春の音(再録)(虎石と空閑)

虎石の誕生日ネタ。
二期が始まる前どころか二期発表前に書いた物なので諸々実際の設定と矛盾がありますが気にせず読んでください。

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 新学期が始まって数日が経過した。
 ミュージカル学科としての新しいクラス、ミュージカル学科としての新しいカリキュラム。まだ慣れてはいないし、新しい華桜会にもまだ慣れない。
 とは言え、これまで一年同じチームとして過ごした仲間や小学生の時から一緒の幼馴染みもいる。これから夢に向けてまた新しい生活が始まるのだ。
 ……などと言えば、聞こえはいいのだが。
「流石のオレも疲れたっつの…………」
 放課後、旧校舎の廊下を歩きながら虎石はぐったりと肩を落とした。
「ったく、先輩人使い荒すぎ……たまたま遭遇した学科生が俺だからって……」
 本日たまたま日直だった虎石和泉は、放課後が始まってすぐの時間に先生から頼まれた雑用を手伝っていた。それも終わってさて帰ろうと教室に戻ろうとしていたら、新しい華桜会の先輩に遭遇してしまった。そしてその先輩にちょうど良かったと華桜館へ連行され、またもや雑用を手伝わされた。ようやく全部の手伝いが終わって気が付いたら窓から差し込む光はわずかに橙を帯びている。
 先輩に連行される前に一緒に寮に帰ろうと思っていた幼馴染みにはメールを飛ばしたし、もうとっくに帰寮しているだろう。今日の放課後はバイトがないと言っていたから、中学ぶりに一緒に帰れるかと思ったのだが。
「そもそもなんで俺なんだよ……絶対サラブレッドの方が向いてるっつの。今度からそう言って断ってやろーかな」
 ぶつぶつ呟いてもどうにもならないし月皇にはとんだとばっちりなのだが、虎石は新校舎の教室に置いた鞄を取りに行くために少しだけ足を早めた。
 ふと、耳を優しい音が撫でた。
「……?」
 立ち止まって耳を済ますと、ピアノの音が聞いたことのないメロディに乗せて聞こえてくる。明るく弾むようなメロディを奏でる、優しくて温かなピアノの音。聞いたことのない曲だが、このピアノを奏でている男には心当たりがある。
 音楽室だろうと検討をつけ、虎石はそちらへと方向転換した。音楽室がいくつも並ぶ廊下を歩きながら、音の出所の音楽室を探す。果たしてそのメロディは、廊下の一番奥の音楽室から聞こえていた。
 そっと扉を開ければ、グランドピアノの前に座って鍵盤を叩く、虎石と同じ制服を着た男が一人。
 虎石は何も言わずに中に入ると部屋の隅に固めて置いてある椅子を一つ持ってピアノの前まで歩いていく。ピアノの横に椅子を置き、座り込んでピアノの奏者を見上げる。
 いつもの強面とはだいぶ違う、柔らかくて穏やかで優しい表情で、幼馴染の空閑愁がピアノを弾いていた。
 虎石は、空閑のピアノが好きだ。中学に上がるまで音楽なんてさっぱり分からなかったけれど、小学生の時、放課後に音楽室で空閑が弾くピアノを初めて聞いた時、その音色は特別だと感じたことは覚えている。それからずっと、どんなピアノの音を聞いても、虎石の中で空閑のピアノは一番の特別だった。
 空閑が今弾いているのは虎石が初めて聞く曲だ。明るくうきうき弾む、春風に舞う桜の花びらと満開の花畑のような、まさしく今の季節にぴったりの曲だと思いながら自然と虎石はリズムに合わせて体を揺らした。
 空閑は虎石に気付いているのかいないのか、ピアノから視線を上げようとしない。虎石も声を掛ける事はせず、黙ってピアノに聞き入る。視界の隅で、僅かに開いた窓から吹く温かな風でカーテンが揺れる。
 それからどれくらいの時間ピアノを聞いていただろうか。
 弾き終わり、ようやくピアノから顔を上げた空閑が虎石を見た。
「お疲れさん、虎石」
「どーいたしいまして」
「災難だったな、誕生日だってのに」
「全くだっつの」
「ほらよ」
 体を屈めて椅子の足元から空閑が拾い上げたのは、虎石の鞄だった。
「おっ持って来てくれたの?! サンキュー愁!」
「教室に置いとくわけにもいかねえだろ……さっさと帰るぞ」
 立ち上がってピアノの鍵盤にカバーをかけ、蓋をする空閑。虎石も立ち上がると、自分の椅子を片付けて開いている窓を閉める。片付けをそそくさと終えると、鞄を持って二人は音楽室を後にした。
「なあ愁、さっき弾いてた曲何?」
「あれか? 俺も詳しくは知らねえけど、アニメの曲だそうだ。うちのバイト先の常連のじいさんのお孫さんが好きな曲なんだそうだ。今度連れて来るから弾いてくれないかって頼まれた」
「へえー。元の曲知らねえけど良いアレンジだったぜ」
「それはどうも」
 廊下の窓から差し込む光はいつの間にか夕陽の色になっている。玄関まで降りてしまえば、寮まですぐだ。校舎を出ると同時に目に飛び込んできたオレンジ色の空に、虎石は思わず目を細めた。
「てか愁、わざわざ俺の事待っててくれたわけ?」
「まあな」
「可愛い事してくれんじゃ~ん」
 嬉しくなって思わず肩に手を回すと、「やめろ気持ち悪ぃ」と言いながらも振りほどきはしないのが愁の良い所だ、と虎石は思う。
「帰る前にどっか寄る?」
「いや、今日は直帰する」
「お?」
 空閑が虎石の顔を見た。その目は少し楽しそうに、そして悪戯な子供の様に光っている。
「だから寄り道はナシだ。勿論お前もな」
「……へえ」
 虎石は思わずにやりと笑みが浮かべた。胸が弾むように浮き立つのを感じる。ういや今日は終礼の後でやけに星谷や辰己達が帰るのが早かったなあ、昨年の今日はまだここじゃ愁以外俺の誕生日知らなくて愁にしか祝ってもらえなかったなあ、なんてことを思い出し。
「んじゃ、楽しみにしとこうかな」
 今日の夜はデート入れなくて正解だったかもな、と思わず笑みを深める虎石だった。

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