安いやつ。何でも良い」
「おっけー」
 とりあえず200円渡すと虎石は立ち上がり、またスーパーの店内へ向かって行った。
 レジも大して混んでなかったしすぐに戻ってくるだろうと思いながら、ベンチの背もたれに体重を預けて軒下からぼんやりと空を見上げる。空には淡いオレンジ色がかかり始めており、日が沈み初めていることを示していた。
「ただいまーっ」
 すぐに戻ってきた幼馴染みの声がしたので顔をそちらへ向けようとすると、
「ん……ッ?!」
 ぴた、と頬に冷たい物が当てられた。びくりと肩を震わせると、虎石がニヤリと笑う。
「ほら、買ってきたぜ。あとこれ、お釣りな」
 空閑は虎石を睨みながら、僅かに濡れている冷たい水色の四角い袋と小銭を受け取った。虎石は悪びれずに笑いながら、腕に引っ掛けた白いレジ袋から自分の分の袋を取り出して封を開け、水色のアイスキャンディを齧る。
「早いとこ帰ろうぜ、風呂入りたい」
 空閑は袋を開けてアイスキャンディーを取り出す。棒を右手で支えながら口にくわえ、醤油のボトルが入ったトートバッグを左肩にかけ立ち上がる。
 火照った体にアイスの冷たさと甘さが心地良い。虎石の提案に乗って正解だったと思わざるを得ない。
「袋捨てとくわ」
「頼む」
 虎石はレジ袋を綺麗に畳んでジーンズのポケットにしまい、二人分の空になったアイスの袋は近くのゴミ箱に捨てに行って、すぐに戻ってきた。
 二人はアイスを齧りながら、元来た道を戻って行く。
 暑さも少し緩み始め、アイスを食べながらということもあって二人の足取りは少し軽くなる。
「愁、その醤油重くねーの?」
 アイスを半分くらい食べ終えたところで虎石に聞かれ、空閑は「別に」と答える。
「米と大して変わんねえ」
「つっても練習上がりにそれ持って三十分歩くのはきつくね?」
「じゃあお前が持て」
「んー……じゃあ愁、バッグこっちに」
 虎石に言われたので、愁はバッグの持ち手を肩から下ろして左手に引っ掛け、虎石に差し出す。すると虎石は自分側の持ち手だけを握り込んだ。
「半分こ」
「小学生か……」
「へへっ」
 アイスを食べながら、一つのトートバッグを二人で持つ男子高校生。奇妙な光景だ、と思わざるを得ない。
 しかしこういう荷物の持ち方をするのは初めてではなく。小学生の時以来だろうか。
 そのままコンビニの前を通り過ぎ、また別荘がある山に戻ってきた。
「よーし!頑張って上るぞ愁!」
 やたら威勢良く言いながら、虎石はアイスの最後の一欠片を口の中へ。空閑もアイスを食べきる。
 トートバッグにまた熊避けの鈴を付けて山道を上り初めたところで、虎石が声をあげた。
「あっ、当たりだ」
「は?」
「ほら、当たり」
 虎石にアイスの棒を目の前に差し出されたので見れば、確かに棒の先に「当たり」の文字が書かれていた。愁はなんとなく自分のアイスの棒を見てそこに何も書かれていないことを確認する。
「良かったな」
「そんな無感動な『良かったな』は初めて聞いた、流石は愁」
「お前レジ袋持ってるだろ、貸せ。棒入れて帰ったらまとめて捨てる」
「はいはい……っと。その前に愁、ちょっといいか?」
 虎石が立ち止まったので、空閑も仕方なく立ち止まる。
 虎石がジーンズのポケットから取り出したのは、レジ袋ではなくスマートフォンだった。
 自身の右腕にトートバッグの持ち手を引っ掛けてアイスの棒を右手に持ち、左手で器用にスマートフォンを操作したかと思うと、
「はいっ愁、笑って」
「は?」
 パシャリ。
 ぐいと虎石がくっついて来たかと思ったら、いつの間にか虎石の自撮りに巻き込まれていた。
 左手でスマートフォンを高く掲げて上手いこと空閑も自撮りに収めることに成功した虎石は、スマートフォンを振りながら「当たり記念」と笑った。
「当たりの文字映ってるのか、それ」
「何言ってんだ。俺の自撮りテクを舐めんなよ?」
「分かったからさっさとレジ袋寄越せ」
 スマートフォンをまたジーンズのポケットにしまった虎石からスーパーのレジ袋を受け取り、その中に自分が食べた分のアイスの棒を放り込む。袋をトートバッグに入れるかどうか少し悩んだが、右手に持っておくことにした。
「お前のそれ、どうするんだ」
「んー、どーしよっかなー……」
 二人はまた歩き始める。空閑は空の色から、陽がじわじわ傾いてきているのを感じた。山の空気もなんだか先よりひんやりしているように感じる。
「明日にでもまた皆で買い出し行くよな?」
「明日の朝まで用だからな、この醤油」
「その時にまたあのスーパー行くよな……うーんでもなあ。アイスで当たり引くの初めてだしなー。取っとこっかなー」
「……蟻湧くぞ」
「洗っとけば大丈夫だろ……って思ったけど、やっぱ交換するべきか。当たりだしな……」
 空閑はぶつぶつ呟きながら考え込んでいる幼馴染みを横目で見ながら、小学生か、という喉まで出かかっている突っ込みを飲み込んだ。
 別荘が見えてきたところで、虎石が「よしっ」と心を決めた。
「取っとく。記念に」
「ちゃんと洗えよ」
「分かってるって」
 日中の屋敷には鍵がかかっていない。屋敷の玄関前に立った二人は、両開きの玄関扉に一緒に手をかけた。
「ただいまー!っと」
「……ただいま」
「おかえりなさぁ~~~~い♪」
 真っ先に返ってきたのは、戌峰のビブラートが効いた無駄によく通る声。そして玄関ホールの階段上まで戌峰が走ってきた。
「二人ともお帰りっ☆」
「戌峰ー、台所まで醤油持ってってくれー。あと財布は柊先輩のところな。お前元気だろ、頼むわ」
 虎石がトートバッグを上に掲げて言う。まだトートバッグを持ったままの持ったままの空閑の腕も一緒に上がる。戌峰は「了解っ!」と歌うように言いながら素早く階段を駆け下り、二人からトートバッグを受け取るとまた風のように玄関ホールから去って行った。
「……本当に犬みてーだな。あいつ」
「だろ。世話すんのも一苦労の大型犬って感じ。さて、とりあえず那雪に報告か?」
「そうなるな」
「あー疲れたー、さっさと風呂入りてえー」
 そうは言いながらも虎石はしっかりした足取りで、空閑も今となっては、まあいい運動になったかと思う程度の疲れしか感じていなかった。
「那雪と言えばお前、明日の夕飯に何作ってもらうか決めた?」
「そういや決めてねえな……お前何か食いたいものあるか」
「え、俺が決めていいの?!」
「俺は別に何でもいいからな」
「マジでー?やったー何にしよっかなー」
 余程那雪が作る食事が気に入ったのか、えらく上機嫌になった虎石。空閑はそんな幼馴染みを横目で見て、少しだけ唇の端を上げた。
 方向音痴の自分を心配してわざわざ付いてきた幼馴染みだ、これくらいはしてやっても良いだろう。
 そして同時に、自分はつくづくこいつに甘いな、とも思ってしまうのだった。

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